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社会保険と労働時間 -ベーシック・インカムを唱える前に- 濱口桂一郎『新しい労働社会』(5)

■ベーシック・インカムと、労働における「承認」の側面■
 著者は、労働を社会からの承認を受けるのために必要なものと考えています。そのため、社会的承認の機会を奪うベーシック・インカム論には否定的です。曰く、「怠惰の報酬を社会一般に要求するならば、それは直ちに怠惰ではなくても無能であるがゆえに社会から排除されることの報酬に転化してしまうと思っています。そしてわたしが「いけないこと」と考えるのはそういう社会的排除の正当化です」。(「攝津正さんの拙著に触発された感想」『EU 労働法政策雑記帳』様) 。「働かない=無能者」というレッテルによって、「class 階級」を顕在化させたくないというのが、意図のようです。
 もっと端的には、「働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりであり、認知であり、生活の基礎であるという認識であろう」と著者は述べています(「働くことは大事である。だからこそ働くことを報酬にしてはならない」『EU 労働法政策雑記帳』様)。①社会的な承認のため、②生存のため、どのみち問われるのは、「働かないで社会で生きることは許されるのか」、という問題です。萱野稔人は、「労働にはこうした承認の次元が含まれていることで社会と深く関ることができるのですがベーシックインカムはそれを断切ってしまう」と述べているようですが、その言葉は、上の認識を追認するものです(「maturiのブックマーク」『はてなブックマーク』)。
 労働における「承認」の側面を傷つけずに、我々の人生をよりよくするいい方法は無いでしょうか。これについては、最後に書きましょう。

■ベーシック・インカムは、貧乏人に冷たい?■
 もちろん重要なことは、ベーシック・インカムの条件が、「年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業を廃止する事」を前提にしてしまう点です(「ベーシックインカム」『Wikipedia』)。ベーシックインカム論とは、急場において困った人を事実上「放置」する制度でもあります。経済的に個人一人ではまかなえない場合、その人の負担は過重になります。
 保育施設とか学校等のインフラや、そのサービスに携わる能力ある人員等、市場経済においては採算が取れないサービスなどは、どうするのでしょうか。特に医療の場合、どうしてくれるんでしょうか。寄付?まさか。
 少なくとも、貧乏人にはリスクが高そうです。ベーシック・インカム論というのは、財源も問題にされますが、もしこのまま「年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業を廃止」してしまうのなら、随分冷たい制度となります。これに賛成される方は当然、これらの難点を踏まえた上で、ベーシック・インカム論を主張せねばなりません。
 たぶん、NPOと寄付によって、何とかされるのでしょう。しかし合衆国的な「世知辛い中での互助の精神」を、どうやって日本で構築されるのか。教会のような互助の精神を支える組織が無い日本で。(注1)疑問です。知ってる方はおしえてください。

■負の所得税の検討をする前に、英国労働史に学ぶ■
 「ベーシックインカムとまではいかなくても、給付付き税額控除とか負の所得税とか社会手当とか、いろいろ方法はあると思います」と宮本太郎氏がおっしゃられているように、他に最低限所得保障の方法はあるわけです(「宮本太郎『生活保障』-ちょっと難しすぎるという人のために」『ブログ・プチパラ』様)。
 しかし、これらの制度を推進するには、壁もあります。「19世紀イギリスのスピーナムランド制度は負の所得税の近いが、その経験が示しているのは、経営者による安易な賃金切り下げや解雇が横行してしまうことである」。(「「負の所得税」批判」『毎週評論』様)。
 これは、権丈先生も指摘されています(「勿凝学問237 いま流行りの給付付き税額控除とスピーナムランド制度というまずい政策」『勿凝学問』様)。経営者がピンはねしちゃうぞ、というのです。実際、労働者たちは、反動的な新法により苦しめられます。先生は、制度設計するなら、インセンティブに気をつけて、と教訓を述べてます。
 それならば、労働者たちを救ったのは一体なんだったのか。先生曰く、社会保険でした。ロイド・ジョージが、苦しむ労働者たちのために、「国民保険法(健康保険と失業保険)」を制定したのです。失業保険に関しては世界初の制度です。ありがとう社会保険。
 「イギリスは、古くから「友愛組合」という名の共済組合が発達しており、労働者の生活もわりあい恵まれていた」という点も重要です(「社会保険」『Wikipedia』)。しかも遡ると、「協同組合(消費者の利益を守る運動が中心) 友愛組合(同じ労働者で掛け金を出し合い疾病、年金の対策)労働組合(労働条件の向上と掛け金からの相互扶助)が誕生してくる。」とあるように、同じ頃に、相互扶助によって消費者と労働者の権利向上を目指す団体までも、生まれてきたわけです(「介護福祉士・社会福祉士が覚える歴史」『介護福祉士・社会福祉士の受験対策』様)。
 もし歴史に学ぶことを重視する方がおられるのなら、ベーシック・インカムとかよりも先に、「協同組合(消費者の利益を守る運動が中心) 友愛組合(同じ労働者で掛け金を出し合い疾病、年金の対策)労働組合(労働条件の向上と掛け金からの相互扶助)」のことを再考すべきかもしれません。しかしそもそも、こういう「介護福祉士・社会福祉士」には常識的な事柄を踏まえた上で、ベーシック・インカム論は論ぜられているのでしょうか。

■労働時間削減という、より現実的な「夢」■
更に歴史に学ぶなら、やるべきことはまだあります。ベーシックインカムによって、「労働は、最低限度の生活を起始点として、必要な分だけ賃金を得る方式であるという考えがある。この前提では仕事と余暇の割り当てを自由に行えるという点から、多様な生き方を認めるという思想とも取れるという意見がある」のですが、その前に、労働時間を減らすこと、考えたことありますか?(前掲「ベーシックインカム」『Wikipedia』)
 すでに、(1)で論じたとおり、著者はEUに倣い、労働によって人が死ぬことを非常に懸念しています。この方向は無論、正しい。どうせならもっと、労働時間を減らしてみるのはどうでしょうか。思い切って。もちろん、それで生活がまかなえるのか、とか、国内GDPが減る、などの反論は予想されます。
 ただし、ためしに英国の歴史に学ぶなら、「1840 平均的労働者 イギリス 3105~3588時間」だったものが、「1987 平均的労働者 イギリス 1949時間」になっています(参考「昔の人の労働時間はどのくらいですか?」)。技術革新とか、植民地から収奪した富とか、そういうものが関係するのは当然のことです。しかし、これらの変化が、労働組合などの活動によって、そして彼らを背景とした政治的潮流によって成功したことは言うまでもありません。目標として、やってみる価値は十分あります。(注2)
 現実的には、ベーシック・インカム論よりも、労働時間削減の方が、歴史的には容易です。まずは、本書第1章を読み、「一日最低連続一一時間の休息期間くらいは、最低限の健康確保のために導入を検討してもいい」と唱えることからはじめてみればいいのではないでしょうか。まずはこれが前提です。それから、労働時間のいっそうの削減のために、働きかけてもいいはずです(まずは一日7時間労働にしてみましょう)。(注3)
 労働時間の削減なら、労働の「承認」の側面を傷つけずにすみます。意外に、あまりこういう主張は無かったと思います。労働の破棄は無理でも、その時間の削減ぐらいは考慮されてもよいのではないでしょうか。どうせ夢を見るのなら、比較的叶えやすい現実的な夢を抱いてみたい、などと思うのです。

(続く)


(注1)「日本では企業の社会活動の伝統もなければ、NPOの力量も依然として非常に脆弱であり、その運営費はほとんど税金による支援である。そもそも日本では、NPOの大前提となる寄付文化が皆無に等しい」という、「ベーシック・インカム的な福祉国家の可能性」(『毎週評論』様)もご参照ください。

(注2) 「全員総出でサービス残業なければ競争力を維持できないような企業こそ淘汰され、単位時間当たりの生産性が高く、競争力を持つ企業を支援し労働者を吸収させるという方向性もあるのではないでしょうか」と、「本気でサービス残業を無くすためにすべきこと」(『keitaro-news』様)という記事は主張しています。
 拙稿は、このような主張を支持します。そして、労働者へのダメージを最小限にする形で企業の淘汰を進めるためにも、拙稿(3)で述べた「生活保護制度の見直し」が必要だと考えます。

(注3) 著者は、「島田陽一先生の「正社員と非正社員の格差解消の方向性」」(『EU 労働法政策雑記帳』様)において、「日本の正社員が諸外国に比べて異常なまでの長時間労働を強いられている一つの原因は、時間外労働の削減を雇用調整の手段として活用するという確立された規範にあり、そのため、いざというときに削減できるように恒常的に残業するという行動様式が一般化した面があります。」と述べています。
 本稿にて主張した、労働時間削減の実現のためには、やはり(2)で指摘した日本的雇用慣習の見直しが必要のようです。具体的には、①家族の扶養や医療・福祉を、企業の賃金ではなく、社会全体で支えるようシフトすること、②雇用調整をしやすくする代わりに、失業中からでも「再チャレンジ」可能な制度を構築すること、少なくともこの二つが挙げられます。詳細は、本書をご参照ください。


(追記) よく考えたら、1日七時間労働ということは、1日一時間休むわけですから、週にして約五時間、月にして約二〇時間、年間約二四〇時間になります。二四〇時間を、1日八時間労働分に換算すると、30日間の休暇と同じことになります。実にバカンス並。
 蓋し、労働時間削減よりももっと現実的な方策として当然、有給休暇取得の向上を、まず提起すべきでした。まずはこちらを先に目指しましょう。
 ただしこの世界には、「日本は有給は取れませんが祝日が多すぎます」などという主張もあります。そんな御仁には、次の反論が有効です。「日本に真の意味でのワークライフバランスは訪れるのか? 」という記事を使いましょう。
 曰く、「「祝日が多い日本は休み過ぎ論者w」はちらほら見かけるけど、せいぜい日本の方が5日くらい多いだけだぞ(2010年の祝日は日本15日、シンガポール11日、西オーストラリア州10日)。たかが祝日が5日多い代わりにサビ残、休日返上当たり前、1日で1.5~2日分も働かされるような劣悪なクソ労働環境が横行してる」とのこと。
 「休む日=頭を冷やす日」であることを、「日本は有給は取れませんが祝日が多すぎます」と主張する御仁に、教えてあげたいものです。

(更に追記) 
 そもそも、「管理職の権限はマネジメントの為にあるのです。うまく人を裁けないなら管理職失格」なわけです(「なぜ、だれも休むことができなくなるのか」『keitaro-news』様)。この問題の責任の一端は、管理職が負う必要があります。それを踏まえて、この問題は論じられるべきでしょう。
 「休まず働くことが競争力という人もいますが大きな誤解です。多くの時間にコミットする日本の労働体系は効率が落ちにくいブルーカラーのみ適応されます。頭脳労働のホワイトカラーには適応すれば、やらなくても良い仕事を増刷し、非効率に陥り生産性は極端に落ちることにつながります。」というお言葉も重要です(前掲より引用)。休まず働けば何とかなるという20世紀以前の思想は、考え直す必要があるのです。

(もっと追記) ベーシックインカムと生活保護などの手当ては、決して対立するものではなくて、両立するものです。宮本太郎氏もいうように、「就労所得を引き上げるアクティベーションと並行する形で、給与比例型の保障と底上げ型の所得保障とを連携させていくことが重要です」(「生活保障の再生とアクティベーション」『RIETI』様)。
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