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"知日派"の実像と、ニューディーラーたちの抗争 -対日占領政策の政策的抗争をめぐって-

 進藤榮一『敗戦の逆説』を読む。



 憲法押付け論(例えば、江藤淳)でもなく、かといって、"米国知日派と日本の知米(英)派との融和的共同作業"と言った主張(例えば、五百旗頭)とも違う"占領論"を、著者は説いている。
 前者は、米国側が対日懲罰的なハードピースをしたと主張する。
 後者は、米国側は後々対日懲罰的なハードピースになっていくが、米側の知日派の融和的なソフトピースに助けられた、という主旨の主張をする。



 著者はそれらを論駁し、述べる。
 曰く、占領するアメリカ側には、二種類の勢力がいたという。
 片方が、日本の旧体制の支配層に親和的なグルーやドゥーマンら。もう片方が、日本の体制を変革しようとした年下世代のニューディーラーたち。
 この米国側の、守旧派と変革派との抗争が、本書のメインテーマとなる。
 前者が、日本の政治のうち、形だけ、つまり、政治分野だけを微温的に"民主化"しようとしたのに対して、後者は、日本の社会や経済に対しても"民主化"を試みたという(144頁)。
 著者は、後者の存在は、米国のニューディール、英国の福祉国家政策、北欧諸国の福祉的経済体制、すなわちこれら"社会民主主義"的動向を背景にしているという。
 つまり、変革派の動きというのは、歴史的偶然ではなく、歴史的な潮流の中にあるものだというのだ。
 


 上の両者の大きな違い、それは、前者が、可能な限り日本の政治体制を変えず温存させようとしたのに対して、後者が日本の政治体制を大きく改革し、経済・社会の分野にまで及ぼそうとしたことである。
 後者は"無名の民衆"に対して、民主主義を作る潜在性を信頼していた(49頁)。
 それに対して、前者の場合は、日本の旧支配層であるセレブリティに信頼を寄せてはいたものの、日本の民衆は信頼していなかった。
 結果、占領期日本の政治改革の原型を作る役割を担うのは、後者のほうであり、天皇を含む旧支配層の政治責任を重く見たのも後者である。



 本書では、いくつも、興味深い箇所がある。
 例えば
 米軍が空爆を日本本土に行う際、米国爆撃機の飛行の要路だった浜松を、他都市空爆の時に余った「爆弾の捨て場」にしていたという事実(30頁)。
 おかげで、浜松は毎日爆撃されていた。
 "ついで"という理不尽さで、一都市が爆撃されまくるとは・・。



 あと、京都に原爆が落ちなかった件について。
 京都に原爆落ちなかったのは、文化財の重要性を説いた、スチムソンやウォーナー博士のおかげ、という神話がある。
 著者は、吉田守男の研究を紹介し、次のように書いている。
 曰く、スチムソンが京都に原爆を落とすことを否定したのは、文化財保護のためなどではなく、京都に原爆落したら、冷戦後になって日本が米国に敵意を抱いてしまう事を恐れたため(31頁)。
 ウォーナー博士の場合は、一切、原爆を投下する都市の選定に関っていなかったし、それどころか、20年代には敦煌の千仏洞の壁画を仏像数体と一緒に米国へ持ち去った"前科"もある人物である(40頁)。



 知日派といわれるジョン・マックロイだが、一方でかれは、日系人を強制収容所に隔離した政策決定の最終責任者でもある。
 そんな彼が、こんな名言を残している。
 「日本人の民族的性格からいって、けっしてわれわれは日系市民を理解できないし、信用することさえできなかったのである」(74頁)
 知日派、ここでいう守旧派とは、つまるところ、日本の旧支配層以外はついぞ信頼することもなかったし、その可能性に賭ける事もしなかった存在のことである。

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