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アイロニーとしての小説、あるいは、「血肉」と「生命」と「喜劇」から みる近代小説 -中村光夫『風俗小説論』-

 中村光夫『風俗小説論』の文庫版(新潮文庫)を読んだ。
 これで何度目なのか。

 意外と読まれていないんじゃないかね、この本。
  『風俗小説論』に対する丁寧な書評(まとめ?)としては、全4回のこちらのブログさんの記事もご一読あれ。

 中村の批評家・小説家としての仕事については、こちらのブログさんもぜひ。
 こちらのブログ主様がいうように、「中村は、そのために文学に必要なのは『感覚』ではなく『思考』なのだと主張しているように思われる」とは、まさにその通りだと思う。
 もちろん、フローベールやスタンダールらが、「彼等の多くは、ただ彼等よりはるかに平凡な作中人物を通じて、ともかく社会に伍することができたほど孤独な存在であった」という中村の主張が、どこまで正しいのか分からないけれど。

 いつものように、気になったところだけを書いていく。



  作者はどの登場人物もその場その場の背景に合わせて都合のいい断片に切り刻み、それを傀儡のように勝手に動かしているだけで、その人間としての統一と奥行は作者によってほとんど故意に無視されています。(略)武田の感性的リアリズムは志賀直哉にはない社会的な広がりを得た代償に、志賀直哉の私小説がともかく完全に造形し得た人間を見失ってしまった (111頁)

 中村は、一応、志賀の小説の優れた点を認めていた。
 「完全に造形し得た人間」を創出した点である。
 一方、登場人物が平面的である点を、武田鱗太郎は批判されている。
 志賀の場合、(少なくとも主人公は)そうではなかった。

 そして、感性の微妙なもつれと、細やかな陰影の描写にかけては、日本の近代小説はどの国のそれに比べても劣らぬ見事な独自の技術を開拓したと著者はいう。(85頁)。
 著者は、そのように、日本の私小説を含め、日本の近代小説全般を、一応ほめている。
 読み物としての美質はある。

 著者は、では、何を"批判"したか。



 「青春」の主人公は、これに反して、終わりまで最初に作者によって設定された性格のままなので、さまざまな事件が起れば起るほど、彼は生気を失ったこしらえものの姿で読後の胸に引証されるほかはありません。この長編の退屈さの根本はここから来ていると思われます。 (17頁)

 ツルゲーネフ『ドミトリ・ルージン』との比較で、このように述べられている。
 主人公の変化、つまり、人物としての非「平面さ」に著者は拘る。



 現代の風俗作家に驚くべき大量生産を可能にした理由は、彼等の身につけた小説技巧が、私小説によって変形されたリアリズム手法の更に固定化したもので、それはすでに文学的生命を喪ったために酷使と工業化に堪えるのです。 (67頁)

 『風俗小説論』で著者が一番重要視しているのは、実はここではないかと思う。
 このお手軽さ。
 「自然主義」の作家たちにはまだあった「エトス」が、もう当時の「風俗小説」にはなく、その小説の技巧だけが形骸として残っていることに、著者は不満を持っていた。
 では、その「エトス」とは何かといえば、「自然」(自然主義)へのこだわりである。

 彼らは、「自然」に拘り、それを突き詰めていこうとした。
 その結果、この日本の作家たちは、「自己」のことを微細・執拗に書くことで、「自然」に迫ろうとした。
 それは西欧の自然主義のやり方と違う、というのが、中村光夫の意見だった。
 (蓮實重彦によるインタビュー(蓮實『饗宴Ⅱ』所収)に対して、中村が答えるところによると、問題にしているのは、西欧の近代(自然主義)文学と日本のそれとの混同である。)



 西欧の自然主義は根本において、「科学」重視であり、作家は人間や社会に関する一般法則から出発し、普遍的な真実を求める思想家として行動した(70頁)。
 彼らは「自然」を追求することで、一般法則をもとに、社会と他人を書いた。
 著者も自然主義における「科学の過信」を指摘しつつ、それが与えた効能(つまり、「一般法則から出発し、普遍的な真実を求め」たこと)を述べている。

 例えば、フローベールは、エンマをもっとも蓋然的な一般性を持つ人間として創造した。
 ゆえに、「ボヴァリー夫人は私だ」と明言した一方で、「『ボヴァリー夫人』には何も本当のことはない。それはまったくのつくり話だ」と言い得たのである(71頁)。

 だが、日本の自然小説は、一般法則を描くことに向かわずに、「自己」に向かったのである。
 そこには、「他者」が欠けていた。



 平たく云えば彼はここで「自己」を「自然」の法則またはリズムの体現者と云いたかったのですが、まさかそうとは云いかねたのです。(泡鳴はこの点を花袋とちがって無遠慮に云い切っています) (80頁)

 日本の「私小説」の方向性を突き詰めると、こうした隘路に行きつく。
 言い切れない花袋に対して、泡鳴は「俺が(この世界の)ルールブックだ!」と堂々と表明してみせた。
 「神秘的半獣主義」の問題にかかわるが、これ以上深追いしない。

 ともあれ、中村光夫にとっての「小説」というのは、その方面とは別のものだった。



 竹中時雄は前の二作の主人公にくらべて、はるかになまなましく生きた人間であり、同時に滑稽な存在です。(略)不幸にして作者がこの主人公の姿の滑稽さにまったく気付いていない (51頁)

 前の二作とは、「青春」と「破戒」を指す。
 もちろん、本当に花袋が主人公の滑稽さに気づいていなかったのかといえば、そうではない。
 (詳しくは、前回の記事参照)
 
 ただ、中村の『蒲団』批判から、逆に彼が求めたものが読みとれる。



 現代までも文学的生命を失わないのは、彼等が漱石が生涯を通じて育てた人生に対する観念から生みだされた子供たちであり、観念的な手法を通じながら作者の血肉をわかたれた存在であるからです。 (14頁) 

 漱石の生み出した人物たちに関する説明である。
 私小説にありがちな、作者と密着したタイプの主人公はダメだという一方、「観念的な手法を通じながら作者の血肉をわかたれた存在」ならいいというのである。
 著者は作家と作品の関係を、これでもかとばかり、気にしている。

  抱月がこれを我国の文芸界に画期的な「新発現」と呼んだ所以は、(略)この作の主人公と作者とが互に内面の苦悩によって結ばれている点であった (24頁)

 藤村の『破戒』の話である。
 ここでも、「主人公と作者とが互に内面の苦悩によって結ばれている」ことを重視している。
 
 「観念的な手法を通じながら」というのが重要である。



 「浮雲」の本田やお政お勢などの副人物が、主人公の文三と対等の他人として、単なる「類型」以上に溌剌と活写されている (中略) 藤村には二葉亭にあったようなユーモアも自己に対するアイロニーもなかった (32頁)


 「青春」の作者が主人公を上から見下していたに反して、「破戒」の作者が主人公と同じ悲哀を呼吸していた点にある反面、この作者と主人公の距離の近さが、小説構成の「必要以上に藤村自身の主観的感慨を以て丑松の心理を塗りつぶしてしまった」 (33頁)

 後者の鍵括弧は平野謙の指摘である。
 小栗風葉の書いた「青春」の主人公は、「観念的な手法を通じながら作者の血肉をわかたれた存在」ではなかった。
 著者は主人公と距離をとりすぎている。
 だが、「破戒」の主人公は、逆に主人公との距離が近すぎる、というのである。
 「観念的な手法を通じ」るという、距離が足りない。

 適切な距離を著者は求めた。

 (なお、 「「浮雲」の本田やお政お勢などの副人物が、主人公の文三と対等の他人として、単なる「類型」以上に溌剌と活写されている」というあたりについては、亀井秀雄による批判がある。こちらの記事もご参照あれ。)

 作者がその親愛する主人公の弱点を遠慮なくつき、その言行を厳しく批判しながら、結局彼を暖いアイロニーで包み、「読者の深い共感を買う」プロセスを想像していた筈です。問題は結局作者とその分身たる主人公の距離、彼の自己批判にかえって来ます。 (50頁)

 この、ツンデレのようなもの。
 中村光夫にとっての小説のミソは、ここにあった。

 主人公に対して、手加減せずに批判するけど、一方で、親愛の温かい「アイロニー」がある。
 (勘のいい人ならわかると思うが、『ヒューモアとしての唯物論』の作者の意見に近い。正確には、『ヒューモアとしての唯物論』の作者が中村光夫の考えに学んだ、というべきなのか。)



 自己批評の力は近代小説家がどれほど持っても持ちすぎることのない才能 (略) スタンダールが(略)百年後の現代になお広く迎えられる秘密は、彼の自己批評の鋭さと正確さにあると思えます。 (15頁)

 著者は、こうした自己批評に重きを置く。
 主人公の分身は自分である以上、当然、自己批判が不可欠になる。



  少なくとも自然主義以後の小説では、構成とは筋の起伏を工夫することではありません。それは作品の主人公に対して持つ作者の人間的批判であり、言葉をかえて云えば、彼の意識の限界を作者が明確に意識することによって、他の作中人物に彼と対等なそれぞれ独自の生命を浮き彫りにすることなのです。 (41頁)

 他者との「劇」としての小説を中村は欲していた。
 主人公を「アイロニー」の距離感に置くことによって、「他の作中人物に彼と対等なそれぞれ独自の生命を浮き彫りにする」狙いがあった。
 (幾分か、バフチンのポリフォニー理論を思わせぬでもない。)

 著者にとっての小説とは、自己批判であり、主人公に対するアイロニカルな距離であり、そうした批判によって他の人物の生命を浮き彫りにするものであった。



 ではそうした主人公と他者(たち)との間に何が発生するのか。
 著者は書く(49頁)。

 目覚め来る生活の願望と周囲の社会との衝突は、喜劇としての側面を持つ。
 近代を代表する個人は、コミックな存在であり、逆に彼から見れば、社会全体がコミックである。
 よって作者は、滑稽の要素なしに、このテーマを生かし、主人公の現実の姿を把握することは不可能である。
 青年を主人公とした近代小説の傑作、『赤と黒』や『感情教育』は、すべて喜劇的要素を重要な構成分子として持たぬ者はない。
 なのに、風葉「青春」、藤村「破戒」、花袋「蒲団」、いずれの作品も、作者は主人公に対してまったくアイロニーを持たず、滑稽の分子は完全に排除されている。

 たとえば、後藤明生という作家の貴重さが、この「喜劇」(正しくは「他人」と「笑い」と批評性)にあることはいうまでもない。



 中村が小説を書くときに、「です」「ます」調を使用しなかったことについては、また別途考える必要がある。
 いつか書く予定。



 最後に、中村光夫の批評家としての慧眼については、デビューした頃の石原慎太郎評も、御一読願いたい。(但しブクマのみ残存。リンク先は既に書籍化されてしまった。)



 (未完)
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「非モテ」演出と私小説、あるいは、<岩野泡鳴 VS 猫猫先生>という「私小説」に期待する話。 -小谷野敦『私小説のすすめ』-

 小谷野敦『私小説のすすめ』を読んだ。
 あの猫猫先生が書いた、と理解していれば、実に面白く読める。

 小説に興味のある人は、読んで損なし。
 知識は間違いなく身に付くし、著者の主張から学ぶべきところは多い。
 「文学とか文学史からみればかなり画期的で重要な指摘とも思われるものが、下世話な話題と並べて、(印象としては)ポンッと書かれている、という事もできる。そういうふうに長所と短所(というかもったいないところ)を持っている本である。」という、同著者『反=文芸評論』に対するAmazonの評が、そのまま当てはまる。
 (面白いネタを書いてくれているので、著者の主張に偏見やこじつけっぽいのが混じっているにも関わらず、それでも読む価値が十分ある、などと書いてはいけない。)

 ただし、あの猫猫先生が書いている。(大事なことなので、二回書きました)

 以下、特に面白かったところだけ。



 プロを目指す人というより、ともかく小説を書きたいと思っている人に、私小説を勧めてみたい (7頁)

 失恋でも、家族の死でも、いじめられた経験でもそうだ。それらを、断片ではなくて、まとまった「私小説」として書くことで、何かが変わると、私は思う。 (182頁)

 自己治療としての私小説、といったところか。
 うん、とりあえずまずは、カウンセリングを受けようぜ(違
 もちろん、小説にそのような効能があることは否定しないし、むしろ肯定したい。

 一応自己"恢復"のための小説という話については、以前書いたことがある。


  花袋が日露戦争の従軍記者として出征したことを全部省き、その間に美知代から恋文のような手紙が来ていたことも隠した (26頁)

 出典は『「蒲団」をめぐる書簡集』となっている。
 要するに、花袋は、自分に起きた事実を取捨選択して小説にしたのである。
 私小説がどんなに体験を基にしていようとも、事実のどれを選択し、それをどのように表現するのか、というのは、重要な点だ。
 そこが、プロの腕の見せ所だし、素人と差が付くところである。
 
 ともあれ、花袋が意図的に、滑稽感を増強させているのは間違いないと思う。
 (実際、後藤明生も『小説 いかに読み、いかに書くか』で、そんな指摘をしている。)

 なお、著者は、読み継がれる(かつ、今なお賛否あるような)作品なんだから『蒲団』は名作やろ(137頁)、的なことを書いているのだが、そんなら漱石『こころ』は名作になるし、多分村上春樹もそうなるだろう。
 、、、まあ、それは別にいいのだけど。

 ・・・ところで、「美知代から恋文のような手紙が来ていた」ってことは、実際の花袋はモテモテなんじゃねーか、それを小説では削ったってことかよ!、と思ったのだが、著者の結婚回数のモテモテぶりを考えると(ry



 あなたが、勝手に相思相愛だと思っていた相手が、実はそんな気はまるでなくて、自分が勘違いして、後から考えるとさまざまに滑稽な振舞いをして、あとで自分の勘違いだと分かり、悲しくかつ情けなくてのたうち回った、というような経験があったら、それは格好の私小説の題材である (28頁)

 これ、後藤明生の小説そのものやないか。
 いや、まあ、のたうち回る云々だけは、違うような気がするけど。

 著者は実際のところ、それが実話を元にしようとそうでなかろうと、こういう話が好きってことなんだろう。
 んじゃ、別に私小説でなくてもいいような気もしないでもない。

 実際、志賀直哉らの「心境小説」は私小説を不毛にしたんだぜ、的なことも書いている。
 著者は、「暴露型・破滅型」の私小説が好きなのである(30頁)。
 だがしかし、著者は、岩野泡鳴について、

 全然花袋や秋江とは感触が違い、自分の「冒険家」「魚色家」ぶりを誇っているような、花袋や秋江とは別種の「愚かさ」があって感心しない (124頁)

 って書いちゃってる。
 別に私小説だからと言ってそれが好きなわけではなく、「暴露型・破滅型」の中でも、もてない、あるいは、不倫に走る「情けない自分」を書いた小説が好きってことだろう。 
 だから、ホーメー先生みたいな「自信家」の私小説は好きじゃないのだろう。

 実際のところ、著者の体験をどこまで基にしているのかは、実はそこまで著者の好みには影響してないような気がする。
 
 とりあえず、地獄からよみがえった泡鳴センセイと戦って、最終的に潰し合ってほしい(違
 そして、それを基にした「私小説」をぜひ先生に書いてほしい(藤枝静雄のように!?)



 日本の純文学作家は売れないので、次々と作品を書いて原稿料を稼がねばならず、ために西洋の一部の作家のように、十分な時間をかけて小説を練り上げることができず、時には事実を洗練させて変形する暇がなく、時にはほとんど事実そのままを小説にしたりしていたせいもある。 (58頁) 

 これは、結構重要な指摘だと思う。
 時間が無かったので、それを書きました、っていう身も蓋もない話。
 
 じゃあ、日本の私小説がみんな駄作か、といえば勿論そんなことはあるはずもない。
 既に書いたとおり、事実のどれを選択し、それをどのように表現するのか、というのが大切だ。
 (著者は、このような工夫(技巧)の問題について、本書で触れていない(はず) である。本書における「私小説」という概念に対する異議として、こちらの密林での批評を挙げておく。)

 (そういえば、私小説の方が事実の中に小説家の「企み」を挿入しやすい、ということを、古井由吉はどこかで書いていた。)



 中村自身が、そのように、たやすく女を手に入れてしまうような男だったのだ、と考えるべきだろう。 (126頁)

 中村光夫の頑なな『蒲団』批判の背景には何があるのか、という点に関する著者の言。
 中村光夫は「もて男」だから、もてない男の小説である『蒲団』は理解できんのや、と。
 この無駄な想像力の逞しさは、普通なら「あれっ?」って思うだろうけど、でも著者の場合「ああ、猫猫先生だし」で終わる
 別の理由があるんじゃなかろうか、と思うので、いつの日か書きたいと思う。
 (四十宮英樹の論文によると、中村光夫は昭和25年の「モデル小説」という評論において、藤村や花袋の時代の私小説だと、自分で自分を観察することに重きが置かれていたのが、大正期の葛西善蔵らの私小説になると、自分で自分に演技をすることに重きが置かれ始めるという旨のことを述べている。その評論から読み解けるのは、中村光夫が、藤村や花袋が「自分で自分に演技をすること」をしていた可能性を、ほとんど考えていなかったことだ。自分がいったん構築した文学史的構図に、囚われてしまったのだろうか。)

 折口は同性愛者だし、南方熊楠にも同性愛を礼賛するところがあり、もしかすると民俗学というのが、恋愛嫌いの学なのではないかとすら思う。 (164頁)

 同性愛=恋愛でない、という俺理論まで登場したが、猫猫先生なので、もちろん気にしてはならない



 そういえば、ポール・レオトーの名前が、本書では出てこなかった気がする。
 あれは小説ではない、ということなのだろうか。



 次回は、中村光夫『風像小説論』か、北尾トロ,えのきどいちろう『みんなの山田うどん』のどちらかを取り上げる予定。



(未完)

「分かるやつにだけは分かる」こと、あるいは、近代芸術の「逆説」 -阿部良雄『ひとでなしの詩学』から-

 阿部良雄『ひとでなしの詩学』を読んだ。
 詳しい内容については既に、書評がウェブ上に存在する。(良い阿部良雄入門にもなっているので一読してほしい。)

 以下、気に入ったところだけ書く。



 写実主義から印象主義へと、描く対象が市井の人々や見慣れた風景になってくると、画家の工夫は画題の珍奇ではなく、芸術的な独創に注がれるようになる。
 神話に出てくるような人物や王侯貴族ではなく、もっと平凡なものが描かれるようになる。
 その時、画家は技の独創性を前面に押し出す。

 すると何が起こるか。
 黒ずくめの服の中での創意工夫が、自分もそうした苦心を知っているダンディ仲間の目にしかとまらないように、芸術家も、その工夫を理解・歎賞できるのは、芸術家のみ、という状況が生ずる(174頁)。

 分かるやつにだけ分かる。
 そうした見えにくい差異、理解しにくい差異が、芸術の中枢を占めるようになる。

 ダンディスムとは、あえて際立った特徴を消し去る(黒ずくめ)によって、その創意工夫を分かるやつにだけ分かるようにする所作であり、そうした生き方である。
 同じようなことが、芸術においても生じる。
 芸術家の工夫は、旧来のテクニックの常識にとらわれる素人には見えにくい(同頁)。



 当時(1850年代)において、印象派の絵画を買うのは、主に、貴族や富豪の上流階級である。(現代芸術の受容の様を想起せよ。)
 一般観衆は、当時の風俗画や古代風俗と称するエロティックな絵だの、エキゾチックな風物の絵画などを喜んだ(同頁)。
 分かるやつにだけ分かる、このことは、当然、階級なども無縁でない。



 文学でも、同じようなことは起こる。
 例えば、ボードレールの散文詩「港」。

 港へ行って海や空を眺めてぼーっとしているならだれでも出来る。
 これは、デモクラティックな事態だ。
 しかし、そうした何の変哲もない主題から<詩>を引き出すのは、誰にでも出来る事ではない。
 これは、アリストクラティックだ(175頁)。

 多くの「大衆」が「芸術」に手を伸ばせるようになる時代、それは、芸術じしんが「大衆」から差別化・差異化を図って「分かるやつにだけ分かる」という側面をいよいよ顕在化させる時代でもあった。
 近代芸術の逆説。



(未完)

あなたが芸術を習うことの意味について -アラン・ド・ボトン『旅する哲学 大人のための旅行術』番外編-

アラン・ド・ボトン『旅する哲学 大人のための旅行術』を読んだ。
 以前、同じ著者による『プルーストによる人生改善法』についても取り上げたことがあるが、やはりこの本も面白い。

 特に面白いと思ったところだけ取り上げる。



 ディオゲネスは「ギリシア人とギリシア人以外という区別の立て方を軽蔑し、『きみの国はどこか』と聞かれると『わたしは世界市民(コスモポリタン)だ』と答えたと伝えられる。」(129頁)
 よく知られているエピソードだが、引用した。
 
 何々人という聞かれ方、決め付けられ方、断定のされ方、そういったものから逃れるためにディオゲネスはこう答えた。
 彼にとって、世界市民とは、「ギリシア人」として区別されることへの抵抗であり、何かに所属することへの抗いだった。

 「犬のディオゲネス」とまで言われた人物である。
 もし、本当に世界政府が出来たら、その時には、彼は自らを「宇宙市民」と称するのかもしれない。



 詩人であるワーズワースは、読者に、いつものものの見方を捨て、しばらくはこの世界が他者の目にどんな風に映るか考えてみたらと誘う。
 人間のものの見方と、自然のものの見方との間を行き来してみたら、と。

 なぜか。
 「不幸は、たぶん、たったひとつのものの見方しかできないところから生まれるからだ」。

 鳥たちが差し出す別のものの見方が、どんなに役立つか。
 ワーズワース曰く、もしこの国の地元紙や全国紙や週刊誌が全て、土地の貴族や重要人物たちの到着や出発を伝えるだけでなく、鳥たちの到着や出発を伝えてくれたら、「民衆の多くにさらなる喜びを与えるだろう」。
 「ビジネスの世界のかたわらには、牧場でヒバリが鳴いている世界も存在している」(192頁)。

 さあ、みんな、エクストリーム出社しようぜ(違



 あらゆる写実的な絵画は、現実の様々な特徴のどれを際立たせるか、その選択をあらわしている。
 全てを捉えた絵画など、いまだかつて存在しない。
 画家の選択が実に鋭く、その選択がその場所を「定義」するまでになると、私たちは、その場所を旅するとき、もはや偉大な芸術家がそこで何に注目したか、そのことを「思い浮かべずには通り過ぎることができなくなる」(243、4頁)。

 これは、ゴッホについて著者がそう述べているところ。
 優れた絵画は、鑑賞した人の世界の見方を、大きく変えてしまうのだ。
 (近いことをメルロ=ポンティが言っていたような気もするが。)

 絵画は「見られる」だけでなく、私たちに世界を「見せる」のである。



 ラスキンの描写の力は、彼の技法から来ている。
 その場所がどんな風に見えるかを描写する(「大地は灰色を帯びた褐色だった」)だけでなく、同時に、その場所が私たちに及ぼす心理的影響を言語で分析する(「大地はおずおずとしているように思えた」)ところにある(296頁)。
 なぜプルーストがラスキンに惹かれたのか、わかると思う。

 そして、ラスキン曰く、「わたしは風景のほうが絵より遥かに重要だと信じている。だから、わたしが絵を教えるのは、生徒が自然を愛することを学ぶためであって、絵を描くことを学ぶために自然の見方を教えるのではない。」(301頁)
 絵が下手な人でも、絵を描く効用はある。
 絵が、自然や風景を、学ばせてくれるからだ。



 (未完)

斎藤茂吉の「異化」的作歌法と、近代における『万葉集』利用 -品田悦一『斎藤茂吉』を読む-

 品田悦一『斎藤茂吉』を読む。
 著者は、『万葉集の発明』を書いた人。
 前著もそうだったけど、面白い。
 茂吉だけでなく、それ以外の主張も面白い。

 気になった所だけ。



 茂吉の訛りは酷かった(32頁)。
 彼の晩年の歌の朗吟を聞けば分かるが、結構訛っている。

 同じく同郷の友人たちの訛りも酷かった。
 (「酷かった」という表現は、山の手中心主義な気もするけど。)
 彼らは、結果的に文筆に自己表現の道を見出す。
 そして、茂吉は「書く人」となった。
 (ここら辺の問題意識については、小林敏明『廣松渉』における、廣松の文体と「周縁性」の問題と共に考えられるべきだと思うが、まあ、また今度考えよう。)



 茂吉は、朗吟より黙吟の方が効果があると考えた(44頁)。
 「肉声の干渉が回避されるという意味ではむしろいっそう純粋に感得できる」というわけだ。
 肉声は時に、肉声以外の要素を、殺してしまう。
 (黙吟の意義(朗吟への批判)は、確か、荒川洋治も述べていたと思う。)
 


 茂吉が万葉の古語を好んで自作に用いたのは、格調のためではないし、まして、万葉歌人の心に同一化しようとしてでもなかった(38頁)。
 単に、自分の「内的節奏」(リズム)に合致するからだった。
 そう著者は言う。

 実際、茂吉は、万葉以外にも、『山家集』や『梁塵秘抄』の古語、近代の俗・流行語、さらには、西洋語にまで手を出している(39頁)。
 日本の言葉の歴史上、かつて一続きの文を構成したことのない複数の語が、三十一音のうちに同居している(110頁)。
 実に画期的、そして、実に不協和音的。
 茂吉は、時空の異なる言葉を用いてして作歌していたのである。
 塚本邦雄があれほど茂吉にこだわった理由はここに存する。

 端的な例を挙げると、1929年作・『たかはら』収録の一首。
 「荒谿(あらだに)の上空を過ぎて心中にうかぶ“Des Chaos Tochter sind wir unbestritten.”」



 少なくとも、『赤光』や『あらたま』前期までは、『万葉集』は、新奇な言葉の宝庫であって、作歌の規範では必ずしもなかった(40頁)。 
 
 その狙わんとする所は、この世界を見慣れぬ世界として再現すること、つまり、「異化(非日常化)」だった(103頁)。

 万葉調とは最初は、彼にとって「異化」の手段であり、彼が本当に「万葉の人」となるのは、後年になってからである。
 (詳しいことは、本書を。)



 『万葉集』では日常会話で「かへる」「つる」と呼ばれているものを、「かはづ」「たづ」と呼んでいた。
 また、『万葉集』はほぼ全て和語でなっており、漢語は組織的に排除されているが、その和語も、漢詩文に典拠を持つ「翻訳語」がかなり含まれている。
 例えば、「つゆしも(露霜)」、「しらゆき(白雪)」、といったものである。

 『万葉集』の言葉は、漢語や俗語との相対関係のもと、日常語とは位相を異にすることばである(63、4頁)。
 別に、話し言葉でも何でもなかった。

 しかし、明治の知識人たちはそうは考えず、万葉歌人は基本当時の話し言葉をそのまま用いて作歌したと考えた。
 土着の、民俗の、純粋な、といった、『万葉集』に対する「古代幻想」のようなものが、この時期からいっそう浮上しはじめる。



 茂吉は、大のウナギ好きだった(97頁)。
 実際、1941年12月には、15食は食べている。

 昨今ウナギが減ったのは茂吉のせいである(違



 ドイツ語のVolkからは、王侯貴族が排除されていたにもかかわらず、日本語「民族」の概念からは、「天皇から庶民まで」含まれていた(160頁)。

 ドイツの場合、文明という普遍を享受する支配層は「民族」にカテゴライズされず、被支配者の「文化」こそ、固有の民族精神を具現するとされていた。
 例えば、民族の一体性を称揚し貴族階級を批判した、かのフィヒテの「民族主義」がある。
 「民族主義」(ナショナリズム)は、もともと、自由と平等(脱階級・階級闘争)と結びついた思想だった。

 だが、日本流の「民族」理解では支配層と非支配層との対立が骨抜きとなって、両者の文化的連続性ばかりが強調されていった。

 どうしてこうなった。
 (また今度考える。)



 『万葉集』の戦争利用の様相について。

 戦中、「防人」という語が、大陸や太平洋の島々へ出征する兵士たちを「歌う」表象として、短歌などで使用されたことはよく知られている。

 だがもともと、古代の防人は、平時における国境警備兵であって、出征はしなかった。
 出征する将兵は妻や妾の同伴を禁じられていたのに対して、防人は、本人の願い出で許可されるのが定めだった。
 しかし、戦中は、誰もそれを言わなかった(265頁)。

 ちなみに、折口信夫は、サイパン島での敗戦に際して、「遠の皇土の防人の命を思い」と歌っている。



 そもそも防人歌自体、万葉集の中では4500首程度のうち、100首ほどである(266頁)。
 しかも大部分は、家郷を離れて旅する辛苦を歌っており、忠勇を歌い上げた作は、極少数である。

 しかも上記の事実は、すでに1943年の川田順『愛国百人一首評釈』で、指摘されている(293頁)。
 (ちなみに、そんな川田は、戦争詠の多さで茂吉と並び称された人物である。)



 この事実は、次のように正当化された。
 防人たちはこうした真実を吐露し、心から悲しんだ末に覚悟を決め、立派に任務を果たしたのだ、と(294、5頁)。
 政府などによる政治的プロパガンダに否定的だった論者たちも、このような「文化主義的」論法で兵士を納得させることで、戦争に加担した。

 「当局の誘導と一線を画そうとした多くの論者にとっても、『万葉集』は美しい日本文化、優秀な日本民族の表象にほかならなかった。」。
 これを守り抜かなくてはならない。
 そうした意志を出征する兵士たちも持った(その一人が近藤芳実である)。

 「『万葉集』を生み出した日本文化」は命がけで守るに値する、という「文化主義的国民歌集像」は「皮肉にも、人々の戦争遂行の意思を根深いところで支えてもいた」。
 時に文化は人を殺す、それも、何かを守ろうとする雑じり気のない精神が、ある。

(未完)

「自伝」の書き方、あるいは「物語」による精神分析的回復と執筆の作法 -石川美子『自伝の時間』を読む-

 石川美子『自伝の時間―ひとはなぜ自伝を書くのか』を読む。

 本書の紹介にあるように、

わたしはなぜ今ここにいるのか。ロラン・バルト、プルースト、スタンダールなどのフランス自伝文学が物語る、愛する者を失った「喪」の苦悩のなかから求める「新たな生」。ひとはなぜ、いかに自伝を書くのかを考える。

というのが本書のキモとなる。

 上に挙げられた作家たちの自伝というのは、自分自身のこと(自分だけが知っている自分の真実、など)を、ひたすら書くというようなものではない(自分だけが知っている真実を描こうとした典型が、例えばルソー)。

 そうではなく、自分が今ここにいることの意味や、今に至るまでの時間を描くことが、大きなテーマとなっている。

 「わたしはなぜ今ここにいるのか」という問いが開く、「愛する者を失った「喪」の苦悩のなかから求める「新たな生」」こそが、彼らのテーマだった。

 以下、気に入った所だけ。



 本書の最大の主人公は、ロラン・バルトである。
 そのバルトについて。

 ロラン・バルトは、ジッドの『日記』に憧れて、日記の文学的作品を書こうとする。
 しかし、うまくいかない。
 書いて最初は良く思えても、見返すとガッカリする、という。
 日記は自分が書き留めておきたいことをも裏切ってしまうような、形式である、と(97頁)。
 誰にも覚えがあると思う、日記を書いていて、しばらく経って読み返してみたら、とてもじゃないが読めたものではなかったことが。

 そこで、バルトは『パリの夜』という、日記を書く。
 ある日の出来事を、当日にではなくて、翌日になって書く。
 しかも、過去形で。

 こうして過去形で書くことによって、「喪の時間」が動き出す。
 母の死に苦悩していたバルトは、「新たな生」を、「時間」を導入する(98頁)。

 そしてバルトは、事実上遺稿となる、そのスタンダール論において、「イタリア旅日記」について書いている。
 曰く、スタンダールは、生き生きとした断片的な感動を直接的に書き記そうとしているけれども、陳腐な、空疎な、表現にしかなっていない。
 断片的な感覚を捨て去って、物語の脈絡に委ねた時に、愛や情熱はその表現方法を見出すだろう、と(99頁)。

 物語(の脈絡)という形式によって、息苦しい自分と自分との間に、距離を作る。
 そして、断片的な感情や感覚を、整除し、一つの流れの中に位置づけることによって、「新たな生」を生きる。
 密着し続ける自分との間に距離を作り、ばらばらで刹那的な感情や感覚を整除することで、生を回復する。
 (どこか、精神分析を思わせる。)



 上記のごとき「自伝」では、私という自己よりも、むしろ「時間」を生きること、他の人の死を受け入れて生きること、自分が変容していくこと、そういったことを描こうとする。
 では、その時、どのような執筆的工夫が必要か。

 スタンダールやシャトーブリアンやプルーストは、「自伝」において、どのように描いたか(164頁)。
 まず、主人公たちは、冒頭、周りに誰もいない空間にいる所から、描かれる。
 そして「レミニサンス」を経験する場面では、今は亡き愛する誰かの残していったものが登場する。
 それを通じて主人公は、啓示を受け取ることになる

 (ちなみに、「レミニサンス」とは、例えば、プルースト『失われた時』の「マドレーヌ」の場面を想起せよ。)

 冒頭の孤独が、レミニサンスでの啓示を準備することになるわけだ。
 主人公は最初、まず孤独である必要があり、そして、最終的に、誰かの遺品を通じて「啓示」を受け取り、孤独な時間から解放される。
 まさに、「「喪」の苦悩のなかから求める「新たな生」」である。

 彼らの自伝において、冒頭で「私は~で生まれた」などと書かれないのは、それが冒頭に必要な孤独感を排してしまうからに他ならない。

 自伝における「時間」という重要な存在と、それを描くための工夫、というのがお分かりいただけただろうか。

 (未完)

名文の解剖、あるいは対比的な綴り方 -宮脇俊三『時刻表2万キロ』について-

 つぎの清水浜と、そのつぎの歌津はいずれも小さな漁港であった。家が少ないからホームを埋めつくすほどの人はいない。そのかわり手足を動かすことができるから、いろいろなことをやってくれる。けさ仙台で読んだ地方新聞によると、きょうのために一ヶ月も前から踊りなど練習していたという。焦茶色に日焼けし海風に鍛え抜かれたおばさんたちが、花笠をかぶって一列に並び片足を上げて踊る。なんだか申し訳ない気がする。しかしその顔は嬉々としていて、駆り出されの翳りは微塵もない。
 短いスカート姿の、バトンガールのような女子高生のチームもいる。増加をつけたタンバリンをくるくる回してそれが一段落すると、こっちに向かってお辞儀などするから恐縮してしまうが、顔立ちの整った子が多く、色も白かった。この少女たちが、どうしてあのおばさんたちのようになるのかと思う。
 東京の新聞には、また赤字線が増えたと批判的な記事が載っている。しかし地元はこのとおりである。地元の人たちは鉄道の開通を喜ぶが、みんなマイカーを持っているから、ほとんど乗ろうとはしない。国鉄側にしても列車を一日五往復しか運転させないのでは、大いに利用してくださいとは言えない。
 開通日のお祭りが終れば、風光のよい三陸海岸の新線を、わずかな客を乗せたディーゼルカーが淋しく走るだけになるのだろう。国鉄では気仙沼線の赤字係数の計算はちゃんと出来ており、七二五の見込みであるという。
 むずかしい問題ばかりだが、私には、駅頭で妙な踊りを踊る日焼けしたおばさんたちの顔だけが、たしかなものに思われる。



 上の文章は、宮脇俊三『時刻表2万キロ』(1978年)の250、251ページから引用した。
 この名著の最終章、気仙沼線の章から抜粋した (「第14章 気仙沼線 開通の日」)。
 その後の著者と気仙沼線との関係は、他のブログで取り扱われていたので、そちらを参照された方がよい。

 昨年の大地震で気仙沼線がどうなったのかについては、あえて書き資する必要もないだろう。

 引用文は、開通した当日の情景。
 著者の目には、このように映ったらしい。

 「この少女たちが、どうしてあのおばさんたちのようになるのかと思う」と言う一文については、あえて触れないで置こう。

 「地元の人たちは鉄道の開通を喜ぶが、みんなマイカーを持っているから、ほとんど乗ろうとはしない。国鉄側にしても列車を一日五往復しか運転させないのでは、大いに利用してくださいとは言えない」という文章は、当時から既にそのようなことが言われていたことを示している。

 それにしても、上の文章は、実にスムーズにキーボードで打てた。
 文の一つ一つがリズム良く短くまとまっていて、大変うちやすい。
 書きとめていて、引っかかりや淀む所がないのは、流石、名文と言うべきか。



 具体的に見ていくと、例えば、「家が少ないからホームを埋めつくすほどの人はいない」と、「そのかわり手足を動かすことができるから、いろいろなことをやってくれる」というふうに、「から」という、理由と結果の対句的な文章をつづっている。
 このリズムが、この人の真骨頂かもしれない。

 「この少女たちが、どうしてあのおばさんたちのようになるのかと思う」という、少女とおばさん、白と焦茶の対比。

 「東京の新聞には、また赤字線が増えたと批判的な記事が載っている。しかし地元はこのとおりである。」という、東京の新聞と地元の情景の対比。

 「地元の人たちは(略)」と、「国鉄側にしても(略)」という地元と国鉄の対比。

 そして最後には、「私には、駅頭で妙な踊りを踊る日焼けしたおばさんたちの顔だけが、たしかなものに思われる」という、片方の「選択」でしめる。
 流石『史記』の読者と言うべきなのか、対比によってリズムを作っているわけだ。


 この方法、皆さんも是非ご家庭でお試しください。

 (未完)

「『ボヴァリー夫人』論』」完成させずにあの世へ行くつもりかw

■渇きは水の欠如ではない。■

 渇きは、沈黙がたんなる言葉の欠如ではないのと同様に水の欠如としてあるのではなく、体内にわずかに残った水分の、声にならない叫びではないのか。 (某書より引用)



■古井由吉と、死からの拒絶■

 古井由吉的存在は、死からは拒絶されるほかはない。死は、きまって向こう側の、意識の到達しえない世界に起る。死は、そして死と境を接した狂気は、「距離」の彼方の、「鏡」の理解を超えた変調としてあるのだ。
 […] 死そのものは、この手でじかにまさぐることの不可能な、恐ろしいほど遠くのできごととしてあるにすぎない。 (某書より引用)



■荷風と湿気■

 むしろその自然意識は、たとえば、 […] 桶谷秀昭が指摘した新帰朝者荷風の、日本の湿った気候への憎悪感、西欧の衣装や靴を無惨なまでに変質せしめる悪しき風土への嘔吐を介して捉えるべきものではないのか。 (某書より引用)



■『ボヴァリー夫人論』を完成させずにあの世へ行くつもりかw■

 終わろうとする気持が事態を弛緩させているからに違いない。総じて、それぞれの文章の前半が後半を圧倒している。終りとは、それほど厄介なものなのだろうか。いずれにせよ、書き終わらずにすむ批評を摸索することが、この著者の急務である。 (某書より引用)

ウィーンのカフェを生んだ、酷い住宅事情

■ウィーンのカフェを生んだ、酷い住宅事情■

 ウィーン郊外のいたるところに貧民窟がひしめいてた。ある記録によると、一八九八年から一九〇二年までの五年間に約四十万の人口増加があったにもかかわらず、十一万四千の住居がふえたにすぎず、しかもその大半は水道も便所もないものだった。通常、二部屋か三部屋に二家族六人から十人が住んでいた。
 […] ウィーンの名物カフェにしても、むごたらしい住宅事情が生み出した副産物ともいえるだろう。人々は一杯の珈琲で一日中、カフェにいた。そこにいるかぎり凍えずにすんだのである。 (某書より引用)



■『ファッケル(炬火)』について■

 カール・クラウスその人の孤立ではなかった。友人や同士というべき多くの書き手をもっていた。そうでなくては砂糖の買占めを実証したり、相場操作のからくりを暴いたり、銀行の粉飾決算を突きとめたり、鉄材の闇カルテルを告発するなどできなかったはずだろう。 (某書より引用)



■ホフマンスタールの戦争協力■

 ホフマンスタールが「守りの陣地」ではなく、ウィーンはマリアヒルファー通りの「戦争援護局」にいたことを (某書より引用)



■当時のウィーンを象徴する人物■

 自由にもましてはるかに多く混乱があった。それは一九二〇年代オーストリアの代表的な政治家イグナーツ・ザイペルといった人物の経歴にもみてとれる。もともとウィーン大学の神学教授だった。その男がハプスブルク政体最後の内閣の大臣をつとめたのち、一九二九年までの十年間、ときには社会民主党と、ときには超保守派の大ドイツ主義者と連合して五度の内閣を組織した。そして一九三〇年、ウィーンの国会で早々と、ドイツにおけるナチ党賞賛の演説をした。 (某書より引用)



■「超人」なんぞ、所詮猿にとっての人間と同然よ■

 猿が人間にとって何であるか、人間は超人にとってどういう存在であるべきかとなれば、それは<お笑い種か、あるいは悲痛な汚辱>(『ツァラトーストラ』)なのであり、こんにち、例の超人(ヒトラー)が人間にとってどういう存在であるかも、まさしくこの言葉どおりなのである (某書より引用)



■口実を作る。■

 巧みな戦術というものではなかろうか。ドルフス支持の看板のもとに、彼の反ヒトラーの姿勢を解説するという形で百五十頁以上にわたって堂々と、ヒトラー批判を公にすることができたではないか! (某書より引用)

シャハラザードさん、マジパネぇっす。

■ある種のオマージュですかね。■

 たしかに『ボヴァリー夫人』『ノーサンガー・アベイ』『ドン・キホーテ』の語り手は、主人公がかけている物語メガネに段階的に冷や水を浴びせ、罅を入れていった。
 […] むしろ三人の小説家は、既存ジャンルを愛すればこそ、その引力の強さを認め、引力圏から脱さんと果敢に格闘したのではないか。だって、大なり小なり物語という嘘つきなメガネの厄介にならないと、人間は世界を認識できないのだから。 (某書より引用)



■『パミラ』、恐ろしい子っ!!■

 一介のメイドさんから地主の奥さまに成り上がる細腕一代記の主人公、どんだけやり手なんだって話ですよ。しかもこのパミラという小間使い、メイドカフェの「永遠の一七歳」のみなさんよりさらに年若な一五歳というから恐ろしい。読み方を変えれば、性欲ギンギン下心トゥーマッチな(でも脇の甘い)若い金持ちが、どこから見ても清純なのにとってもリアリストな女子中学生の算盤に食い物にされる恐怖譚にすら見えてくる。 (某書より引用)



■良く言えば、「オトナの恋愛」■

 彼女はロマン派を否定する、遅れてきた一八世紀小説家なのだ。 […] 「賢いヒロイン」系はいずれも、ロマン派的な観点から見たら可愛げゼロである。しかもこのばあいの「幸せ」とは「賢くて経済的基盤のしっかりした夫を獲得する」ことにある。これのどこが「恋愛」小説なの? いや、褒めてるんだけど。
 打算と冷静さがこんなにも重要な世界を描いたオースティンの小説を読んで、それをなぜか「ロマンティックな恋愛小説」だと言ってしまう女の人が多い。わかって言っているなら女の人って怖い。 (某書より引用)



■「ちょいバカな妹」の系譜。■

 『高慢と偏見』『分別と多感』では、主役に可愛げがないのを補うようにヒロインの妹(恋に恋するあまり男選びに失敗し、愚行に走る)がちょいバカ役として登場し、話を引っ掻き回してくれる。
 […] そういえば谷崎潤一郎の『細雪』 […] 美人なのになぜか縁遠くお見合いを繰り返している三女・雪子は『マンスフィールド・パーク』のファニーから内面を抜き取ったみたいな空虚なキャラだ。他方、洋装の似合う恋多き末娘・妙子は、『分別と多感』のちょいバカな妹マリアンを蓮っ葉にした感じ。 (某書より引用)



■ジャンルが持ってしまう悪弊■

 ジャンルが定着して、読者がジャンルにひとつの型を期待・要求するようになると、ジャンルは純粋になって、初期に持っていた雑種性を失う。そうすると、レッテルの貼りにくい作品は、ジャンルのファンからは期待されなくなる。そして、だんだんと刊行の可能性を奪われていく。 (某書より引用)



■誤植?■

 白黒でジャン=ジャック・アノーが撮った映画にショーン・コネリーが探偵を演じた『薔薇の名前』がある。 (某書・132頁より引用)



■シャハラザードさん、マジパネェっす。■ 

 シャハラザードは語り終えると、乳母に命じて、この一〇〇一日のあいだに彼女が産んだ三人の男の子(歩き始めたばかりの子、はいはいできる子、乳児)をつれてこさせ、
 […]
  分娩の当日も王さまに物語を聞かせていたのか。しかも三度にわたって。見上げた根性だ。 (某書より引用)

「脳内再生」の効果。

■ワーズワス、この近代文学の祖■

 平易な言葉遣い、自然の賛美、幼年期への郷愁、貧しい人々への共感、闇の力への畏怖など、ワーズワス詩の特徴は多岐に渡るが、瞑想的な傾向がとりわけ強い。自然を前にして人間が受ける感覚的な印象を […] 形而上学的な想像力を駆使して言葉にしている  (某書より引用)



■詩の理由■

 声に出すことで、私たちはこのヴァリエーションを狭めてしまうのではないか […] 恋人同士が明かりを消した室内で囁きあうとき、お葬式で久しぶりに会った人と世間話をするとき。 […] 密かにふだんの自分とは違う声で語ってみたいときもある。 […] 詩とは、こうした声にならない声を表現するのに格好のジャンルなのです。 (某書より引用)



■脳内再生の効果。■

 黙読とは確かに言葉をめぐる一種のフィクションです。 […] 実際には音にしないでやり取りする。しかし、音にしないからこそ表現されうるものが出てくる。声に出してしまったら壊れてしまうくらい、弱くて、小さいもの。  (某書より引用)



■エリオットのイデオロギー■

 批評家でもあったエリオットは、散文の中ではある種のイデオロギーを正当化するのが非常に上手でした。それも、よく読むとあまり根拠がないようなことを、巧みなレトリックで、まるでそれが当然であるかのように、うまくこちらにうなずかせるということをします。  (某書より引用)

形式を踏んだら、やりたい放題です。

■ハロルド・ブルーム自身の「影響の不安」?■

 とにかく、自分で規定した抒情詩の原型が遵守されるか否かだけがブルームにとっての関心事だからであり、おのれの築いた「影響の不安(anxiety of influemce)」なる理論を当てはめるために、先行詩人の名前を列挙し続けるのみ。 (某書より引用)



■西脇順三郎も似たことをやってたっけな■

 フランク・オハラは「これもやり、あれもやり、の詩」(I do this, Ido that poem)という書き方でつとに名高い。要するに、目に入ったものを手当たり次第に書き留めていくのである。それも、歩きながら、あるいはパーティで人と話しながら。 (某書より引用)



■形式を踏んだら、やりたい放題です。■

 「農具とカブハボタンのある風景」では、その古風な形式のなかに内容としてはきわめて現代的かつ大衆的なポパイ漫画のキャラクターが登場する。 […] 古めかしい高踏的な形式、それに対して軽薄とさえ思われかねない大衆的な題材とナンセンスな内容、この隔差は途轍もない。要するに規矩は定められているが、そのうえで過激なまでの自由がある (某書より引用)



■これで君も詩人になれる(可能性がある)■

 セスティナのような複雑な型式で書かせたり、今言ったように知らない外国語で書かれた詩を訳させることはしている。この課題は、自分たちが書こうとしているものから気をそらせるので、ひとりではとうてい書けなかったはずの詩を書かせることになる (某書より引用)

ロマン主義の歴史観と階級闘争

■第二帝政、あるいは抑圧された時代の文学■

 ルイ・ボナパルトのクーデタの後、ユゴーやウージェーヌ・シューは亡命し、歴史家ミシュレとキネはコレージュ・ド・フランスの教職から追われ、ゴーチエは社会的現実に背を向けて象牙の塔に閉じこもった。フランスの作家たちが、制度的にこれほど社会から疎外されたことはおそらくかつてなかっただろう。そしてこの疎外が、文学の現代性が形成されていくにあたって無視し難い意義をもった (某書より引用)



■ロマン主義の歴史観と階級闘争■

 ギゾー、オーギュスタン・ティエリー、アメデ・ティエリーらロマン主義歴史学者 […] 彼らの主張によれば、中世以来のフランスの歴史は、征服民族であるゲルマン系フランク族とその子孫である貴族と、被征服民族であるガリア人とその子孫である「第三身分」(=平民)の抗争の歴史である。貴族階級は特権を盾に平民の権利と自由を奪ってきたのだから、平民は貴族を倒してでも権利と自由を手に入れるだけの正当性をもつ。 […] こうしたフランス・ロマン主義の歴史観が後にマルクスの歴史哲学の重要な母胎になった (某書より引用)



■ウージェーヌ・シューが忘れられた背景■ 

 新聞小説の書き手として名声を博したポール・ド・コックのようにノンポリを決め込むことが出来ず、デュマのようにそのつど権力と妥協しようとはせず、ポール・ファヴァルのように時流に迎合して方向転換することもできず、またジョルジュ・サンドのように田舎に隠棲して田園小説に打ち込もうともしなかった。仮りにフランスに留まったにしても、文学や新聞に苛烈までの検閲を課すことになるナポレオン三世の体制下では、シューの本領が発揮される余地はほとんどなかったと言えるだろう。一八五〇年に死んだバルザックは、その意味で幸運だったかもしれない。 (某書より引用)



■十九世紀前半の仏国の医療事情■

 無料ということは、そこでなされている治療がなかば宗教的な慈善行為にすぎず、医学的な処置としては不十分だった […] いくらか誇張した言い方をするならば、人は回復するためではなく、他に手段のない人間がみずからの意思とは無関係に入る、あるいは強制的に入れられる場所だった。 […] 病院において感動的でヒューマンなドラマが展開するという構図は、シューの時代の文学では考えられない。 (某書より引用)



■ボードレールのパリ■

 ボードレール […] 「古きパリはもはやない。都市のかたちは人の心よりも速く変わる」という有名な詩句を含む「白鳥」という詩篇 (某書より引用)



■こんな終身刑擁護ってアリ?■

 『パリの秘密』の作家は主張する […] 手練れの犯罪人にとって孤立ほど嫌悪を催させるものはなく、独房より死刑のほうが望ましいくらいだろう。脱獄の危険があるというのであれば、犯罪人の目を潰せばよい(作中でロドルフが「先生」に加えた罰である)。 […] 終身刑によって殺人者は後悔と悔い改めの長い時間を生きなければならず、それをつうじて罪を償う (某書より引用)



■マルクス、怒る。■

 『聖家族』の著者に言わせれば、「貧者の銀行」も「プクヴァルの農場」も経済的な不正義の問題を個人の善意の問題にすりかえたにすぎない。それは社会や経済の現実を神秘的な理想だけで改善できるとする楽天的な、あるいは空想的な思考である。 (某書より引用)

「巴御前は、木曽義仲の「妻」じゃなくて、「便女」なんですよ」というお話。 田中貴子『検定絶対不合格教科書古文』を読む

 田中貴子『検定絶対不合格教科書古文』を読む。
 中身は実にまっとうな本。
 信じられないかもしれないが、実に、まともだw



 清少納言は、高慢ちきな女として一般に思われているけど、実際の所、彼女が『枕草子』に書きたかったことって、中宮を中心とするサロン文化であって、自分の自慢話でも何でもなかったんだよ、と著者は言う(65頁)。
 詳細は本書を当たられたいが、確かにその通りだろう。

 また、著者は、『枕草子』には随筆以外に短い物語も入ってるんだから、内容的には、「清少納言全一冊!」見たいな感じじゃないの、といっている。

 『笑い飯全一冊』の隣に、『清少納言全一冊』がある光景を想像したw
 


 何で古典なんぞ研究すんのか。
 めんどくさいのに。

 研究とはテクストに疑問を持つことから始まる、と著者は言う。
 一見アタリマエに思えることに一瞬立ち止まってみる(104頁)。
 それが、懐疑し、思考する力を培う(著者は、「脳力」といってる)。
 先人の知恵とか人生の手本とか、そういう風に古典を奉りすぎると、事の本質を見誤っちゃう。
 むしろ物分りのよさから距離をとることが、古典研究の本質
なわけだ。

 分かり難い、正解が究極的には不確定なもの、そういったものに対して、立ち止まって考えること。
 古典を研究することには、そういう効果もある。



 巴御前についても記述がある。
 これについては、Wikipediaの方にも記述がある(本書もWikipediaの項目も細川涼一の著作を参照している)ため、それをみると、「軍記物語である『平家物語』の『覚一本』で「木曾最期」の章段だけに登場」する。
 登場少なっw

 で、当該箇所によると、「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはり あって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」と記されているという。
 「便女」という表記があるけれども、これは、[禁則事項です]ではなくて、「びんじょ」と読み、文字通り「便利な女」の意味。
 つまり「武将の側で身の回りの世話をする召使いの女」をいう。
 これが実際の所。



 もっといっておくと、「当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には、その存在は確認されない」し、「『平家物語』における巴御前の記述は至って簡略で義仲との関係性も書かれていない」。
 そして、「よく妻と誤記されるが、源義仲の妻は巴御前ではない」。

 『平家物語』や後代のものを見ても、確かに木曽義仲には、ちゃんと他に妻がいる。
 なのに、ある教科書の指導書(教師が使うアンチョコ)は、義仲を巴御前の「夫」と誤って認識して書いている(132頁)。
 『平家物語』を含め、古典の学校教科書は、こうした問題が結構あるようだ。

 詳細は本書を当たられたいが、生徒たちに登場人物の心情を答えさせるやり口にも、「ロマンチック・ラブ・イデオロギー」臭がする(近代的な「愛」とかを前提にして、生徒に答えさせてんのよ)。
 こういうの、マジ勘弁w



 成長著しい若紫を眼にした光源氏は、その夜、「中将の君」という女性に足を揉ませている。
 これはマッサージのことではなくて、寝所に召して、性関係を持ったことを意味する(232頁)。
 性関係アリの女房たちを「召人」という。
 彼女らは、妻でも妾ですらなかった。
 著者曰く、「若紫の姿に春情を覚えた光源氏が「いや、お楽しみは後で」と思い、心を慰めるため召人を呼んだとも読めます」(233頁)。

 当時の感覚からすれば正当化は可能なのかも分かりませんが、近代の観点からすれば、すげーサイテーな行為ですなw

 本書では、『とはずがたり』と『源氏物語』を比較し、「女の書く物語はレイプからはじまる」(BY 今井源衛先生)の様態を見ている。
 いわれるとおり、『とはずがたり』の方が、その描写は露骨。



 丸谷、鹿島、三浦による『文学全集を立ち上げる』の件。
 この本に対する著者の突っ込み。

 この本は、丸谷の『日本文学史早わかり』をベースにしている。
 この有名な丸谷の著作の要諦は、「勅撰和歌集の終焉を以て宮廷文化が終わる」というテーゼにある(264頁)。
 著者は、こうした韻文主体の史観に批判的(ただし一方で、画期的とも評価している)。
 しかもこの『早わかり』だが、巻末の文学史年表には説話集の名前が出てこず、批評家の欄に慈円も一条兼良も出てこない。
 著者は、そうした丸谷の説話無視、中世の俗文化無視の姿勢を、逆に褒めてさえいる。
 ここまで徹底されたらもう褒めるしかないよ、って訳だ(皮肉だよw)。
 
 で、『文学全集を立ち上げる』の問題点は、作者中心主義であること(270頁)。
 確かに、無名な本とかあるから、古典にはなじみにくいよね。
 んで、結局、作者中心主義でまとめた結果、従来の古典シリーズ(「日本古典文学体系」や「日本古典文学全集」)と被りまくり、独創が失われていったのだった。
 ああ無惨w



(追記)
 こんな過疎ブログに、いきなり40ブクマも付くという珍事、一体誰のせいなんでしょうか。
 (いや、自分で今更のセルクマをしたせいなのですが。)
 しかし、この数は多過ぎるぜ、何故なのか(すっとぼけ。

 一応ブコメに対して簡単な返答を。

 kusomamma なるほど。妻でも恋人でもセフレでもなく、ただの部下だったのか。

 「便女」が、仕える主人と性関係を持つケースはあるので、その点は注意が必要になります。
 (下に引用したように、『源平盛衰記』の設定の場合なら、「乳母子ながら妾(おもひもの)にして」とあるので、性関係がある可能性大きいです。)

anigoka  “「女の書く物語はレイプからはじまる」(BY 今井源衛先生)”www

 ちなみに、これは論文のタイトルです(ガチ
 『王朝の物語と漢詩文』という本に収録されています。

eurisko1 女性 巴御前は今井兄弟の親族だと思っていたけど、違いましたっけ。

 どうやら、今井兄弟との関係は、『源平盛衰記』等に記載されているもののようですね。
  「木曾殿の御乳母に、中三権頭が娘巴といふ女なり。強弓の手練れ、荒馬乗りの上手。乳母子ながら妾(おもひもの)にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を取らず。今井・樋口と兄弟にて、怖ろしき者にて候」と、Wikipediaから孫引きしてみました。

 むろん、史実として、「今井兄弟の親族」の可能性は低いと思われます。(てか、一次史料に載ってないってことは、実在しない可能性の方が高いです)。
 『平家物語』(覚一本ver)よりも古い 『延慶本』だと、巴御前の存在こそ確認できるものの、やはり親族関係の記述は無いようです。
 ですから、やはり、今井兄弟との関係は、「後世の創作」ということになると思います。

kowyoshi つまり、巴御前は漫画やアニメ、ラノベとかでよく見かけるバトルメイドみたいなものか(それでいいのかよ)

 巴御前のような「便女」の役割というのは、多くの場合、男性が行います。
 「寵童」や「小姓」と呼ばれる若い男性たちです。
 例えば、藤原盛重は、白河院の「寵童」でした。
 「寵童」・「小姓」は主君と性関係にある場合が多い、いや、少なくなかったようです。

 なお、時代を下って戦国時代に、主君と小姓との間に性関係があるケースはあります。
 武田信玄と春日源助( 源助宛の手紙が残ってる、アレです。この人は後の高坂弾正さんです。 )とか、織田信長と前田利家ですとか( 『亜相公御夜話』という資料で確認できます )。
 信長と森蘭丸の関係だと確定できる資料はまだ見つかっていません。確か。

 Louis なるほど、巴御前は木曽義仲の妻ではなくファティマだった、と。

 成程、間違ってはいないと思います。
 ただし、あんなに痩せてなかったと思いますよ、巴御前は。(当たり前やがな)

omi_k 清水冠者の母親ではない、という認識だったけど、乳母子→愛人兼部下くらいに思ってた。どっちにしろ山吹の方が大事にされてるっぽい書きぶりではあるんだよね。

 「乳母子」云々というのは、覚一本より古い『延喜本』の設定にある「幼少より義仲とともに育った」というところに由来すると思います。
 山吹の話は『平家』だと、「山吹はいたはりあって、都にとどまりぬ」とあるので、病気を理由に都にいさせてもらったわけですから、大事にされていたのは間違いありません。
 「討ち死にした時に、女と一緒にいた、とか言われんのやだから、俺から離れろ」(意訳)と言われた巴と比べるなら、、、せやなぁ。

今まで言わなかったけど、中島敦『山月記』の漢詩に出て来る「長嘯」は、「詩を吟じる」って意味じゃないんだ 齋藤希史『漢文スタイル』(後編)

 またも、齋藤希史『漢文スタイル』 を読む。



 著者曰く、今の時代に必要なのって、韓愈じゃなくて、焚紹述かも、と(119頁)。
 どういうことか。
 今の「国語」の衰退をめぐる議論は、近代の「国語」以前の型の集積を訴えたりはする(『声に出して読みたい日本語』とか)けど、結局、その型へ反発する力というのは養われない。
 (型を養うこと自体が不必要なわけでは、もちろんない。)

 文章って、書けば書くほど、何かか言い切れないようなものが残ってしまうもの。
 そういう言い切れなさの中から、それに立ち向かう初発のエネルギーが出て、新しい表現が生まれる。
 韓愈は、その初発のエネルギーを古の文章に感じて、道を開いた
(彼は、単なる"いにしえの文章オタク"じゃない)。

 そんな韓愈の先駆者こそ、焚紹述だった。
 先人の一言一句を踏襲しない、と韓愈に褒められながら、後世に"分かりにくいし区切りも付けられない"と評されたこの人物。
 しかし、この初発のエネルギーこそ、今の時代に実は必要なのかも、というのが著者の言うところ。

 それにしても、この焚紹述、どんな文章を書いたんだろうw



 『漢武故事』や『漢武帝内伝』等に描かれる、西王母に武帝が不老不死の薬を求め、いつまでたっても与えてくれない、と言う話。
 ここでの西王母は、絶世の美女で、皇帝なのに意のままにならないと言う設定。
 皇帝も流石に、仙界に力が及ばない。

 ここに、皇帝が人間の男性であることの限界が、最高位の仙女としての西王母によって露呈する(185頁)。
 武帝は待つ身となり、ひたすら再訪を望むが叶えられない。
 あたかも、後宮の女たちの姿をなぞるかのように。

 
 ここに起こっているのは、「待つ身」となる存在のジェンダー的逆転と指摘できる。
 待つ身は、女性から、男性へと変転している、実に興味深い現象。
 そこには、お前も後宮の女たちの気持ちを味わってみろ、的な意思も働いていたのかも。



 中島敦『山月記』解釈について。
 彼の漢文的教養は良く強調されるのに、肝心のその素養は、ブラックボックスのように扱われ、その豊かさに読みが及ぶことは少ない(227頁)。
 教科書や文庫本、さらには、『山月記』を扱った専門書を見ても、その小説中の漢詩への解釈はドイヒーだと著者は言う。
 「嘯」の解釈が、「りっぱな詩歌を吟じる」だの、「(この苦しみを訴えようと)声をあげて詩を吟じよう」だの。

 「嘯」はもともと、口をすぼめて長く声を引くの意味
 遡ると、『楚辞』などでは神霊を招くための発声を意味していて、これが魏晋時代になると、神霊からはなれて、美しい音声を出して楽しむといったニュアンスにかわる。
 この時代から「嘯」は、世俗を超えた道術的行為だったり、世俗を離れた隠者の行為といったものへ、意味合いが変わったわけだ。
 (もちろん、詩を吟ずるって言う意味も存在するけど、これも魏晋時代になって出始めた。)
  
 『山月記』の場合はどうか。
 漢詩の最後の部分(尾聯)。
 「夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷」

 「嘯」というのは、「猿嘯」という字があるように、動物も「嘯」する。
 「嘯嘷」っていう語さえある。

 だから、そのニュアンスをちゃんと汲まないといけない。
 この場合、意味合いとして正しいのは、詩吟じゃなくて、美しく声を出す、という方なのだ。

 この部分の意味合いとしては、「人境を離れた渓山を月が照らす今宵は塵外の嘯きに格好の舞台」だけど、でもこんな浅ましい獣の身じゃ吠え声にしかならないよね、ということ。
 塵外っていうのは、俗世を離れた、という意味。
 「嘯」の意味は、隠者が(口をすぼめて長く声を引いて)美しく声を出す、ということ。
 隠者なら格好の「嘯」をする機会だけど、俺はもう虎だから吠え声にしかならないよ、という嘆きなのね。

 確かに、この解釈の方が自然。
 自分も誤解してました。

 (ちなみに、「長嘯」っていうのは上に書いたとおり、隠者のやる行為だけど、これは隠逸した人間が、自分は隠れてますよ、と意思表示するという行為。実に矛盾しているような気がするけど、まあ、そういうことだ。)



 「風景」の本義は、かぜ(「風」)とひかり(「景」)、という意味であり、目に入る景色そのことではなかった(270頁)。
 風も、景も、うつろいゆくもので、一瞬たりとも、同じではありえない。
 だからこそ、「風景」は貴いものだ。


 なるほど。



 あと、面白い所としては、「なぜ徳富蘆花は自作・『不如帰』を「ほととぎす」じゃなく「フジョキ」と読ませたかったのか」という章。
 是非ご一読を。




 (関係のない追記)
 大森,豊崎共著『文学賞メッタ斬り』(文庫版)を読む。
 改めて読んだ感想としては、
・山田詠美さんは、下手をすると、小説より選評の方が面白い。
・清涼院流水先生は、絶対、私小説を普通に書いたほうが面白い。
・ファンタジーノベル大賞は、やはりGJ。
・谷崎潤一郎賞は、確かに名作率が高い。
 こんな感じ。
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