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「おそるべき君等の乳房夏来る」(西東三鬼)を公の文章に引用した憲法学者は、多分著者が最初。 長谷部恭男『憲法のimagination』(後編)

 再び『憲法のimagination』を読む。



 ルソーは、戦争とは相手の国の社会契約に対する攻撃であり、根本的なレベルで大戦争にいたる国家間の対立を終結させるためには、社会契約自体を変更する必要がある、と述べた(175頁)。

 で、戦前日本の憲法だと天皇主権こそ憲法原理であり、その憲法原理の変更を受け入れて戦争は終結した、と見るのが著者だ。
 そして、冷戦というのは、リベラルデモクラシーという憲法原理と共産主義という憲法原理の対立であり、それが終焉したのは、東側がリベラルデモクラシーを受け入れたためだ、という。
 いずれの場合も、戦争の継続よりも国民の生命と財産を守ることが第一だと考える政府が、戦争の原因である憲法原理を自ら変更することで戦争は終わった、と見るのである。

 無論、この解釈を行った場合、難しい点が出てくる。
 即ち、ならば中ソ対立はなぜ引き起こされたのか、ということだ。
 同じ憲法原理なはずなのである。

 まあ元々、中ソ論争の原因ってスターリン批判が端緒だし、「(憲法原理が異なるであろう)米国と平和共存してよいか否か」とか、「どっちが正しい社会主義なのか」とかのイデオロギー(≒憲法原理?)に関わるから、別にいいのかもしれないけどねw

 (なお、実際に政府が「国民の生命と財産を守ることが第一」と考えてるかどうかは、皆様の判断次第w)



 湾岸戦争のときの海外からの感謝云々について。
 湾岸戦争のとき、巨額の戦費を出したのに、クウェート政府が感謝してくれなかったよー的なことが問題になった。
 著者はこれをいちいち気にしている奴らを批判している(198頁)。

 感謝されて当然のことをしたが相手が感謝しない時、非難されるべきは相手の方じゃねえの?
 もし、感謝されて当然だと思うのなら、それを、自分に非があるって考えるのは、「自虐」じゃねえの?

 てかそもそも、感謝されるのが目的じゃなくて、国際状況の中で日本の国益に最適だと考えるから、そういう行動をとったはずだろ。
 それに比べりゃ感謝なんぞ二の次、三の次のはずだ。
「国益」のためならね。
 自分の国益や正当性を慎重に吟味してとった行動なら、国際社会の評価は後から付いてくるって考えるべきだ。
 目先の評判を選ぶなよ、って。


 確かに、著者の言わんとすることは正しい。
 そのことを、先のイラク戦争の経験は教えてくれたはずだ。

 そして著者曰く、周囲の目先の評判を考えて自衛隊の活動を決めるような政府なら、万一を「考えてその手を縛っておくにこしたことはあるまい」。
 (この場合の「周囲」ってのは、メリケン合衆国のことだよねw)



 映画『靖国』騒動について。
 著者は、その中身については、「長くね?」という感想を正直に漏らしている(確かにあれ、90分でも長いと思うよw)
 中身は、「凡作」というに尽きる。
 (それより著者が、「涼宮ハルヒが未来人や宇宙人を呼び寄せてしまうように」という形容詞を用いている所で笑ったw)。

 で、この映画への公的助成の適否の件については、著者は、政治的に無色透明な作品しか公的助成はするなという議論を支持しない。
 だって、何が政治的なんて判断も困難だし、境界線だって曖昧だ。
 曖昧な基準だけだと、製作者だって安全策を取りがちになるし創作意欲だって萎縮する。


 仮に政治的な立場について公平性や中立性を要求できるとしても、それはあくまでも、助成対象全体として何ヵ年かを通して実現されていれば足りるという考えだって出来るし、個別の作品に要求できるのは、せいぜい、著しく不公平な立場をとらないことくらいだ(207頁)。

 そりゃそーよ。
 さすが、どこぞの弁護士資格を持つ某議員さんとは、レベルが違うぜww



 投票の合理性について。
 結局一人一票しかないんだから、投票に行くのって非合理じゃない?って言う説明に対して、著者は、リチャード・タックの主張を用いて反論する。

 例えば、Aさんという候補者をBさんが支持しているとして、Bさん以外の人がAさんに2万票すれば当選する、と仮定する。
 2万票集まるかどうかは不確定だが、どうやらAさんが当選しそうな場合、その投票は無駄にならないから投票することは合理的だ。

 もし、2万票を上回りそうな場合は、Bさんがわざわざ投票する意味はないのではないか、と思われるかもしれない。
 でも、Bさんと同じような理由で他の人も投票をサボる可能性がある以上、やはり安全策をとって、投票するのが合理的だ。

 つまり、Bさんが、Aさんに当選するだけの票が集まると信じているのなら、投票に行くのは主観的には十分合理的だし、実際にAさんが当選するなら客観的にも合理的だ(216頁)。
 (例え、その当選に必要な数がはっきりとは分からない場合でも、潜在的にはその境界線を想定できるだろうから、その必要数は明確でなければならない必要はない。)
 要は、「頻度依存行動」って奴よ (知らない人はググってねw)。

 で、上記説明から思うに、死票はやはりいけない。
 小選挙区制の場合、死票を出しやすいし、どうせ投票しても当選しないよなあ、という気分を人にもたらしてしまう。
 投票率を上げたいなら、せめて、小選挙区制は止めるべきだと思うの。




 この本には、著者がアーレントを軽視する理由も書いてある。
 よーするに、このオバサンアーレントさん、政治を自己目的化してんじゃね?と批判してる。

 アーレントを真っ向から批判している人って珍しい気がするw



 あと、憲法学者の手になる文章で、「おそるべき君等の乳房夏来る」(西東三鬼)の名句を引用したのは、多分著者が最初だと思う。

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