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パスカルを使った、ノルマリアンによる悪戯 【短評】

 阿部良雄『若いヨーロッパ―パリ留学記』を読むと、こんなエピソードがあります。こんな感じです。
 副校長でパスカル研究の大家プリジャン氏の住居の出口にバリケードを築いて、「われわれの不幸のほとんどすべては、自分の部屋にじっとしていられなかったことから起る」という『パンセ』の一節を紙に書いて貼りつけた(70、71頁)。
 エコール・ノルマルでの、学生のいたずらの一つです。ノルマリアンたるもの、これくらいのユーモアは必要ということでしょう。今回は、パスカルの名言について、ツッコミなど入れていこうと思います。

・「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。なぜならば、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。
 「力こそ正義」というテーゼの反証になる一言です。「力こそ正義」というのが、米国ブッシュ政権のやり方だったようにも思いますが、実際のところは、【正義と力の結合に失敗した】というのが実情でしょう。

・「多くの宗教が互いに相反している。だから、ひとつ残らずすべて虚偽である
 おそらく無神論は、宗教Aと宗教Bがたがいに相反する状況から、懐疑主義的に生まれたのではないでしょうか。ただし、相反しているだけでは、無神論は生まれないはずだとも思います。実際は、各々の聖典のテクストクリティークが進展した結果だと思うのですが。いかがでしょう。(注1)

・「習慣は第二の自然だといわれているが、人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
 ジョン・マグダウェルの反応が聞きたい一言です。ハイデッガーの用在性等の概念を用いれば、自然さえも第一の習慣とは、言えると思います(ギブソンのアフォーダンスの概念もそうだと思いますが)。

・「人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる。
 恋愛という行為・現象が、言語的に媒介されているという一言。他者の欲望について語ったジラールを思い出せば、言わんとすることはおおよそ了解できます。
 ①恋愛は、自然にするものではなく、他の存在から学び習うということ、②恋愛は、それが語られることによって初めて、「恋愛」であることが自覚されるものであること、以上の二点が重要ではないでしょうか。

・「人類は、いわば不断に学ぶ唯一の存在である。
 学ぶ必要のない至高の存在である、と。神は、学ばない点で怠惰である、ともいえるでしょうか。神から見たら、人間の努力は実に無駄に見えてくるような気がしますが、実際どうなのでしょう。

・「好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
 心臓に悪い一言です。このブログにそのまま、あてはまってしまいます。
 ところで、逆に、誰にも語ろうとしないことばかりを、知ろうとする人は、どんな人なのでしょうか(たぶんそれは、神と向き合って対話しようとする人間でしょう)。そんなことまで考えさせてしまう名言です。


(注1) J.H. ブルック『科学と宗教 合理的自然観のパラドクス』も、そのような指摘をしていたように思います。D・シュトラウスらの聖書批判の存在が大きいのは、間違いないように思います。

・パスカルの句の引用は、web上にあるものを使用しました。

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