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「高齢層(年金生活者)は テレビの情報に左右されやすい」って、本当なの? -あるいは『世論の曲解』的な何か。-

 「現代日本の「テレビ」」という『dongfang99の日記』さんの記事を拝見して思ったのだが、「2000年代以降、仕事を通じた利害関係の網の目から「自由」になった年金生活者が増大し、自ずと家でテレビを見る時間が増えたことで、テレビの政治世論形成における役割が圧倒的に大きくなっている。」云々というのは、実際の所、実証できてるのか。

 ご本人が追記として、「世代とメディア・政治意識の関係に関する実証的な調査などについては、こちらの情報や理解が不十分であると思われるので、色々と批判をいただければ幸いである。当然ながらテレビは若年層にとっても中心的なメディアであり、インターネット上でも「みのもんた」をより過激化したような意見や主張は少なくない」と恐らく妥当なことを仰っておられるので、いらないツッコミかもしれないが、一応書いておこう。



 ブログ主がその証拠として提出しているのは、注の「2005年の郵政解散選挙」の「朝日新聞の調査記事」だ。
 曰く、

朝日新聞社が22、23日に実施した全国世論調査によると、今回の総選挙では、テレビの視聴時間の長い層ほど自民候補に投票した人が多い傾向にあることが浮かび上がった。・・・・・視聴時間と総選挙の投票先との関係を見ると、「2時間以内」で自民候補に投票したと答えた人は40%、「2~4時間」では44%、「4時間以上」では47%と、視聴時間が長いほど多くなっている。視聴時間は男性より女性の方が長めだったが、投票先との関係では男女ともほぼ同じ傾向を示した。また、テレビの視聴時間は年代別でみると、高年齢層ほど長く、70歳以上では「4時間以上」が3割近い。調査では高齢者や女性で自民候補への投票が多めという結果も出ている。テレビ報道が直接、自民候補への投票を促したとはいえないものの、視聴時間が長い、こうした層が自民大勝を後押しした側面もうかがえる」(「TV長く見た人、総選挙で自民候補に投票 朝日新聞社世論調査」2005年10月26日朝刊)

とのこと。
 よーく読めば分かるが、実は、「2005年選挙で高齢者ほど自民に投票」を証明するようなデータではない。
 「テレビの視聴時間の長い層ほど自民候補に投票」と「テレビの視聴時間は年代別でみると、高年齢層ほど長く」とを掛け合わせているのだが、「高齢層→視聴時間が長い→自民に投票し勝ち」をきちんと証明しているわけではない。
 かろうじて、「調査では高齢者や女性で自民候補への投票が多めという結果も出ている」と書いてあるぐらい。



 実際の所どうなのか。
 2005年の事例を確認してみよう。簡単に。

 まず2004年度時点での朝日新聞の記事「無党派・民主支持層で支持離れ 小泉政権3年で本社調査」。
 曰く、「年代別では、「小泉離れ」の傾向は20~50代で幅広く見られる。これら「現役世代」の支持率は当初8割を占めたが、この1年で軒並み4割台まで落ち込んだ。6割前後を維持している60代以上の高齢者層と対照的だ。」
 一見すると確かに、高齢者への支持層が高いようにも見える。
 にしても、、この当時は「現役世代」の支持が低まっていたんですね。

 次に、2007年の「参院選調査報告Vol.04 首相・内閣の評価の分析」という菅原琢氏による分析(但し図が見えないw)。
 曰く、「小泉前首相若年層に人気で、高齢者層にはさほど人気がない一方、安倍現首相は60歳以上の高齢者にもっとも好感を持たれており、50歳以下では満遍なく人気がない」、「自民党の支持率、得票率などは、高齢者層、農村部ほど高くなるという傾向は、長い間、半ば常識であった。これを覆したのが前首相である。」だそうな。
 朝日新聞での上記のことをあわせて考えると、2004年時点での高齢者支持の高さというのは、旧来からの自民党支持層によるものであり、小泉躍進はむしろ、その下の世代によるものであることがうかがえる。
 (この内容は、菅原氏の『世論の曲解』という氏の本にも書いてあったと思います。)

 さらに、同年の「政党と政党リーダーの評価vol.01」というレポート。
 「3.年代別感情温度」を見る限り、小泉氏は決して高齢者ウケが言い訳ではなく、むしろ、若年層になればなるほど好感度が高い様子。
 
 上記のざっくりした情報を元にする限り、"高齢者=メディアの影響を受けやすい"云々は、実証できていないと思われる(多分)。
 むしろ、2005年の小泉首相のときの場合、その躍進は、主に、若年層によるものであることが伺える。
 で、メディアに動かされやすいのは、むしろ現役世代、特に若年層の可能性のほうが、多分高い、と思う。


 
 念の為、先の大阪市長選挙のときの事例も。
 「2011年大阪市長選挙結果分析」と題された分析。
 曰く、「70歳以上 の 51.5 % が 平松氏 に投票 ・ 30代 の 74.2% が 橋下氏 に投票」、「結果として高齢者比率の高い区で惜敗率が高まった」と書かれている。
 これは、上記2005年の選挙の結果と似た現象だ。



 本当は、2009年選挙の際の、民主党に対する高齢者支持率を調べなきゃいけないところですが、めんどくさいのでやりません。(誰かやっといてください。)
 まあ、「高齢者になると暇でテレビばっか見てるから、こうした類のメディアの影響を受けやすいぜ」が実証的に必ずしもそういえないことが分かればそれでいいので。



 あと、『世論の曲解』について。
 あの本は良書ではあるけれども、農村/都市、改革/反改革の軸は取り上げる一方で、リベラル/ソシアルの軸は殆ど不在となっている。
 実際、社会保障や雇用の政策への言及は殆どない。
 権丈善一先生の読者なら、ツッコミを入れるべきところではないかしら(だって、福田内閣を軽ーく、スルーしてるんですよw)
 ネット上に優れたソシアル系の論客があれほどいながら、そこらへんを突っ込む人は殆ど(誰も?)いなかった
ので、一応書いておこう。

 (恐らく未完)
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紙のリサイクルは熱帯林を救わない? 宮内泰介『自分で調べる技術 市民のための調査入門』

・宮内泰介『自分で調べる技術 市民のための調査入門』岩波書店 (2004/07)

 もちろん、この本は、調査のための手引きとして使えるものですので、調査する際に注意すべきことを知りたい方は、類書を含めてこの本を読んでいただけたらと思います。本書については、宮内泰介「[私家版]市民のための情報収集法」(『宮内泰介のページ』様) もご覧ください。
 ここでは、この本において気になった所、興味深かった所を、数点挙げていこうかと思います。

■マスコミに期待しすぎ■

マスコミはもちろん大いに利用すべきですが、それに過剰な期待をするのはやめたほうがいいと思います。 (12頁)

 もちろん、マスコミにはその影響力にともなう責任があって、その「権力」に対しては監視が重要なのは無論のことです。しかしながら、某新聞や、某公共放送機関にたいするバッシングには、なんだかルサンチマンのようなものを感じます。このバッシングこそ、このマスコミに対する「過剰な期待」というべきでしょう。バッシングとは、その実、期待の、もっというなら依存の表れなのです。
 なんかよく分りませんが、高山正之『日本人が勇気と自信を持つ本 朝日新聞の報道を正せば明るくなる』という本もあるそうです。たかだが一新聞の報道が正されれば「明るくなる」という国の国民性はじつに単純だなあ、という感想に尽きます。
 この期待、はっきりいえば「依存」の関係は、ちょうど、「マスゴミ」と大手メディアをバッシングするネット上の言論にも、当てはまるのかもしれません。

■「特派員」の活動■
 「パプアニューギニアの熱帯林伐採について書かれた記事をよく見ると、シドニーの特派員がシドニーで書いた記事だとわかる、などというのはよくあることです。現地になんか行っていないのです。」(61頁)とのこと。
 ためしに朝日新聞のウェブ版でも見てみましょう(以下、朝日新聞社のニュースサイトより引用)。「花ではなく靴を投げつけ、適切だった イラク記者釈放」という記事の「【カイロ=田井中雅人】」は、「イラク人記者ムンタゼル・ザイディ氏が15日、バグダッドの刑務所から釈放された。」という記事ですので、現地には行っていないようです。
 一方、「アフガン空爆被害者 外国軍は無実の市民を殺している」という記事は、「【カブール=四倉幹木】」となっており、内容の書き方を見る限り、現地へ行ったのだろうと思います(たぶん)。

■質問者の欲しい回答を、汲み取って言ってしまう回答者■
 あることについて、「たいへん複雑な感情を持っているのに」、聞きに来た人の質問のペースにに乗せられたり、聞きに来た人の意図を汲んで、相手の聞きたそうな話ばかりをしてしまったりする(116頁)、ということについて、著者は述べています。インタビューをする際の注意点です。
 前者はともかく後者の場合、意識的でない分、単なる誘導尋問ではありません。しかし、相手は聞き手の思惑を読み取って話してしまうことがある。裏を返せば、語りというものが、本源的に相互作用でできていることの証拠でもあるわけです。
 「インタビュー」ではないのですが、上記に関する事例として、次のような事例もあります。

それぞれ文化的伝統の異なる部族の出身者で構成されており、同じ「集落」のもの同士でも互いに言葉を通じさせることができなかったという。それにもかかわらず、彼らは単一の「未開人」として、本当な自分たちに馴染みのない儀礼やふるまいを観客の前で演じることを強いられたのである。展示された人々は、最初の一ヵ月が過ぎたころには、博覧会の観客たちが自分たちにどのようなふるまいを望んでいるかを察知し、それにあわせた「演技」を身につけていったようである。こうしてヨーロッパ人の側から見るなら、その植民地主義的な視線に適合するような「人種」の「劣等生」が、眼前の民族学的「実物展示」により「発見」されていくこととなった。
 (吉見俊哉『博覧会の政治学』 「■[文献紹介]『博覧会の政治学』(追記あり)」『Apes! Not Monkeys! はてな別館』様より孫引)

これは、「展示」された異なる出身の部族者たちが、「博覧会の観客たち」の望みを汲み取って、彼らのして欲しい「演技」をしてしまうことの実例です。本著の意図とは外れますが、覚えておくべき実例ですので、引用いたしました。

■紙のリサイクルは熱帯林を救わない?■
 熱帯林からの木材輸入の多くはベニヤ板としての利用であり、紙になるのは本当にわずか、とのこと(4頁)。
 本当でしょうか?「木材需要・供給」(『フェアウッド・パートナーズ』様)によると、2004年時点での日本の木材供給について、熱帯林のあるインドネシアやマレーシアから供給される木材の多くは、大半が合板用です。
 2006年の合板状況について、「日本は、熱帯材合板の9割をインドネシアとマレーシアから輸入しており、マレーシアは204万m3、インドネシアは173万m3」であり、「日本がインドネシアから輸入している主な木材製品は合板」とのことです(「熱帯材合板と日本」(『ecoffin cafe』様))。インドネシアとマレーシアの二国以外の熱帯林はどうか不明ですが、二国については著者の主張は正しいといえるようです。
 ゆえに、紙をリサイクルしても、二つの国の熱帯林をあんまり救うことにならないのは、おそらく事実です。

(了)

2009/10/02 一部修正済

TAG : マスコミ 特派員 誘導尋問 リサイクル

Jカーブ効果を批判した例 番外編:谷岡一郎『データはウソをつく』

 酒の「Jカーブ効果」は、ACSH(米国保健科学協議会)のレポート(1993年6月)をその源流としています。このレポートでは、各国の医学関係者、研究機関による研究報告を調べた結果、「適量の飲酒は、死亡率を低下させる」という結論を下しています。このレポートでは一応、アルコール許容量の個人差などについても、言及しています。
 先日のブログでは、「Jカーブ効果」に再現性がない、ということを書きましたが、どうやら、Wikipediaなどの記事を見ると、それを裏付けるような論文は出ているようです。ですので、今回は、Jカーブ効果」について、再現性を裏付ける論文が出てもなお、反論できるような論を紹介します。

 「Jカーブ効果」に対しては、『二郎の日記』様が、「人種」という観点を見過ごしていると批判しています。酒に強い人種と弱い人種を考慮せよ、ということですね。
 「私は飲酒量と寿命の因果関係は存在すると考えております。その因果関係をJカーブが表しているとも考えております。」とおっしゃっているので、どうやら、Jカーブ効果についてはある程度までは肯定されているようです。また、「適度のアルコールにより虚血性心疾患(心筋梗塞や狭心症)などの循環器系疾患のリスクが低下する結果として、Jカーブが示されていると考えて」おられるみたいです。過度の飲酒を諌めることが本来の目的であったACSHの調査を信用しておられるようです。しかし、

 「日本人の中でも、お酒を飲める体質の方と、飲めない体質の方を識別して調査しなければ、有益な情報にならない (中略) お酒を受け付けない体質の方では、おそらくJカーブは存在せず、飲酒量と寿命の関係は負の相関しか無いだろうと思います」

 とも述べており、「体質」という観点に注意を向けています。
 これらの批判は、先の「Jカーブ効果」の論文の意図に沿ったものといえるでしょう。この論文は、アルコール許容量の個人差などについて言及しているからです。これは批判というより、注意書きに近いものかもしれません。

 もうひとつ、これは海外のものですが、「Alcohol’s Good for You? Some Scientists Doubt It」『The New York Times June 16, 2009』は、以下の点について述べています。タイトルを訳せば、「アルコールは体にいいの?疑う学者も」となりましょうか。
 内容を一部をかいつまむと、以下のとおりです(要約ではありません)。

「適度に酒を飲む人は、煙草を吸わないし、適度に運動するし、適度な食事をする。どれが健康となる最たる要因でしょうか。」

「調査を担当する研究所は、アルコール飲料の業界から金銭的に援助を受けている。」

「ほどほど酒を飲む人と禁酒する人は、比較ができないほど異なる存在だ。前者は、健康なだけでなく、いっそう裕福で、より良い教育を受けている。煙草を吸ったって、健康を管理する環境には恵まれている。」


 では、言わずもがなの解説です。まず、最初の主張。酒を飲むのに適度に留めおける自制心の持ち主なら、ほかの事柄でも健康に気を使う、と考えるのは、自然でしょう。もちろん、この推論に反論する人もいるでしょう。ただ、「適度な酒→健康」という単純な回路は疑うべきなのです。
 つぎに、調査する主体自体が、調査対象からの援助を受けている、というのは、調査の信憑性を失わせます。もちろん、すべての研究所・研究者が、業界から献金をもらっているわけではないのでしょうけれども。
 最後のものは、最初の主張の延長線上にあります。つまり、ほどほど酒を飲む人は、健康なだけじゃなくって、健康維持をするのに恵まれた環境を得られる裕福さを持つというのです。酒を飲む量だけでなく、健康を維持する環境の違いにも眼を向けるべきだといいます。
 もちろん、この主張に対しても、じゃあ証拠を挙げろ、という反論があるかもしれません。しかし、「階層」という観点を交えることは、この研究には必須と思われます。たぶん誰もやっていないと思いますし(推測ですが)。(注1)
ちなみに、このニューヨークタイムズ紙の記事には、前日紹介した、谷岡氏の意見に近い主張もあります。見つけてみてください。

 以上、Jカーブ効果への批判的な論説を挙げてみました。もちろん、上記の批判を克服した研究というものもあるかもしれません。ですから本論はあくまで、どのような批判が「Jカーブ効果」にできるのかを紹介したものと見なしてください。
 それにしても、本論は、つくづく権威頼りです。著者の理念に反しています。これについては反省します。ただ、適切な飲酒と健康の関係を疑うだけでも、これだけ疑える要因があるというのは驚きです。皆様もこの「Jカーブ効果」の是非を考えてみてください、と述べて今回は逃げることにします。

(了)


(注1) 健康と経済的格差の統計を主題とした論文は存在していました。詳細は、拙稿「「漏給」問題への対策と、Jカーブ効果批判」をご参照ください。

(追記) 「冬眠もまた暁を覚えず」という『五月原清隆のブログハラスメント』様のブログ記事では、Jカーブ効果を真正面から批判を行い、今後の飲酒のあり方については、「酒税の大幅な引き上げと小学校からの科学的な禁酒教育とで、ジワリジワリとアルコールの居場所を奪っていく」と提唱しておられます。荒っぽくも頼もしい主張と思われますので、御一読推薦します。

TAG : Jカーブ効果 社会調査 谷岡一郎 飲酒

社会調査のはじまりの書 谷岡一郎『データはウソをつく』(2)

 ほかに、『mark-wada blog』様も取り上げているエピソードですが、こんなのもあります。
 連合軍の戦闘機が独軍に次々撃ち落された。何とか帰還した機体を調べた将軍曰く、尾翼のダメージが特にひどい。「尾翼を強化するように」と本国へ打電。本国の「脳ミソのしわがちょっと多い人」が答えて曰く、 尾翼をやられた戦闘機は一応帰ってきた。帰ってこなかった機体は、他の場所を打たれたはず。「強化するのは別の所ではないのかね」。

 これも、『こんな日にはBlogでも…』様が取り上げておられますが、酒のお嫌いな人にとっては傾聴すべき意見も。ブログで要約されているものを引用すると、

 酒の消費量と健康に関する調査で、酒を全然飲まない人より毎日少量飲む人の方が健康だという結果が出たことに対し、酒を飲まない人の中に体を壊して酒を飲めなくなった人間はどのくらい含まれているのか

 これは、Jカーブ効果への批判です。Jカーブ効果は、再現性自体はっきりしていません。(この問題については次ページをご参照ください。

 おおよその例を見てきました。具体例ではありませんが、他にためになることも載っています。
 たとえば、社会科学の分野では、「偶然起こった確率を超えた状況を、「統計的に(九五%レベルで)有意だ」と表現」する(一〇九頁)、といいます。前作にも載っていたと思いますが、改めて、覚えておきましょう。
 また、カール・ポパーの管見を引いたあと、「理論にとって可能なのは、その理論が間違っていることを証明することだけ」とも述べています。あくまでも科学における理論というのは、長い間否定されていない、可能性のより高い仮説だというのです。こうして、自然科学と社会科学の違いについて述べます。これも覚えておきたいことです。

 妥当性と信頼性の話も面白い。著者は、この二つの概念を紹介しています。妥当性とは、「ある変数の測定に関する内容(定義)」の適切さ、ざっくりいうと統計するときの用語の定義の適切さです。例えば、「社会階層」を測るには「所得」だけを参照すれば十分か、という事を探るときに使われる概念です。一方、信頼性とは、誰が何回やっても、同じような測定結果になるのかという概念です。
 基本的に妥当性が信頼性に優先しますが、同じ方法で継続的に統計を取り続ければ、それなりに意味はあるといいます。例えば、内閣の支持率は各社で違いますが、毎月同じやり方で繰り返すので、支持率の上下のトレンドを調べるには、十分役立つといいます(一二五頁)。なるほど。馬鹿と何とかは使いようです。支持率はそう考えると、意外に使い道があるのです。

 質問票を、自分の恣意的な結果を出させるテクニックも載っています。質問票を作って統計を取る際に、「アップルタイザー」と「コーラ」とを比較させて、「アップルタイザー」を勝たせるには、「コーラ」を「コカ・コーラ」と「ペプシ」の項目に分ければいいというテクニックを教えています(一三二、一三三頁)。むろん、悪用は駄目です。これは、そういう手口をやめるべきだ、という本ですから。

 最後に、本著の求める人物像とは何か。それは、自分で考えて疑い、常にほかの可能性を想定し探究する人物(七九、八〇頁)です。本著の具体例における、数々の反論を、そのまま鵜呑みにしてしまうのは、本著の意図ではないのです。
 では、読み終わった後まず、何をしましょうか。著者は、オウム真理教においてエリート校の大学生が多数信者だったことを挙げて、「偏差値中心のツメコミ教育の弊害」を原因と考えているようです(一五五頁)。本当にそうなの?まずはここからです。これを疑うことから始まるのです。

(続く)

TAG : 谷岡一郎 社会調査 カール・ポパー オウム真理教

具体例から見る社会調査の方法 谷岡一郎『データはウソをつく』(1)

谷岡一郎『データはウソをつく 科学的な社会調査の方法』筑摩書房 (2007/05)

 世間に溢れる「社会調査」、このいかがわしい情報をを切り倒していったのが、著者による名著『「社会調査」のウソ』でした。今作は、社会調査の「方法」(注意点など)の紹介に重点が置かれています。
 具体的にどんなことを言っているのか。いくつか紹介しましょう。本著については、内容を章立てごとに解説・紹介するよりも、面白くてためになる「社会調査」の具体例(つまり、主張と反論)を紹介して行く方が良いと考えます。

 ミシシッピ州のチュニカという街でカジノが合法化されたとき、通貨供給量と失業率が反比例した。つまり、好景気になって通貨の供給は増えたのに、失業率が上昇した。これは、ケインズの理論、「通貨供給量と失業率が反比例の関係にある」に反している。
 これに対して著者は、周りの州から失業者が押し寄せたために、好景気なのに失業者が上昇した、と反論し、「理論が予測した結果が現出」しなくても、きちんとした説明(弁明)ができれば、その理論は否定されないと述べます。著者は、これによってケインズを「擁護」し、社会科学と自然科学の違いを具体的に説明するのです。

 カジノが建設された地域ではギャンブル依存症患者が統計的に急増している、という意見が出ます。これに対し著者は、それは、現在のカジノのある地域では、依存症のホットラインとか相談所の案内の、厳しい設置義務があって、それまで、依存症を自覚していなかった人や、病依存症を自覚しても相談できていなかった人たちが、ホットラインや相談窓口に来るのではないか、として、このような他の要因も考えるようにと反論しています(六七頁)。原因は一つ、と真っすぐにとらえてはいけないのです。

 日経新聞の読者は内定率が高い、という主張に対しては、①コネを持てるような社会的地位の高い人が日経新聞を読むのであって、②ゆえに、家に置いてある日経新聞を読むその子供は、コネがもてる、③そもそも、日経新聞をはじめ、活字を読まない人だから、内定率が低いんじゃないか、とのべます(七九、八〇頁)。
 然り、というべきでありましょう。評者は、③の可能性を最初に想定しました。①と②についても、コネに限らず、学習環境の要因もあると考えます。コネだけではなく、金銭的に恵まれ、より良い就学環境にあったことなども、考えられるのです。良い就学の環境が、その人の能力を上昇させ、彼は内定をとる、という構図です。ただ、著者は、能力のあるやつが、(会社の中身を別として)内定を取りやすい、というのを、甘い話として信じていないのかもしれません。

 大学受験と時に数学を履修していた人は年収が高い、という主張に対しても、懐疑を向けています(八二~八四頁)。勉強できた人は、国立も目指して、その際数学を履修します。そして、その分高い地位を目指しやすい。しかし、勉強できない人は、国立を断念して、その過程で数学を捨ててしまう。国立を捨ててしまう学力に見合った学校に入るので、その分高い地位を目指しにくい、といいます。
 これにも賛成です。受験の「現場」を想定すれば、そのような可能性も浮かんでくるはずなのですが、この簡単そうなことこそ、やはり難しいようです。

(続く)

TAG : 谷岡一郎 社会調査 日経新聞 内定 ケインズ

「直リンク・無断リンク」問題について 増田真樹 『超簡単!ブログ入門』

「直リンク・無断リンク」問題について

増田真樹 『超簡単!ブログ入門 たった2時間で自分のホームページが持てる』角川書店 (2005/01)

■内容■
 本書については、ブログについて、年月を過ぎた現在では常識となっているであろう事柄が、書かれています。これをよむ際には、「ゲームの闇鍋」様や、「酒井徹の日々改善」様に掲載された書評(?)を読めば、問題ないと思います。
 今回は、本書の五一頁から五三頁にかけて書かれた「リンクと言論の自由」の章について書きたいと思います。
 著者は、「日本のニュースサイトのほとんどは、アーカイブを残しません。だからブログでリンクを張っても、時間が経てばリンク切れとな」ってしまうと、問題提起します。そして、これに類する問題が、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙で問題となったことに触れます。
 また、日本では、「未だにウェブサイト全体のポリシーとして『リンクはトップページに』と公言」しているしていることを挙げ、それしか認めない理由が、トップページは「バナーの広告料が一番高いから」だと聞き、「開いた口がふさが」らなかったといいます。「開いた口がふさが」らなかったのは、トップページはその値段に見合うほど、実はアクセスが多くないためです。著者は、そのあとで、リンクフリーが2005年現在では主流となっていることにも触れています。

■リンクフリーの現在■
 以上、おおよその内容を見てきました。
 現在では、リンクフリーの考え方が、ほぼネット上での共通認識となっていると思います。
 リンクフリーを理解するための、よいテキストとして、「『無断リンク禁止/直リンク禁止』」命令に関する想定問答集」及び、「続・『無断リンク禁止/直リンク禁止』命令に関する想定問答集」(『管理人ページ』様)が挙げられます。「無断リンク禁止/直リンク禁止」のおかしさを、楽しく、わかりやすく指摘しています。中身を少し見てみましょう。
 「相手がリンクしないで欲しいと言うのならしないのが社会常識」だろう、という意見には、

 作品を公開する際には読者などの受け手にあれこれ命令をしないのが社会常識であり、マナーであると思います。
 例えば、買った本に「この本を作者の許可なく他人に紹介してはいけません」と書いてあったら、それに従わないと非常識なのでしょうか?

と真の常識を教えてやります。
 リンクされるのは、「ひどい嫌がらせだと思います」という意見には、

 例えるなら――私は青い服が嫌いなんです。それなのに、街を歩くと青い服を着た人がいるんです。これってひどい嫌がらせだと思います――そんな感じでしょうか。

と、わかりやすいたとえをつかって諭します。
 「コンテンツに直リンクされると、注意書きを読まないで閲覧者が入ってくることになる」というわけしり顔のやつには、一定の共感を示しつつも、

 検索エンジンでやって来る人も予想される以上、管理人は「最初に読まれるべき」と考える注意書きはどこから閲覧者が来ても目に付く場所に書いておくか、あるいは各ページからリンクしておいた方がいいのではないでしょうか。

と、再考を促します。
 「トップページ以外はアドレスが変わることがあるから、直リンクをしてはいけない」という親切な人には、

 別にあなたがそんな心配をする必要はありません。
 あなががもしも本当にリンクする側のためを思うなら、トップページ以外のアドレスもなるべく変えないようにしましょう。

と、本当の親切とは何かを教えてやります。
 「すべての内容を当方でチェックすることが不可能なため、個人サイトからのリンクについては、基本的にお断りしています」という気を回しすぎの人には、

 それはあなたの希望であって、あなたがすべきことです。あなたの勝手な希望に他人を付き合わせるのはお止め下さい。
 ちなみに、他者の発言を事前にチェックして発表の可否を決定するというのは一種の検閲でしょう。

と、検閲となる可能性を指摘しつつ、気を落ち着かせてやります。

■それでも「無断リンク禁止/直リンク禁止」なら■
 上記を見てわかるように、「無断リンク禁止/直リンク禁止」は、法的には無論のこと、管理者のせめてもの「お願い」程度としてだけ表示可能なのです。もちろん、リンクを張る人は、基本的には、それを無視できるのです。
 それでも、「無断リンク禁止/直リンク禁止」を望むなら、「直リンクを防ぐには?…禁止と言っても無駄」(『ALL ABOUT』様)のいうように、技術的な面で対抗すべきでしょう。「Voice of Stone」様によると、

 海外のメジャーな検索エンジンでも robots.txt や meta name="robots" content="noindex" などの取り決めで無断リンクを防止できるのだった。

ということですから。
 面白い方法としては、『Geekなぺーじ』様の提唱する「URLそのものが芸術性のある何かになってしまえば良い」という、著作権を利用する方法もあります。もちろんこれはネタだそうですが、本気でやってくださるがいたら、教えてください。

■勝手にリンク■
 最後に、この中身のない本稿の終わりに、何かやってみようと思います。『食うべき詩』様は、

 リンク・フリーを強く主張する人々がターゲットにすべきは、影響力の小さな個人ブロガーじゃなくて、企業・団体のほうなんじゃないかと思うのです。前からそう思っていました。

と、現今のリンクフリーの風潮の一方、まだの企業・団体のサイトへのリンクフリーの浸透振りが遅いことを指摘しています。
 無論、気弱なことこの上ない本ブログでは、そのような真正面からの抗議活動などしません。正面を避けた、無意味な抗議行動でお茶を濁したいと思います。
 まず、『ANA』様。

 リンク設定箇所については、ホームページのトップページ「http://www.ana.co.jp/」のみとします。
 リンク設定の際は、本内容を同意の上、必ず指定フォームにて送信してください。バナーをご使用になられる場合は使用の有無を記入していただき、当ページ下の<バナー使用ガイドライン>に従いお使いください。弊社にて2週間以内に検討し回答させて頂きます。この場合、弊社からの回答があるまでリンク設定はご遠慮願います。
(中略)
● リンク登録許可後トラブル防止の為、貴サイトが当リンクガイドラインに掲載しているような内容に合致していないと弊社で判断した場合にはご連絡後、2週間以内にリンクを外して頂く場合がございます。

とのこと。無論お断りです。上記自体、無断リンクかつ直リンクです。
 日弁連へのものはすでに『食うべき詩』がなさってしまったので、『文化庁メディア芸術プラザ』様へのリンクを。

 文化庁メディア芸術プラザへのリンクは、基本的にフリーですが、いくつかお約束いただく事項がございます。

 文化庁メディア芸術プラザにリンクを張る際は、そのホームページの内容とアドレス、お名前、ご連絡先を記載して、お問い合わせページのフォームからお知らせください。文化庁メディア芸術プラザの趣旨に合わない場合や、文化庁およびCG-ARTS協会をはじめとする主催者の事業や信用を害する恐れがある場合は、リンクをお断りすることがあります。また、いったんリンクを許諾した場合であっても、リンク許諾後に判明した事情または変化した事情により、文化庁メディア芸術プラザがリンクの許諾を妥当ではないと判断した場合、リンクの許諾を取り消す場合がございます。その点、ご了承ください。
(中略)
 原則としてトップページ(http://plaza.bunka.go.jp/index.html)に対し設定していただくようにお願いいたします。

 無論お断りです。
 最後に、ユニセフ』様。

リンクを希望される場合は、下記の『リンクについてのご注意』をお読みの上、
事前に当協会までご連絡いただきますようお願い申し上げます。
(中略)
* 以下のような場合、リンクをお断りすることがあります。
o 貴ホームページ等の内容が、ユニセフおよび当協会の理念に反する場合
o 営利目的等の場合
当協会ホームページとのリンクにより、貴ホームページ等における販売促進や会員勧誘につながるとみなされる場合など(貴ホームページ等と当協会の間で、何らかの提携があるような印象を与えないよう、リンクの表記等にはご注意ください)


 無視です。これで抗議になったでしょうか(なっていないような……)。
 だんだんとやってきて、むなしくなります。次回以降は、きちんとネタを練って書いていきたいと思います。

(追記)
本当は、ニュースサイトのリンク切れ・有料サイト化の問題にも触れたかったのですが、「日本の新聞サイトのリンクはなぜ切れるのか - 池田信夫 blog」等、少数のサイトしか、この問題には触れておらず、やむなく、お茶を濁した次第です。

TAG : ブログ入門 直リンク 無断リンク リンクフリー 池田信夫

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