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「『ボヴァリー夫人』論』」完成させずにあの世へ行くつもりかw

■渇きは水の欠如ではない。■

 渇きは、沈黙がたんなる言葉の欠如ではないのと同様に水の欠如としてあるのではなく、体内にわずかに残った水分の、声にならない叫びではないのか。 (某書より引用)



■古井由吉と、死からの拒絶■

 古井由吉的存在は、死からは拒絶されるほかはない。死は、きまって向こう側の、意識の到達しえない世界に起る。死は、そして死と境を接した狂気は、「距離」の彼方の、「鏡」の理解を超えた変調としてあるのだ。
 […] 死そのものは、この手でじかにまさぐることの不可能な、恐ろしいほど遠くのできごととしてあるにすぎない。 (某書より引用)



■荷風と湿気■

 むしろその自然意識は、たとえば、 […] 桶谷秀昭が指摘した新帰朝者荷風の、日本の湿った気候への憎悪感、西欧の衣装や靴を無惨なまでに変質せしめる悪しき風土への嘔吐を介して捉えるべきものではないのか。 (某書より引用)



■『ボヴァリー夫人論』を完成させずにあの世へ行くつもりかw■

 終わろうとする気持が事態を弛緩させているからに違いない。総じて、それぞれの文章の前半が後半を圧倒している。終りとは、それほど厄介なものなのだろうか。いずれにせよ、書き終わらずにすむ批評を摸索することが、この著者の急務である。 (某書より引用)

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