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とりあえず、京の都は「日本的」ではないよね、みたいな話 -渡辺浩『日本政治思想史』について-

 渡辺浩『日本政治思想史』を読んだ。
 かなり面白い。
 過去に著者が行ってきた講義が原型となっているためか、初心者にもわかりやすく(こっちは初心者ではないが)、江戸の政治思想(政治だけではないけど)が、よく理解できる良書。
 江戸期の「思想」が現代人にとって奇異なものではなく、ちゃんと相応に納得できる部分があることがわかる。

 以下、興味のあるところだけ。



 それぞれに自分らしく生きることが、それ自体として良いことだなどとは、儒学者は考えない。(略) ヒトラーがヒトラーらしく生きたことの結果を知らない者がいるだろか (16頁)

 これは、儒学の説明において述べられた一節。

 自分らしく個性を生かそう、という場合、たいてい善いところしか想起されないが、個性は、必ずしも善いところばかりではない。
 とうぜん悪いところは矯正しようとするだろう。

 とすれば少なくとも、何らかの「善」を想定せざるを得ないのは確かだ。
 人に共通するような「善」を想定せざるを得ない、というのが、儒学から学ぶべき(最小限の)主張だろう。
 (問題は、何が善か、悪か、という話なのだが。)

 なお、儒学において、人らしさの基本原則は、「道」と呼ばれる。
 そして、その歴史的条件に応じた具体化として、個々の「礼」があると考えられている。



 「イエの親は必ずしも実の親ではない。婿養子や嫁にとっては、両者は異なる。その場合、当然、現在属するイエの親への『孝』が優先する。」
 「石田梅岩 (略) が、弟子に、もしも実父が養子を殺したら、養子としてどうすればよいか、問われたことがある。その答えは、(略) 心情的にはつらくても、善き社会人としては親殺しをすべきだというのである。」
 「譜代の武士ならば、主家に『忠義』を尽くすことが『家業』であり、つまりそれがイエのためだった。 (略) 武士組織の極端な腐敗を阻止した一因であろう。」  (以上79、80頁) 

 
 なぜ、忠孝のうち、日本では前者が優先されるのか、の話である。

 中国の儒学の場合、孝の方が最優先である。
 それは本書のほか、島田虔次『朱子学と陽明学』とかを読んでくれれば分かる。

 で、日本の場合、忠の方が優先される。
 血族のつながる親ではなく、「イエ」を優先すべし、というのが、日本の社会の特徴となっているからだ。

 そして「イエ」(御家)優先であったがゆえに、血族による縁故主義が蔓延りにくかったのである。



 朱子学は、こうして、この世を超える超越者も、いかなるあの世も信ずることなしに、専らこの世に内在しつつ、存在・人間・統治のすべてにわたる見事に一貫した体系を構築し、実践を迫った。 (133頁)


 こういわれると、朱子学って、実はすごい学問なのだなあ、と思う。
 詳細は本書をあたってほしいが、ここまでの思想的体系性は、現代ではたぶん不可能だろう。
 それくらいすごい。



 天下の人心が統治者から離反するならば、天下の人が湯王・武王となって、放伐してかまわず、そうすべきなのである。仁斎が『俗』に従えというのは、いかなる時でも柔和に従順であれということではない (151頁)


 仁斎学の知られざる一面である。
 もし、天下の人心が離れたら、政府を打倒しても別にいいよ、という論理を述べているのである。

 実は仁斎学はただの処世術ではなく、過激さをも孕んだ学なのである。



 平安京の、王宮を北に置き、正確に東西南北に直線道路が走るという都市プランは、典型的に中国的であり、京都を『日本的』な都市の代表のように思うのは錯覚である。城下町こそが、『日本的』である。それ故、地方の城下町を『○○の小京都』などと呼ぶのは幾重にも誤謬である。 (215頁)


 言われてみるとそうだよな、うん。
 実際、ある江戸期の儒者が京の都を「中華」の都市として考えていたことも、本書で触れられている。
 


 徳川中期以降は、百姓は商人との売買も盛んにしている。 (略) そこで、商人が独占的な特権(「株」)を許されて百姓にとって不利な売買をしているとなれば、関係する村々が連合して訴願することもあった。文政六年(一八二三)には、綿問屋停止を求めて摂津・河内の一〇〇七の村が一致して大坂町奉行に訴願したという。(略)数え方にもよるが、九〇件近くの例があるという。電子メールもパソコンも無しでそれを組織する高度な社会的技術を、村人たちは持っていたのである。 (242頁)


 ネットもないのに、既にこれだけのことができたのである。
 今の労働者も、これぐらいのネットワーク性を発揮できないものか。

 ところで、当時パソコンも無しに、どうやって、伝達しあっていたのだろうか。
 伝書鳩か(違 。



 現代の儒教的な掟・仏教的な習俗にも恭しく従うのが『古の道』である。(略)仏教の虚妄を重々承知の上で、仏壇に手を合わせ、法事もしきたり通りに催す。それがかえって『古えの道』に沿っていることになるのである。実際、彼の家には大きな仏壇があった。 (271、2頁)


 これ、実は、本居宣長先生についての説明である。

 彼は表向きは、世間に順応して生きたのである。
 その内心に、ファナティックな思想を隠して、である。
 このイロニカルな生き方は、まるで、隠れキリシタンのようだ。

 彼の墓も、実は二重仕掛けになっている。
 詳細はウェブで検索してくれれば分かるが、彼の世間向きの顔と裏(古学者)の素顔との使い分けは、墓にまで及んでいたのである(本居家の菩提寺の「参墓」と、彼の"本当"の「奥墓」の対比)。



 儒学的教養の浸透の結果、今や、実力による制圧と土地の給付(「利」!)による主従関係よりも、官位授与による君臣関係こそ「義」だと、往々信じられたのである。自前の正統性理論の構築をしなかった公儀は、正面からそれを決然と否定することもできなかった(新井白石のように、『古代以来の天皇の王朝は滅亡した。徳川家は直接に天命を受けており、その徳川家が北朝を『共主』として戴いているのだ』という歴史と正統性との解釈をとっていれば、この窮地には陥らなかったであろう)。 (391頁)


 なぜ、江戸幕府は崩壊したのか、の理由の一つである。

 うん、どうみても、公儀(=幕府)が悪いw



 『立身出世』の可能性がほとんど無かったのが、下級武士である。彼等の大多数はそもそも意義を実感できるような仕事はしていない。武勇も才能も、活かす機会は無い。内職に出精して手間賃は増えても、武士としての出世は無い。努力のしようさえ無いのである。 (309頁)

 

 ペリー以降の動揺と瓦解の主な駆動力は、既存の体制内で鬱憤を募らせていた武士たち、とりわけ下級武士たちの、自己と他者の改革と破壊への衝迫であろう。 (略) 新政府の構成が示すように、これは、主に下級武士による革命だった。 (401頁)


 町人や百姓に比べて、時代を経るごとに立身出世の道が狭くなる下級武士。
 不満は募るばかり。
 彼らの不満、これこそが江戸幕府を倒す原動力となったのである。
 もう、こんな下級武士として生きるのは嫌だ、こんな生活いやだ、とにかく世の中変えたい、と。

 こう考えると、維新が起こらない方がおかしいような気もしてくる。



 

 太陽の女神のお告げといっても、耶蘇の話ほど荒唐無稽でもあるまい。『文明国』にはそういうものも必要なのだ。おそらく彼は、心中、そう思っていたのである。 (419頁)


 伊藤博文に関する説明である。
 「太陽の女神」とはアマテラスのことであり、大日本帝国(憲法)にある天壌無窮とかの話をしている。

 キリスト教に比べたら日本の神話なんて荒唐無稽じゃないし、でも、文明国はみんなそういう「宗教」ってやつがあるんでしょ、みたいなノリである。
 こんなノリで「国家神道」を枢軸とする宗教体制を作り上げたのが、大日本帝国だった。

 西欧諸国の場合、国によって様相は異なれども、教会(カトリックなど)と世俗勢力(国家その他)の戦いの中で、少しづつ「世俗化」を果たしていくというのが大まかな流れだ。
 だがしかし、そうした背景を考慮せずに、その歴史的文脈をうち捨てて、宗教を作成ないし再編成して、これを導入しようというのは、いつかボロが出る。

 そしてボロが出た。
 (この大日本帝国の結末については、御存知の通りだ。)



 真理が一つなら、学派としての政党も絶対に複数である必要は無いことになる。 (略) 理義への強烈な信念は、必ずしも『多事争論』や多元性の愛好とは結合しない。時には、真理を体現する一派の支配を理想とするような言さえ彼に吐かせたのである。 (468、469頁)


 中江兆民の話である。
 ルソーの後裔としては、こうした考えが現れ出るのは、無理なからぬところである。

 ルソーの場合、議会という各階層・各団体の利害調整の場には比較的否定的であり、それよりも「一般意思」による全体の一致を目指していたが、このような思想的傾向を、兆民も継いだのである。
 ハンナ・アレントが否定しそうな思想である。



(未完)
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