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「無条件降伏」と「本土決戦」 -1945年、いかにして日本は分割占領されず、沖縄が「国体」の犠牲にされたのか-

 はてブの方で、m-matsuoka氏より素敵なコメントをいただいたので、これをいじり倒してみたいと思います。以下、適当にWikipedia等を引用しつつ、適当に弄繰り回してみましょう。( m-matsuoka氏の素敵な足跡については、「id:m-matsuoka氏に答える」(『小熊座』様)もご参照ください。ちなみに、エリック・ロメールの『獅子座』にはゴダールが出ています。)



■素敵なコメント①■

 日本が分割されなかったのは硫黄島と沖縄で米軍に大損害を与え本土上陸を断念させ連合国との条件降伏に持ち込んだから。半島が分割されたのは北も南も自国の運命を外国軍にゆだねた結果。南進すれば統一はすぐ。



・硫黄島陥落の影響

 硫黄島の奪取によってアメリカ軍は日本本土空襲の為の理想的なポジションを手に入れた。その中で硫黄島陥落後の変化は護衛戦闘機の直援を受けたB29爆撃機による昼間の中高度以下の爆撃が可能となったことと、不時着飛行場が確保できたことである。   注①

 上陸の件はともかく、硫黄島陥落によって、爆撃し放題になりました。本題に関係ないですが、念のため。
 あと、「米軍に大損害」って書いてありますけど、それ以上に日本軍は大大損害だったのですが。

・実際の所、「硫黄島と沖縄で米軍に大損害を与え本土上陸を断念させ」たのか?

 統合参謀本部議長のレーヒ元帥は、「すでに壊滅している日本に対し作戦を遂行する必要なし」として中止を提案。海軍作戦本部長キング元帥も、「地上兵力投入による本土侵攻より海上封鎖が有効」と主張。陸軍航空隊総司令官アーノルド元帥も「本土への戦略爆撃と海上封鎖が有効」と言う慎重論が出た。彼らがこのような主張をしたのは、日本軍との各諸島での戦闘、とりわけ硫黄島や沖縄戦での損害の大きさに、本土戦での犠牲者の数を懸念したためである。
 それに対し、「本土侵攻による大戦の早期終結を」と主張するマッカーサー元帥や、陸軍参謀総長マーシャル元帥と太平洋艦隊司令長官ニミッツ元帥がこの計画を支持した。最終的に作戦は承認され、マッカーサーに対して作戦準備指令が下っている。   注②

 「断念」じゃなかったんですね。

 ルーズベルト大統領の死去に伴い、跡を継いだトルーマン大統領は、ポツダムでの会議中に原爆実験の成功の報を聞き、ソ連の日本参戦を阻止するため、そして日本をソ連の助力なしに英米のみで屈服させることが可能になったことから作戦中止を決定する。   注②

 本土決戦を断念して云々は、違いますね。本土決戦はなるべく避けたかったけど、「断念」というほどでもなかったのですね。
 ここで重要なことは、「断念」という語によって、日本軍の勇敢さなどを証明しようとする意図です。日本軍の頑張りによって本土決戦をアメリカに断念させた、云々というお話は、上の事実から、完全な間違いではありませんが、正答ではないのです。
 あと、「半島が分割されたのは北も南も自国の運命を外国軍にゆだねた結果」って書いてあるけど、われらが大日本帝国も、自国の運命を外国軍にゆだねてます。まあ、これは後述する「条件降伏」云々の話になるのでしょう。
 それと、日本分割云々については、これって単にソ連参戦のタイミングの問題じゃないかと思います。ソ連参戦後7日程度で、日本がポツダム宣言を受諾したので、このタイミングこそ分割されなかった最たる理由でしょう。つまらない結論ですが。

 1945年(昭和20年)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しないことを日本に通達した。この背景には、ヤルタ会談にて秘密裏に対日宣戦が約束されたことがある。ポツダム会議では、原爆完成により、アメリカはソ連の参戦なくして日本を降伏させることも可能と判断しソ連参戦の回避を図ったとされる。一方、日本側はソ連の仲介による和平工作をソ連側に依頼していた。ソ連はこれを黙殺し密約どおり対日参戦を行うことになる。ソ連は8月8日深夜に突如、日ソ中立条約の破棄を宣言し「日本がポツダム宣言を拒否したため連合国の参戦要請を受けた」として宣戦を布告。9日午前零時をもって戦闘を開始し、南樺太・千島列島及び満州国・朝鮮半島北部等へ侵攻した。この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な奇襲攻撃となった。   注③





■素敵なコメント②■

 米国は本土上陸を断念したから原爆の使用に踏み切った。日本が連合国と結んだのは条件降伏です。だから日本の政体は変わっていないし、国際社会への復帰も早く、沖縄も返還された。



 まず、「米国は本土上陸を断念したから原爆の使用に踏み切った」という件は、先ほど見たとおり、適切なものとは言い難いようです。

・「日本が連合国と結んだのは条件降伏」なのか。

 論争の後に国際法を専門とする高野雄一は朝日新聞紙上で解説を行ない、ドイツと異なり政府の存続を認められたのが日本の降伏であるとした上で、無条件降伏ではないという点では江藤が正しいとした。ただし、江藤が従属制限の法的条項には論争で全然触れておらず、「日本は明示された諸条件の下に主権を維持しつついわば約束ずくの降伏」をしたとして、占領管理下の日本をもそう理解しているようであるならば、それは誤りだと指摘する   注④

 国際法の専門家が、有条件降伏であると述べているのは確かなようです。(ただし、江藤の主張を全面的に肯定しているわけではないようです。)そして、

 ドイツの降伏はルーズベルトが意図した一切の事前の条件提示のない完全な無条件降伏であった。その後、トルーマンは、多くの側近の助言を受け日本に対する降伏要求については、無条件降伏の原則に一部修正を加え、ルーズベルトが否定した条件付無条件降伏論の立場に立って対日降伏勧告のポツダム宣言を発した   注④

と書いてもあるようです。
 しかし、

 トルーマンは、多くの側近の助言を受け日本に対する降伏要求については、無条件降伏の原則に一部修正を加え、ルーズベルトが否定した条件付降伏論の立場に立って対日降伏勧告のポツダム宣言を発した。 連合国としてではないが、米国内の通達には以下のようなものがある。米国トルーマン大統領からマッカサー元帥に対し行われた通達において、[5]「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない」趣旨の指令があり、米国大統領の対日政策の基本認識が示されている。この通達はトルーマン大統領からマッカーサー連合国最高司令官へのTOP SECRETの文章であり直接日本政府に通告されたものではないが、降伏文書(契約的性質を持つ文書)を交わしたアメリカが実質的にその契約性を否認していた証拠と解する立場もある。   注④

 要するに、無条件とか有条件とか、そこらへんはなあなあにして、日米は互いに「抱きしめ」あっていたようです。無条件とか有条件とかは、それほど重要には思えません。最も首肯できる意見は以下の通りです。

 私の私見ですが、ポツダム宣言受諾の意味するところが、日本が無条件降伏を受諾したのではなく、「全日本国軍隊の無条件降伏」という条件を含む有条件降伏を受諾したというのが、国際法的解釈として正当であったとして、私を含む多くの国民にとってその法的解釈論争の意味はあまり見いだせなかったのではないでしょうか。(略)
 現実には「無条件降伏」でなかろうとあろうと、日本はアメリカに一方的に占領され国家としての独立権を一時取り上げられたし、占領軍・GHQは司法・行政・立法の3権に大きく干渉して、遣りたい放題日本の制度を根本から改革したわけです、憲法も含めて。   注⑤

  通常、一般国民には、「無条件降伏論争」は、どうでもいいわけです。占領された結果が問題なわけですから。(実のところ、ポツダム宣言は、「カイロ宣言の条項は履行されるべき」と説き、そのカイロ宣言は、日本国の無条件降伏を目指すべきという旨が書かれていますので、日本国の無条件降伏という主張も出来なくはありません。当時やろうと思えば、まあ、可能だったわけです。グレーゾーンです。そんなものです。)
 なお、【日本軍の強力な抵抗が、連合国に条件降伏まで譲歩させた】云々の件ですが、因果関係はいまいちはっきりしません。というより、【イタリアもドイツも降伏して、後は日本だけだから、さっさと戦争終わらせるには、殲滅戦争じゃなくて、まず降伏勧告をやるか】ということに過ぎないでしょう。

 次に、「条件降伏」と後世の因果関係について、検証しましょう。「日本が連合国と結んだのは条件降伏です。だから日本の政体は変わっていないし、国際社会への復帰も早く、沖縄も返還された」という部分です。

・「日本が連合国と結んだのは条件降伏です。だから日本の政体は変わっていない」のか?

 主権の所在という観点からすれば、尾高説によればどのような政変があっても主権の所在は不変ということになり、政治の根本原理の変化を包み隠すものであるとして、宮沢説が通説化した。実際、尾高自身、論争の口火を切った「国民主権と天皇制」において、純粋の法理論からいえば日本国憲法の制定により国体が変革されたことはほとんど不可避の結論であるとしている。   注⑦

 和辻は、誰が統治権の総攬者なのかは国体ではなく政体の問題であり、一般社会の考えでは、天皇は国民の象徴であり、国民の憧れであるという事実は変化していないので、日本国憲法制定後も、国体に根本的な変化はないと主張した。 和辻の主張する国体とは、日本の歴史を一貫する特性であり、天皇が国民の象徴であることとされる。   注⑧

 「国体」はともかく、「政体」は変更されているようです。「政体」=「主権」の場合ですね。天皇の位置づけは、「政体」という言葉でくくるべきではないでしょう。
 まあ、【日本の国体は変わっていない】として、だから何なの?という話です。これは、沖縄との関連で再び言及します。


・「日本が連合国と結んだのは条件降伏」だから「国際社会への復帰も早」かったのか?
 一応検証すると、 1945年の5月、ドイツは正式に連合国に対して無条件降伏してます。「1949年5月6日、米英仏占領地域に自由主義・資本主義のドイツ連邦共和国(西ドイツ)臨時政府を成立して分離され(主権回復は1955年5月)」た(注⑨)。
 なので、確かにドイツは正式な国際社会への復帰は、遅れたようです。でもこれは、無条件降伏だからというよりも、東西分割の影響によって、国際社会への完全な復帰が遅れた、と見るべきですね。
 1945年の「ロドルフォ・グラッツィアーニ元帥とRSI軍は4月29日まで抵抗を続けた後、グラッツィアーニ元帥の署名で降伏に同意した。」「1947年のパリ講和条約により、フランス国境に若干の変更があったほか、東部国境はユーゴスラビア側に動かされ、トリエステ市の周辺は自由圏に指定された」(注⑩)。
 イタリアは共和制になりましたが、降伏から、2年間で復帰しています。
 イタリアの場合、パルチザンの関係もあるので、日本とそのまま比較するのは難しいでしょうが。
 いずれにせよ、条件降伏だったから、国際社会復帰も早かったと断定できる材料は乏しいようです。むしろ各国の敗戦した際の状況が、国際社会への復帰の時期を左右したと見るべきでしょう。


・「日本が連合国と結んだのは条件降伏」だから、「沖縄も返還された」のか?

 まず確認しておくと、本土が終戦とかやってる間も、沖縄戦継続中です。で、サンフランシスコ会議において沖縄は、奄美などとともに、日本の行政権から切り離されることになります。
 沖縄に対する米軍の統治の経緯を見てみましょう。

 アメリカは当初、琉球人は日本帝国主義に支配された異民族であると認識しており、朝鮮半島と同じく国際連合による信託統治期間を設けた上で、日本から分離独立させることを計画していた。軍政もそのための準備段階として捉えられていたのであるが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領期間中、ソビエト連邦を中心とした共産主義国との冷戦が意識されるようになり、信託統治にした場合、軍用地を自由に接収できなくなるほか、国連へ統治の実態の報告を毎年義務付けられているなど、ソ連と対抗し、共産主義の防波堤として利用するには不都合であった。そこで[要出典]、独立を前提とした信託統治計画を取り下げ、日本の潜在的な主権を認めつつ、軍による統治の形態をとることとした。   注⑪

 「要出典」と書いてあるため、信用できない方もおられるかもしれませんので、別のページからも。

 アメリカ軍部の本音は、沖縄をグアムのような属領にすることだったけれど、国務省がそれには同意しなかったので、日本の残存主権があるとした。しかし実際は沖縄を完全にアメリカ軍の支配下に置き、軍事基地として思うがままに使うことにしました。この沖縄の米軍拠点化を条件にして、日本は非武装でよろしいというのがマッカーサーの「東洋のスイス」論ですね。ですから、21世紀になった今日に直結するすごく重要なことがその時に決められていた。
  しかしこの講和条約へ行く過程で、講和条約の後アメリカ軍が日本本土に居残る場合、どういう条件で居残るのかということについては、日本政府と米国との間に駆け引きがあった。その問題を鋭く追及したのは、豊下楢彦さんですね。どういう駆け引きかというと、いずれにしてもアメリカ軍は居座るけれども、それは日本からお願いして残っていただくのか、アメリカが残りたいと申し入れて、それを日本が認めるのか、をめぐる駆け引きなのです。
これはどっちでも良いように見えるけれどそうではない訳です。日本の外務省は、向こうが頼んできたから認めるということとして交渉するつもりだったのを、天皇ヒロヒトが、外務省もマッカーサー司令部も通さず、講和条約の交渉窓口であったダレスと直接交渉して、日本から駐留を頼んだという風に持っていくように工作して、それが功を奏したというのが豊下さんの議論です。それが正しいかどうか、私は判断する資格がありませんけれど、いずれにしてもこうした複雑なプロセスのなかでできたのが最初の安保条約ですね。   注⑫

 豊下楢彦の研究を踏まえつつこのように述べられています。ここら辺の経過については、豊下の『昭和天皇・マッカーサー会見』にも書いてあります。
 ですので、【有条件降伏だから沖縄は返還された】というのは、正確なものではありません。日本側に潜在的な主権が残ったのは、米国側の都合の問題です。
 そして、沖縄は昭和天皇によって、売られてしまったようです。この辺については、昭和天皇による「沖縄メッセージ」もご参照ください。なるほど、「国体」のトップの御決断で、しかも「国益」を犠牲にする形で、沖縄が売られたわけですね。


 以上より、結論。
・日本(正確には現日本国の領する領土の大半)が分割されなかったのは、まあ、要するに、ソ連参戦から早めにポツダム宣言を受諾したから。たしかに、硫黄島と沖縄で米軍に大損害を与えたけど、本土上陸をきちんと"断念"させるまでには至らなかったようです。
・連合国と結んだのが条件降伏だろうと無条件降伏だろうと、アメリカの軍事基地として使用したいという都合で、沖縄における「日本の残存主権」は認められました。

(終)



(追記)
 日本分割の可能性については、本土上陸をさせなかったことと関係するのでしょうか。もう一度検証。
 そこで、以下五百旗頭先生の研究に触れる形で見ていきます(以下、断りなき限り、注⑬より引用)。

 〈大国の協調〉と〈敵国の無条件降伏〉はローズベルト構想において一セットであり、日本の降伏と戦後処理については、日本との取引きを斥け、ソ連との取引きを選ぶことがその基本的立場であった。

 つまり米ソの関係と、日本の無条件降伏は、リンゲージの関係にあったわけです。片方が強くなれば、もう片方は弱くなる。ソ連と疎遠になるなら、当然日本が無条件降伏する必要性も薄まる、と。日本が分割されなかった背景には、ソ連の存在があります。
 米国のソ連への警戒の度合については、「分割占領回避の線に沿って、米国の一元的な統率を確保するよう立案されており、そうである以上、ソ連に対する警戒的なニュアンスがこめられていた。ソ連が参戦し日本本土の一部を占領した場合には、他国と異なり、米国の指揮下に置き得ないことを前提とするに至っている」という一文が物語っています。

 『ポツダム宣言』は、簡単にいえば、日本本土の水際にまで迫った連合国軍が、総攻撃前に行った降伏勧告である。もし総攻撃による死闘のあとの降伏であれば、条件は不要であるが攻撃側の犠牲も甚大である。こうした状況での降伏勧告は戦史における常識であって、むしろそうしないことのほうが例外的な手落ちとみなされよう。

 やはり、本土攻撃は、ポツダム宣言のときでさえ、視野には入っていたわけです。本土攻撃、断念してません。

 七月上旬、ポツダムへ向かう直前の米国軍部には、なんとか「支配的発言権」を守れるならば、可能な限り米軍の負担を軽減するため、連合諸国による日本の共同占領を実質化する方向性が顕著となった。この流れを極限まで推し進めたのが、統合戦争計画委員会(JWPC)が起案した日本占領案である。

とあるように、連合諸国との共同占領を実施する動きもありました。しかし、アメリカ内部でも、日本占領をどういった方法で行うのかで意見は分かれていました。その中で、なるべく米国主導にしたいと考える人物がいました。マッカーサーです。

 マッカーサーは、他国軍の日本占領への参加に消極的であった。「米軍であるにせよ、連合国軍であるにせよ」と、他国軍の参加の可能性を認めながらも、「全土と全占領軍に対して完全に指揮権を行使することを、マッカーサー将軍は望んでいる」。自身が一元的に日本本土全体を統治することを、この誇り高い軍人は要求したのであり、それに従う以上、他国軍がたとえ参加するにせよ、独自性をもって一定地域を管理することは許されなかった。

 マッカーサーは、アメリカのイニシアチブを望んだのです。分割占領が為されなかった理由は、マッカーサー自身(及び彼の意見への賛同者)が、自国主導を望んだ面もあるのです。「マッカーサーは、他国軍の参加に消極的な反面、日本国民の希望には進んで応じ、その協力を取り付ける姿勢を示した。(略)広く散らばった日本軍の降伏と非武装化を容易にするために、軍部機構と天皇個人を用いる希望をも、マッカーサーは表明した。」
 実は、終戦後も、分割占領の案が浮上したりしているのですが、最終的にはGHQによるアメリカ主導の占領という形になりました。

以上のことからわかるのは、
・日本分割がされなかったのは、ソ連に日本の一部を占領されたくなかったことが大きいです。
・マッカーサーを始めとする、アメリカ主導での日本占領を主張する一派がいたことも、重要な要因です。




(出典元)

注① 「硫黄島の戦い - Wikipedia」より
注② 「ダウンフォール作戦 - Wikipedia」より
注③ 「日ソ中立条約 - Wikipedia」より
注④ 「無条件降伏 - Wikipedia」より
注⑤ 「「日本は無条件降伏していない」~終戦記念日の産経の少しノスタルジックでメランコリックな記事」(『木走日記』様)
注⑦ 「尾高・宮沢論争 - Wikipedia」より
注⑧ 「佐々木・和辻論争 - Wikipedia」
注⑨ 「ドイツの歴史 - Wikipedia」より
注⑩ 「イタリア社会共和国 - Wikipedia」より
注⑪ 「アメリカ合衆国による沖縄統治 - Wikipedia」より
注⑫ 武藤一羊「<日米安保体制>という問題(上)  沖縄を米国の軍事植民地とした第1次安保から「冷戦の最前線日本」の第2次安保まで」(『日刊ベリタ』様)
注⑬ 「アメリカの日本占領政策」(『永井和のホームページ』様)

2010/11/12 一部訂正済。
2010/11/13 タイトル副題を変更

コメント

No title

はじめまして。TBいただきました、quagmaです。
その後m氏から何か反応ありましたか?こちらは全くなかったです。
 
エリック・ロメール、好きです。
『獅子座』ですが、いちおうどこかの劇場で上映されたときに見に行ったんですが、ほとんど寝てしまいました。うとうとしてハッと目を開けて主人公がまだパリをさまよっているのを見てまたうとうとする…という「映画体験」でした(笑)
ゴダールはパーティのシーンあたりで出てるんでしたっけ?
 
ちなみに私のブログのタイトルですが、quagma→「くぉぐま」→小熊、というしょうもない駄洒落に由来するしょうもないタイトルです。なんとなくロマンチックで割と気に入ってます。

Re: No title

はじめまして。このブログの管理人でございます。

>その後m氏から何か反応ありましたか?こちらは全くなかったです。
 
 こちらにも一切ありません。基本、過疎ブログなので(涙)。
 【尻尾巻いて逃げた】と勝手に解釈しております(笑)。
 まあ、こちらのケースの場合、先に噛み付いたのこっちですし(あちらは"被害者"ですな)、一応あちらのメタブも比較的"紳士的"なものでした。ただその記述の誤りが、こちらの限度を越えていたので、ついつい。
 また"非科学的"な発言をしていたら、何度でも噛み付こうと思います。飽きるまで、暇である限り(笑)。

>エリック・ロメール、好きです。
>『獅子座』ですが、いちおうどこかの劇場で上映されたときに見に行ったんですが、ほとんど寝てしまいました。うとうとしてハッと目を開けて主人公がまだパリをさまよっているのを見てまたうとうとする…という「映画体験」でした(笑)

 エリック・ロメールは、こちらも好きな作家です。
 この映画、中年男(当時のロメールとほぼ同じ年齢)が、ひたすらパリをさまよってる映画でしたからね。普通に考えたら、興行的に失敗して当然です(笑)。傍らに女が居なかったから売れなかったんだ、というのがこちらのアホな分析です(←ロメール映画ですものね)。

>ゴダールはパーティのシーンあたりで出てるんでしたっけ?

 音楽マニアの役って、Wikipediaにありました。信用できるかな(笑)。劇中ではひたすらレコードの針をいじくってます。
 ゴダール登場場面は、ようつべに、http://www.youtube.com/watch?v=RmEpcG9czDc ありました。もうご存知かもしれませんが、ご参考までに。

 コメントお寄せいただきありがとうございました。

 なお、鈴木清順『陽炎座』には、トビー門口が出てきます。

No title

>ようつべ
 
ありがとうございます。
見ましたが、まったく記憶にありませんでした。寝てたんでしょう、きっと(笑)
 
>鈴木清順『陽炎座』には、トビー門口
 
どういうつながりで岩井さんがこれを出されたのかしばし考え込んでしまいました(笑)wikipediaの「トビー門口」の項まで見てしまったんですが、「名前がくだらない駄洒落由来」つながりという解釈でよろしいでしょうか?
清順も好きです。
『陽炎座』も何年か前に、確か渋谷の劇場(名前失念)で清順レトロやったときに見ました。これも寝てしまったのか、あまり覚えてない(笑)木村威夫氏の手になるセットがすごかった、ということぐらいしか覚えてません。すごく変な映画じゃありませんでした?まあ清順作品、特に日活を馘になって以降の作品はみんな変ですが…

No title

>どういうつながりで岩井さんがこれを出されたのか
 
あ、そうか…今まで気づかないなんてどうかしてました…
『山羊座のもとに』にはイングリッド・バーグマンがでてますね、とでもおかえしすればよかった。

Re: No title

 コメントありがとうございます。

>どういうつながりで岩井さんがこれを出されたのかしばし考え込んでしまいました(笑)wikipediaの「トビー門口」の項まで見てしまったんですが、「名前がくだらない駄洒落由来」つながりという解釈でよろしいでしょうか?

 お手を煩わせてすいません(謝)。「「駄洒落由来」つながり」でご理解ください。

>木村威夫氏の手になるセットがすごかった、ということぐらいしか覚えてません。すごく変な映画じゃありませんでした?まあ清順作品、特に日活を馘になって以降の作品はみんな変ですが…

 なぜ、清順作品は、「変」なのか。一説によると、二本立映画の"B面"で頑張ってハチャメチャやっていた監督が、"B面"やらなくなってからも頑張ってハチャメチャを続けて、結果ああなった、というのがあるようで。そうなのかも。(← 上野昂志編『鈴木清順全映画』の座談で、もっと正確な内容が語られていた、と記憶しています。)
 ちなみに、さっき「ころしのらくいん」ってググろうとしたら、予測変換が出ませんでした。清順だからか?と思いましたが、良く考えたら、「殺し」がNGワード名だけだったのですね(笑)。

>『山羊座のもとに』にはイングリッド・バーグマンがでてますね、とでもおかえしすればよかった。

 お見事! ヒッチコック、予想外でした。しかも、興行的に失敗したところまでも。一本!

 コメントありがとうございました。

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