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社会保険と労働時間 -ベーシック・インカムを唱える前に- 濱口桂一郎『新しい労働社会』(5)

■ベーシック・インカムと、労働における「承認」の側面■
 著者は、労働を社会からの承認を受けるのために必要なものと考えています。そのため、社会的承認の機会を奪うベーシック・インカム論には否定的です。曰く、「怠惰の報酬を社会一般に要求するならば、それは直ちに怠惰ではなくても無能であるがゆえに社会から排除されることの報酬に転化してしまうと思っています。そしてわたしが「いけないこと」と考えるのはそういう社会的排除の正当化です」。(「攝津正さんの拙著に触発された感想」『EU 労働法政策雑記帳』様) 。「働かない=無能者」というレッテルによって、「class 階級」を顕在化させたくないというのが、意図のようです。
 もっと端的には、「働くことが人間の尊厳であり、社会とのつながりであり、認知であり、生活の基礎であるという認識であろう」と著者は述べています(「働くことは大事である。だからこそ働くことを報酬にしてはならない」『EU 労働法政策雑記帳』様)。①社会的な承認のため、②生存のため、どのみち問われるのは、「働かないで社会で生きることは許されるのか」、という問題です。萱野稔人は、「労働にはこうした承認の次元が含まれていることで社会と深く関ることができるのですがベーシックインカムはそれを断切ってしまう」と述べているようですが、その言葉は、上の認識を追認するものです(「maturiのブックマーク」『はてなブックマーク』)。
 労働における「承認」の側面を傷つけずに、我々の人生をよりよくするいい方法は無いでしょうか。これについては、最後に書きましょう。

■ベーシック・インカムは、貧乏人に冷たい?■
 もちろん重要なことは、ベーシック・インカムの条件が、「年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業を廃止する事」を前提にしてしまう点です(「ベーシックインカム」『Wikipedia』)。ベーシックインカム論とは、急場において困った人を事実上「放置」する制度でもあります。経済的に個人一人ではまかなえない場合、その人の負担は過重になります。
 保育施設とか学校等のインフラや、そのサービスに携わる能力ある人員等、市場経済においては採算が取れないサービスなどは、どうするのでしょうか。特に医療の場合、どうしてくれるんでしょうか。寄付?まさか。
 少なくとも、貧乏人にはリスクが高そうです。ベーシック・インカム論というのは、財源も問題にされますが、もしこのまま「年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業を廃止」してしまうのなら、随分冷たい制度となります。これに賛成される方は当然、これらの難点を踏まえた上で、ベーシック・インカム論を主張せねばなりません。
 たぶん、NPOと寄付によって、何とかされるのでしょう。しかし合衆国的な「世知辛い中での互助の精神」を、どうやって日本で構築されるのか。教会のような互助の精神を支える組織が無い日本で。(注1)疑問です。知ってる方はおしえてください。

■負の所得税の検討をする前に、英国労働史に学ぶ■
 「ベーシックインカムとまではいかなくても、給付付き税額控除とか負の所得税とか社会手当とか、いろいろ方法はあると思います」と宮本太郎氏がおっしゃられているように、他に最低限所得保障の方法はあるわけです(「宮本太郎『生活保障』-ちょっと難しすぎるという人のために」『ブログ・プチパラ』様)。
 しかし、これらの制度を推進するには、壁もあります。「19世紀イギリスのスピーナムランド制度は負の所得税の近いが、その経験が示しているのは、経営者による安易な賃金切り下げや解雇が横行してしまうことである」。(「「負の所得税」批判」『毎週評論』様)。
 これは、権丈先生も指摘されています(「勿凝学問237 いま流行りの給付付き税額控除とスピーナムランド制度というまずい政策」『勿凝学問』様)。経営者がピンはねしちゃうぞ、というのです。実際、労働者たちは、反動的な新法により苦しめられます。先生は、制度設計するなら、インセンティブに気をつけて、と教訓を述べてます。
 それならば、労働者たちを救ったのは一体なんだったのか。先生曰く、社会保険でした。ロイド・ジョージが、苦しむ労働者たちのために、「国民保険法(健康保険と失業保険)」を制定したのです。失業保険に関しては世界初の制度です。ありがとう社会保険。
 「イギリスは、古くから「友愛組合」という名の共済組合が発達しており、労働者の生活もわりあい恵まれていた」という点も重要です(「社会保険」『Wikipedia』)。しかも遡ると、「協同組合(消費者の利益を守る運動が中心) 友愛組合(同じ労働者で掛け金を出し合い疾病、年金の対策)労働組合(労働条件の向上と掛け金からの相互扶助)が誕生してくる。」とあるように、同じ頃に、相互扶助によって消費者と労働者の権利向上を目指す団体までも、生まれてきたわけです(「介護福祉士・社会福祉士が覚える歴史」『介護福祉士・社会福祉士の受験対策』様)。
 もし歴史に学ぶことを重視する方がおられるのなら、ベーシック・インカムとかよりも先に、「協同組合(消費者の利益を守る運動が中心) 友愛組合(同じ労働者で掛け金を出し合い疾病、年金の対策)労働組合(労働条件の向上と掛け金からの相互扶助)」のことを再考すべきかもしれません。しかしそもそも、こういう「介護福祉士・社会福祉士」には常識的な事柄を踏まえた上で、ベーシック・インカム論は論ぜられているのでしょうか。

■労働時間削減という、より現実的な「夢」■
更に歴史に学ぶなら、やるべきことはまだあります。ベーシックインカムによって、「労働は、最低限度の生活を起始点として、必要な分だけ賃金を得る方式であるという考えがある。この前提では仕事と余暇の割り当てを自由に行えるという点から、多様な生き方を認めるという思想とも取れるという意見がある」のですが、その前に、労働時間を減らすこと、考えたことありますか?(前掲「ベーシックインカム」『Wikipedia』)
 すでに、(1)で論じたとおり、著者はEUに倣い、労働によって人が死ぬことを非常に懸念しています。この方向は無論、正しい。どうせならもっと、労働時間を減らしてみるのはどうでしょうか。思い切って。もちろん、それで生活がまかなえるのか、とか、国内GDPが減る、などの反論は予想されます。
 ただし、ためしに英国の歴史に学ぶなら、「1840 平均的労働者 イギリス 3105~3588時間」だったものが、「1987 平均的労働者 イギリス 1949時間」になっています(参考「昔の人の労働時間はどのくらいですか?」)。技術革新とか、植民地から収奪した富とか、そういうものが関係するのは当然のことです。しかし、これらの変化が、労働組合などの活動によって、そして彼らを背景とした政治的潮流によって成功したことは言うまでもありません。目標として、やってみる価値は十分あります。(注2)
 現実的には、ベーシック・インカム論よりも、労働時間削減の方が、歴史的には容易です。まずは、本書第1章を読み、「一日最低連続一一時間の休息期間くらいは、最低限の健康確保のために導入を検討してもいい」と唱えることからはじめてみればいいのではないでしょうか。まずはこれが前提です。それから、労働時間のいっそうの削減のために、働きかけてもいいはずです(まずは一日7時間労働にしてみましょう)。(注3)
 労働時間の削減なら、労働の「承認」の側面を傷つけずにすみます。意外に、あまりこういう主張は無かったと思います。労働の破棄は無理でも、その時間の削減ぐらいは考慮されてもよいのではないでしょうか。どうせ夢を見るのなら、比較的叶えやすい現実的な夢を抱いてみたい、などと思うのです。

(続く)


(注1)「日本では企業の社会活動の伝統もなければ、NPOの力量も依然として非常に脆弱であり、その運営費はほとんど税金による支援である。そもそも日本では、NPOの大前提となる寄付文化が皆無に等しい」という、「ベーシック・インカム的な福祉国家の可能性」(『毎週評論』様)もご参照ください。

(注2) 「全員総出でサービス残業なければ競争力を維持できないような企業こそ淘汰され、単位時間当たりの生産性が高く、競争力を持つ企業を支援し労働者を吸収させるという方向性もあるのではないでしょうか」と、「本気でサービス残業を無くすためにすべきこと」(『keitaro-news』様)という記事は主張しています。
 拙稿は、このような主張を支持します。そして、労働者へのダメージを最小限にする形で企業の淘汰を進めるためにも、拙稿(3)で述べた「生活保護制度の見直し」が必要だと考えます。

(注3) 著者は、「島田陽一先生の「正社員と非正社員の格差解消の方向性」」(『EU 労働法政策雑記帳』様)において、「日本の正社員が諸外国に比べて異常なまでの長時間労働を強いられている一つの原因は、時間外労働の削減を雇用調整の手段として活用するという確立された規範にあり、そのため、いざというときに削減できるように恒常的に残業するという行動様式が一般化した面があります。」と述べています。
 本稿にて主張した、労働時間削減の実現のためには、やはり(2)で指摘した日本的雇用慣習の見直しが必要のようです。具体的には、①家族の扶養や医療・福祉を、企業の賃金ではなく、社会全体で支えるようシフトすること、②雇用調整をしやすくする代わりに、失業中からでも「再チャレンジ」可能な制度を構築すること、少なくともこの二つが挙げられます。詳細は、本書をご参照ください。


(追記) よく考えたら、1日七時間労働ということは、1日一時間休むわけですから、週にして約五時間、月にして約二〇時間、年間約二四〇時間になります。二四〇時間を、1日八時間労働分に換算すると、30日間の休暇と同じことになります。実にバカンス並。
 蓋し、労働時間削減よりももっと現実的な方策として当然、有給休暇取得の向上を、まず提起すべきでした。まずはこちらを先に目指しましょう。
 ただしこの世界には、「日本は有給は取れませんが祝日が多すぎます」などという主張もあります。そんな御仁には、次の反論が有効です。「日本に真の意味でのワークライフバランスは訪れるのか? 」という記事を使いましょう。
 曰く、「「祝日が多い日本は休み過ぎ論者w」はちらほら見かけるけど、せいぜい日本の方が5日くらい多いだけだぞ(2010年の祝日は日本15日、シンガポール11日、西オーストラリア州10日)。たかが祝日が5日多い代わりにサビ残、休日返上当たり前、1日で1.5~2日分も働かされるような劣悪なクソ労働環境が横行してる」とのこと。
 「休む日=頭を冷やす日」であることを、「日本は有給は取れませんが祝日が多すぎます」と主張する御仁に、教えてあげたいものです。

(更に追記) 
 そもそも、「管理職の権限はマネジメントの為にあるのです。うまく人を裁けないなら管理職失格」なわけです(「なぜ、だれも休むことができなくなるのか」『keitaro-news』様)。この問題の責任の一端は、管理職が負う必要があります。それを踏まえて、この問題は論じられるべきでしょう。
 「休まず働くことが競争力という人もいますが大きな誤解です。多くの時間にコミットする日本の労働体系は効率が落ちにくいブルーカラーのみ適応されます。頭脳労働のホワイトカラーには適応すれば、やらなくても良い仕事を増刷し、非効率に陥り生産性は極端に落ちることにつながります。」というお言葉も重要です(前掲より引用)。休まず働けば何とかなるという20世紀以前の思想は、考え直す必要があるのです。

(もっと追記) ベーシックインカムと生活保護などの手当ては、決して対立するものではなくて、両立するものです。宮本太郎氏もいうように、「就労所得を引き上げるアクティベーションと並行する形で、給与比例型の保障と底上げ型の所得保障とを連携させていくことが重要です」(「生活保障の再生とアクティベーション」『RIETI』様)。

コメント

BIと承認について

はじめまして。
労働と承認の問題について考えると、想いがいっぱいいっぱい溢れてきます。
うまく言葉がまとまっているかどうか分かりませんが、今の一つの思いを書いてみました。
よかったら読んでみて下さい。

◆ ベーシックインカムと承認問題について─

その一
http://utun.jp/ueL

その二
http://utun.jp/unw

Re: BIと承認について

頼んでもいないのに、コメントありがとうございます。

> みなが何が何でも働くというのではなく、働かないでも生きるというライフスタイルの人がBI実現後、巷にあふれ出してきた時、それを察知すれば、おのずと働かないことの自責から解放されていくのではないだろうか。昼間ぶらぶらしていても誰も不思議に思わないそんな日常の光景が、ひきこもる理由を徐々に解体していくと想像する。

 出来れば、詳細な実例を紹介願います。「想像」以外のものが欲しいです。がんばりましょう。
 
>ベーシックインカムは、自分の居場所や承認を、「仕事をしている・いない」 ということのみに求めない、そんな社会を目指すものではないかと思っています。

 目指すのはいいのですが、目指すまでの道のりが不確定です。
 「あんまり働かなくてもいい世界」とかいうなら、考慮してもよいですが。一応、こちらの論は、そういう内容なのですが。

>働いていないのに、職に就いていないのに、ちゃんと居場所があり、承認されていたのです。

 「リン鉱石による収入で非常に豊かになり、国民のほとんどは働かなくても贅沢な暮らしが出来ていました」ですか。そのためには、リン鉱山が必要なのですね。国内中、頑張って探してください。

>働かないことが当り前の社会では、「働いていても、働いていなくても」 そういうこととは別に、居場所や承認があるのではないでしょうか。

 「承認」というのは、資源(生活を営むためのリソース)を再分配する際に重要な概念なのです。働かなくても、十分資源があれば問題ないですが、十分でない場合は、再分配されるのにもその人間には根拠が必要になります(というか他者に説明する責任が出る)。取り分をお互いが奪い合う関係になってしまうからです。承認とは、資源が全員にとって十分でないときに、必要な概念なのです。

>ベーシックインカムのある社会、基本収入のある社会というのも、そのような社会になるという可能性も、秘めているのではないでしょうか。
 可能性とかそんなことより、「出稼ぎの外国人」にもベーシックインカムを与えるべきでしょう。彼らが働かなくなったら、誰が働くのかは知ったことではありませんが。

 反BI論者には、以上の議論では太刀打ちできないでしょう。今後は練った立論を願いします。
 ありがとうございました。

Re: BIと承認について

こんにちは。

>出来れば、詳細な実例を紹介願います。

完全なベーシックインカムと言えるものは、まだどこの国も導入していないので、「これまでの実例」 はないと思います。
実例は、「これから作るもの」 ではないでしょうか。
そのためにBI賛同者の方々は頑張っておられると思います。

また詳細は控えさせていただきますが、近い実例としては、過去の自分の体験が部分的に当てはまります。
自分自身にそのような体験があるので、ベーシックインカムのことを初めて知った時から、これはぜひ実現させるべきだと思いました。

資源についてなのですが、何を資源として見るのか? ということもあるのではないでしょうか。
例えばベーシックインカムには 『過去と自然からの授かり物』 という考え方があり、社会信用論には 『文化的遺産』 という考え方があります。
これを資源として見るか、見ないか。

「承認」 に対する根拠・説明については、またこちらに書いてみました。
http://utun.jp/uPm

それでは。

Re: Re: BIと承認について

 コメントありがとうございます。

>>出来れば、詳細な実例を紹介願います。
>完全なベーシックインカムと言えるものは、まだどこの国も導入していないので、「これまでの実例」 はないと思います。
>実例は、「これから作るもの」 ではないでしょうか。

 別に、「完全なベーシックインカムと言えるもの」を期待しているのではありません。
 単に、ベーシックインカムに近い制度として、きちんと機能しているものがあれば、それでよいのです。そういう実例はありますかね。「これから作る」のは勝手ですが、ある程度のお手本ぐらいはあったほうがいいような気がします。
 あと、問いとしては、

・貴殿のベーシック・インカムは、「年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業を廃止する事」を前提にしていますか。NPOと寄付によって、何とかできると考えていますか。要するにベーカム以外の制度はどうすんのよ、と。
・「ベーシックインカムとまではいかなくても、給付付き税額控除とか負の所得税とか社会手当とか、いろいろ方法はあると思います」と宮本太郎先生もおっしゃっています。これじゃだめなんですかね。
・ベーシック・インカムより、労働時間を減らすとか、そういう漸近的な方法はダメですか。労働が苦痛から楽しみに変わるのが目的だというなら、そっちでもいいでしょ。
・宮本太郎先生も、「就労所得を引き上げるアクティベーションと並行する形で、給与比例型の保障と底上げ型の所得保障とを連携させていくことが重要」とおっしゃっています。この場合、高負担なぶん、最低限の福祉が全員に行き渡ると同時に、給与に比例して保障も増えるので、低所得者のモラルハザードも防止可能と思います(ただし、就労の圧力は相応にあるでしょうが)。こういう方法は検討されますか。嫌ですか。

 こんぐらいかな。
 あと、①ベーシックインカムとしていくら払われると思っているのか、②その財源はどう取るのか、③何故現物支給ではいけないのか、ここも聞いておきましょうかね。

>資源についてなのですが、何を資源として見るのか? ということもあるのではないでしょうか。
>例えばベーシックインカムには 『過去と自然からの授かり物』 という考え方があり、社会信用論には 『文化的遺産』 という考え方があります。
 
 「何を資源として見るのか」という議論を過去に遡るつもりは毛頭ありません。現在ある社会的資源(科学や知識、技術なども含む)は、過去の遺産ではあるでしょう。でもここでいう資源は「分け前」という問題だから、問うのはここだけです。真正面からこれに返答を願います。
 ここにいう「資源」というのは、例えば、カネ、食料、衣服、住居など。食料が足りない社会において、働いていない人間はいかにして、自分を社会の成員として認められるのか。貧富の格差がある社会で、富める者は、いかに貧しき者に分配することを許すのか。許されるのか。富める者が仮に、貧しき者が生きていくために最低限の生命維持のための給付を認めたとして、その格差がそのまま維持されることは許容してもよいのか。そういった、人間関係むき出しの利害という難事の上に、「社会的合意」・「承認」という語はあるのですが。
 分かりやすい問いを立てると、「何で働いていない奴のために、俺は働かないといけないんだよ」という問いにどう返答するのか、ということです。
 あとそれ以前に、もし働かなくていいなら、誰が食糧を生産し、誰が衣服を調達し、誰が住居を建設するのか。どう確保するんですかね。


>ベーシックインカムとは、すべての個人に、無条件で、生活に必要な基礎的収入を支給する制度です。

 外国人にも?日本在住の人には?在住していない人には?牢獄の中の人々には?と問いかけてみましょうかね。誰に、あげないつもりなのですか?足りますか?

>「人の役に立ちたい」 という想いは、すべて人が持っている。 すべての人の心の中にある。
>だとすれば、ベーシックインカムを受ける資格も、すべての人にあるのではないか。
>そのような考えに至りました。

 全ての人間が「人の役に立ちたい」という考えを持っていると仮定しましょう。
 で、「人の役」の「人」って誰ですかね。家族?友達?先生?同僚?仲間?誰か?
 ある人の「役に立つ」ことができたとして、それはその人以外の「役に立つ」ことなの?
 仮に、全ての人間が「人の役に立ちたい」という考えを持っていると仮定しても、それは大抵限定された存在であって(家族だけ、友人だけ、仲間だけ)、それ以外の人間の「役に立つ」つもりはないと思います。大抵は。まあ、いいや。
 で、本題。
 「「人の役に立ちたい」 という想いは、すべて人が持っている」というなら、まず考えるのは、全ての人がその精神を涵養できるような「しくみ」を作ることです。で、その「しくみ」がなんでベーシックインカムなのよ、という話です。
 「人の役に立ちたい」というのは、もっと突き詰めると、「他人に必要とされたい、認められたい」という承認の欲求そのものです。今村仁司先生の議論を思い出しますね。
 で、全ての人が「他人に必要とされたい、認められたい」という承認の欲求を持っているとして、なんでベーシックインカムなんですかね。別に別の方法でもいいんじゃないの? 全ての人が「他人に必要とされたい、認められたい」という承認の欲求を持っているので、社会はそれを助ける必要がある、程度の話でも構わないでしょうに。
 極端な話をしておくと、「他人に必要とされたい、認められたい」という承認の欲求を、仮に全ての人間が同じ程度持っていたとしても、現実において、他人に必要とされていたり認められている度合いは、人によって異なるでしょう。そんな時、「何で俺のような多くの他人に必要とされている人間が、あんな誰にも必要とされていないような人間と同じ扱いなんだよ」という疑念は生まれるでしょう(現にあるでしょう)。どう説得されるおつもりですかね。

 以上、取り留めない議論ですが、終わります。真正面からの返答をお願いします。

Re: BIと承認について

こんにちは。
お返事、ありがとうございます。

初めに、これからお話することは宗教 (キリスト教) にも関わることです。
もちろん、ベーシックインカムは宗教ではないし、宗教を毛嫌いする人もいるかもしれませんが、自分自身、キリスト教に触れたことのある者として、BIを考える上で、どうしても切り離して語ることは出来ないのです。
また、
>真正面からの返答をお願いします。

と頂きましたが、すみません。。
真正面から答えられるだけの、自分の考えや言葉はまだありません。
他の人の考えや、引用を利用した、いわば 「虎の威を借る」 的なお答えしか出来ません。

ご質問を頂いたように、ベーシックインカムには多くの課題があります。
その中で、個人的に、いちばん重要だと思っている問いは、

>分かりやすい問いを立てると、「何で働いていない奴のために、俺は働かないといけないんだよ」という問いにどう返答するのか、ということです。

>「何で俺のような多くの他人に必要とされている人間が、あんな誰にも必要とされていないような人間と同じ扱いなんだよ」という疑念は生まれるでしょう(現にあるでしょう)。どう説得されるおつもりですかね。

という問いではないかと思っています。
この問いに対して、説教や説得をして、納得してもらうことは非常に難しいのかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/20100525/p4
(コメント欄 参照してください。)

先に紹介した「承認」 に対する根拠・説明についても、個人的に得た回答の一つであって、いわば自己満足的なものなのでしょう。

>「何で働いていない奴のために、俺は働かないといけないんだよ」
という問いに対しては、イエス・キリストの語った 『ぶどう園の労働者のたとえ』 が、その答えのヒントを与えてくれるのではないかと、個人的には思ってはいるのですが、まだ答えは見つかっていません。

◆ ぶどう園の労働者のたとえ

 *  *  *  *
天の国は次のようにたとえられる。
ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。
主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。 ふさわしい賃金を払ってやろう』 と言った。
それで、その人たちは出かけて行った。

主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』 と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』 と言った。
主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』 と言った。

夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』 と言った。
そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。
しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。 まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

主人はその一人に答えた。
『友よ、あなたに不当なことはしていない。
あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
自分の分を受け取って帰りなさい。
わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。
 *  *  *  *

読んで頂ければお解りのように、 このたとえ話は、正確にはベーシック・インカムというよりも、参加所得に近い物語ですし、財源も 「神様」 なのですが、雇われた労働者の心情を察すると、かなり当てはまるではないかと思っています。

Google検索をしてみるとわかるのですが、そのほとんどが、朝から働いていた人を諌めるかの内容で、まるで朝からまじめに働いていた人達が悪いことをしているかのようです。
これでは到底納得出来ないのではないかと思います。

心情的に、これなら少しは・・・ と思えるものとして、次の2つがありました。
http://blog.nyumonkouza.net/?p=548
http://ax-1549-ax.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_8850.html

日本に限らずキリスト者の方々にはBIに賛同されている方もいらっしゃいますし、この問いについては、これからもっと一緒に考えて頂けるようお願いしようと思っています。

神の「差別」について -非キリスト者からの露悪的な意見-

コメントありがとうございます。

>もちろん、ベーシックインカムは宗教ではないし、宗教を毛嫌いする人もいるかもしれませんが、自分自身、キリスト教に触れたことのある者として、BIを考える上で、どうしても切り離して語ることは出来ないのです。

 それが、非キリスト者にも通じる議論である限り、まったく問題ないとおもっています。

>他の人の考えや、引用を利用した、いわば 「虎の威を借る」 的なお答えしか出来ません。

  「「虎の威を借る」 的なお答え」だろうが何だろうが構いません。天の下に新しきものがないと言うなら、旧きものを借用することくらい、天も拒絶はされないでしょう。たぶん。自分の意見など、既に誰かが述べたことの借り物にすぎない、というくらいの謙虚さはむしろ美徳でしょう。
 臆することなく、お借りになるべきでしょう。返せるかどうかは不明ですが。

>「何で働いていない奴のために、俺は働かないといけないんだよ」
>という問いに対しては、イエス・キリストの語った 『ぶどう園の労働者のたとえ』 が、その答えのヒントを与えてくれるのではないかと、個人的には思ってはいるのですが、まだ答えは見つかっていません。

 さっそく、深い考えもなく、『ぶどう園の労働者のたとえ』をヒントに露悪的に書いてみました。


http://blog.nyumonkouza.net/?p=548

>そうなのだ。この宴会の主人は実に寛大で、最後の者も、最初の者と同じように迎えてくれる。

 これだけ寛大なら、全ての人々は午後五時に来て、可能な限り働かないようになるでしょう。神は偉大です。

>午後五時に来た者も、朝六時から働いたものと同じように憩わせてくださる。

 「朝六時から働いたものも、午後五時に来た者と同じように憩わせてくださる」と変換できます。レッツ・アフターファイブ!!

>さあみんな、飽きるほどに食べなさい。子牛はまるまる肥えているではないか。
>この宴から、空腹で帰っていくものが一人でもいてはいけない。

 ならば、だれが子牛を育てたのですかね。この子牛に関する労働は誰によるものですかね。神よ、子牛を育てた人間にも、1デナリあげて。
 そもそも。キリスト教徒が貧しきものに喜んで与えるのは、その信仰心だとか、あるいは「同じ仲間」という意識があるからでしょう。逆に言えば、「同じ仲間」という意識がない人には、喜捨はされないでしょう。また、信仰心のない「不届者」は、そもそも喜捨しないでしょう。
 そいつが「仲間」と見なされないなら、誰が彼に喜捨するでしょうか。

>最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい

 最大の問題は順番ですね。なぜ、最初に来た人間から払わなかったのか。
 ほんのわずかにでも、働いた貢献順に差別化を図ることができれば、こんなややこしいことにはならなかったというのに。このような優先的に渡すという行為だけでも、もしかしたら、朝六時の人々は満足してくれたかもしれないというのに。
 それは、ほんの100分の1デナリでもよいのだし、ねぎらいの言葉に差をつける程度でもよかったというのに。重要なのは、差をつけること。たったほんのわずかにでも、差をつけることです。ひとは、それだけで満足するものなのです。
 神様、あなたは、人間のことが分かっていらっしゃらない。まあ、人間じゃないものね。しょうがないよね。


http://ax-1549-ax.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_8850.html

>『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。(略)
>自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
 
 そのとおり、雇い主との契約である以上やむをえない。ならば次以降の労働では、朝六時から働いた労働者は怠けてしまうでしょう。あるいは午後5時に来るかするでしょう。これもやむをえない。
 「自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえ」です。なら、ベーシック・インカムに反対する金持ちの意見は「当たりまえ」です。

>ぶどう園は神の国の象徴である。朝早くから雇われた労働者は、有能な労働者、パリサイ人であり、誰も雇ってくれるものもなく、仕事にあぶれていたところ、夕方の5時ごろに雇われた労働者は、多くの場合は特に能力もなく、また病人であり、老人であろう。彼らは罪人を暗示しているのである。

 ならばなぜ、神は、「有能な労働者」に対して、「病人であり、老人」を助けることの素晴らしさを教えなかったのか。それが大切だということを、説かなかったのか。「有能な労働者」自身の意思(を神が認めるかどうか分かりませんが)によって、「病人であり、老人」や無能な者を救うことこそ、素晴らしいことであるはずなのに。
 さらにいうと、貧しきものを救う、恵まれぬものを救うという公平を、なぜ「自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえ」という私欲によって、押し付けようとしたのか。
 神は、私利私欲にまみれているようにしか思えない、というのが、非キリスト者の結論です。さすが神様、自分ルールも許されます。

>雇われたものたちに対する主人の愛が如何に大きいものか、常識を超えた神の愛の深さを考えさせようとしているのであります。

 神は、「有能な労働者」の徳を育てることを放棄し、雇われた人間たちに、自分の大きさを誇示することの方を選択したのです。なんという顕示欲。「常識を超えた」だけあります。

>何故ならば、「愛」は全人格的なものであり、決して分割出来るようなものではないのであります。

 なるほど、神は偉大なのですね。でも、現代社会は、神を信じぬ不届者との共存が必要ですよ。「分割できる非人格的なもの」について、考える必要があります。

>夕方5時に雇われ、少しの時間しか働かなかったにもかかわらず、一日分の賃金を貰った労働者は、明日もこのぶどう園で働けると知ったならば、「よし、今日の分まで、明日は働こう。この主人のためにもっと一生懸命働こう」と思うであろう。
>一方、朝から一生懸命に働いたにもかかわらず、遅く来たものと同じ賃金(主人と自分の間で契約した額だが)を支払われた者たちは、明日も同じように働くならば、明日は遅く来て、ほどほどに働いておこうか、昨日はバカ正直に働いて損をしたと思うであろう。

 なるほど、神は差別を働いたのですね。「有能な労働者」を見捨て、「病人であり、老人」や無能な者をえこひいきしたのだ、と。今度のホームルームで取り上げます。テーマは「神の差別」についてです。

>このことは神(信仰)の世界だけの話だけではない、実生活の中でも、起こっていることであります。私たちも、心しないといけないことであります。

 心すべきなのは、神(=雇い主)の方です。「有能な労働者」が徳を積む機会を潰しやがったのですから。
 (ああ、もしかしてここにこそ、神への反逆の契機があったのかも。)

 以上、感想です。
 結局分からないのは。貴殿は何でBIを選ぶの?ということです。もう一回問いを立てると、

・「年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業」はどうすんのよ?
・「給付付き税額控除とか負の所得税とか社会手当とか」は検討しないの?
・ベーシック・インカムより、労働時間を減らすとか、そういう漸近的な方法はダメなの?
・「就労所得を引き上げるアクティベーションと並行する形で、給与比例型の保障と底上げ型の所得保障とを連携させていくこと」みたいな、高福祉高負担社会はダメなの?
・ベーシックインカムとしていくら払われると思っているの?
・財源はどう取るのよ?
・何故現物支給ではいけないの?
・ベーシックインカムは、日本在住の外国人にはあげるの?

 こんぐらいかな。こういう問いにちゃんと答えられたら、本物です。
 コメントありがとうございました。

社会信用論 (Social Credit) という考え方

こんにちは。
今回はBIに対して頂いている質問の中から、幾つかをお答えしようと思います。
ただ、数字・数学・経済のことはあまり詳しくありませんので、「こういう方向で検討して行けば良いのでは?」 と、今の時点で大ざっぱに感じていることを書いてみようと思います。

昨年、クリフォ-ド・ヒュー・ダグラスの 『社会信用論 (Social Credit)』 をBIとリンクさせた考えを、関曠野さんが講演会でお話されていましたが、この考えを基に検討を進めて行けば、BIの課題とされている幾つかはクリアされていくのではないか・・・ と思っています。

◆ 関曠野さん講演録:「生きるための経済」(要約)
http://bijp.net/transcript/article/39

◆ 関曠野さん講演録:「生きるための経済」(全文)
http://bijp.net/transcript/article/27

>・財源はどう取るのよ?

社会信用論に基づく場合、財源は税収ではなく、公共通貨 (政府通貨) によって国民にお金を配ることになります。
一般に良く、「政府通貨を発行するとインフレになるのではないか?」 という問いがありますが、こちらがその答えになると思います。

◆ 関曠野さん講演録・補遺:「会計」 から 「信用の管理」 へ
http://bijp.net/money/article/138

>・ベーシックインカムとしていくら払われると思っているの?

カナダで社会信用論の普及に努めていたルイ・エバンは、その著書 (1946年頃?) の中で、「今日に当てはめると少なくとも月間800$になるべきと考えて間違いないでしょう。」 と述べています。
また、同時に、
「食事制限状態から好きなだけ食べる状態へ移る際には、何らかの対策が必要なことは分かりますね。 回復特別食を経ることなく、不健康な食事から健康的な食事に、直接移行しません。 それ故、定期的な万民への配当の額は徐々に増やしてゆくのが賢い方法でしょう。」
とも述べています。
http://www.anti-rothschild.net/material/41_07.html#content_06

>・「年金・雇用保険・生活保護などの社会保障制度、公共事業」はどうすんのよ?

社会信用に基づくBIを配ったとして、これまで税収を基に行っていた社会保障の現金給付部分の、重複する部分は次第に廃止され、足りない部分は別途検討されることになると思います。

>・何故現物支給ではいけないの?

社会信用論の目的は、生産と消費を均衡させることにあります。 必要とされる現物支給は別途検討することになると思います。
またこれは社会信用ではなく、資源由来の給付制度になりますが、アラスカ永久基金は現金給付のみですが、モンゴルの人間開発基金は 「バウチャー的な配給 + 現金給付 という形になっています。

* モンゴル人間開発基金について
ttp://utun.jp/uSC
ttp://utun.jp/uSg

>・ベーシックインカムは、日本在住の外国人にはあげるの?

これについては皆で話し合って決める事柄だと思います。

またこれは、「世界規模のベーシックインカム」 というテーマにも繋がる問いだと思いますが、世界で一斉に 「せ~の!」 というやり方は難しいように思います。
それよりも、どこかの国が始めて、それを模倣・参考に、その国ごとの実状にあった方法で実施していく・・・ という過程で広まって行く方向性が高いのではないでしょうか。
(例えば、今の福祉制度が世界に広まったように、モンゴルの人間開発基金がアラスカ永久基金を参考にしたように。)

>・「給付付き税額控除とか負の所得税とか社会手当とか」は検討しないの?

社会信用BIであれば、その必要はないと思います。

社会信用論に基づくBIは、税収によるBIでは難題とされる点の幾つかをクリア出来る可能性を持っているのではないか・・・ と思っています。
また個人的なイメージとしては、資源由来のBIに少しだけ似ているのかな・・・ とも感じています。
http://bijp.net/transcript/article/27#chap016

以上、ほとんど 「虎の威を借る」 的な内容でしたが、より詳しい事は、もっと専門家の方に聞いて下さい。
(といっても、現代の日本で社会信用論を紹介されているのは、関曠野さんしかいらっしゃらないのが残念なのですが・・・)

最後に、ルイ・エバンの著書、『社会信用教本』 の翻訳を見つけましので、その中から一文を紹介します。

 ☆  ☆  ☆  ☆
現代世界では、誰もがなにからなにまで作っているわけではない。
お互いに販売しあうことが必要だ。
お金は売ったものと引き替えに受け取るもののしるしにすぎない。

他人が欲しいものと引き替えに渡すしるしなんだ。

富は事物のこと。
お金はしるし。
このしるしは事物の後についていかなくちゃいけないよ。

ある国で販売するたくさんの物がある場合、たくさんのお金も必要だ。
そうして物があればあるほど、お金は回らなきゃなんない。
さもないとなにもかにもが停滞してしまう。

いまある欠陥はそうした釣り合いがとれていないことだ。
応用科学や発見、機械の進歩のせいで、欲しい物はたくさんあるけど、多くのひとには手に入らないんだ。
多くの職業が無用で、無益なことをしているということ。
破壊するために雇われて仕事しているわけさ。

なぜならお金は、生産物を回すために作られたのに、生産物の間に関係をつける人々の手の中にあるのかい?
 ☆  ☆  ☆  ☆

社会信用論 (Social Credit) へ反論を試みる。

 またもや、コメントありがとうございます。早速。


>社会信用論に基づく場合、財源は税収ではなく、公共通貨 (政府通貨) によって国民にお金を配ることになります。

 なんで、インタゲ政策はダメなんですかね。この方法があるのに、政府通貨を発行するという理由が良く分かりませんが。
 別に普通のリフレ政策で十分だと思いますけど。

>カナダで社会信用論の普及に努めていたルイ・エバンは、その著書 (1946年頃?) の中で、「今日に当てはめると少なくとも月間800$になるべきと考えて間違いないでしょう。」 と述べています。

 なぜ、今現在の生活保護ではいけないんですかね。もちろん、現在の日本の生活保護制度に問題があることは承知していますが。
 普通に、生活保護制度の改善と、「給付付き税額控除とか負の所得税」などの組み合わせによって、何とかしてもいいような気がしますが。
 「就労所得を引き上げるアクティベーションと並行する形」でのベーシックインカムはいけないんですかね?

>・「給付付き税額控除とか負の所得税とか社会手当とか」は検討しないの?
>社会信用BIであれば、その必要はないと思います。
>社会信用論に基づくBIは、税収によるBIでは難題とされる点の幾つかをクリア出来る可能性を持っているのではないか・・・ と思っています。
>また個人的なイメージとしては、資源由来のBIに少しだけ似ているのかな・・・ とも感じています。

 「可能性を持っているのではないか・・・ と思っています。」とおっしゃるだけの羞恥心は、賞賛に値すると思います。
 紹介された玉虫色をして輝かしい「社会信用BI」ですが、恐ろしく胡散臭いものだというのが正直な感想です。「現代の日本で社会信用論を紹介されているのは、関曠野さん」しかいない状態が続く限り、一生、社会信用論は信用ないモノとして扱われ続けるでしょう。
 以下、経済学素人による突っ込みです。


http://bijp.net/transcript/article/39

>価格には銀行への返済や減価償却などの費用が含まれているのに、勤労者が雇用で得た所得は生産費用のほんの一部をなすにすぎない。ゆえに彼らは消費者としては企業が生産したものに見合うだけの購買力をもたない。こうして市場経済の現状では人々は所得不足、企業は販売不振に苦しみ、これは最後には恐慌に行き着く。

 どこからつっこめばいいんでしょう、この説明文。とりあえずこの説明を、他の(非マルクス主義系の)経済学者にやってみてよ。たぶん、スルーされると思いますが。
 とりあえず、「利潤」とか「貯蓄」の話は分かります?上のような理由で「恐慌に行き着く」ことはありません。せめてケインズからやり直しましょう。


>だから政府が自ら公共通貨を発行し、社会の潜在的な生産と消費の能力に即してそれを無利子か超低利子で融資すればよい。

 俺たちの政府がこんなに賢いわけがない。
 「社会の潜在的な生産と消費の能力に即してそれを無利子か超低利子で融資」する能力が政府にあります?


>かりに消費の低迷で経済に30パーセントの需要ギャップが生じたとすれば、それに等しい割合で小売価格を一律に引き下げる必要がある

 「消費の低迷で経済に30パーセントの需要ギャップ」ってどうやって計算するんですかね。
 あと、「等しい割合で小売価格を一律に引き下げる」っていいますが、モノへの需要ってモノごとによって異なると思うんですが。結局過剰に売れるものと、それでも売れないものに分かれてしまうと思いますけど。


http://bijp.net/transcript/article/27

>小売部門は売上伝票をとっておいて、国家は割り引きした25%の分を後で小売部門に対して補償します。だからダグラスはこのジャスト・プライスのことを補償される割引(compensated discount)とも呼んでいます。

 だから、「国家は割り引きした25%の分を後で小売部門に対して補償」したとしても、商品によって、受給は異なるはずなので、補償されて、かえって得になった人と、十分補償されていない人が出ると思います。
 仮に、商品個別にあわせて補償しようとすると、もう統制経済の出来上がりです。


>もともとインフレやデフレ、不況や恐慌は銀行が実体経済の生産や消費とは無関係に自分の都合でおカネを出したり引っ込めたりすることが原因で起きるものです。

 銀行悪玉論? 流動性の罠のせいだと思うけど。銀行に責任がないなんていわないけど、不況を全部銀行のせいにするのは、フェアじゃないでしょうね。


>企業は自分のところで働いている労働者に賃金を払う。勤労者はその賃金をもって小売部門に買い物に行って消費者になる。小売り段階で生産と消費が出会う。しかし勤労者に対しては国民配当が、月に10万なら10万出ています。その一方で小売商は衣料品を売りたいので、国立銀行から商品を仕入れるために1,000万円を当座貸し越しで借りるとします。そして衣料品をディスカウントした正当価格で売る。それから小売商は売り上げ金の中から無利子で借りた資金を銀行に返す。

 でも、売れ残るって発想、ここにはないんじゃね?売れ残るような商品は、この世にはあります。全部が売れるわけじゃないのだから、売り上げが満たなくて、当然借りた資金を銀行に全額返済できないことだってあると思うけど。
 すると、「借りた資金を商品に投資して販売→ 売れ残る →売り上げが借りた資金を下回る → 借金増幅 →また資金を借りて再度投資して販売 → またも売れ残り →・・・・」 という無限ループになってしまいます。
 もっとも、無利子なので借金自体は増殖しないで、元本だけ増えるでしょうが。すると、無利子なので永久に借金し放題です。でもこれ、大丈夫なんでしょうか。積まれていく商品の売れ残りと借金。政府が仮に、この借金を無償で肩代わりしたら、インフレになるんじゃないでしょうか。
 また、いつまでも借金で痛い目を見ずにすむのなら、結局販売者は、その才能を磨く機会がなくなってしまうのではないでしょうか。それは、社会の持続性にとって好ましいことなのでしょうか。


>販売部門に関しては売れば売るほど儲かるという商業の論理は否定されていません。ただ価格をつり上げることで儲けることが否定されている。このディスカウントによって消費と生産が均衡し、インフレが起きなくなります。

 借金から抜け出しやすいマイルドなインフレさえ、「インフレが起きなくなります」と否定されているのですが。
 ただ、「販売部門に関しては売れなければ売れないほど借金になるという商業の論理」は無視してよろしいのでしょうか。結局、借金を国が肩代わりして、政府が税金や国債以外でやるとなると、やはり政府通貨発行になるわけですから、結局インフレになるように思います。


>かりにどこかの自治体が橋をつくることになり、業者が入札するとします。A、B、C、Dという業者が入札して、Aが10億円で落としたとします。そこでAは国から無利子でこの橋の工事をやるための資金を融資してもらう。そして橋が竣工したら自治体がAに10億円を払う。Aはそれで当座借越していた資金を国に返済する。

 業者Aが、橋の建設に失敗したらどうなるんですかね?業者Aは借金を背負うことになります。

 そもそも、この世界観には、借金という概念が出てこないような気がしますが。
 正確には、「社会信用BI」の世界から借金という概念を追放しようとしているけど、到底追放し切れていないような感じです。

 以上、「売れ残り」と「借金」というこの二つの観点から、適当に書きました。

社会信用論について (補足)

こんにちは。
ダグラスの社会信用論について、少し補足させて下さい。

>「現代の日本で社会信用論を紹介されているのは、関曠野さんしかいらっしゃらない・・・」

と書きましたが、その関曠野さんの講演を聴いて後、その趣旨に概ね賛同されている方はいらっしゃるようです。
(ベーシックインカム実現を探る会代表の白崎一裕さんなど。)
(BIをマニフェストに掲げている新党日本の田中康夫さんもこの講演はお聴きになっていますが、社会信用論を十分に理解されているかどうかは疑問なのですが・・・)

また、社会信用論を好意的に紹介されているのは関曠野さんだけですが、中立~やや批判的~批判的? に紹介されている方として、ゲゼル研究会代表の森野榮一さんがいらっしゃいます。
http://www.grsj.org/colum/colum/dagras.html
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/index-mri.htm

こちらは日本ではなく、米国になりますが・・・
アメリカではリチャード・C・クック氏が非常に賛同されていて、オバマ大統領にも提言されているようです。
http://www.anti-rothschild.net/material/41_01.html

クック氏の動画と翻訳
http://www.anti-rothschild.net/material/animation_07.html
(* 第5部 の中で、ケインズ政策との対比もされています。)

いずれにしても、ダグラスの社会信用論については、「正しい」 という人もいれば、「いや間違っている」 という人、「間違っている部分はあるかもしれないが、検討してみる価値はある」 という人、等、様々な意見があるようです。
過去においては、実際にカナダの政党が実施を試みたこともあります。
ただその時は、まだ十分にこの考え方が理解されないまま実施されようとしたこともあったため、実現には至りませんでした。
しかし、
「前例として、歴史に記されるべきは、二回の「州による配当」の支払いが市民に支払われたこと、ダグラスの勧告に基づく活動期間中に同州は借り入れを増やすことなく経済的に自立し、州の負債を大幅に削減したことである。」
と、森野榮一さんのダグラス紹介文にありました。

◆ 参考:アルバータ社会信用運動の背景と諸相 - 塩崎 弘明(PDFファイル)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000985713

 ※  ※  ※  ※

「売れ残り」 と 「借金」 については、詳しい方に聞いてみます。

Re: 社会信用論について (補足)

 どうも。

>アメリカではリチャード・C・クック氏が非常に賛同されていて、オバマ大統領にも提言されているようです。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_C._Cook
 上の彼のWikipedia英語版を見たのですが、かれが大学で経済学をちゃんと修めているのかどうか分かりませんでした。
 マクロ経済学でなくても、せめて他の経済学の分野は……と思ったのですが。

>As a Policy Analyst for the U.S. Government from 1970 until 1986, Richard Cook's career included service with the U.S. Civil Service Commission, the Food and Drug Administration, the White House Consumer Office, and NASA. From 1986 until 2007, Cook served as a Project Manager for the U.S. Treasury Department, Financial Management Service (FMS)
 という彼の業績ですが、FMSにいたときに担当されていたプロマネというのはおそらく、経済というより、NASA関係のお仕事なのだと思います。彼の主著は、"Challenger Revealed: An Insider’s Account of How the Reagan Administration Caused the Greatest Tragedy of the Space Age"という宇宙関係みたいですし。経済学はどうなんでしょ。

>Now retired from 32-years of government service, Cook works as a writer and private consultant with particular focus on Monetary Reform. His articles on economics, politics, and space policy have been published in numerous magazines, newspapers and websites, and have been translated into several languages.
 って書いてあります。でも、研究者さんじゃなさそうですね。基本的に、宇宙関係がご専門なのだと思われます。Monetary Reformが、どの程度の専門性があるのかは、分かりません。


>過去においては、実際にカナダの政党が実施を試みたこともあります。
>「前例として、歴史に記されるべきは、二回の「州による配当」の支払いが市民に支払われたこと、ダグラスの勧告に基づく活動期間中に同州は借り入れを増やすことなく経済的に自立し、州の負債を大幅に削減したことである。」
>と、森野榮一さんのダグラス紹介文にありました。

 あと、ダグラスせんせが、ご活躍されたというカナダのアルバータ州ですが、Wikipediaによると、「州都はエドモントンで、オイルサンドのほか、北部の鉱物資源産業の主要な供給基地になっている。カルガリーは物流と交通の要所であり、カナダを代表する商業都市であり、石油産業の中心地。」とか、「主な産業は、石油鉱業と農業・畜産業、そして観光である。 石油による収益が大きいため、カナダの財貨サービス税(GST)が導入される以前は、商店での買い物には税金がかからなかった。」とかいうように、結構資源のある地域のようです。
 この要因は大きいのでは?「州による配当」も、ここから来ているのでは、と疑っております。
 で、「ダグラスの勧告に基づく活動期間中に同州は借り入れを増やすことなく経済的に自立し、州の負債を大幅に削減したことである。」と書いてありますが、ダグラスせんせのやったことって、財政再建であって貨幣とやらは、関係ないような気がします。根拠はないですが。


http://www.grsj.org/colum/colum/dagras.html

>事実、現代のジレンマである失業による大量の貧困やインフレの拡大、債務、独占を生みだしているし、人間の努力や「完全雇用」を維持するために地球資源の無駄遣いを伴いながら、耐えざる「成長」や国家間の経済戦争を必要とし、軍事戦争へと発展するものだ。
 「現代のジレンマである失業による大量の貧困やインフレの拡大、債務、独占を生みだしている」について。わが国は、デフレですが。ずっとデフレですが、何か?


>◆ 参考:アルバータ社会信用運動の背景と諸相 - 塩崎 弘明(PDFファイル)

 これについて。http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2010/07/post-b502.html
 のコメ欄を見ました。これが正しいとすると、ダグラスせんせの理論って、随分無茶しています。

 「仮定1.労働者の収入は賃金のみ。貯蓄する余裕なし。」ここが、仮定として適当じゃないんですよね。そして、「②労働者は貯蓄する余裕がないので、賃金収入はすべて消費に当てられる。」という仮定、ケインズ先生が聞いたらびっくりするでしょね。貯蓄する必要があるために、消費に充てる余裕がなくなってくるというのが実情なのに。
 しかも、「⑤何年か、同規模の経済循環が続き、毎年、同じ、賃金総額、利子総額、利潤総額が、実現しているとする。」って、インフレもデフレも起きない状況を想定しているのですね。まあ。


>「売れ残り」 と 「借金」 については、詳しい方に聞いてみます。

まあ、「売れ残り」 と 「借金」については自信がないので、そこを承知でお願いします。
あと、
・「社会の潜在的な生産と消費の能力に即してそれを無利子か超低利子で融資」する能力が政府にあります?
・「等しい割合で小売価格を一律に引き下げる」っていいますが、モノへの需要ってモノごとによって異なると思うんですが。一律に値段下げても、結局過剰に売れるものと、それでも売れないものに分かれてしまうと思いますけど。
・仮に、商品個別にあわせて補償しようとすると、もう統制経済の出来上がりですが。

 以上3つも聞いておいてください。むしろ、こっちの方がはるかに、難点として分かりやすいです。



 最後に、前回書き忘れた関先生爆笑(?)語録です。

http://bijp.net/transcript/article/27

>銀行は言わばそういう富をくすねている。人々の協力と結合から新規の富が生まれる過程を私的に横領している。寄生虫的に横領している。

 職業差別です。謝罪を要求します(笑)
 一応、銀行の業務というのは、リスクをとって儲ける商売です。「人々の協力と結合から新規の富が生まれる過程」を、リスクを負いつつ投資で社会に顕在化させるから、銀行は存在意義があるわけで。一応、通常はね。


>利子を廃止しないかぎり環境にやさしい経済なんてできないでしょう。

 人間を絶滅させない限り環境にやさしい経済なんて出来ないでしょう(笑)。
 イスラームの銀行は環境に優しいんですね(笑)。
 (まあ、イスラーム銀行は、利子じゃなく、「利潤」を取るそうですが)
 グラミン銀行は、利子高いですけど、環境に優しくないんですね。

>それから近代国家の特徴として銀行からの借金で食うようになったということがある。

 中央銀行って言うのが、国家にはあるんだよ。こういう存在にも目を向けましょう。
 中央銀行の責任を重く見ないのは、ちょっと無責任じゃないですかね。

>人々が自由に利用できるマネーの量を制限し、それによって、企業にとっても庶民にとっても資本を貴重な常に不足しがちなものにする。それが銀行という商売のカラクリなのです。

 デフレ状況でのお話ですね。次はマイルドなインフレの状態でのお話を要求します。

関曠野さんの提案する 「メンテナンス経済」

こんにちは。
経済に疎い自分には分からないことが多過ぎます。。 (>_<)

ゲゼル研究所代表の森野榮一さんに、
「経済・数字・数学には非常に疎いので、出来れば 『小学生にも分かる社会信用論』 のような感じで教えて頂けると、とてもありがたいです。」 とお聞きしてみたところ、
「貨幣数量説や物価理論について勉強なさったほうがいいかも。 翻訳がありませんが、アーヴィング・フィッシャーの 『貨幣の購買力』 をお読み下さるのもいいでしょうね。」
というお返事をいただきました。 (やっぱり難しい・・・ >< )
他の経済学者の方にも聞いてみようと思います。

カナダ・アルバータ州の配当についてなのですが、実はこれには二種類があって、つい最近まで自分自身も混同していました。

一つは2006年に行われたもので、「原油価格高騰によるアルバータ州政府の大幅な黒字の一部を州民に還元するために、18歳以上のすべての州民に一人当り$400が配られた」 というものです。
(毎月$400ではなくて、一度だけの配布だったようです。)
http://loveletterfromcanada.blog20.fc2.com/blog-entry-92.html

もう一つがカナダの社会信用党によって1936年頃に実施されたもので、こちらは資源 (原油) 由来のものではありませんでした。
(当時はまだ第一次産業が基本だったようです。)
これはダグラスの社会信用論に基づいて、ウィリアム・エイバーハート率いる社会信用党によって実施されました。
(ただしダグラス理論を十分に理解したものではありませんでした。)

>>主たる実施案は 「信用証書」 の発行と 「公正価格」 の設定である。
>>そして1935年にの暮れに提案された 「日付証紙貨幣計画」 が枢密院によって許可されるのは1936年6月になってからである。
(アルバータ社会信用運動の背景と諸相 より)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000985713

>>エイバーハート自身、『経済学のダグラスシステム』 というパンフレットを書き、成人に毎月、20ドル相当の購買力を証券の形で支給することを提案し、ダグラスの国民配当の考えを実践しようとした。
>>実際に彼の率いる社会信用党はアルバータ州の実権を握ったので、こうした考えは実践されていった。
(森野榮一さんのブログより)
http://a1morino.blogspot.com/2009/02/blog-post_15.html

>>また、次のことも言っておかねばならない。
ウィリアム・エイバーハートは十分に誠実な人物であったけれども、社会信用についてほとんど知識がなく、その専門的な基礎を理解していなかった。
>>その結果、ダグラスのアイデアを単純化しようと努力する中で、しばしば歪曲してしまったのである。
(ルイ・エバン - 社会信用:社会主義ではなく、政党でもなく)

 ※  ※  ※  ※  ※
環境に優しい経済についてなのですが、
「メンテナンス経済」 というものを関曠野さんは提言されていて、BIメールマガジンで連載されています。

『メンテナンス経済に向けて (二)』
http://bijp.net/mailnews/article/201 

『メンテナンス経済に向けて (三)』
http://bijp.net/mailnews/article/205

もしもメンテナンス経済に、「寿命の長い製品」 が貢献するとしたら、イギリスのケンブリッジ大学では、なんと! 『寿命60年のLED』 が製品化されようとしています。
ttp://amejam.com/archives/50751625.html

>>お値段は一個2.85ドル。 すでにプロトタイプは完成しており、2年後の大量生産開始を目指して準備段階に入っているとか。

これが本当ならすごいことです! (でも本当でしょうか。。。)
 ※  ※  ※  ※  ※

ところで、頂いていた質問の内、「何故BIなのか?」 について、まだ詳しくお答えしていませんでした。
これについては、最後のコメントとして、また後ほどお返事させて下さい。

Re: 関曠野さんの提案する 「メンテナンス経済」

>経済に疎い自分には分からないことが多過ぎます。。 (>_<)

 BI論を唱えておきながら、「経済に疎い」とは情けない限りです。そんなふうに育てた覚えはありません(事実、育てていませんが)。

>ゲゼル研究所代表の森野榮一さんに、
>「経済・数字・数学には非常に疎いので、出来れば 『小学生にも分かる社会信用論』 のような感じで教えて頂けると、とてもありがたいです。」 とお聞きしてみたところ、
>「貨幣数量説や物価理論について勉強なさったほうがいいかも。 翻訳がありませんが、アーヴィング・フィッシャーの 『貨幣の購買力』 をお読み下さるのもいいでしょうね。」

 氏の不親切は、憤りを感じてもよいレベルです。彼の考えが正しいにせよ、間違っているにせよ、そのような対応は不親切極まりないですな。
 『小学生にも分かる社会信用論』も書けねえのか、初心者なめんなボケ\(*`∧´)/、と反論されてもよいでしょう。
 あと「貨幣数量説や物価理論について勉強」するのに、フィッシャーの原典を薦めるなんて、経済学初心者への配慮ゼロです。つーか、こいつやる気ねえな( ̄Д ̄;) 、とつぶやかれてもよいでしょう。
 悪いことは言いません。社会信用論のことはともかく、この人物に聞く耳を持つことは控えるべきでしょう。他の方を当たらられることをお勧めします。 

 あと、社会信用論を学ぶ前に、普通に経済学を学ぶべきではないか、と経済学素人は偉そうに主張します。
 簡単かつ信頼可能なものとして、最近のは、飯田泰之『世界一シンプルな経済入門』がお勧め。
 フィッシャーを読むというなら、竹森俊平『経済論戦は甦る』は必携。この本を読めば、森野氏の著作より遥に間違いなくためになるし面白い、と大口叩いておきます。お勧め。
 歴史的な観点から「貨幣」を学びたいというなら、飯田泰之『歴史が教えるマネーの理論』がお勧め。ちゃんとした経済学から見た、「貨幣」と経済への影響をめぐる歴史が主題です。面白いし。

>一つは2006年に行われたもので、「原油価格高騰によるアルバータ州政府の大幅な黒字の一部を州民に還元するために、18歳以上のすべての州民に一人当り$400が配られた」 というものです。
>(毎月$400ではなくて、一度だけの配布だったようです。)
 
 こちらの想像は、決して間違いというのではなかったのですね。なるほど。

>ウィリアム・エイバーハートは十分に誠実な人物であったけれども、社会信用についてほとんど知識がなく、その専門的な基礎を理解していなかった。
>>>その結果、ダグラスのアイデアを単純化しようと努力する中で、しばしば歪曲してしまったのである。

 まあ、こちらの考えでは、ダグラス先生はその根底から、誤りがあるんじゃないの、という考えなのですが。要するに、ダグラス先生のアイデアはまだ実現されたことがないのですね。わかりました。


http://bijp.net/mailnews/article/201

>(それゆえに経済学者はデフレで成長が止まり麻痺状態になった経済を理論的にうまく説明できない)。

 なるほどこの御仁、経済学者はともかく、経済学には無知なのですね。「理論的にうまく説明できない」どころか、とっくに説明できとるわい。ためしにクルーグマンを嫁。

>経済学はこのストックのメンテナンスという自明の事柄を見落とす。ストックは経済学が言うようには一律に減少することはないのである。アメリカに経済封鎖されたキューバでは今でも1950年代の車が町を走っている。手入れ次第で物は驚くほど長持ちするものなのだ。そしてメンテナンスが重視される社会では商品を大量生産する必要はない。

 一言。「日本の製造業の割合は、2割以下です。サービス業が7割を超えています。サービス業は「輸出・輸入」することができません。日本の賃金の低下は、「製造業の外国との価格競争」ではなく、第3次産業=サービス業によるものなのです。」
 (記事「荻原博子浜矩子 「ユニクロ型デフレで日本は沈む」より 文芸春秋2010年」『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』様 http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-280.html
 サービス業が大半、の日本経済の現状です。メンテナンスはサービス業ですから、今後の経済はメンテナンス経済ですかな(笑)。まあ、「大量生産」の語は、この事実とともにご理解を。


http://bijp.net/transcript/article/79


>良識派の経済学者ジョセフ・スティーグリッツが日本政府に「政府通貨の発行でデフレ、財政危機脱却を」と助言したことでした。そして講演で話したように政府通貨発行の例は史上にいくらでもあり、その殆どが大成功でした。

 スティグリッツが政府通貨を言い出したのは、政府も中央銀行も、普通にリフレをやろうとしないからだと思うよ。インタゲやんなさい。

>BIを実施した場合、デフレの危険は根絶される一方、生産された富と通貨供給量の多少のズレによってごく緩やかなインフレが生じる可能性はあるということです。ごく緩やかなインフレはさほど有害なものとは思えません。

 普通にインタゲをやんなさいよ。前例があるんだから。

>日本は貿易立国というのは勘違いで、日本経済の輸出依存度はきわめて低いのです。だから今の日本経済の問題は、内需型経済なのに地方の疲弊が原因でその内需が壊滅していることです。国と自治体の財政危機は結局、政府通貨の発行によってしか解決されえないでしょう。そして内需拡大のためには BIに勝る方策はありません。

 日本が内需型なのはその通りです。まったくその通りです。『デフレの正体』の著者に聞かせてあげたいくらいマトモです。素晴らしい。
 でも、「国と自治体の財政危機は結局、政府通貨の発行によってしか解決されえないでしょう。そして内需拡大のためには BIに勝る方策はありません。」はどうなんだろ。
 普通にインタゲと社会保障の再構築で何とかしたら?「応用となると国の歴史、国情、制度に即して多種多様であることを強調しておきたい」というなら、前例が豊富な方をやろうよ。

>人間は「パンのみにて生きるにあらず」で社会的評価や人との交流を求めるものだと思うのです。BIがあればこれ幸いと家に籠もってダルマさんになってしまう人の方が珍しいのではないでしょうか。また私の考えでは、いつの時代でも人口中の本格的な怠け者の比率は変わらないのではないか。だから今の競争社会でも人にたかって食っている怠け者が一定数いる訳です(これはいわゆる「引きこもり」の人のことではありません)。「怠け者が増える」という説に関しては、かなりの額の年金をもらっている高齢者の生活実態を社会学的に調査してみたらどうでしょうか。家でゴロゴロして奥さんに粗大ゴミなどと言われている人もいますが、これは好きで怠けているのではないでしょう。それからビジネスではなく芸術や学問、ボランティア活動などに専念する人たちが増えることは環境保護になります。

 「社会的評価や人との交流を求め」て、プチ貴族のように、金を使わないで仲間と遊び続ける人が続出するかも(笑)。いい世の中ですね。
 あと、「芸術や学問、ボランティア活動などに専念する人たちが増えることは環境保護に」なるというなら、ビジネスマンを法的に禁止した方が、環境のためです。早速、法制化の準備を要求します。

>適正価格の仕組みですが、一般的な需給ギャップで25%値引きするというプランですが、これは、すべての製品に対して行うのでしょうか。ものすごく売れている製品などは別の扱いのような気もするのですが?
>【答】 正当価格の課題はマクロの観点から生産と消費のギャップを埋めることです。個々の商品の売れ行きが問題なのではありません。ですから売れ筋の商品が他の商品と一律にディスカウントされたら、それはさらにどんどん売れて需要ギャップを縮小させることになるでしょう。
 
 言っていることが無茶としか思えませんが。「売れ筋の商品が他の商品と一律にディスカウントされたら、それはさらにどんどん売れて需要ギャップを縮小させることになる」前に、売れ筋商品が売り切れます。そして、他の商品は売れ残ります。
 さらに、面白いのでこういう思考実験。売れなければ売れないほど、商品は全て値引きされる、と政府は約束するわけです。ということは、みんなは、今買わないで後で買いさえすればもっと安く買えるよね、と思うはずです。すると、【消費者「よし、もっと安くなるから今は買わないよ」 →政府「なに、じゃあ、全品もっと値下げだーっ」 →消費者「いや、でももっと安くなるはず」 →政府「じゃあもっと……」】という無限ループです。ああ、デフレスパイラル。皆さん、買わなくなっちゃうかも。

>ダグラスの意図からすると国民経済計算を行って全てのモノやサービスに正当価格を決めるということになるのであろうか。ダグラスの想定しているのは市場経済なのか価格統制経済なのかと疑問に思う。正当価格は、「価格統制」になるのではないか?
>【答】 (略)  私としては政府が流通大手に一律割引を要請し、業界がその要請に応じるならば効果は充分にあるだろうと思います。強制や課税が経済の問題を解決することはありません。

 銀行は信用してなかったくせに、「業界がその要請に応じるならば効果は充分」とは、いったいどういう思考の構造をお持ちなのでしょう。

>政府通貨の発行で800兆円以上という国の巨額の負債をチャラにできるという話でしたが、そのあたりをもう少し詳しく話して頂けませんか。
>【答】 あえて極端な話をします。政府通貨は紙幣として発行されBIの支給などに使われますが、それ以外に電子マネーとしても発行されるとします。そこで膨大な国債をもっている諸銀行に設けてある政府の口座にそれをコンピューターで振り込めば、800兆円以上という日本国の負債は1秒間で消えてしまいます。この行為に技術的な問題はありません。これが可能になる条件は、国民が政府通貨を通貨として信認しているかどうかだけです。

 まあ、「バーナンキの背理法」の応用かな。(以下、Wikipediaのバーナンキの項目より引用)
 「「もし、日銀が国債をいくら購入したとしてもインフレにはならない」と仮定する。すると、市中の国債や政府発行の新規発行国債を日銀がすべて買い取ったとしてもインフレが起きないことになる。そうなれば、政府は物価・金利の上昇を全く気にすることなく無限に国債発行を続けることが可能となり、財政支出をすべて国債発行でまかなうことができるようになる。つまり、これは無税国家の誕生である。しかし、現実にはそのような無税国家の存在はありえない。ということは背理法により最初の仮定が間違っていたことになり、日銀が国債を購入し続ければいつかは必ずインフレを招来できるはずである。」
 要するに、インフレが起こらなければ、借金チャラは可能です。ただしバーナンキの狙いは、貨幣量が増えればいつか嫌でもインフレは起こりますよ、起こらないとしたら無税国家誕生だよヾ(@^▽^@)ノ、ということですが。
 バーナンキ先生は、インフレターゲット支持者なので。

>ところで、頂いていた質問の内、「何故BIなのか?」 について、まだ詳しくお答えしていませんでした。
>これについては、最後のコメントとして、また後ほどお返事させて下さい。

 まだコメントをするおつもりですか。あつかましさを通り越してすがすがしいですな。

 コメントありがとうございました

無題

>kyunkyun様

 別にコメントはされても構いません。ただ、コメントされる目的・目標が、こちらには良く分かりません。
 互いの主張をぶつけ合うのが目的というのでもなさそうですし。実際そちらは、ちゃんとした「社会信用論」の御考えをお持ちではないようですし。

>頂いていた質問の内、「何故BIなのか?」 について、まだ詳しくお答えしていませんでした。
>これについては、最後のコメントとして、また後ほどお返事させて下さい。

 個々が肝心な点なのだと思います。何でそんなに社会信用論とやらにこだわるんだか。
 暇が出来たらお教えください。

何故BIなのか

こんばんは。
飯田泰之先生のこと、教えて下さり、ありがとうございました。
それと、確かにあつかましいし、空気読めていなかったですね。
申し訳ありませんでした。。
ただ、こちらとしては、最初のコメントに対して頂いていた、幾つかの質問に対してお答えしていたつもりなのですが、それが上手に伝えられなかったのかもしれませんね。
こちらでもちつけさんから色々と頂いたお返事、十分理解するのには時間が掛かると思いますが、少しずつ心に整理していこうと思います。

※ 頂いていた質問 (これが一番お聞きになりたかった事ではないでしょうか?)
「生活保護や給付付き税額控除などではなく、何故BIを選ぶのか」 について

~ようこそ、この地上にお生まれになりました。

今日、生まれて来た赤ちゃん全員に、ベーシックインカムが支給されることになりました。

それはこれから、その子の一生の中で、病気の時も、健康な時も、貧しい時も、豊かな時も、勤勉な時も、怠惰な時も、変わらずに与えられます。
その子が成長し、大人になり、結婚し、子供を持ち、やがて年老いて、一人になり、そして亡くなってゆく、その時まで、変わることなく、与えられます。~

BIのある人生を、こんなふうに想像すると、なんだか安心感が湧いて来ます。
ベーシック・インカムを選ぶ理由は、この 「安心感」 という点において、他のものより優れていると思うからです。

それから、初めてベーシックインカムのことを知った時、「これはセーフティネットではない」 と、直感的に感じました。
それ (セーフティネット) とは何か別の、もっと違うもの、だと感じました。
その違いは、一体何なのか?
上手く言い表すことも、イメージすることも出来ませんでしたが、でも少し前に、山森亮先生がとても的確な表現をされているのを目にしました。
それは、「BIは道である」 という表現です。
BIは綱渡りに必要な 「ネット」 ではなく、安心して歩ける 「道」 のこと。
どちらを選びたい? と問われたら、「道」 の方を選びたいです。
※  ※  ※

>日本の製造業の割合は、2割以下です。サービス業が7割を超えています。
サービス業が大半、の日本経済の現状です。メンテナンスはサービス業ですから、今後の経済はメンテナンス経済ですかな(笑)。

についてなのですが、サービス業に限らず、多くの仕事は素手で何から何まで行うのではなく、材料や道具、車両や機械類を用いて業務に当る場合も多いと思うのですが、それらを考慮した場合はどうなのだろう? と思いました。
それから、関さんの文章とは離れますが、BIによってもたらされる 「安心感」 は、「人間」 にとって、大きなメンテナンスの意義を持つのではないか、とも思います。

終りに、こちらの記事の最初のテーマであるBIと承認について、とても示唆を含んでいると思う言葉を紹介して、コメントを終えようと思います。
これは元牧師の賀来周一先生から頂いた言葉です。
それでは。

※  ※  ※

人間の営みは、いること (存在) と、 すること (行為) から成り立っています。
いることは、生き方の根本のかたちです。
いることがなければ、することは起こりません。
「いる」 ことを大切にしてください。
そこから 「する」 ことが生まれてきます。

Re: 何故BIなのか

>ただ、こちらとしては、最初のコメントに対して頂いていた、幾つかの質問に対してお答えしていたつもりなのですが、それが上手に伝えられなかったのかもしれませんね。

 結局、社会信用論とかBI論は、どういう場合なら信用可能なのか、というところが争点だったと思いますが。
 こちらの意見は、BIは、他の社会保障政策との組み合わせの中でのみ有効であり、社会信用論は信用できない、というのがとりあえずのところです。
 「幾つかの質問に対してお答えしていたつもり」である割に、ちゃんとした反論は正直見られなかったように思います。まあ、勝手にこちらも書いていましたので、別にいいのですが。むしろ、「社会信用論がどんだけ信用できないのか」ということが分かり、ためになりました。
 感謝いたします。

>「生活保護や給付付き税額控除などではなく、何故BIを選ぶのか」 について
>今日、生まれて来た赤ちゃん全員に、ベーシックインカムが支給されることになりました。
>それはこれから、その子の一生の中で、病気の時も、健康な時も、貧しい時も、豊かな時も、勤勉な時も、怠惰な時も、変わらずに与えられます。
>BIのある人生を、こんなふうに想像すると、なんだか安心感が湧いて来ます。
>ベーシック・インカムを選ぶ理由は、この 「安心感」 という点において、他のものより優れていると思うからです。

 太陽の光、清き水、吹く風、歩める大地。これらは、「一生の中で、病気の時も、健康な時も、貧しい時も、豊かな時も、勤勉な時も、怠惰な時も、変わらずに与えられ」ているというのに、そのうえ金銭まで求めようとは、なんという【強欲】でしょうか。なんと御身の薄っぺらいことか。大自然に謝罪を要求します。
 というより、同じ安心感なら、「ゆりかごから墓場まで」という語で十分じゃね?
 あと、「想像」と「安心感」だけで、社会政策を語るのは良くありません。第一、その「安心感」とやらは、国家及び社会によって、与えられるものです。国の財政しだいでは、与えられることはなくなります。「安心感」は、そういった社会的基盤に依存しているのです。お忘れなく。
 また、国家及び社会が、きちんと機能するためには、正確な学問的な知識が必要になるでしょう。で、「社会信用論」が、それに当てはまるとは到底思えません。
 
>BIは綱渡りに必要な 「ネット」 ではなく、安心して歩ける 「道」 のこと。
>どちらを選びたい? と問われたら、「道」 の方を選びたいです。

 雇用されて社会復帰するための社会保障という考えから、「トランポリン」に例える人もいますけど。
 別に、ネットも道も、両方あればいいと思いますが。一応こちらは、そういう場合には、BIも、支持する可能性がありますが。
 まあ、BIが道に例えられるのは結構ですが、下手をすると、もう地上には這い上がれない「下水の通る地下の道」になってしまう恐れもあります。そうならないよう、祈っておきます。

>それから、関さんの文章とは離れますが、BIによってもたらされる 「安心感」 は、「人間」 にとって、大きなメンテナンスの意義を持つのではないか、とも思います。

 もし貴殿が、現在日本で行われている社会保障政策について知らないまま、BIに「安心感」を抱いているなら、それは単に無知であるためです。「安心感」を抱くまえに、問題意識を抱かれるべきでしょう。

>終りに、こちらの記事の最初のテーマであるBIと承認について、とても示唆を含んでいると思う言葉を紹介して、コメントを終えようと思います。
>いることがなければ、することは起こりません。
>「いる」 ことを大切にしてください。

 「いる」ためには、まず死なないことが重要で、それならBI以外でも十分でしょ。
 それに、承認の問題というのは、「いる」だけでなく「ともにある」ことこそ、重要なはずでしょう。たかだかBIを配ったくらいで叶えられるのなら、なんと楽なことか。なので、他の方法も考えましょう。
 頑張ってください。

 総じて、この程度の議論の内容・動機では、到底、人様に論を広めることは難しいでしょう。パワーアップされて、より練られた議論を展開される日を、待ちたいと思います。

 こめんとありがとうございました。

No title

>公共事業を廃止する
これは間違いでは?
廃止するのはケインズ的な不況対策としての不要不急の公共事業であってインフラとして本当に必要な橋や道路の建設・維持・撤去などは残すでしょ。

Re: No title

頼んでもいないのにコメントいただきありがとうございます。

> 廃止するのはケインズ的な不況対策としての不要不急の公共事業であってインフラとして本当に必要な橋や道路の建設・維持・撤去などは残すでしょ。

 まあ、この点は正しいと思います。
 いちおうこれ、Wikipediaの記述であって、本論の主旨とは外れたことなんですけどね。
 
 そういえば、「本当に必要な橋や道路の建設・維持・撤去」の基準って、何なんでしょうか。
 そこらへん、相変わらず気になるところです。

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