中村圭志

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政教分離よりも、信仰と信条の自由を! -キリスト者よりも、「自由の敵」を相手にすることに関する試論-

 「日本は実は政教分離を欧米よりずっとはやく導入していたという説もあります」というコメントをいただいて、紹介された先の記事を見ました。 「福沢諭吉・新渡戸稲造・丸山眞男・森田明彦に見る、西洋コンプレックス型日本知識人の特徴」 です。  そのうち、鎌倉~江戸期までの日本宗教に関する記述は、以下のようです。 【鎌倉幕府という武家政権が、朝廷という祭政一致勢力を破って幕府の統制下に置いたのがはじまりで、...(2010/10/11 Mon 22:35)

西欧における仏教ブームと「アーリア人」の関係 中村圭志『信じない人のための〈宗教〉講義』(2)

■神学の論理性:科学との親和性と、異端の排除■ 神学論争が重んじられるのは、思考が観念的だからです。よく言えば理論的で明晰なものですが、悪く言えば、すべてを0か1かで割り切るデジタル思考だということです。(中略)注意してほしいのは、科学を生み出すような合理主義と、異端審問を生み出すような神学的な観念論とは、正反対のものというよりは、むしろ近似性が高いということです。 (68-9頁) 神学では、論理を...(2009/12/30 Wed 00:01)

世俗によって煽られる「宗教」 中村圭志『信じない人のための〈宗教〉講義』(1)

・中村圭志『信じない人のための〈宗教〉講義』みすず書房 (2007/5)■アジアの東部の人口は意外に多い■ アメリカとかアフリカというのが意外と小さい一方、インドと中国がやたらとデカイですね。ヨーロッパ、中近東、アフリカが細々と分かれているのに対して、東アジアや東南アジアは大きな国が多くて、ぐゎしっぐゎしっと大づかみにできています。 (20頁) 人口比で描いた地図で見た場合、こんな風に世界が見えるらしいです...(2009/12/29 Tue 00:28)

「神は妄想である」かどうか考え直す。 中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』(3)

 今回以降、基本的に、【重要な箇所の引用(抜書き) + これに対するコメント】という形式をとります。 本書については、途中まで、書いていたもの(既稿(1)、(2))があります。今回は、その途中の部分のと重複もありますが、すべてを上記の形式で書いていこうと思います。既稿(1)と(2)は残して、書いていきます。 なお、本書は、「一Q禅師」という架空の人物へのインタビュー形式をとっています。「じゃ」という...(2009/11/11 Wed 23:49)

宗教は【洗脳】でも【思想】でもなく、【生活】である。 中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』(2)

■内面的信仰よりまず、集団内での実践がある■ 【宗教といえば信仰】と、このようにつなげて考えてしまいがちです。しかし、たった一人内面的・精神的に敬虔であることが信仰、というのが、イコール「信仰」なのでしょうか。とりわけ「信仰」と聞くと、まず、ある超越者や教えへの精神的な敬虔さや従順さ、内面的な純粋さ等を考えがちです。しかし、【信じる】までに至るプロセスを、忘れていないでしょうか。 例えばムスリムの場...(2009/11/10 Tue 23:30)

「神」 -たかがレトリック、されどレトリック- 中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』(1)

・中村圭志『一Q禅師のへそまがり“宗教”論』サンガ (2009/1)■宗教/世俗の境界線と、その曖昧さ■ イスラームとキリスト教が対立している、ということがよく言われます。「文明の衝突」等がそれにあたるでしょう。しかしそうではなく、「ある種の宗教システムと(宗教を表社会から排除した)「世俗主義」とが対立」しているのではないか、と本書は提起しています(154頁)。表社会にも宗教が残るタイプが前者であり、表社会に宗...(2009/11/06 Fri 11:32)
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