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消費者代表の問題と、再度、職業教育について 濱口桂一郎『新しい労働社会』(8)

■労働者代表を、政治的決定プロセスへの参加させる■

 労働者代表と消費者代表を一名ずつ参加させ、その間の真剣な議論を通じて日本の社会経済政策を立案していくこと (210頁)

 これが著者の提案です。本書執筆当時、経済財政諮問会議には、民間として経済界から二名、経済学者二名というメンバーのみの出席でした。しかしこれは、ステックホルダー( 利害関係者のこと )の均衡に反してしました。結果、「グローバル競争の激化から企業側からの負担返上の要求が、「経済財政諮問会議」において労働側の代表がいないまま」一方的に内閣に提出されたのです。(注1)
 「労働政策は政府・経営者・労働者の三者の合議で決めるという「産業民主主義の伝統」こそ大切にすべき」なのに、「経済財政諮問会議や規制改革会議という名の「哲人政治」がまかり通り、ステークホルダー(利害関係者)を排除した「単純明快で威勢のよい議論」」ばかりがまかり通ったわけです。この【不正】を是正するために、労働者代表の出席が必要なのです。
 労働者代表の積極的関与、という点は、前稿にて言及したとおりです。

■消費者代表も、政治的決定プロセスへの参加させる -そして協同組合へ-■
 「濱口さんは、あくまでもコーポラティズム的な枠組みの中で労組ができるだけ幅広い労働者の利害を代表していくことが基本だと考える。私もそれが現実的だと思わないわけではないのだが、ただそこでは、利害が考慮される単位は職場や組合という集団であることが前提になってしまっている(と言わざるを得ないと思う)」(以上、「ステークホルダー民主主義の射程」『on the ground』様)。このような指摘がでています。これに対して著者は、既に応答しているように、消費者としての利害の代表というものを視野に入れているようです。ゆえに、消費者代表も出席することを、提唱されているのです(詳細「きはむさんの拙著に対するコメント」の記事参照)。
 だとすれば、前回書いた内容にあるとおり、労働組合の強化・再編に並行して、協同組合の強化・再編も考慮される必要があるはずだと思います。実際著者は、協同組合の存在についても言及しています。ただし触れているのは、労働者協同組合(ワーカーズコープ)のことです。これも重要な協同組合の一種です。(注2)
 「「協同労働」は、働く人々が出資し、経営にも参画する働き方のこと。民間企業とは違い、雇用する側と雇用される側を区別しない。70年代から公園の管理や清掃、介護・子育て、配食サービスなど地域に密着した分野で、労働者協同組合(ワーカーズコープ)として広がった。全国で3万~4万人が参加しているとみられる」(原典「働く人が出資、経営も参加 「協同労働」法案提出へ」『asahi.com』様)。このような労働者協同組合の存在は、企業と労働組合の話に集中していた議論へ、一石を投じるものでしょう。(注3)

■【消費者】と【消費者代表】のあいだ■
 さて、消費者代表の件に話を戻すと、一つ問題があります。消費者代表をどうえらぶか、という点です。日本生協連、主婦連合会、全地婦連、全国消団連等の消費者団体から、代表候補が選出されるのでしょう。もし代表者を選ぶなら、一層民主的なプロセスを踏むべきです。そして、もし諸団体による選出者が、消費者代表として認められるなら、消費者団体と日本全土の消費者との間に、より強い協力関係を作るべきでしょう。労働組合と労働者との関係にまでは行かなくても、なんらかの関係構築は必要のはずです。


(注1) ちなみに、「規制改革会議」という会議も、この世に存在していました。この会議もまた、「経済財政諮問会議」同様、労働者たちの代表が参加していません。しかも、「内閣府設置法に基づく規則で定められた議事録が3年間にわたって作成され」ないで、「全体を要約した「議事概要」としての資料しか残っていない」うえに、「議長の宮内はこの件に関し、一切の説明も責任もとらないまま」終わったという、民間なら首が飛ぶはずの【ぬるま湯会議】です。外は猛吹雪になったのに。(以上、Wikipediaより引用

(注2) もっと広く、連帯経済のことも考慮する必要があります。NPO、フェアトレード、地域通貨、マイクロファイナンスなどの連帯経済を、ここで考えざるを得ません。

(注3) 労働者協同組合に対しては、「組合員は経営者でもあるので労組法や最低賃金は適用されず、劣悪な労働環境の温床となりかねない」という懸念も表明されています(「「協同労働の協同組合法案」への反対論」『EU労働法政策雑記帳』様)。


(追記)
 以前、職業教育の問題については、すでに以上の二点に言及していました

 ①:「多少とも専門的な職業教育」については「民間に任せるのが望ましい」という意見に対して、「素早くかつきめ細かな対応という点では、民間をメインにする方に、軍配があがる」と判断した。
 ②:「企業内訓練に奨学金を与えること」は、次のように判断する。日本では、教育界側が職業的レバレンスを放棄していたのを、やむなく企業側が負担していた経緯があり、その点から言えば、企業内教育訓練への奨学金は、基本的に教育界側が負担すべきですが、実情としては公的に負担せざるを得ない。代替として、教育界は、公的負担させた分の「お返し」を、社会に還元する必要がある。

 まず、②について書いておくと、「教育界は、公的負担させた分の「お返し」を、社会に還元する」といっても、やれることは、限定されるはずです。なので結局、教育界側はやはり、職業教育を推進していく他ない、と考えます。
 問題は、①です。「多少とも専門的な職業教育」については「民間に任せるのが望ましい」ということは、どの程度正しいのか、ということです。もちろん、それはどのような専門性か、どの程度の専門性か、ということにもよります。ここでは、なぜ公的な職業教育が重要なのか、という視点から書いてみようと思います。必要だとすれば、それはなぜか。
 その理由の一つは、取りこぼしを防ぐ、という点です。つまり、職業を得る機会を得られなかった人を一人でも減らすという目的のために、国が【積極的】に関与する必要性がある、ということです。そしてそのために、職業教育は正当化される、というわけです。民間に任せた場合、そこから漏れる人々が発生する可能性が比較的高くなります。
 効率・円滑さよりも、円滑さゆえに排除される人を防ぐという目的(正義)を優先する、ということだと思います。もちろん公的な職業教育を行っても、ドロップアウターは出てしまいますが(フィンランドにさえも、存在することは周知の事柄でしょう)。
 【積極的】に、というのは、例えば権丈先生が例としてあげているように、「例えば先ほど若年層などで、生活保護を受けざるを得ないような人とか、いろんな話があるんですが、そこを待っているのではなくて、ヨーロッパだったら、道を歩いている人に職業訓練を受けたくないかと言うような、そういう能動的なことをやっていきながらやっているんです。だから、あれはものすごくお金がかかることで、そこまでやらないと余り意味がないのではないかなというのがあります」というような姿勢のことです。
 もう一つの理由は、現金給付にして民間に任せた場合、経済格差が出る可能性があるということです。現金給付とサービスとどっちがいいのか、という問題です。
 現金給付重視だとどうなるのか。保育分野の場合、「行政が保育に対する責任を負わなくなっていくので、その隙間を埋めるために民間業者が保育という分野に参入してきます。その結果、支払うことができる金額によって受けられるサービスが異なるという、市場の論理に保育もさらされることになります」(「ベーシック・インカムが現在の日本では使えない4つの理由(「POSSE」vol.6より)」『労働組合ってなにするところ?』様)。
 これは医療・教育にも同じことが言えます。サービスでの方が現金給付よりもよい場合、というのがあります。今回の職業教育のケースも、同じことではないでしょうか。平等性の確保という点から言えば、公的なサービスとしての職業教育の方が、有効です。
上記二つの理由を理解してもなお、効率性を重視して民間への委託を重視される方もおられるかもしれません。それはそれで、一理あると思います。しかし、「積極的労働市場政策そのものが非効率かどうかを決めるのは容易なことではない。この政策は、失業した人がある産業から別の産業に移るのを容易にしたり、求職者の能力を高めて、労働市場におけるその人の魅力を高める、という、いわば労働供給側の政策」であるという記事を参照すべきです(「効果を失った積極的労働市場政策 」『スウェーデンの今』様)。
 「経済全体の総需要が低下し、雇用先がないような状況で、なかなか効率が上がらないのは、最初から当然のことなのである」から、重要なのは、「その効率性を高めるために、その政策だけに限らず総需要の創出といった労働需要側の政策とうまく併用して行くべきではないか?」というわけです。どちらの政策を取るにせよ、デフレ退治は必須です。

(了)

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