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海兵隊「即応後方配備」の行方 1996~2010 -普天間基地問題の解決案について- 小川和久『ヤマトンチュの大罪』(1)

・小川和久『ヤマトンチュの大罪 日米安保の死角を撃つ!!』小学館 (1996/02)

■1996年の普天間基地問題解決案■

 海兵隊の部隊を、基地は現在のレベルで維持したまま部隊だけをアメリカの領域に戻し、日本の周辺で緊張状態が生じる可能性が出てきたときのみ沖縄に戻すという、いわば有事駐留の形をとる (51-2頁)

 海兵隊の部隊自体は「アメリカの領海」に戻して、基地は現状レベルで空けておく。有事の際は、基地に戻す、という方法です。
 なぜ、「アメリカの領域」と書いているのかというと、曰く、日本側がその場所を指定すると、その当該の地域から反発を食らうので、場所はあくまでアメリカに決めさせるべきだ、という理由のようです。
 著者は、さらに、「広大な面積を占めてきた嘉手納基地を民間空港化する提案」(52頁)を行っています。 
 嘉手納基地のハブ空港化を目指しているのです。そして、自衛隊と民間とで共用している那覇空港は、米軍と自衛隊が共用する軍事基地に転換する、という方法です。嘉手納基地にある空軍部隊は、その一部を基地になった那覇空港に移し、大部分は、北海道の千歳空港に移駐させるようです。
 千歳空港においては、除雪作業をきちんとしており、航空自衛隊第2航空団の戦闘機が降雪のために発進できなかったことはほとんどないという理由のようです。実際、アメリカにはアラスカに航空部隊があるわけだから、それは可能だというのです。
 以降、著者の議論を見ていきましょう。

■2005年の普天間基地問題解決案■
 次に、2005年度の著者の案を見てみましょう(「⑥【沖縄の自治と米軍基地】」『尾形宣夫のホームページ』様)。
 辺野古案については、「沖縄で守るべき環境は優先順位で一番は海だ。海に手をつけてはいけない」のであり、「(普天間の代替施設は)完全陸上基地になると思っている。辺野古の計画は白紙還元せざるを得ない。」といいます。
 何よりも大事なことは、「返還合意と同時に仮の移駐先を決め、普天間駐留の航空機の部隊をたとえば1週間以内に移駐させ、住民の危険をなくすることだった。これが行なわれなかった」。本当は真っ先にやるべきであったといいます。
 著者は、「普天間はキャンプ・ハンセンに移転、嘉手納基地はハブ空港化」を主張します。まず、①「普天間と同じ大きさの海兵隊専用の飛行場をキャンプ・ハンセンの陸上部分につくり移設する」。②「キャンプ・シュワブに沖縄の抜本的振興を視野に入れた完全な陸上型の軍民共用空港を新設、これと連動する形で嘉手納飛行場をアジアのハブ空港として運用する」。
 重要なことは、ハブ空港化による経済的メリットと、海兵隊の海外への「即応後方配備」による住民感情の緩和です。「県民が一番嫌がっている海兵隊地上部隊の犯罪をなくすため、部隊の即応性を下げない状態で後方に配備する」わけです。普天間基地問題が個々まで大きくなった発端は、在日米軍兵(特に「県民が一番嫌がっている海兵隊地上部隊」)の犯罪にあるわけですから、これは住民感情の緩和に寄与するはずです。
 その「後方」については、米国が決め、「24時間以内に戻ってこられる有事協定を結ぶ」ことになります。これによって、米国政府にも受け入れやすい条件となります。finalventさんも、「「いずれにせよ海兵隊はグアムに出て行くけど、沖縄から居なくなるわけじゃない。普段空家だけど好き勝手に出入りできるよう施設はどんどん日本に整備させて、いざというときにちゃんと使えるように維持もしっかり面倒見させよう」というのは私にはまったく同意です」と述べられています(「沖縄基地のこれだが」『 finalventの日記』様)。
 嘉手納飛行場は、その特性上、在日米軍があろうがなかろうが、日本国、ひいては沖縄自身にとっても、枢要な場所です。そこで、「平時にはハブ空港として使」い、「有事にはきちっと軍事に使えれ」るようにするわけです。嘉手納の空軍の移設場所については、新しくない方の千歳空港(北海道)の民間機部分を使用し、「6時間以内に戻って来られる有事協定」を結び、米国に認めさせます。「早期警戒管制機(AWACS)や海兵隊の空中給油機12機は岩国(山口)に移る。嘉手納には空軍のKC-130とKC-10は合わせて15機いる。これを千歳にもっていく」と考えています。
 著者のハブ空港への構想は、「地元が同意すればだが、キャンプ・シュワブには、4000㍍クラスの滑走路をもつもの、あるいは3000㍍2本ぐらいあるものをつくりたい。アジアの高段階整備の拠点にすれば、それだけで航空宇宙産業や関連産業の大規模な展開や大学などの教育機関の誘致も期待でき雇用の確保と人口増が実現できるだろう」というものです。
 ここまでは、見てみると、ほとんど、96年の議論と変わっていません。
 ただし、懸念材料もありました。当時(04年)に、「中国原潜の日本領海侵犯事件以来、米国が海兵隊地上部隊の即応後方配備をノーという可能性が高くなった。台湾をめぐって緊張が高まっていて、台湾に対する弾道ミサイルと巡航ミサイルを使った政治・経済・軍事の中枢に対する「断頭」攻撃と特殊部隊の急襲に備えたいということが理由」で、「沖縄の海兵隊地上部隊は、何が何でも後方配備したくないという姿勢」だったそうです。これについての見解は「その辺をどうするかということは日本側の交渉能力だ」としています。

■2010年度の普天間基地問題解決案■
 2010年においても、あまり中身は変わっていないようです。しかし変化もあります。同じ著者の『この1冊ですべてがわかる 普天間問題』(2010年)を見てみましょう。 
 前提として、本格的な移設先が決まるまでは、固定翼機・ヘリは仮の移駐先を決めて設置し、普天間を現行の「危険な状況」から逃れさせる必要性があると、説かれています。仮の場所として、固定翼機は岩国か嘉手納へ、ヘリはキャンプ・シュワブか、キャンプ・ハンセンへ移設することをお考えのようです。
 そして、①キャンプ・ハンセンに普天間程度のレベルの海兵隊用飛行場を設置する、②嘉手納基地はハブ空港化して、③キャンプ・シュワブに軍民共用空港を建設する、という案です。これらについては、あまり変わっていません。
 そして徐々に、時間をかけて着実に、米軍基地の返還と整理・統合・縮小を目指していくわけです。そこまでの道程(ロードマップ)を日本政府がきちんと作成した上で、です。そして日本政府は、そのロードマップを実行していくことを、沖縄と米国に約束せよ、というのです。これもこれまでの議論を踏襲しています。
 著者は一貫して、日米地位協定の改定と、沖縄の経済的自立のための政策についても、言及しています。
 しかし、見当たらないものもあります。海兵隊の「即応後方配備」です。

■海兵隊の「即応後方配備」の行方■
 著者が、2010年版において、「即応後方配備」を前面に押し出していないのはなぜでしょうか。海兵隊の航空部隊はともかくも、地上部隊は全て後方配備できないのでしょうか。
 重要な点は、これが2006年のロードマップ合意の後の事柄だということです。この合意では、第3海兵機動展開部隊のグアムへの機能一部移転が、日本側も負担を負うことと、普天間の代替施設を提供することを条件として、約束されました。
 著者の当初の計画は、海兵隊陸上部隊の全国外移設でした。しかし、このときの合意で、それは叶えられなくなりました。【グアムでは収容能力に限界があり、どうしても他の地域へ舞台を回すほかない。もう米国領に置けないとすれば、日本国内だけだ。】おそらく、このように考えたと思われます。
 また、著者は、さらに二つの点に言及しています。①ヘリ部隊と地上部隊との共同訓練の必要上、二つは隣接した形で移設されることが望ましい、②台湾や韓国に対するミサイル攻撃や特殊部隊による攻撃(「斬首戦略」)も懸念され、これに即応する必要がある。【①を行うには、二つの部隊は隣接せねばならず、しかも、斬首戦略に即応するには、海兵隊の部隊は沖縄にいた方がいい。】以上のように考えたのだろうと思います。
 そして、これらを総合した結果、普天間の代替としてのキャンプ・ハンセンに海兵隊の部隊を存置させる方がよい、と考えたのだろうと思います。

■海兵隊の県外移設の可能性と、斬首戦略の問題■
 グアム移設において、グアムに収容するのには限りがあるから、日本国内に部隊を置かざるを得ないというのは、首肯可能です。しかし、なぜキャンプ・ハンセンに駐留なのか。海兵隊のグアムへの一部移設によって、沖縄の負担が抑制されることは喜ばしいことですが、県外への部隊移転では本当にいけないのでしょうか。
 【①ヘリ部隊と地上部隊との共同訓練の必要上、二つは隣接した形で移設されることが望ましい】、というのは、重要ですが、必ずしも絶対事項ではありません。【②台湾や韓国に対するミサイル攻撃や特殊部隊による攻撃(「斬首戦略」)も懸念され、これに即応する必要がある。】というのにしても、2005年から五年間で、飛躍的にヘリの速度が上がったなど聞いたことがありませんし、著しく中国の特殊部隊が増強されたとも考えにくいのです。中国軍の近代化ということを懸念した可能性もありますが、ミサイル攻撃の質量が5年間で急激に増強されたとは考えにくいのです。
 とすると、県外移設の考えは、著者の事実認識の変化によるものではないと思われます。つまり、5年間で事態で変わったから、著者の考えが変わったとは考えにくいのです。とすれば、この著者の「転向」は、海兵隊との交渉の都合上の問題、と考えるべきでしょう。
 【沖縄に部隊を置いておかないと海兵隊が納得しない。グアム移設で沖縄の負担は軽減されるから、今回はこれで妥結すべきだろう。】おおよそ、このような考えなのだろうと思います。
 著者は以上の案を、あくまで「一案」であって、沖縄、米軍、日本が納得するないようであれば、別解でもよい旨を記しています。また、情勢の変化、各国の交渉によって、沖縄から基地をなくしていく方向性を著者は示しています。だから、2010年の案はあくまでも、最初のステップとして考えるべきなのでしょうし、それであれば、納得のいくものでもあります。
 そこで、次は、キャンプ・ハンセンに作る基地は存続させつつ、部隊だけは県外移設させる可能性を探りたいと思います。

■まとめ■
・1996年の小川の普天間基地問題解決案は、海兵隊の部隊自体は「アメリカの領海」に戻して、基地は現状レベルで空けておく。有事の際は、基地に戻す、という方法でした。
・2010年時点で、この考えには変更がありました。
・小川の当初の計画は、海兵隊陸上部隊の全国外移設でした。しかし、2006年の合意のあと、小川は普天間の代替施設に、海兵隊の一部を駐留させることを許容します。
・小川の「転向」は、軍略的に必要だからというよりも、米軍(の海兵隊)との交渉を円滑に進めるための都合上の問題、と考えるべきでしょう。

(続く)
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