スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

いい意味でタイトル詐欺、あるいは、まっとうな経営学。 -F・ヴァーミューレン『ヤバイ経営学』を読む。-

 フリーク・ヴァーミューレン『ヤバイ経営学』を読んだ。
 実に面白い本。
 
 気になった所だけ書いていく。



 会社にいる人間の行動を調べてみたら、けっこう彼らは、会社のデータ(数字)を無視して、代わりに経験や質的な評価、直感によって判断している(32頁)。
 ファスト&スローの二つの思考のうち、前者を採用しているわけだ。

 だけど、そうする方が結果はマシなのかもしれない。
 というのは、人は数字(会社の売上など)については結構間違いだらけに覚えていて、こうしたものを元に意思決定してしまうと、会社全体に損失を与えてしまうかもしれないからだ。
 ファスト思考は結構うまくやってくれる。



 意外と知られていないこと。

 例えば、買収(91,92頁)。
 50億ドル以上の案件121件を調査した結果、59%のケースで、市場全体の影響を排除したリターンは買収とともに低下している。
 12ヶ月たったあとには、71パーセントの案件でマイナスになっている。

 買収のイメージって華々しいけど、実態は、おおよそこんなもんらしい。



 次に人員削減の効果の話。

 人員削減(「リストラ」)は意味が無いどころか、多くの場合利益率を悪化させている(197頁)。
 しかも、人員削減が会社の利益になる業界やビジネスは見つかっていない。

 リストラはたいてい失敗しているってわけだ。

 ただし、人員削減をうまくやることも出来るらしい(188頁)。
 但しそれは、会社が常に社員を大切にしていることが前提だが。。。
 例えば、公平で公正な人事制度、あるいは長期有給休暇制度や社内託児所など。
 うん。難易度高いね。

 社員は大切にね。



 多くのアナリストが転職後の実績の低下を取り戻すのに、5年ほど掛かっている(206頁)。
 アナリストは個人事業主のように見られがちだけど、会社を変えるだけで実績が大きく低下する。
 人は一人で仕事をしているんじゃない、っていうのが、よく分かる研究結果だ。

 組織の中に埋め込まれているノウハウの蓄積や、同僚との関係、人間同士の暗黙のプロセスだったりの影響だろうと考えられる。
 組織から出てしまえば、周囲とのつながりと共に失われてしまう。
 そうした理由によるものだという。

 こうした組織のなかにある、見えにくい「蓄積」を、先程の人員削減はもたらしてしまう。
 これも、人員削減のデメリットの一つだといえる。



 次に株価について。

 株価は、インセンティブ制度導入を表明した後だと、上昇する。
 だがしかし、実際に制度を導入しなくても、株価は高いまんまとなる(176頁)。

 投資家やアナリストなどは、企業が発表している内容については気にするが、企業が実際に何をしているのかはあまり気にかけないのである。
 市場は、期待(予想)で動く、ってわけだ。

 マーケットとは、そのような世界である。
 つまり、インタゲ政策は正し(ry



 配給会社の話。

 研究によると、配給会社幹部が事前にヒットを予想した映画には、会社もより多くの経営資源を投入していた(178頁)。
 そして統計的に分析すると、そういう映画がヒットしたのは、経営資源を優先的に配分したことが、唯一の理由だった。

 予言の自己成就の典型だね。
 そうなると、大コケした映画とかは(ry



 新手の経営手法 (シックスシグマとかね) が流行る理由について。

 研究によると、経営者が流行の経営手法を導入すると、経営者の報酬が増えるそうな。
 だが、流行の経営手法の多くは、たいてい役に立たないのだという。

 しかしそれでも、こうした手法を導入する経営者は革新的と他人の目には映る。
 そして、会社の取締役会も、経営者の実績を称え報酬額を引き上げる(190頁)。

 実態ではなく、イメージによって、経営や経営者の報酬が動いてしまう不具合。

 (本書では ISO9000の取得はイノベーションを疎外しているんじゃないか、っていう話題も取り上げられているが、詳細はこちらのブログさんの記事を)



 ストックオプションのデメリットの話も出てくる。

 ストックオプションを会社の経営者に与えると、彼らは、プラスの儲けは気にするが、マイナスの大きさはどうでもよくなる(159頁)という。
 会社が10億損しようとも、100億損しようとも、経営者のストックオプションはどちらにしても無価値になるだけだからだ。
 なので、プラスの利益ばかりを目指して、結果、リスクに対する感覚が鈍り、博打を打ってしまいがちなのである。



 研究開発部門のお仕事について。
 研究開発部門の多くを占める仕事は何か。
 イノベーティブな商品を生み出すこと?
 実は、そうじゃない。

 研究開発部門を持つ企業は、研究員が何も発明できなくても、競合のマネをするのはずっと簡単である(217頁)。
 これが研究開発部門を会社が持つ、大きなメリットなのである。
 
 競合の発明を盗めるようになって、その技術を自社の製品やサービスによりよく生かせるようになる、というわけだ。

 あなたの会社の研究開発部門は、画期的なイノベーションを起こすためというよりも、そのイノベーションを学び、研究し、模倣するためにあるのである。
 じゃないと、ライバルに置いてけぼりにされちゃうからね。



 昔に比べて市場競争は厳しくなった、と嘆く経営人たちに辛いお知らせがある。

 5700社を調べた結果、今日の経営者が直面している市場が昔よりも変化が激しいと言う事実は無い(225頁)。
 当然、競争優位性を獲得したり維持したりすることが、過去に比べて難しくなったわけではない。

 昔はよかった、は、大抵幻想であるが、その一パターンか。

(未完)
スポンサーサイト

「俺の市場経済がこんなに万能なわけがない。」 「そらそうよ。」 -ハジュン・チャン『世界経済を破綻させる23の嘘』再読-

 ハジュン・チャン『世界経済を破綻させる23の嘘』を再読した。
 やはり、面白い。
 
 特におもしろいと思った所だけ、書いていく。



 アダム・スミスが、株主が有限責任しか負わないということで株式会社を批判したのに対して、マルクスは株式会社を擁護した(36頁)。
 というのも、マルクスは、株式会社を社会主義への「移行点」として捉え、株式会社が所有権と経営を分離するので、それによって経営にタッチしない資本家たちを排除できる、と考えたのである。
 まあ、これは岩井克人先生らの議論を知っている者には、周知のことだろう。



 著者いわく、低レベルのインフレが経済に悪いという証拠はまったくない(89頁)。
 例えば、シカゴ大学、IMFが行った研究でも、8~10パーセント未満のインフレは経済成長率に、全く影響を及ぼさないと結論した。
 このような低レベルインフレ擁護論は、著者の師匠(?)・スティグリッツ先生も述べていたことである。
 その通りだろう。
 問題はインフレよりも、所得だとか、再分配だとか、そっちの方だろう。



 英米の歴史における産業保護について。

 例えば、かのアレクサンダー・ハミルトンは、幼稚産業の保護のため、保護貿易を主張した(103頁)。
 まあ、これ自体は、A・マーシャルをはじめ、同意する経済学者もいるだろう。

 さらに。
 大統領だったエイブラハム・リンカーンは、南北戦争中に関税を最高レベルにまで引き上げた保護貿易主義者である(104頁)。
 かのベンジャミン・フランクリンも、高関税による、産業保護を訴えた。
 理由は、米国の土地は広く労働者が帰農しやすいため工場労働者の賃金が高く、米国の製造業は欧州との低賃金競争から保護されないと生き延びられない、というものだった。
 同じく大統領だったアンドリュー・ジャクソンも、工業製品に対する平均関税35~40%という高率をかけた。

 結構米国の歴史には、こうした産業保護を唱えた人間が多いのである。
 その結果、海外からの輸入品に対抗して、産業を保護し、戦えるようになるまで時間を稼ぐことが出来た。


 一方、トマス・ジェファソンのような、保護主義には反対した者もいた。
 しかし彼は、特許制度を支持せず、むしろ敵視した(105頁)。
 特許庁カワイソス(違



 一方イギリスはどうだったか。
 イギリスは、18世紀半ばに、ベルギーやオランダによって支配されていた、当時の先端産業である毛織物産業に進出した(108頁)。
 初代首相・ウォルポールやその後継者たちは、国内の毛織物製造業者に、関税による保護や助成金を与えた。
 じつは、イギリスが自由貿易政策をとるのは、工業が強くなった1860年代になってからである。
 それまでの約100年以上、イギリスは、世界で最も保護主義的な国の一つだった。

 英米は歴史的に、自分たちの産業が強くなるまで、保護貿易をきっちりと、行っていたのである。
 なぜそれが、他の国では許されないのだろうか、という話になる。

 競争は、本当の意味において「フェア」でないといけないはずである。



 スイスもシンガポールも、実は製造業は強い(144、145頁)。
 統計を見れば分かる。

 スイス製品をあまり目にしないのは、国が小さくて、スイス製品の総量が少ないからである。
 しかもその製品は、消費財ではなくて、機械や工業用化学薬品などの生産財に特化されている。
 一人あたりの統計では、スイスは世界でもトップクラスの工業生産高である。
 シンガポールも、世界でも五本の指が入る(誤字)工業経済国である。(一人あたりの製造付加価値による評価で)。

 スイスは鳩時計だけ作ってるわけじゃないのである (そりゃそーだ)。
 (こちらのブログさんの記事も参照されたし)



 ノーベル経済学賞も受賞した大学者ハーバート・サイモンは、チェスについて次のように説明する(237、238)。
 平均的なチェス・ゲームでも、10の1120乗ほどの手がある。
 それをすべて考慮する合理的方法を実践するのは、人の知的能力を超えている。
 ところが、チェス名人たちの駒の動かし方を調べてみると、彼らは、検討すべき手順の数を減らすために経験則を頼りに少数に手を絞って、次の手を考えていた。
 このようにして、複雑性を縮減しているのである。

 選択肢が多すぎると、かえって迷ってしまう。
 多く手がありすぎて混乱するのを、ヒューリスティック(?)に選択することで、減らしている。

 これは、政府による規則(法やルール)はなぜ存在するのか、という説明につながってくる。
 私たちが規則を必要とするのは、政府の方が常に市場を良く知っているからではない(240頁)。
 そうではなく、人間の知的能力の限界を謙虚に認識するゆえに、政府の規則が必要なのである。

 さまざまにある市場のファクターをすべて計算に入れて行動選択が出来る人間などこの世には存在しない。
 ある程度の情報を入手して、そこで行動選択をする、そうした限定合理性のもとに動くのが、人間である。
 それをサポート(複雑性を縮減)してやるのが、政府に与えられる役割なのである。
 (これについては、このブログさんの書評も参照されたし。)



 著者は、「共産主義の崩壊とともに計画経済も消滅した」というテーゼに反論している。
 実はそうでもなくね?、と。

 マルクスが経済全体を中央集権的に計画するというアイデアを得たのは、じつは企業の事業計画からである(278、279頁)。
 当時、事業計画というものを実行していたのは、政府ではなく企業だけだった。

 マルクスは、企業内の計画を資本家による独裁だ、とたしかに批判は、している。
 しかし、資本家階級を駆逐した暁には、社会的な善のために「計画」は生かされると信じていた。
 マルクスはその中央集権的な計画経済を、企業をモデルにして考えていたのである。

 そもそも、市場というのは、こうした計画を立てて行動する企業組織だらけである。
 企業は、数年にわたる事業計画を組み、行動している。
 そして、会社の売上や市場の反応を見ながら、計画の見直し、新計画を立てることはするけれども、一度立てた計画はそう簡単に引き返せない。
 市場を見てコロコロ計画を変更する経営者は節操が無い(そんなことが出来るのは、設備投資や人材育成を一切しない企業くらいのものである)。

 さっきも登場したハーバード・サイモンの『組織と市場』にこういう話がある。
 曰く、もし火星人が何の先入観もなく地球にやってきて、私たちの経済を観察したら、彼らは確実に、地球人は「市場経済」というより「組織経済」のなかで生きていると結論するはずである。
 実際、最近では、貿易の3分の1から半分が、超国籍企業内の各部局間の移送である(279頁)。



 計画経済、というのは、企業組織レベルではかなり当てはまるし、それを政府が立てる産業計画・経済計画も含めて考えれば、世界各地の経済というのはけっこう「計画」しているのである。
 
 実際、アメリカ政府でさえも、第二次世界大戦後は、研究開発への大規模な支援によって、産業の勝者の大部分を選んできた(182頁)。
 コンピュータ、半導体、航空機、インターネット、バイオテクノロジーなどの産業は皆、アメリカ政府による研究開発への助成金のおかげで発展している。

 様々な組織が計画しながら、その上で、市場というものは成り立っている。



 ちなみに、リバタリアンであるホップは、あのハイエクを「社会民主主義者に等しい」と批判しているらしい(こちらのブログさんの記事を参照されたし)。
 というのも、確かにハイエクは「社会に広く分散されている特定の状況下での知識 (中略) を中央計画当局がうまく処理することは不可能」というふうに中央政府の危うさを指摘するけれども、ならば「なぜ企業のオーナーは社会主義の中央計画当局と同じ問題に直面せずにいられるかを説明できない」からである、と。
 上記の「計画経済」に関する話として、付記しとこう。

(未完)

社会主義者・ワルラスの面目と、フリードマンさん@(さほど)がんばらない -松尾匡『対話でわかる痛快明解 経済学史』雑感-

 松尾匡『対話でわかる痛快明解 経済学史』を読む。
 ライトなつくりになっていて、読みやすいが、中身はしっかりしている。

 マルクスは、自分自身の字も読めないことがあり、実際に『資本論』第2巻の序文で、エンゲルスもそう書いている(66頁)。
 こんな感じの小ネタものってる。

 興味深かった所だけ。



 ワルラスの社会主義者っぷりについて。

 ワルラスは、土地の国有化を唱えた(128頁)。
  それは自由競争市場の合理的な動きのために必然的に要請される側面があった(らしい)。

 土地を国有化して、その地代を国家の収入にし、労働者への課税は廃止するよう主張したのである。
 そうすることで、労働者も資産を形成して、資本家と「同化していけるようになることを目指した」。
 労働者個人が、『アソシアシオン割引金庫』に貯金して、それで金庫側が機械を買い、労働者集団にリースをする、という感じである。

 土地という「既得権益」の打破し、労働者へ「チャンス」を広げることが目的だった、といえるだろう(たぶん)。
 
 しかし、ワルラスは、こういった社会主義的ともいえる政策を、体系的に論じる前にこの世を去ってしまった。



 A・マーシャルについて(159頁)。

 マーシャルは、ちゃんとした最低賃金を定めろ、とか、公的扶助をすべきだとか、語っている。
 これくらいは、まあ、まともな経済学者なら、誰でもいっている。

 だがマーシャルは、さらに、「資本主義企業は、労使の共同収益制とか、部分的な協同組合とかを経て、将来的には協同組合に進化していくんだという見通しも述べている」。

 マーシャルは、大企業や資本家が社会を牛耳る未来を望んでいたのではなく、むしろその反対であった。
 (たしか、こうした非大(資本)企業の方が技術革新を生み出すんだ、みたいなことを、どこかで彼は書いていたはずである。)



 そんなマーシャルの論敵が、マンチェスター学派の連中であった(155頁)。
 彼らは、自由貿易には賛成したが、その自由貿易を、外国との食うか食われるかの戦いと見なしていた。
 賃金を下げることで、利潤を増やして戦いに打ち勝とう、という発想をしていた。

 今も結構、こういうことを主張する輩がいるw
 自由貿易ってのは、食うか食われるかじゃなくて、全ての国の取引相手がみんな得をするからやるものなんだが・・・というのが当然のツッコミである。


 
 イメージとは違う、ミルトン・フリードマンについて(250、251頁)。

 フリードマンは、労働組合の賃上げがインフレの原因であるという説を批判していた(『選択の自由』第9章)。
 かれはあくまでも、貨幣数量主義者であり、インフレは貨幣供給量を減らせば落ち着くのであり、ゆっくりでいいから、恐れずブレず、金融引き締めをすればいい、という。
 そして、財政支出も、削減しろと主張する。
 曰く、問題なのは財政支出が大きいこと自体であって、だからかえって減税して財政赤字を増やしたほうが、政治家が真剣になって財政削減をするからいいくらいなのだ、と。

  フリードマンは、徴兵制に反対していた(253頁)。
 『赤狩り』にも反対し、共産主義を信じる自由そのもの、は守ろうとした。
 共産党員には薬剤師や教師などの免許が出ない、という制度が米国に存在していたとき、それをばかげていると批判したのが、フリードマンである。



 フリードマンにとっての「競争」(259、260頁)について。

 競争に負けるのは、努力が足りなかったからか?
 いや、そうとも言い切れない。

 フリードマンの場合、親から資産を相続するのも、努力する遺伝子を相続するのも同じと考えていた。
 つまり、努力すること自体をそこまで偉いとは見ていなかった、というわけだ(こちらも参照)。
 (「努力する遺伝子」というと誤解を招きやすいだろうから、努力を可能にする家庭環境や経済的な環境、といったものを想像されたい。)

 フリードマンの発想では、世の中全体で、色々な欲求の大小にあわせて各産業に労働が上手く配分されている状態が「効率的」とされる。
 そしてその自由な労働移動を通じて、この状態をもたらすものが、「競争」である。

 彼が重んじていたのはあくまでも、市場による調整機能であり、努力ウンチャカではなかったのである。

「護民官」としての安全管理職と、東電及び電力不足への対策について  -竹森俊平『国策民営の罠』を読む-

 竹森俊平『国策民営の罠』を読む。
 実に読み応えのある良本だが、Web界隈では、書評が少ない気がする。
 内容については、こちらの評をお勧めしたい。


 
 内容のまとめとしては上の評でいいと思うので、それで終わりにしてもいいのだが、それじゃ何だか芸がないので、いくつか書いておこう。



 著者は、今回の原発事故の背景には、日本にずっとある「安全管理」についての、先進国とは思えぬ酷い対応があるという(まあ当然だ)。
 そして「日本は官民一体となって『安全管理』という職種の地位向上を図るべきである」という(86頁)。

 なぜ「『安全管理』という職種の地位向上」なのか?
 安全管理というのは、当然、危険と判断した仕事をストップさせることを意味し、それは(短期的な)企業の利益に反するケースが多い。(長期的には別だろう。)
 そして、企業側にとってマイナスなものとして、捉えられてしまいかねない。
 結果、安全管理の責任者は、組織の中で出世できなかったり、逆に、出世しようと職を怠って、組織の(短期的)利益におもねったりしてしまう。
 こういうのをシステム的に防がなけりゃいけない。
  
 著者の提案は、

・安全管理のための教育プログラムを作る。(国内にないなら担当者の留学を国や企業が支援する)
・企業や国で重要な役職に付く人間は、その前に安全管理職を経験させる。
・安全管理職と経営層との交流について、米国並みの厳罰を適用し管理する。
・安全管理の責任者には、決定済みの計画でも自分の判断で差し止められる大きな権限を与える。

といったもの。

 特に、下の二つは重要だと思われる。
 原子力の安全管理云々というのは、上のことをやってから言うべきことだ。
 (それにしても、この「安全管理職」って、その拒否権の強さを考えると、何だか古代共和政ローマの「護民官」に似ている気がするw



 著者の東電に対する考えというのは、すでに紹介した村上氏のいうように、

竹森教授は、東電を生かすでも殺すでもない今の仕組みを最悪とこきおろす。日本で一番不足しているのは電気で、積極的な投資が必要なのに、東電は日本で一番嫌われているというジレンマ。東電は資産を全部売って破綻(はたん)させ、賠償と原子力の負担から免れた新会社に電力事業をやらせるのが最善

というもの。
 この意見は妥当と思われる。
 (なお著者は、原子力に完全に反対ではないものの、「原子力発電所のような『有毒性粗大ゴミ』」(250頁)は、新会社には引き継がせないという方針。)

 賠償からフリーになった新会社なら、電力事業への投資がしやすい。
 今後、原子力の代替のためには、火力などの発電所が必要になる。
 そんな投資が必要な時なのに、東電に急激なリストラなんぞを要求している場合じゃない(株主や経営層の責任とかは問われるべきではあるが)。

 


 で、ずっと前に出された「原子力損害賠償支援機構法」だが、これは、事故に備えた資金のプールを電力会社からの拠出によって賄う仕組み。
 でもこの法律では、電力会社に原子力事故のリスクを経営判断に取り込むインセンティブは生まれない。
 なぜかというと、支援機構への拠出金負担分だけ、電力会社が電気料金を吊り上げていいという取り決めがあるからだ(251、252頁)。
 そうなると、原子力事故のリスクを電力会社が経営判断に取り入れるためには、価格が市場競争で決まる電力自由化しかなくなってしまう。
 
 発送電分離というのがすぐ思い浮かぶけど、まずは、現行の法律でもできる自由化もある。
 例えば、天然ガス発電所なら、ガス会社に電力事業への参入を促すことだって可能だろう(254頁)。
 原発が停止するということは、送電網が空く分、新規参入は容易になる。
 現行の法律だと、新規参入する会社は、送電網を所有する電力会社に「託送料」を支払わないといけない仕組みなので、政府の指導で、値下げさせるのが吉といえる。

節子、それリスク管理ちゃう、儲け目当ての投機や

■複利効果は大抵、「不平等」を生む(手持ち資金と時間は有限ですので)■

 株式投資は、複利効果によって「ひとり勝ち」を生みやすい (某書より引用)



■流動性はいわば、選択権なのですよ■

 将来の経済変化についていろいろな不安があるときには、とにかく、いつでも簡単に他の資産に乗り換えできる(流動性が高い)金融商品を選んでおくべきです。 (某書より引用)



■節子、それリスク管理ちゃう、儲け目当ての投機や■

 金融機関が自ら採用しているリスク管理では、「値下がりした資産は少しずつ売って、覚悟した損失限度を超えないようにすること」が基本的な考えなのです。
 それなのに […] 個人向けの資産運用アドバイスには、「値下がりして比率が低くなった資産は、さらに買い足せ」といった内容がふくまれています。 […] それは、儲けを追求するための考え方であって、損失をできるだけ小さくするというリスク管理の発想ではありません。 (某書より引用)



■資産運用は控えめにねっ ☆■

 「自分はこういったことは苦手だから、誰か信頼できる人や金融機関に相談しよう」と考えた段階で、すでに、金融機関などの仕掛けた術中にはまっています。 (某書より引用)

世銀「あたしって、ほんとバカ」 QB「そうだね」

■「小さな政府論」者が消費税を選好する場合の理由の一つ■

 所得税は納税者の申告によらざるをえない。それがうまく実行されるかどうかは一つには納税者の善意と、一つには徴税官吏の検査査定能力の二つの条件にかかっている。 (某書より引用)



■植民者たちに都合のよい「神話」の流布■

 どうも方形鋤が最良万能であるという説は、独占的輸入業者がその仕入れと在庫管理を簡単にする都合上、自分で発明し、農民、政府に植付けた神話ではないかと気がついた。
 こんな連中が輸入をやっているのだから、自由化によって新しい農具、農薬が豊富にルワンダに入ってくることは夢物語である。便利な農具、有効な農薬があっても、それがルワンダに輸入されていなければ、ルワンダ農民はそれを知らず、それを使ってみよう、買ってみようとの意欲も起るわけはない (某書より引用)



■多分、アメリカですな。■

 政府軍の武器がフランス製であることを指摘するならば、「愛国戦線」の武器はどこからきたかをも指摘しなければならないはずだ。 (某書より引用)



■アフリカを襲ったオイルショック(ちなみに、第二次の方)■

 第二次オイル・ショックに際しては、先進国は前回と異なり、総需要の抑制政策を採った。そのため、景気は停滞し、不良債権に悩む民間銀行は途上国貸出の回収を図り、加えて、第一次オイルショック以来先進工業国で活溌に進められた省資源投資の結果、 […] 一次産品に対する需要は循環的ばかりでなく構造的にも減少した。これに対して、アフリカ諸国は輸出所得の減少を一次産品生産輸出の拡大で補う政策を採ったため、その価格はますます下落した。しかも、 […] 生産者価格の維持のために政府補助が必要となり、輸出税の激減とも相俟って財政を圧迫した。 (某書より引用)



■アフリカの食糧自給の困難の背景■

 途上国は […] 好況時代に借り入れた債務の元利金の支払いに苦しむようになった。アフリカは住民の大部分が自活農民であったが、植民地時代の鉱山・農園労働者の輸入食糧依存や国内・域内の道路網の未整備を背景に国産食料の商業化が遅れていたため食糧生産は拡大せず、 […] 食糧自給度は著しく低下した。 […] 七〇年代以降、数回の激しい旱魃に際しては、家畜の喪失に加え一部の人民は飢餓に苦しむようになった。 (某書より一部省略して引用)



■アフリカの「与えられた独立」■

 独立後のアフリカ諸国の行政がこのように旧植民地官僚その他の外国人顧問の意のままになったのは、植民地時代に宗主国に対する強い反感が少なく、広い独立運動がなかったことによるものと思われる。 […] アフリカ諸国の大部分は、心理的にも体制的にも独立への準備不足のまま独立したのであって、まさに「与えられた独立」だった (某書より引用)



■世銀「あたしって、ほんとバカ」 QB「そうだね」■

 まず、国民資本の形成と国内・域内市場の開拓が必要であったにもかかわらず、世界銀行等国際機関ではアジアの発展の要因は輸出指向の政策にあったとして、アフリカでも輸出指向の政策を勧奨した。このため、世界経済の停滞を映じ価格が構造的に下落している一次産品の輸出に過大に依存することとなり、肥沃な農地の一次産品生産への転用を通じた食糧自給度の顕著な低下と相俟って、アフリカ諸国を苦しめる結果となった。 (某書より引用)

ケインズと「予想」

■ケインズと「予想」■

 「先生! ラディカル・エコノミストは、ケインズ派は『予想』行動を国民所得理論に有機的に組み入れていないと批判しています。それではケインズ派が『予想』行動を理論化できなかった理由は次の(1)から(4)までのどれでしょう? 」
  […]
 「先生。正解はこの中にはありませんよ。だって、ケインズの一般理論は宇野弘蔵が定式化した原理論に相当するから政策論の範疇に入る『予想』行動までは定式化できなかったと『近代経済学の史的展開』の中であんたは自分で言っているんですからね」 



■試合は見ない。■

 『あのファンたちは応援に熱中してて、試合の方はあまり見ていないようなんだが、ぼくの思いすごしだろうか』
 『リッチー。きみの言うとおりさ。誰も試合なんか見ちゃいないよ。試合経過は家に帰ってから「プロ野球ニュース」を見れば分かるのさ。みんな、応援に来てるだけなんだ』 (某書より引用)



■土井淳■

 土井淳という名前の転校生が一年のクラスにやって来たが、同級生たちはかれがほんとうは五十三歳だということも、阪神タイガースのヘッド・コーチだったこともまるで気にしなかったのだ。 (某書より引用)



■亡くなった後もなお■

 木々の葉はそよりともせず、朝蝉が鳴いていて、はるか下の方から聞こえてくる海の単調な鈍いざわめきが、われわれ人間の行手に待ち受けている安息、永遠の眠りを物語るのだった。はるか下のそのざわめきは、 […] 昔にも鳴り、今も鳴り、そしてわれわれの亡いあとにも、やはり同じく無関心な鈍いざわめきを続けるのであろう。 […] この今も昔も変らぬ響、われわれ誰彼の生き死にはなんの関心もないような響の中に (某書より引用)



■19世紀末ロシアの小説より■

 当節では子供たちも中学の勉強がなかなかむずかしくなってとか、しかしどっちかといえばやはり古典教育の方が実科教育よりもすぐれている、というのは中学を出たときどの方面へも道が開けていて、志望によっては医者にもなれ技師にもなれるから、などと述べたてるのだった。 (某書より引用)



■猫■

 とろとろと眠りに落ちながら、 […] 涙がつぶった目からあふれて両の頬をつたわり落ちる。そして黒い小猫が彼女の小脇にそい寝をして、しきりにのどを鳴らしている。 (某書より引用)

供給が、人の欲求を駆り立てる

■供給が、人の欲求を駆り立てるとき■

 流通は自由をその原理とし、支配主体の定められぬ「無主」の都合により民主の形を取るので、よけいに自在に、障壁に妨げられず、まさしく融通無碍に、人の生活を貫いて流れる。もっぱら人の欲求に仕えるものと触れ込みながら、やがて主従の転倒が起こり、人の生活をその端末として支配するようになる。供給による需要の支配という逆転である。 (某書より引用)



■一夜に十万に近い人間が焼き殺された■

 始業と言えば、戦時中に私の通っていた小学校、国民学校ではその合図にベルが鳴らされていたが、ベルが鳴り出すと生徒たちはどこで何をしている最中だろうと停まり、直立不動の姿勢を取って、ベルの成り終るまで目をつぶっているよう命じられていた。戦時統制の一環であるが、 […] 音が止んで、所定の位置へ駆け出る時には、子供ながらに動員の心になっていた。朝礼のたびに戦地での死が説かれた時代だった。数ヵ月後には同じ東京の江東深川を中心に、一夜に十万に近い人間が焼き殺された。 (某書より引用)



■ハメットの探偵社時代■

 ピンカートン社のオプ時代、一九一七年に、ハメットはビュートの町で、スト破りの傭兵として働いたことがあり、 […] そして同じ年に、ハメット自身もかかわりがあった、組合リーダー、フランク・リトルのリンチ事件。 (某書より引用)

復興費用と消費税に関するどうでもいい話(未完) -猪木武徳先生の議論について-

 猪木武徳先生が、復興費用の調達のため、消費税の臨時増税も検討しているらしい。
 で、今月の『中央公論』で、自らに寄せられた反論に対して、反批判をしている(猪木武徳「デモクラシーの病が経済を混乱させる」)。



 普通に考えると、日銀引き受けでも問題ないと思うけど、もしこれが政治過程の都合で不可能な場合、国債を市場で消化させて資金調達か、税金で賄わざるを得ない。
 一応、リフレ政策には賛成の立場だけど、この場合は、国債か、税金か、の二者択一と考えることにする(善後策だ)。



 猪木先生の考えだと、国債の市場での調達だけじゃ、復興費用20兆円が間に合わないから、税金でやるしかない、ということらしい(善後後策)。

 で、税金のなかで、何で消費税だけなの?
 しかも期限付きの。

 
 曰く、消費税なら広く薄く社会を支えるもので国民の一体感につながるから、ってことらしい。

 え?



 確かに、著者が『中央公論』で書いているように、今必要なのは有効需要だ。
 日銀引受けも買い切りオペもできなくて、国債発行だけじゃ間に合わないなら、税金で復興費用を賄うしかない。
 で、民間がデフレで需要がない時には、政府が税金でお金を使うこと自体は、まあ、決して間違っていない。
 (まあ、小野善康先生の議論を想起してください。まあ、小野先生の場合、国債発行がスゲー嫌いらしいんだけどねw)
 民間が動けないなら、政府が動くしかない、ってのは、一応理にはかなっている。



 で、何で消費税だけなの?
 なんで、所得税も法人税も上げないの?
 (あと相続税も)
 問題はそこなんだよね。

 猪木先生曰く、
 所得税だと、所得や年齢によって払わない人が出ない不平等が発生するし、法人税だと海外との競争力が削がれる云々だってさ。
 でも、消費税なら、そのお金で使われる政府の投資とか、民間の投資とかが、消費の減少を相殺するから大丈夫なんだってさ。




 何で税金を全部上げようとしないのかな?
 例えば、消費税+所得税だって、別に問題ないじゃない。
 先生の論法でいえば、別に所得税を増税しない理由にはならないんだよね。
 平時だと、所得税も消費税も払ってるんだし、そのことに不満を持つ人っていないはずなんだよね。

 これを、今の「非・平時」にやったって、いいじゃない。

 あと、法人税の件だけど、日本の内需が回復すれば、それはそれで企業にとっても好都合なんだから、法人税上げたって問題ないと思うよ。
 (まさか、消費税増税なら、回りまわって家計の得になるのに、法人税増税は、回りまわっても企業の得になりません、なんて論法ないよねw)
 そもそもさ、海外の競争力云々で増税しない理由になるなら、一体感なんでありえるわけないじゃんw
 みんなで支払うって語った舌先で、法人は除外するけどね、っていうの、何かおかしいんじゃないかな?




 そもそも、この議論の錯誤は、払うことが一体感に繋がるって因果関係なんだよね。
 逆なんだよ。
 一体感を醸成できたからこそ、増税OKなんだよ。

 先生自身、一体感を醸成するのが政治の役割なのよ、って書いてはいるけどさ、消費税だけでそれをやろうってのは、ちょっと論法として無理があるんだよね。



 あと、期限付きにするくらいなら、最初から消費税なんて上げるべきじゃないんだよ(詳細は、松尾匡先生の議論を参照してね)。
 あとでどーせ、社会保障にそのままつなげようという勢力と、それを阻止しようとする勢力との間で、ひと悶着あるんだから。
 そんなくらいだったら、いっそ社会保障を名目に消費税上げた方がずっといいと思うよ(目的税にはしなくていいんだけどね)。
 そのことのほうが、ずっと、はるかに、マトモな選択肢だと思う。
 (いや、ちゃんと社会保障に使われなかったら、デモや暴動を起こすべきだと思うけどね。)


(未完)



(いただいたブコメについて)

hahnela03 消費税を左派系が蛇蝎の如く嫌う不思議。国債=金持ちの金を使いたくない、ソーシャルとは。でも法人税の減税はOKで所得税上げないけど環境税でとるのはOKらしい。環境税は実質キックバックと排出権取引でウマーかな?

 多分このメッセージは、幣ブログへ向けられたものではないと思います(環境税云々には、一切こちらは言及していないので)。
 ただ、本文だけだと、こちらの税に対する考えが分かりにくいかもしれません。
 なので、念の為書いておきませう。

・消費税には、決して反対なわけでは、無論ない(それは、社会保障等の給付としてきちんと還元される限りのこと)。
・復興費用については、できる限り、日銀引き受けとか買切オペとかで賄う。難しい場合は、普通に国債の市場消化での資金調達で賄うべし(百年に一度の大災害というのが事実なら、なおのこと、そうすべき)。
・復興は、国債の分野。社会保障は、税金の分野。
・もし消費税を増税するなら、当然、法人税だって所得税だって相続税だって、増税をためらうべきではない。
・環境税の問題については、知見不足なため、留保。
・日銀引き受けだろうが、非伝統的金融政策だろうが、兎に角あらゆる手を使って、デフレをさっさと脱却しよう。


 以上のとおり。

中央銀行(+政府)の金融政策への果然とした姿勢こそが、市場の「予想」を動かす 岩田規久男『デフレと超円高』を読む

 岩田規久男『デフレと超円高』を読む。
 良書評として、『事務屋稼業』さんのこちらの記事も御参照ください。



 「実質実効為替レートでみると、現在は円高ではない。」
 このような発言は、デフレは問題じゃないよ、といっているのと一緒(62頁)。
 真顔で言っちゃダメな類の発言。

 アタリマエだが、念の為。



 外需主導の景気回復について(91頁)。

 実質賃金(全産業。30人以上の事務所)の変化を見ると、2002~07年は、実質賃金が基本マイナス傾向で、上昇した場合でも、企業の利益率の伸びに比べて極めて低水準にとどまる。
 これはデフレのため、国内の売上高が低迷し、国内の雇用需要が振るわなかったことが大きい。

 海外売上高主導の景気拡大というのは、労働者にとって不利な景気の回復だった。



 量的緩和というのは、「民間にお金が出回り、それがモノの購入に使われて、物価を引上げる」というようなものではない(143頁)。
 そうではなく、将来の貨幣の供給経路や物価に関する市場の予想を変えることによって、為替相場や株価に影響を与えるのだ。
 人々の"予想"を好転させることが、実は一番重要。

 
 アタリマエだけど、念の為。



 デフレ脱却当初は、予想インフレ率だけがプラスに転換し、その後物価が好転するが、貨幣は増加しない。
 つまり、銀行の貸し出しはこの時点では増えない。

 まずは、今まで使われなかった、民間主体の手持ちの現金・預金が頻繁に使われるようになり(株の購入や、モノ・サービスの購入)、貨幣取引の流通速度が速くなる所から始まる。
 その状態が一定期間続いてから、やっと銀行の貸し出しも増えていく。

 
 繰り返し言うが、民間主体(各企業や各家庭)の"予想"を動かすことが重要。



 ハイパーインフレの時、それを終息させたのは、中央銀行が貨幣の通貨量の宣言を発表し、国債引き受け額に上限を設けることを宣言することだった。
 これが、第一次大戦後のドイツでの手法だった。

 だが、ハイパーインフレが終息していく最中も、実は、紙幣は供給され続けていた。
 貨幣供給量は、ハイパーインフレ終息後も増えていた
のだ。
 このような事態は同時期のハンガリーやオーストリアでも同じだった。
 ハイパーインフレが終息していく過程でも、貨幣供給量は増加していた。
 
 従来の金融政策のルール(「金融政策のレジーム」)を転換することを宣言したことが、民間市場の予想を変化させ、予想によって生じていたハイパーインフレを、貨幣供給量と関わり無く突如終息させたのだった(181頁)。

 "予想"がいかに重要か、これで分かるだろう。



 著者は、フランクリン・ルーズベルト大統領の場合、FRB議長を、保守派からリフレに協力的なユージン・ブラックに交代させたことで、金融政策のレジームが転換し、デフレを脱却できた、という。
 そして、日銀政策委員会のメンバーを、少なくとも過半数はリフレ支持者に入れ替えない限り、金融政策のレジームを転換させられない、という(206頁)。

 そのとおりだが、ハードル高いw
 (『日本銀行は信用できるか』の時よりハードルがあがっている気もするw)
 まあ、白川総裁が、(よい意味での)「君子豹変す」にならないと、やっぱり無理だよね



 (追記)
 本書とは関係のない話。

 ずっと前に、デフレをめぐって、はてブでのやり取りがあった。
 お相手は、perfectspell氏。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/keiseisaimin/20110722/1311344956
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/keiseisaimin/20110722/1311344956
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/keiseisaimin/20110722/1311344956
 要するに争点になったのは、

 何で、『経済財政白書』は、OECDの統計をメインに使っているのに、日本のGDPギャップ要因だけ、内閣府の奴を使ってんのよ?

という点。
 http://www.epa.or.jp/esp/09s/09s10.pdfを見ると分かるが、OECDの統計の場合、ゼロインフレの状態を基準にしているのに対し、内閣府統計の場合、過去のトレンドから判断して実現できそうなGDPというのを基準にしている。
 その差が、2%。


 つまり、『経済財政白書』がわざわざ内閣府の基準を持ち出してきたのは、自分たちも2%程度のインフレ率が必要だと考えているから、と推測される。
 2%程度のインフレ率は当然必要で、それに到達しないのはGDPギャップ要因が大きい、というのが『経済財政白書』の意図と思われる。(まあ、あくまで仮説ですが)

「政治家のレベルが下がったというより、国民の要求レベルが上がった」というごもっともな話/ほか -原田泰『日本はなぜ貧しい人が多いのか』を再び読む-

 原田泰『日本はなぜ貧しい人が多いのか』(2009年)をまた読む。



 著者は、日本は、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、のように、生活保護の給付水準を引き下げて、生活保護を受ける人の比率を高くすべきだ、という(96頁)。
 イギリスやフランス、ドイツの生活保護総額の対GDP比は、それぞれ、4%、2%、2%なのに対して、日本は0.3%。
 代わりに、日本は生活保護受給者の総人口比率が0.7%しかいないが、イギリスだと16%、フランスだと2.3%。ドイツだと、5%。(「第65回「日本の奇妙な生活保護制度」原田泰氏 大和総研」
 
 まず単純にいって、生活保護にかける金額が少なすぎ、日本!!
 当然増やすべきだろう。

 次に、生活保護の受給者の総人口比率も少なすぎる。
 当然広くあげるべきだろう。
 仮にフランスの基準に合わせると、日本の生活保護総額を対GDP比にすると、単純計算して、総人口比、2.1%位の人には受給できるようになる。

 その分、一人当たり受給金額が下がる可能性もあるわけだが(著者は、諸外国は日本に比べ2割くらい安い、と述べている)。
 ただ、日本の生活保護費の総額は、医療費が結構占めていたはずで、この辺、諸外国はどうなんだろ(この辺曖昧です orz)。


 
 日本における不平等の問題。
 少なくとも90年代以降の場合、正社員になれない若者層が増大して、将来的にそういった人々が年功賃金を得られにくい、という側面がある(101頁)。
 個人への所得再分配が少ないのも、その不平等を助長する。
 これが最も大きい。



 公共工事入札をめぐる知事の汚職も、昔なら問題にならなかっただろう。
 談合や汚職などは大昔からあり、政治家の失言だって、今に始まったことじゃない(146頁)。
 公職に就く人の資質が低下したのではなくて、求められている基準が上昇した。

 ただし著者は、そのように厳しく見ることは、悪いことじゃない、というふうにいっている。

 ひたすらに、ごもっとも。



 もし消費税を上げるなら、その税収は家族対策に使うべきだと著者は言う(149頁)。
 もう高齢者向けの社会保障支出は先進諸国に比べても、十分ある。
 それに、家族対策に使えば、子供も増えて、将来の担税力を増やせる。
 子供が増えなくても、今の子供に使えば、将来彼らに増税しても、まだ公平。

 (ここでいう、家族対策とは、医療費であり、児童手当であり、失業手当であり、職業訓練費用であり、住宅手当のこと

 高齢者向けの社会保障を減らして家族対策に使え、というアホな主張よりも、はるかにマトモ。



 日本で生産性を高めるという議論をするとき、既存の産業の生産性をどう高めるのか、という議論はあるけど、アメリカの生産性の高さは、生産性の低い産業は輸入に置き換える、という面が大きい(184頁)。

 アメリカの場合、造船業と列車製造業がほとんどない。
 アメリカでは、船や列車は、輸入して、航空機だけ生産して輸出している。
 だから生産性が高い。

 比較優位を上手く利用しまくって、アメリカの生産性がある。
 逆に言うと、生産性の低い産業を、輸入に置き換えない限り、生産性は上がりづらい、ってことか orz



 日本は80年代から、ずっと経済に構造問題を抱えていて、それなのに、4%の成長をしている。
 じゃあ、なぜ、90年代の成長率は低下したのか。
 どう考えても、経済の構造問題が原因じゃないだろ
、と著者は言ってる(208頁)。

 ごもっとも、というほかなし。



 著者曰く、金融緩和をやって、需要を増大させ期待インフレ率を上昇させれば、市中金利を上昇させられる(247頁)。
 短期的には、金融緩和→コールレート低下→マネーストック増大→市中金利低下。
 だが、この金利低下によって、設備投資などの実物資産の購入は刺激され、物価は上昇し、長期的には市中金利は上昇する。

 もし金融緩和をしても民間がお金を使わないなら、政府や中銀が実物資産を買い取って物価を上昇させる、という手法も存在する。

 市中金利を引上げたい日銀は、まず、金融緩和をすべきなのである。普通に。



(追記 2012/9/26)
 コメ欄にマヌケなコメントがあって、メンドクサイから消してしまったけど、やっぱり応答しておこう。
 「日本は生活保護受給者の総人口比率が0.7%」云々の出典はどう考えても、原田先生の当該書以外ない、ということを、このコメント主は理解していないらしい。
 あと、本書は2009年に出た書物なのだから、当然この比率は2009年以前のものであって、「生活保護受給者、211万人に 過去最多を更新 2012/9/13 14:50」のj-castの記事と比較するのは、どう考えても間抜けである。
 いやまあ、本書とこのブログの記事の時点では時間的に隔たりがあって、その間に生活保護受給者の数は増えているから(この記事参照)、その点ではこっちにも非はあると思うけど、でもそれを差し引いてなおも、当該のコメントはマヌケである。
 ・・・仮に211万人になったとしても、総人口比率から言えば、1.6%前後に過ぎないないわけで、まだまだ事態は変わってないと思うんだけどね。

そりゃあ、下手な産業政策論より、(広義の)インフラ整備のほうがずっと平等ですよね -原田泰『日本はなぜ貧しい人が多いのか』を読む-

 原田泰『日本はなぜ貧しい人が多いのか』を読む。
 著者とスタンスを同じくする人も、そうでない人も、是非ご一読いただきたい。



 政府が、産業に出来ることについて(24頁)。

 日本政府が国内産業に出来ること。
 何をすればいいのか、実は学問的に、良く分かってない。
 どこに資源を投入すれば、民間が儲かり、国富となるのか。


 著者はむしろ、その産業自体じゃなくて、産業の土台(つまり、投入産業)の効率を高めて、国内産業の生産コストを引き下げたらどうか、と提唱している。
 投入産業とは、運輸、通信、電力、金融、工業団地、工業用水などの産業のこと。(著者は更に、税コストや、土地利用のコストも、下げたらどうか、と述べている。)
 要は、こうした投入産業の規制を緩和して、競争させれば効率が上がり、コストも低下するでしょう、と。

 確かに、ある特定の産業(自動車産業や半導体産業など)にお金を投入して(あるいは税制優遇して)産業保護するより、こうした"後方支援"のほうが、各産業間の不平等はなくなる。
 お金を投入された産業と、されない産業との不平等も、お金を投入された企業と、されない企業との不平等も、この方法なら解消される。

 それに、国内コストが下がるのなら、日本国内の全ての企業が有利になり、海外にある企業には絶対に有利にならない。
 国内の投入コストを下げることは、産業育成の最良の方法だ、と著者は言う。

 確かに。産業保護よりは、こっちのほうがマシだ。ずっと平等だ。
 もちろん、投入産業の競争促進は、副作用も考慮しつつ行うべきなのはいうまでもないが。
 


 著者曰く、払われるべき給食費4210億円のうち、未納金額は22億円。0.5%だ(42頁)。
 しかもその中の42%が、失業による経済的困窮という正当な理由。
 すると、99.7%の人々は、ちゃんとルールにのっとっていることになる。

 誰だ!!
 給食費を払わない父兄がいる現代日本は、モラルが低下してる、なんていった奴は!!!!
 美しき国日本じゃんww



 なぜ日本の若い世代は、より貯蓄をするのか。
 
 著者は、日本人は貯蓄好きだから、などという文化決定論には与しない(46頁)。

 著者は、恒常所得理論と、ライフサイクル仮説(著者は、「ライフサイクル理論」だと強調している)で単純に解読できるという。
 要するに、①所得の変動度が高まっている、②恒常所得が低下している、③高齢で働けなくなる期間が長期化している、という以上の要因。
 確かに、若い世代であるほど、将来的にもらえる給料は前の世代に比べて少ないだろうし(労働環境が変化)、年金不安もあるし、寿命が延びるので働けなる期間も長期化すると予想されている。
 そりゃ、若い世代ほど貯蓄率が高まるのは当然だろう、と。

 ヘンな文化決定論よりはずっとマシな解釈と思われる。



文部科学省は、巨額の予算で、「全国学力・学習状況調査」を実施してるけど、それを使って、どのように子供の学力を引上げるのかは、殆ど分析していない(60頁)。

 イギリスでは、親の所得が教育格差を生む事実をちゃんと認識している。だからこそ、低所得者の多い学校に、重点的に予算を配分する(63頁)。その予算は、学校が自分の最良で使うことが出来る。
 所得の低い地域にある学校に多く予算を配分するなら、これは公平だ。

 苅谷剛彦先生も、およそ納得してくださるであろう。うん。



 グローバリゼーションは格差の原因か、について。
 著者曰く、日本の賃金格差の原因があるとすれば、それはむしろ、流通や外食や介護などの低賃金のサービス労働の拡大だという(79頁)。
 これらの産業は、海外とは競争していないので、グローバリゼーションが格差の原因とするのは、検討の余地があるという。

 グローバリゼーションという得体の知れない原因よりも、こっちの方がずっと分かりやすい。



 著者曰く、現行の保育制度だと、母親の所得が高くても、そのコストの大部分を税金で賄っているという(83頁)。
 それに対しては、①所得の高い家計からは実際に掛かるコスト分の保育料を徴収すべきであり、そのお金で保育園を作るべき、②コスト全額を負担する親の子供を優先して預かり、所得の高い母親により多く働いてもらうことで、より多くの税収を得られるようにしよう、と提案している。

 それに対しては、個人的にはソシアルとして、①料金は全て税金で取るのが原則であり、その税金の段階で累進課税を取ったほうがいい、②当然、どの子供を優先して預かるかは、原則的に無差別にすべき、と思う。
 ここは人によって意見が分かれるかも。

「10個の2位よりも、1個の1位を目指せ」的な話なわけですよ -飯田泰之,坂口孝則『経済とお金儲けの真実』を読む-

 飯田泰之,坂口孝則『経済とお金儲けの真実』を読む。
 目次を見ると「釣り」が多いけど、指摘は比較的マトモですw
 経済(マクロ)とお金儲け(ミクロ)の関係を、主題にした珍しい(?)本かも。

 それにしても。この本にも、戸籍法がなぜ未だに残っているのか分からない、という記述があるけど、確かに、なんで住民票があるのに、こんな戸籍法とか必要なんだろう?



 公共事業について。
 飯田先生曰く、新規の公共事業だと、3割くらいが土地収用代になっちゃうけど、橋梁や効果の補修工事なら土地収用費はゼロだから、公共工事も有効だという(75頁)。
 納得の意見。

 ただし、補修が高い経済効果を持つ公共事業は、大部分が、東京や大阪の大都市圏に集中してしまう(同頁)。
 でも、日本ではたいていの場合、公共事業が、地方への再分配目的で行われてしまう。

 このギャップが悩ましい。

 となると、経済効果目的の公共事業は大都市圏に集中し、必要最低限の補修工事のみを地方に行い、地方への再分配はコンクリート以外の雇用対策で行うしかないのだろうか。
 (ただ、地方への再分配のための優良な雇用対策とは、いったいなんだろうか。



 飯田先生曰く、ここまで産業化の進んだ社会でCO2負荷を減らすなら、もう生産や物流のスピードを落すしかない、納期の遅れを覚悟するしかない、と(79頁)。
 なんと、あっさり認めておられる。この解答は至極正しい。
 そう、それしかないのよ。



 坂口氏は、

 日本企業は、「万が一のことは起きてはいけない」と、その予防策だけを真剣に徹底的に考える。でも、その万が一っていうのが起きたときの損害予想評価をしているところは少ない (略) 慎重を期したい場合は、それこそ保険をければいい

 と述べている。2010年1月時点の書籍で。
 これを聞いて耳の痛い企業がありますよねw



 飯田先生から、貧困ビジネスの問題について(132頁)。
 市民団体系のNPOの場合、生活保護受給者に、社会復帰して自立するよう、生活指導や職業訓練の奨励をする。
 でも、それをうっとおしいと思う人もいる。
 対して、貧困ビジネス系のNPOの場合、金さえ払えば、1日中寝ていようが何も言わない。
 そうして、長い間搾り取ろうとするわけだ。

 この問題の根源は、実際のセーフティネットが、自立支援のためのものとして機能していない点がある。 
 だからこそ、上手く制度設計をして、一定額までは働けば働くほどお得な、給付付税額控除を導入すべきだ、と考えるが、どうだろうか。
 無論、職業訓練の充実や、企業の姿勢の変化などは、その前提として必要なのだけど。
 


 飯田先生から。

 日本には、労働者階級全体の利害を代表する政党が存在しない。
 社会党も民社党も、事実上は、大企業の正社員の利害を代表していただけに過ぎない。
 全国の労働者、特に失業者は、有効な圧力団体を作る資金力もないので、その人たちの利害を代表する政党もない(207頁)。
 共産党さえも、支持者はインテリ率が高い。低所得者や失業者の味方はしてくれるけど、その当事者そのものではない。
 どこの国でもそうだが、今の左翼運動が厳しいのは、最終的には「金持ちの道楽」に頼むしかないことだ。

 「日本には、労働者階級全体の利害を代表する政党が存在しない」は事実だし、旧社会党、民社党の件も、間違ってはない。
 「全国の労働者、特に失業者は、有効な圧力団体を作る資金力もないので、その人たちの利害を代表する政党もない」は、中小零細企業や失業者については、正解。
 共産党の件は、少なくとも共産党支持者の件なら、正しい。
 でも、「金持ちの道楽」云々については、以前書いた「労働組合強化のために -EUの事例から-  濱口桂一郎『新しい労働社会』(7)」の中身を日本でも実行してから、いって欲しいですなw



 最後に、飯田先生からの、シュウカツの話。
 
 シュウカツしてて、自分が何社にも雇われるなんてありえないんだから、100点付けてくれる1社にぶち当たればいいのであって、全部の会社に70点もらおうとするのは意味ないよ、と(232、233頁)。

 これ、仕事上のコンペとかでもいえるよね。
 いろんな会社の中で、1位以外は負けなんだから。
 全ての会社において2位になるんじゃなくて、ある数社だけでも1位にならなきゃ。

 「1クールのレギュラーよりも1回の伝説」という名言を思い出したけど、
  これとはちょっと違うかな?w

結局、「顧客満足 < 数字(売上)目標」にしかなってない場合 -「経営戦略」初級編-

 三品和弘『経営戦略を問いなおす』を読む。
 日本とアメリカの大企業のことばかり書かれている。
 まあ、好著ではある。



 顧客を前にして、売上目標を語る愚かしさ(34頁)。
 顧客第一とかいっておきながら、その第一であるはずの顧客満足(目標)が、売上目標(手段)より劣位に置かれてしまう。この矛盾。

 売上っていうのは、顧客なしではありえない。そして顧客には、当然、自社以外選ぶ権利がある。

続きを読む »

製造してる国の労働環境より、製造してる商品の安全性 orz な日本国 -あと、輸入品と雇用について-

 丸川知雄『「中国なし」で生活できるか』を再び読む。



 欧米の場合、企業が発展途上国の労働者を酷使して製品を作ることには批判的。
 そうした批判を受けないように、中国に生産拠点を置く欧米企業は、①労働者の作業環境を整え、②環境汚染に気を配り、③従業員の社会保険加入状況や労働時間の適正さにも目を光らせる、こういった工夫をしている。
 日本企業は、確かに、こうした欧米企業の後追いで、工夫も後手後手の観は否めないよね。
 殆ど場合、日本の消費者は、その商品の品質や安全性はすごく気にするけれども、生産する現場の労働環境とかは、それほど気にしない。そのため、当然、生産者側も、気にしない。
 その商品の安全性とかだけを気にして、一方、他者の生活に目を配らない。
これは"利己的"ではないかな。




 「中国製=全部中国産」じゃない。
 中国製の衣服の場合、これは布の裁断と縫製を中国でやったことを意味する。
 しかし、デザインの多くは日本国内。
 また、布自体は、日本製だったり、中にはイタリア製であることもある(119-120頁)。
 で、定価のうち約半分は、卸売業(デザイン料含むケース多)と小売業の手に渡る。ここで雇用が生まれてる。(詳細、本書参照)
 これがまず、日本のGDPに加算される。付加価値だから。
 また、この布自体が日本製の場合、この布の分もGDPに加わる。
 「中国製」商品からも、日本国内の雇用が生まれており、この仕事によって、GDPも膨らむ。この点には要注意。
 「中国産だから、日本国内の雇用が奪われ~」という良くある批判は、こういう点を踏まえた議論が必要。
 この件については、飯田泰之『ダメな議論』でも、触れられてる。




 研修・技能実習制度の問題。
 日本の消費者は、この問題に鈍感。だから、不買運動すら起きない(125頁)。
 現地工場の労働条件にまで目を光らせる欧米ブランドメーカーに比べて、日本の(アパレルなどの)産業は、企業の社会的責任への意識が低い。
 この件の詳細は、安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』などを。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。