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「国際人」と「独特なナショナリズム」 /とある保守派への平凡な反論 【短評】

 ヒッチハイクをやり、皿洗いや掃除をやりながら、無国籍人として生きたから、一人前に生きた、国際人として生きたといえるのか。埒外者として、乞食として生きのびるだけなら、アメリカであろうがイギリスであろうが、いささかの厚顔ささえあれば、なんの人間的能力も要しない。
 そんなのは国際人とはいえない。一人前の市民として、それで妻を持ち子供を養い、子供達に一人前の教育を受けさせる程度のことをしてから、おれは国際人だといってほしい。
 「国家」を捨て、いかなる国家からも疎外されて「生きる」ことがどういうことなのか。

 重要なことは、それでもよい、ということじゃないでしょうか。
 例えば、日本国籍で、米国に暮らす貧しい労働者として生きているだけでもいい。それで十分であって、何か問題なのでしょう。みながみな、出世して、立派になって、高橋是清のようになれるわけはないでしょうに。人数制限があること確定の話なのに、そこから「落伍」しそうな人間を叩いてどうしようというのでしょう。
 ところで、「一人前の市民」というやつですが、これはどんなアメリカンファミリーなんでしょう。子供を養う云々ですが、非嫡子はオッケーでしょうかね。
 さらに話は変わりますが、「一人前の市民」から女性を除外してないでしょうか。このお話。まさか女性も、「妻を持ち子供を養い、子供達に一人前の教育を受けさせる程度のことをしてから」国際人と名乗れ、ということなんでしょうか。なるほど。やはり、女性同士でも結婚はすべきなのですね。なるほど。早速、法律改正に動きましょう。
 「「国家」を捨て、いかなる国家からも疎外されて「生きる」ことがどういうことなのか」などといいますが、どういうでしょ。
 「ヒッチハイクをやり、皿洗いや掃除をやりながら、無国籍人として生き」ていても、例えば信じられる仲間がいて、働いて、毎日の生活を肯定できる人生の方が、「一人前の市民」の生活とやらよりは、マシだと思うのです。こういったことが出来る能力が、「人間的能力」じゃないんですかね。
 国家というのは、あってプラスになったり、マイナスになったり、そういう存在で、よりマシな国家になったほうがよい、という話でしょう、せいぜい。別に国家を否定しているのではなくて、それは、その人間の人生の絶対条件じゃないということに過ぎないのです。
 結論、一人前でなくても、国際人とやらでなくても、よい人生はよい人生。目くじら立てず、うまくやってくだせえ。

 それは日本人同志の、互いに肌のあたたかみを感じるような連帯感であり、それにもとづいた日本の国の独立の感覚であり、広義の文化統一体としての共同感覚である。そしてなにより根本的には、この共同感覚体である日本というものへの誇らかな賛歌と未来への高らかな希望の歌である。そうした共同体への献身を第一義とする精神である。私の言葉でいえば、日本の、外部からの圧迫による団結を経験する歴史をほとんど持たない日本人の、独特なナショナリズムである。そのすべてを戦後の日本は、軍国主義への道として無惨に封殺してしまったのだ。

 「互いに肌のあたたかみを感じるような連帯感」を感じない人間をしいたげ、「広義の文化統一体としての共同感覚」を無理に、他の文化に所属した人間にまで押し付け、「共同体への献身を第一義とする精神」を滑稽な隷属にまで展開させたというのが、日本人の「独特なナショナリズム」だというならば、それは「軍国主義への道として無惨に封殺」などされていないとおもいますよ。程度はどうあれ。まだ残ってると思いますので、探してみてはいかがでしょうか。
 結論、戦前日本は今も残存して生きていますよ。よかった よかった。

 以上、とあるweb上の記事を見て、反論をしてみました。この言葉を誰が吐いたのかについては、引用部分をググって見れば分ります。まあ、この程度の低レベルな発言が、『アーロン収容所』の著者によるものだなんて、そうおっぴらにはいえませんよ。


(追記) 昔書いて存在を忘れていた駄文ですが、Apemanさんの「家畜を飼わなくても捕虜は管理できます」という記事を読んで、存在を思い出しました。なんでこの人の文章が良いといわれるのか、理解できないというのが正直な所。こんなに生理的に受け付けない人は、正直珍しいです。なんでだろ。

最終更新2010/2/17

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