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「ことだま でしょうか いいえ、誰でも」前編 -結局、「言霊信仰」って言いたいだけだろw な話-

 "言霊信仰"ってのが、この世界にはあるそうで。
 で、人によっては、日本人はずっと昔からこれに囚われてるんだ云々、といってる人もいるらしい。
 実際どうなのよ。

 ためしに「井沢説にみる日本人に独特の"宗教感情"」という記事を見てみようかな。
 以下、引用と突っ込み。

「日本はこの戦争に負けるかもしれない」という言葉を公然と口にすることはタブーだった。そんな不吉なことを言うこと自体が、敗戦という現実を招き寄せると考えられたからです。いや、敗戦を望んでいる者、とまでとられかねませんでした

 えーっ、実証なしww
 いや、「敗戦という現実を招き寄せる」とかっていうよりは、「単に負けを認めたらこれまで費やしてきたもの(戦死した人々、戦争に費やしたお金・・・)が全部無に帰してしまう、これを認めるのが怖い」、ってだけの認識論的問題だったんじゃないの?
 言霊信仰云々っていうのは、単に別の原理でもっと合理的に説明可能なものを、「言霊」って言葉で無理やりあてはめたものにすぎないと思うよ。

日本人の「念仏平和主義」は、井沢元彦氏の「言霊」論で明快に説明できます。それは冷静な現実分析を排し、「必勝の信念」を呼号し、それに酔った戦時中の国家指導者の行動原理とまったく同じ物でした。

 やっぱりこれも、実証してないよねw
  国家指導者の中で、少なくとも自身のスローガンに陶酔していた人間は、実際のところ、ほとんどいないと思うんだけど。

 っていうか、それなら公平を期して、ご自身の「念仏"「平和主義」批判"主義」について、真面目に御考えになっては?
 これは断定して言えるけど、「日本人と言霊信仰」を強固に関連付けてその信仰を批判する人って、自分だけは「信じない」って例外扱いなんだよね。
 この信仰から逃れてる俺カッコいい、的な。

 なんなんでしょ。この、「自分は例外だよ」主義。

日本人だけは、軍隊があると戦争を呼ぶんじゃないか。だからないほうがいい。しかしまったくないのも不安だから、軍隊とは呼ばずに「自衛隊」といおうと。内容でも変わっているのかというと、全然変わっていない。ただ、言葉でごまかしているだけです。

 え? 単に、憲法との整合性の問題なんじゃない?
 それに、「自衛隊」の命名は、リアリストな真正保守の政治家の皆様でしょ?まさか、彼らまで、言霊云々をあてはめるんですかww?
 それに、ガチの平和主義者なら、軍隊どころか、自衛隊も無くせよって言うのが正しいはずでしょうよw

有事立法制定についての意見そのものが非難されるのです。まさに、「そのような事は口にするものではない!」と。これではただの「意見の抹殺」です。

 え、これ、「言霊信仰」?
 単に、異論は一切口にするなっていう全体主義的発想(あるいは、非民主主義的発想)なんじゃないの?
 この人多分、護憲を前提にしてて、その考えからすれば有事法制など議論するまでもない、っていってるだけであって(それが正しいなどとは思わないけど)、別に言霊云々持ち出さんでいいと思うけど。
 改めて。
 言霊信仰云々っていうのは、単に別の原理で十分合理的に説明可能なものを、「言霊」って言葉で無理やりあてはめたものにすぎないと思うよ。
 で、いざ「言霊」ってひとくくりにされているものを分解してみたら、何のことはない、程度の差こそあれ、日本人以外でも結構ある要素ばっかでしょ。
 他の概念で代替した方がより適切な、こんな「言霊」なる概念、使えないよ。



 それにしても、実際の日本の歴史上の「言霊信仰」ってどんな感じだったんでしょ?
 実は、時代や論者によって、その中身は色々異なるのですね。
 ただ、その全貌を紹介する時間も能力もありませんので、次回に、川村湊『言霊と他界』(講談社学術文庫版)にそって、いくつか書いておこうと思います。

(つづく)

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