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検閲する側の苦悩と、検閲される側のお気楽 -占領期メディアの"逆説"をめぐって- 有山輝雄『占領期メディア史研究』(3)

 続きを書くよう要請があったので、書いてみました。短いですが。


■宣伝記事「太平洋戦争史」が、弁護したもの■
 江藤の「太平洋戦争史」(全国の新聞紙上に連載された、GHQによる"宣伝記事"のこと。詳細はググってね)に対する見方に対しても、著者は"異論"を出しています。
 江藤は「太平洋戦争史」が 「戦後日本に歴史記述のパラダイムを規定」 したといいます。"軍国主義日本は悪玉"という"戦後史観"の事を指しているのでしょうね。
 それに対して著者が着目するの別の所です。
 例えば、「太平洋戦争史」は、真珠湾攻撃は天皇の意思ではないし、戦争の決定的段階で天皇は何も知らされていなかったという、天皇の免責を強調しています。
 また、当時の日本人が反発を感じるほどに毒々しく戦争の"真相"を暴露している一方で、

国民と天皇は「軍国主義者」によって「真実」を「隠蔽」されていた被害者として責任を免除する回路を用意

していました。
 無論、被害者として免責されたのは、メディアまた同じです。江藤の主張とは異なり、この"宣伝記事"は、免罪符ともいうべき役割を担ったのです。


■検閲する側が悩む傍で、検閲される側は"お気楽迎合"という構図■
 当時占領軍において、検閲に対して責任を負った組織は、CIS(民間諜報局)と、CCD(民間検閲支隊)でした。後者がGHQの管理下にあった組織です。これらの組織は、自分達の行う検閲が自由化政策と矛盾することに十分意識的でした。
 実際、例えば、苦悩の末にCCDは、検閲を治安維持と情報収集の目的を限定することで、何とか言論の自由との矛盾を調整しようとしました。あくまでも自分達の検閲は思想取締りなどではなく、自由主義的なものであるとみなしていました(231頁)。そう自分たちを納得させようとしました。彼らなりに苦悩はしていたのです。
 実際、基本的にCCDの検閲は、治安維持と情報収集に即したものであり、思想宣伝とか思想殲滅とかいったものに即したものでなかったのは確かです。(しかしもちろん、占領政策の変化によって、その運用が変化していったのは否定できない事実です)
 しかし一方で、こうした検閲する側の、内部矛盾による自己抑制的な姿勢が、日本の既存マスメディアの体制を温存させる大きな要因となりました
 当時の日本の新聞社は、ゲラ提出に伴う手続きについて質問したのみであって、何が検閲に抵触するのか、そもそも何故検閲などするのか、といった発言は、全然していなかったのです。あくまで検閲への順応に専念しました。
 戦中の姿勢と同じです。戦中、内務省や情報局に従順かつ迎合した新聞社は、占領期に、占領軍の検閲にもしっかりと迎合しました。
 結局、米国の方がむしろ、自分たちが行う検閲の"悪"に相応に苦悩し、一方、日本側のメディアは、戦前から継続して検閲を苦悩もなく受け入れていたようなのです。
 以上を考える限り、"閉ざされた言語空間"という件は、占領した側の問題というより、された側の戦前からの方針のほうに、大いに問題があったと思わます。まあ、このこと自体は、江藤著出版当時から言われていたことでしたけどね。

(終)
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