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歴史的に、メイドさんの人件費は安い。

■五十歳での運転免許取得■

 マリーはこの年の秋から前線にレントゲン車を送ることを軍に提案し、自ら先頭に立ってこれを指揮していた […] 彼女はそのために、五十歳近くになってから運転免許を取った (某書より引用)



■ブルジョア妻のインテリア■

 十九世紀市民社会的な結婚は、 […] 妻を家庭に閉じ込める代償に、夫は家族に経済的安定を約束しなければなりません。さらに妻には家庭以外の場が与えられませんから、彼女はそこに執着するようになります。この時代に市民階級の家のインテリアが劇的に発展したのは、こういう理由によるものです。それは、 […] 家庭の幸福を自他共にみせびらかす装飾だったのです。 (某書より引用)



■本物の無神論者ってのは、こういうことだよ。■

 無神論者であり、さらに「超」の付く合理主義者だった父ウージェーヌは、「あそこにあるのはただの骨だけだ」として、息子の墓には決して行かなかったと言われています。 (某書より引用)


 
■マリーの放射能への妄信■

 ただ、ずいぶんと多くの若者が不審な死に方をしたにもかかわらず、彼らの死因と放射能の関係を追及しようとはしなかったのです。 (某書より引用)



■合理的だったマリー■

 ウエディングドレス […] 合理的なマリーは、当然「あとあとのこと」を考えます。一回きりの白いドレスなんてとんでもないことです。そんなお金は自転車の部品に使った方がましです。こうして繰り返し使える服として、紺のドレスを選んだのです。 […] 汚れの目立たない濃い色のウエディングドレスを選ぶことで、合理的な結婚生活を営みたいという […] 望みを、色で表現したとも言えるでしょう。 (某書より引用)



■歴史的に、メイドさんの人件費は安い。■

 キューリー家でもそうですが、明治から昭和初期の小説では、「貧乏だ、貧乏だ」と言う主人公の家にも女中が登場します。どうして貧乏な人が女中を雇えるのか […] 何のことはない、当時は信じられないくらい人件費が安かったのです。こうした貧富の差や階級制度のおかげで、マリーのような職業婦人は家庭と仕事の両立が可能でした。今でも発展途上国では、同様の状況が存在します。 (某書より引用)

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褒めはする。でも、金は出さねえ、という態度w

■ポーランドの女子たちの「移動大学」■

 マリアは、ポーランドの知識人たちが組織していた、主に女子学生のための"移動大学"という秘密の教育組織で科学を学びます。というのも、ポーランドでは女子が大学入学資格を持てなかったからです。それでも、女子にも高い教育が必要だと思った人々はこの組織を作り、ロシア当局の裏をかきながら、ポーランドの女性にも男性に劣らず、祖国の近代化のために知識を吸収したのです。 (某書より引用)



■ナショナリズムが生む「男女平等」の一例■

 ここには、男女の社会的な性別役割であるジェンダーを超える大義が存在します。ロシアという共通の敵の前には、男も女もありません。 […] ロシアに対する怒りや競争心は、男たちの前でも歓迎されました。自分の怒りや競争心が好意的に受け止められるということは、大いなる集中力を必要とする仕事を成功させる条件の一つでもあります。 […] もしも彼女が平和の中に育てられた、中産階級出身のフランス人少女だったら、女子の入学をみとめはじめたばかりの(つまり男子ばかりの)ソルボンヌ大学の理学部に入学したいと考えたでしょうか。 (某書より引用)



■ソルボンヌ大学の女子たち■

 この当時、ソルボンヌ大学の女子学生の中で、フランス女性は少数派でした。ポーランド人女子学生のほうがフランス人女子学生より大勢パリにいた、という事実 (某書より引用)



■1998年の時の仏国サッカーの代表と時と同じ、ご都合主義■

 ランジュヴァン事件を見れば明らかですが、フランスは都合のいいときはマリーをフランス人とし、都合が悪くなると「外国人」にするのです。 (某書より引用)



■「放射能」の名付け親■

 「放射能」というのは、この現象および物質についてマリーが作った造語で、一八九八年七月の論文で初めて使用されました。 (某書より引用)



■褒めはする。でも、金は出さねえ、という態度w■

 マリーは、ピエールが設備の整った研究所を望み続けながら、その完成を待たずに世を去ったことが一生忘れられませんでした。その対象が純粋科学であれ、女性研究者に対してであれ、そこで「忍耐」だけが特別に賞賛されるなら、その裏にある賞賛者の本音は、「そこに金をつぎ込む必要はない」というものです。私たちは、こうした賞賛には批判以上に注意する必要があるのです。 (某書より引用)

科学者「自分は直接関係ないから分からない」

■原子力村の由来■

 原子力産業 […] この世界では最初から推進・反対の色分けが重要で、推進者はインサイダー、反対者はアウトサイダーとして締め出されていく。 […] このような特徴は、国際的に原子力産業には共通で、おそらく軍事開発から始まり常に軍事的に機微な側面を抱えるこの技術の性格と、産業が技術の成熟を待たずに強引に政治的に形成されてきたことから来ているにちがいない。しかし […] 日本の原子力産業の閉鎖性と構成する個々人の判で押したような均質性は世界的にもとくに異常である。 (某書より引用)



■科学者「自分は直接関係ないから分らない」■

 私にとって印象的だったのは、 […] 水俣など多くの公害の原因調査に加わった科学者が、一部の例外を除いて、風土病説やウィルス説などの仮説を立てて企業側を擁護しようとしたことだ。さらにこの点を私のまわりの科学者に向けてみても、「自分は直接関係ないから分らない」と逃げられてしまった。 (某書より引用)



■市民による「自前」の科学■

 受けとった手紙の趣旨はいろいろだった。「今のポストが不満なら、別の大学のポストも紹介できる。とにかくアカデミズムの世界から離れるな」 […] これらはおおむね善意に基づくものではあったろう。しかし、つまるところ、大学の外に学問・研究はありえない、科学にこだわるなら大学を離れるな、ということだった。
 […] 大学や企業のシステムのひきずる利害性を離れ、市民の中に入りこんで、エスタブリッシュメントから独立した一市民として「自前(市民)の科学」をする、というのが私の意向だった (某書より引用)



■言うに事欠いて。■

 頻繁に使われたのが、地域エゴという言葉だ。「迷惑施設」を引き受けるのを拒みながら、自分はその"恩恵を享受し"、日本の高度経済成長による繁栄にあずかろうとする。これはエゴだという。実際には電力の大消費地は、東京などで、これら地域は一方的な供給地域にすぎないから、「恩恵云々」は、暴論と言ってよい (某書より引用)

中谷宇吉郎とラッセル /核兵器と反共主義の関係

 氏は当時、アメリカに滞在していたが、その文は「ちえのない人々--ビキニ被災をアメリカでみて」と題されていた。アメリカ政府が第五福竜丸の船員に、すぐ、たくさんの見舞金を出し、船も即刻買いとってしまえば、日米おたがいによいのではないか、ことをおこせば、水爆の秘密はもれ、よろこぶのはソ連だけだ、というのがその文の趣旨であった。
 これにたいして、物理学物で科学評論家の菅井準一氏は、「彼がアメリカにわたるとき、『民族の自立』という書物を書き、祖国日本の人々に、科学によるほんものの自主的な道を説いたことを考え入れると、まことにおどろかざるを得ない。」 (注1)

 氏とは、誰のことか。それは、雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎のことです。そんな彼の、別の側面が垣間見える一文です。ソ連への警戒心によって、水爆実験による過失的惨事の隠蔽を正当化できる、と考えていたようですね。
 「たくさんの見舞金」でカタをつけようとするあたり、本土による沖縄への基地政策にそっくりです。「アースキン国防長官補佐官(当時)がOCBに対し、反核運動が高揚しつつある中、事件がソ連の反米運動の扇動に利用されることへの危機感を示す書簡を送っている」ので、彼の思考は、当時の米国政治高官に通ずるものだったようです(注2)。ちえのあるせかいてきながくしゃさまのおかんがえは、ちがいますね。

 ちなみに、英国の哲学者バートランド・ラッセルは、ある時期までは、米国の保有する原爆によって、ソ連・東側諸国を押さえ込むことに賛成していました。しかし、ソ連の核兵器開発の成功と、アメリカの水爆開発計画によって、世界の破滅を予感し、核兵器廃絶の運動に転向します。そして、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言がなされ、核兵器およびすべての戦争の廃絶を目標とするパグウォッシュ会議が開催されることになります。
 中谷とラッセル、どちらに先見の明があったかについては、あえて問いません。重要なことは、中谷が、水爆実験に対して、「世界の破滅を予感」するより、反共(反ソ)主義を貫くことを選択したことです。「ソ連の核兵器開発の成功」は、むしろ彼の反ソ主義を強化しただけだったのでしょう。
 パグウォッシュ会議には、日本人では湯川秀樹らも、参加しています。中谷のいう「ちえのない人々」のなかに、ラッセルやアインシュタイン、湯川らは、入っているのでしょうか。

 なお、Wikipediaに、「ソビエトは欧米の反戦運動に工作員送り込んでおり、パグウォッシュ会議においてもソ連に関する批判は抑制あるいは握りつぶされるとともにアメリカおよび西側の批判が拡張されるという事態になっていた」という一文があります(注3)。ただし、英語版Wikiですと、

During the Cold War, the Pugwash Conferences were the subject of criticism that they were a front conference for the Soviet Union. No proof was ever provided of this allegation, and an investigation by the House Un-American Activities Committee came to nothing.

だそうです。
 つまり、冷戦中、「パグウォッシュ会議はソ連のための会議である」という批判にさらされたが、これまでこの主張が証明されたことはないし、非米活動委員会による調査も無駄に終わっている、ということです。少なくとも、パグウォッシュ会議がソ連有利である証拠は、不足していますね。(注4)


(注1) 「かえれビキニへ 原水爆禁止運動の原点を考える」『磯野鱧男Blog』様

(注2) 「ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸の乗組員:「発症原因は放射能ではない」米公文書で判明」『21 世紀のヒューマン・リテラシー』様より孫引き。それにしても、第五福竜丸の被爆を矮小化しようとした米国の姿勢と比較するならば、中谷の発言はマシなものに聞こえてしまいます。

(注3)「パグウォッシュ会議 - Wikipedia

(注4) 「パグウォッシュ会議 - Wikipedia」で挙げられていた、Richard Felix Staar " Foreign policies of the Soviet Union"をgoogle bookで検索したところ、「パグウォッシュ会議においてもソ連に関する批判は抑制あるいは握りつぶされるとともにアメリカおよび西側の批判が拡張されるという事態になっていた」に該当する箇所は見当たりませんでした。知ってる人は教えてください。
 そもそも、英語版にさえ記載の無い文献が、日本語版にだけ記載されていること自体、不思議でなりません。

ミサイル防衛よりも、やはり地下室・シェルター? 高田純『核爆発災害』を読む

 高田純『核爆発災害 そのとき何が起こるのか』は、核爆発とその被害の実情について教えてくれます。
 例えば、核兵器の衝撃波は、伏せることで、大幅にこの種の危険から逃れることができるといいます(6頁)。爆心からの距離などにもよるが、核兵器の衝撃波から、逃れられる可能性が増える、と。とすれば、映画などで爆発の衝撃に対して伏せる場面がありますが、これはやはり有効なのかもしれません。
 さらに、広島の原爆において、地下室や堅牢なコンクリート建造物内で伏せていれば、大幅に生存率を高められることが生存者の調査から判明したそうです(49頁)。 原爆に限らず、ミサイル全般で、地下室やシェルターなどにいれば生存率が上がります。このことは、湾岸戦争でイラクから放たれたミサイルに対しても、ほとんど死者を出すことが無かったイスラエルの事例を見れば分ります。たしかどこかで田岡元帥が、ミサイル防衛に大金をかけるより、建物に地下室を作らせるような政策を採ったほうが、平時には通常の地下室として、非常時にはミサイルや爆撃からの避難所として使えて無駄が無いので、こちらを採用した方がよい、という旨のことを書いていました。

 あと、二一世紀の世界の脅威は、大型核兵器を撃ち合う全面戦争ではなく、小型や中型の核兵器による局地戦争にあるといわれている、と著者は指摘しています(iii頁)。藤原帰一『「正しい戦争」は本当にあるのか』にもその話は、出ていました。
 原発は、その使用する「燃料」の濃縮度の低さゆえに、核爆発はしない、という話(爆発しない、というだけですが)もでてきます。1メガトン級の核爆発が米国上空300kmで生じた場合、全米が電磁パルスの影響を受けると予想されている、という電子機器への被害予測も、興味深いです。
 ちなみに著者曰く、事実上1000km以内で発射された弾道ミサイルの迎撃は大変困難。隣国の核ミサイルを発射されたら、迎撃不能だ、という考えのようです(234頁)。

 著者の核汚染対策は、フランスの事例に倣うもののようです。フランスに倣い、核事故・核災害に対応できる除染棟を地域ごとに管轄を決めて建設し、運用する。そして、自衛隊病院の民間開放を進めて整備する、というものです(262頁)。核兵器による政治的自立を掲げるド・ゴール主義の流れを受けてか、フランスでは核に対する対策がきちんと取られているようです。日本核武装論者の人は、まず、こういうディテールを大切にしましょうね。そして、建物の地下階建設の政策的推進も忘れずに。

「脳科学」の限界と「科学的」であること 榊原洋一『「脳科学」の壁』(2)

 著者は、認知症の人への認知能力低下防止のためのアプローチが、そのまま健常者の認知能力向上につながるかどうか、疑問を呈します。また、認知機能の低下が抑えられた原因は、音読や単純計算自体ではなく、そのプロセスでの、実験者同士、または、実験者と介護者との交流にあったのではないか、といいます。第一、脳のある箇所の血流量が増えたとえしても、それがそのまま活性化を意味するわけではないし、脳のある箇所の血流の増加と神経繊維(シナプス)増加との関係も分かっていない、と述べます。
 著者は、「脳機能局在」論に対して、脳の各部位が相互に連携しつつ、もろもろの機能を実現している、というネットワーク的な発想をとります。例えば、自己意識の中枢は脳に局在するのではなく、脳の多数の部位が活動して自己意識が発生すると考えます。そして、自身の考えと、ダニエル・デネットやアントニオ・ダマシオらとの考えの親近性について触れています。さらに著者は、単純な運動さえも「脳機能局在」をしてはいない、と述べています。
 脳科学ブームに距離を置くために、本書は、特に脳科学初心者にとってはありがたい書物です。「脳機能イメージング」を一つの源流とする脳科学ブームにたいして、その常備薬として、使えるかもしれません。「脳機能イメージング」は、脳機能を「解明」するというよりも、「理解を一段と」進めると理解すべきだと著者はいいます(一六二頁)。
 脳科学の安易なブームに批判・検討をする本としては、ほかに河野哲也『暴走する脳科学』があります(内容の重複も見られます)。ただし、河野が哲学的(ないしアフォーダンス的)観点から批判的な視点を持つのに対して、本書の著者は、発達神経学の観点から脳科学ブームを検証しています。河野の著作とともに、本書は読まれるべきでしょう。
 ただ、「行動や思考が可能になるのは、脳の中枢だけでなく、そこから脳内の他の部位や、脊髄を通じて身体の筋肉にまでつながる回路がすべて正常に機能したときだけなのである」(八〇頁)という言葉は、その「正常」という表現が瑕疵となっていると思います。下條信輔『「意識」とは何だろうか: 脳の来歴、知覚の錯誤』の読者にとって、この「正常」という言葉は至らないものであるからです(あくまで「至らない」だけです)。「来歴」と「錯誤」をキイワードとする下條の著作は、「正常」という概念そのものを揺らがせる本であったはずです(この本についてもいつか書きたいと思います)。
 最後に、本書の主題からは外れるのですが、科学の実験に関する話にも触れておきます。著者は、「脳機能イメージング」での実験の不備を批判するのに、ラットに薬を注射してその効果を検証する実験を例に挙げます。薬を注射する実験では、片方のラットに薬を注射して終わりではなく、もう片方に「注射だけあるいは生理的食塩水の注射を行うのが通例」です。それは、「痛みを伴う注射という行為が、何らかの影響を及ぼす可能性が否定できないから」だ、と著者は書いています(一一四頁)。反証を想定して常にそれに対応する姿勢を、「科学的」と呼ぶのでしょう。

TAG : 脳科学 脳機能イメージング 川島隆太 下條信輔

「脳科学」批判、あるいは骨相学の子孫たち 榊原洋一『「脳科学」の壁』(1)

榊原洋一『「脳科学」の壁 脳機能イメージングで何が分かったのか』講談社 (2009/1/21)

 本書への書評については、すでに存在しています(たとえば、『お父さんの[そらまめ式]自閉症療育』様)。
 この本の中身を要約すれば次の用に言い換えられるとおもいます。「ガルの骨相学」の子孫としての「脳機能局在」論を批判すること。「脳機能局在」とは、人の特定の機能(心的、身体的行為)が脳の一定部位に局在して対応している、という考え方です。
 たとえば、著者は、「脳機能局在」の一種として、養老孟司 の「唯脳論」を批判しています(三九~四一頁)。具体的には、脳の中に意識が生じた理由に関する彼の議論に対してです。養老は、脳の深部に「外界からの刺激が届かない神経細胞群」を仮定し、刺激がなければ死んでしまう神経細胞が、生き残るために細胞同士で刺激し合って、これにより脳に意識が発生すると仮説を立てます。要するに、脳には、外界からの刺激を受けない意識専用の神経細胞がある、と述べているのです。
 これに対し著者は、意識が外界からの刺激から独立していないことを、次のように批判します。腰椎への麻酔薬が事故で脳へ流れてしまい、「脳に入るすべての末梢神経からの刺激が麻酔薬でブロックされ」た場合、麻酔薬が脳の内部に入っていなくても意識を失う。つまり、脳には、外界からの刺激を受けない意識専用の神経細胞なんてない、と述べているのです。
 (疑似科学として、「脳内革命」と「ゲーム脳」も取り上げて、批判し、その社会的な悪影響と、科学者(脳科学者含む)たちのそれに対する対応のまずさを指摘しています)。
 CTやMRI、fMRIなどの、「脳機能イメージング」も、「脳機能局在」の子孫です。これは、脳を流れる血流の量を測定して画像化する技術です。
 ある研究者(これは川島隆太教授のことと思われます)は、この「脳機能イメージング」の技術を用い、次のように主張します。音読と単純計算は脳の前頭葉の血流が増大させ、認知症による認識能力の低下を抑える効果があるから、一般人でも音読や単純計算で認知機能が高まる、と。
 これに対して、著者は次のような反論を行います。

(続く)

TAG : 脳科学 骨相学 脳機能イメージング 養老孟司

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