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小川紳介に学ぶ、「プロ」であるということ -"無いなら自分で作ること"について-

 『小川紳介 (名古屋シネマテーク叢書)』によると、上野英信は次のように述べているらしい。革命論より前に、電気の簡単な配線が直せるとか、井戸のポンプのバルブをどう変えたらいいかとか、そういうことを勉強せよ、と。
 上野は、『追われゆく坑夫たち』、『眉屋私記』などで知られる作家です。彼の言葉から学ぶことは多いでしょう。確かに、賢しらだった革命論よりも、こっちの方が、「ヴ・ナロード(人民の方へ)」に近づくことが出来るのです。
 驚いたことに、名キャメラマンで知られる たむらまさき(田村正毅)はテレビを直せるし、電気の配線工事もちゃんとできる、と本書にあります。カメラや編集機を、自分たちでばらして手作りで改造していった(74頁)という小川組は、この手先の器用さによって、農村に滞在するきっかけを作ることが出来た、といえるでしょう。
 現代ならこれに、ネットの設定・接続が出来こと、も付け加えるべきでしょうね。例えば、世の中をよくしたい、とか、困っている人を助けたい、と思う人は、まず、こういったことを目指す必要があるでしょうね(注1)。
 国民のために、を連呼する政治家の人々は、まず、こういうことをできるようにしたほうがいいでしょうね。それだけで十分ではありませんし、これだけだと単なるドブ板なのですが。
 この手法、実は、詐欺師が人に安心させて取り入る方法にもなるのですが、レトリックと同じく、全ては使い方しだいです。政治家を目指す方は、ここらへんは、わきまえましょうね。
 これを書いている人間も、ネットの設定くらいしか出来ませんが。

 さて、そんな小川組ですが、初期の頃から資金難で、フィルムを手に入れるために、血液を売っていたらしいのです(32頁)。体張ってますね。ここまでして、映画を撮りたかったのです。8ミリ世代、デジカメ世代には耳が痛い話です。カメラや編集機をさえ修理できない人間にはなおのことです。
 資金のことだけならまだしも、彼らは自分たちの道具に対しても精通し、自分で修理し、さらには改造までもしていたのです。表現したいことがあって、でも表現するのに技術的な障害がある、それならば自分で作ってしまおう。それが出来てこそプロなのかもしれません。山形浩生『新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち』の最後の章を思い出します。今あるもので表現できないなら、自分で作ってしまうのがプロなんですね。

 ちなみに、名カメラマン鈴木達夫についても、記述があります。黒木和雄監督の『とべない沈黙』のカメラワークで知られる名手ですが、本書では凄い撮影をしたようです。
 羽田のデモで、怪我をして頭に包帯を巻いた女学生がある。徐々にアリフレックスカメラで近づき、左手でピントを送り、頭の上に入ったら、レンズをはずして、包帯のところにカメラをくっつける。すると、白いイメージが残る(p53)。鈴木はなんと、レンズなしの状態でも画は撮れることを、証明してしまったのです。包帯を巻いた頭の方へと入り込むようにカメラが近づき、ついには、距離がゼロになってしまう。究極的な撮影です。
 クローズアップは、グリフィスが被写体のギッシュに近づきたいという欲求に駆られて誕生した、という伝説がありますが、ここまで被写体に接近しようという人は、さすがにいないでしょうね。


(注1) 「活動家」はいかなる姿勢であるべきかについては、拙稿「なぜ日本には、「シェルター」が少ないのか」に書いております。
 たむらまさき と小川紳介の関係については、たむら が、『酔眼のまち-ゴールデン街 1968~98年』を書いていますので、そちらをどうぞ。彼らの「距離」というのも、分ります。

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