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社会主義は容認し、民主主義は容認しなかった、「国体」

■ドイツ社民党の国民政党への道■

 ドイツ社民党の場合、階級政党から国民政党への方向転換は、1959年のゴーテスベルク綱領で決定的となった。無論、この方針転換をめぐって、その後、党内では議論(たとえば青年組織であるJUSOからの批判)が繰り返され、またAPO(議会外反対勢力)も生まれるのだが、中産階層がナチの支持勢力なっていたという苦い経験ゆえに、中産階層をしっかり支持基盤に取り込むことは、ドイツ社民党にとって、戦後民主主義を確立し、これを安定させるためにも、重要な課題だった (某書より引用)

 ゴーテスベルク綱領が、ドイツ社民党にとって重大な転換だったことは良く知られてます。
 そのために、社民党が政権をとるチャンスを得たと同時に、党内左派の分離を招いたことも。
 それでもなお、中産階級を取り込み国民政党へと転換せねばなかったことは、上の理由によるものです。
 無論それは再軍備にも関わるものでもあり、そこらへんの詳細は、岩間陽子『ドイツ再軍備』とかを読むべきかもしれません。

■ドイツの社会民主主義の歴史の一例■

 国家による社会主義、官僚制によって実現される社会主義、つまりは「上」からの社会主義、それらもまた「社会主義」だという認識が広がっていく中、ベーベルとリープクネヒトたちは、これらと自分たちを明確に区別するために「社会民主主義」という理念を党名に復活させた (某書より引用)

 ドイツ帝国時代、政府に恐れられていたのは、社会主義ではなく、社会民主主義のほうでした。
 社会主義的な政策自体は、かのビスマルクも行っているわけですから、社会主義者鎮圧法の狙いは、社会主義自体ではなく、社会民主主義、すなわち、「下からの社会主義」にあったことは、十分了解できると思います。

■社会主義は容認し、民主主義は容認しなかった「国体」■

 1901年 […] 社会党の「宣言書」を準備していた頃、その概要を事前につかんでいた神楽坂警察署長が、安部の自宅を訪ねてきて、こう言った。党の綱領に掲げられた「軍備を縮小すること」「重大なる問題に関しては一般人民をして直接に投票せしむるの方法を設くること」「貴族院を廃止すること」という三つの主張、これらだけを削除すれば、政府は社会民主党の設立を禁止しないだろう、と。典型的な社会主義的要求である、土地と資本の共有化や富の公平な分配には、何の言及もなかった。しかし、安部らは、この三つの要求の削除を拒む。 […] 社会民主党が禁止された以上の経緯 […] 当時の政府が最も危険視していたのは、社会主義よりも、むしろ民主主義であった (某書より引用)

 先に紹介したドイツの先例と同様、日本の場合もまた、恐れられていたのは、社会主義というよりも、社会民主主義でした。
 「軍備を縮小すること」「重大なる問題に関しては一般人民をして直接に投票せしむるの方法を設くること」「貴族院を廃止すること」という、「民主主義」的な政策は、当時の「国体」と相反するものと見なされました。
 しかし一方で、「土地と資本の共有化や富の公平な分配」などの社会主義的政策は容認されました。
 これは、その後の「戦争」の時期における、日本の「社会主義者」(社会民主主義者ではなく)の行動を予見させるものでした。
 
■その「比較」からの、卒業♪■

 ルソーと同様、ニーチェにおいても「自由」とは、他人と自分の比較によって、他人と自分を恥ずかしい思いにさせることそのものからの自由であり、さらに言えば、他人と自分の比較によって初めて意味をなす平等と、これに定位した社会的なものそれ自体からの自由なのである。 (某書より引用)

 ニーチェは、他人と自分との比較そのものから解放されようと試みました。
 ヘーゲルの、例の主人と奴隷の話(要するに「承認」の話)を考えてみると、ニーチェの企ては、その「承認」自体からの解放にあった、といえると思います。

■永劫回帰VS優生学■

 私は、この生を変えられない。だが、この生を微塵も変えることなく、何千回も、何万回も繰り返してみせよう。それが永劫回帰の教えであり、「勇気」である。こうして、「退廃者」--それはニーチェ自身である--を含むすべての生命が「勇気」によって、肯定されるべきものとなる。ニーチェの優生学も、ここで打ち殺される--本来ならば、である。 (某書より引用)

 ニーチェは優生学的に、「劣等」と見なした存在に対する抹殺を説いています。
 先ほど比較そのものからの「卒業」を説いたはずのニーチェが、自分の言葉を忘れてしまったかのように、存在の優劣の比較を行い、劣等なものの抹殺を説いている。
 しかももっとおかしいのは、その抹殺されるべき存在のなかには、定義上、「病弱」たるニーチェ自身が入ってしまうことです。
 そうなると、自分で自分の抹殺を宣言することになる。
 もし、このようなニーチェの矛盾を打ち砕くものがあるとすれば、それは、永劫回帰による運命の受容、肯定に他なりません。




(追記) ブコメにてご指摘いただいたが、この場合「某書より転用」と書いたら問題ないのでしょうか? 「某書より引用」と書いておきながら、実は自分で捏造したものも含んでいる(ケースも多い)ので、どうしたらいいものか。お知恵を拝借したいところです。



 (さらに追記) 色々考えましたが、次回から、書名はちゃんと書いておくことにします。あと、主従の問題もあるかと思うので、少しくらい自分の手でコメントを書き足すようにします。ご指摘いただきありがとうございました。



 (さらにさらに追記) とりあえず、何か補足コメント書いておきますw

コメント

出所明示について

なるほど。

1)まず、架空や著作権保護期間を過ぎた古典等でない一般の著作物の場合、字数制限のないブログでは、比較的引用ルールがルーズなネット上での慣行に照らしても、出所明示の省略は公正な慣行とは言い難いように思います。

2)他方、架空の場合は、つまり自著作ですから、引用ルール等の制約はないことになります。

3)保護期間を過ぎている古典の場合は少しややこしくなります。

期間経過後は著作権の保護の対象外となり、基本的には引用ルールの埒外です。

しかしそれでも、氏名表示権は著作者人格権とされ、著作(財産)権としての保護期間が経過した後でも保護の対象とされると考えるべきとされます。

ただ、氏名表示は、場合により例外的に省略可能で、その場合は氏名表示権の侵害にはなりません。氏名表示権が問題にならないケースでは、出所明示義務違反も問題にならないとする解釈が有力です。(加戸「著作権法逐条講義」五訂新版、p330)

しかし、省略可能は例外的であって、他の著作者と誤解を受けそうな場合等は、例外とはならないとされています。

以上から考えると、保護期間を過ぎた古典等の場合でも、著作者人格権としての氏名表示権は原則として続いていると考えるべきでしょう。

さらに、特にネットでは、著作権保護期間が過ぎている作品であっても、引用ルール無視と誤解されやすく、また論文等では当然に古典でも出所明記は慣行として成立し、ブログではツイッターなどのように字数制限もなく出所を省略する合理性も薄いです。

そう思うと、保護期間を過ぎた古典等の場合でも「出所明記」の方が無難とは思います。

さらにソーカルの例を見ても架空の場合でも出所明記の方が面白い場合が多いです。

そう思うと、1)2)3)から、「出所明記」しておく方が無難だろうと思います。

Re: 出所明示について

 管理人です。コメントいただき、誠にありがとうございます。

> そう思うと、保護期間を過ぎた古典等の場合でも「出所明記」の方が無難とは思います。
> さらにソーカルの例を見ても架空の場合でも出所明記の方が面白い場合が多いです。

 今後は、追記の通り、出典を明記した書き方に直そうと思います(以前はそういう書き方でしたし)。
 今後は出典と頁数を明記しておいて、しかしそんな文章は実は載っていない(そんな内容は書いていない)というソーカル的(?)行為を試みたいと思います(←嘘ですw)。

 ともあれ、ご指摘いただき、誠にありがとうございました。

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