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年休100%消化方法と、残業がデフォな労働慣行という厚い壁(ニッポンの雇用を考える) -水町勇一郎『労働法入門』雑感-

 水町勇一郎『労働法入門』を読む。
 実に良くまとまっている。
 そして、著者の人柄も良く出ているように思う。

 例えば、「労働審判審査って何?」とかいっちゃう人は、さっさとこれを買うなり借りるなりして読むべき。

 興味のわいたところだけ。



 会社と労働者との間の労働契約は原則的に、労働者の働く義務であり、会社が賃金を払う義務である、という契約であって、働くことは労働者の義務ではあるが、権利ではない。
 そのように日本の裁判所は、判断している(xii頁)。

 日本のメンバーシップ型の雇用の場合、賃金が発生している限りは、会社から何もしなくてもいい、なにもするな、と命令されたとしても、甘受せねばならない(他の法に触れない限りにおいて)。
 つまり日本の場合、ある労働者が、具体的に何か仕事をさせて欲しいと頼んでも、会社側が何も仕事を与えないことは、原則的に認められる。
 一方ドイツとかだと、労働者が会社に働かせてくれと求めることができる。

 日本では、中身が決められた労働が義務なのではなくて、メンバーである(所属する)ことが義務みたいなものとなっている。
 
 だから、上記のような完全な「飼い殺し」も、日本では発生しうる。
 改めて考えると、これは実にヘンな光景ではある(きちんとした背景があるにせよ)。



 実際の裁判例を見てみると、日本の整理解雇法理は、それほど厳格で硬直的なものではない。
 個々の状況に応じてある程度柔軟に判断されている。

 整理解雇の四要件をそのまま全て当てはめたものはむしろ少数であり、人員削減の必要性のみを考慮するものや、それに加え、配転の可能性や手続きの妥当性を考慮して判断するものが多い(57頁)。
 人員削減の必要性が疑われる場合、解雇は大抵無効になる。
 同じ職務についていた奴が、何故か解雇されなかった場合などが、それにあたる。

 解雇法理の実際は上記のようなものだが、よく実態以上に厳格なものだと間違われたり、悪質な場合は、解雇規制緩和を喧伝する輩に酷く誇張されたりする。
 後者に関しては、経済学者とか、エコノミスト()とか、自称経済学者()とか、そっち方面に多い気がする。



 日本の年休消化率が低いのは、労働者に年休の時季指定権を与えている日本の制度に原因がある。
 欧州諸国では、年休時期を決める権利は基本的に会社側にある。
 会社が年初に、労働者の希望を聞きながら年休のカレンダーを作成し、労働者はそれに従って年休を100パーセント消化する(133頁)。

 日本の場合、無給の休暇となって、給与が減額されるのを恐れて、結局有給を取れないケースも勿論あるだろうが、大抵は、周囲に気を遣って取れないケースが大半だろう。
 そういう意味で、この方法は十分検討に値すると思うが、どうなんだろ。



 もし日本で、(EUのように)労働時間(所定内労働時間+残業)の法的制限をかけると、これまでのような、不況の時は残業を減らして雇用の調整を行って解雇を回避する、といったことが難しくなってしまう(145頁)。

 ならば、(究極的には)所定内労働時間に手をつけるしかないわけだが、こういうのは各企業の労使協議で、時限的な所定内労働時間短縮を決めることを認めるしかない気がする。
 つまり、好況の時は、法で制限された労働時間でのみ残業労働を行い、不況の時は、労使が協議して所定内労働時間を必要程度短縮する、というふうにする。
 結局、労使協議がものをいうけれども、悪い解決策ではないと思うがどうだろうか。

 (追記)
 この残業のレゾンデートル的問題の焦点は凡そ二つあり、一つは、残業代をデフォルトで生活設計している日本の労働者(家とか教育のローンのせいかしら)の問題であり、もう一つは、正規・非正規でどのように調整に線引きを行うのかの問題、だろう。
 後者の問題の焦点も、究極的には、前者に帰結するように思いますけれども(その一例として、hamchan先生のブログの記事を御参照あれ。)

コメント

No title

おひさしぶりです。
冒頭の「労働審査」って、労働審判のことでしょうか?

それはさておき、『あの夏で待ってる』いいですよね。
よく脳内でりのんのマネとか、れもんせんぱい笑いしてます。

Re: No title

管理人でございます。
お久しぶりです。

よくぞご無事でw


> 冒頭の「労働審査」って、労働審判のことでしょうか?

100パーセントおっしゃるとおりです orz
肝心な所を間違えてましたので、訂正いたします。
お恥しい限りです。

こちらの記事で、水町先生ご自身が「労働審判」について語っておられます。
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20100415-00002075-r25
こちらの記事もまた、ご一読の価値アリです。
http://sr-partners.net/archives/51795179.html

『労働法入門』は、水町先生のお人柄が伝わってくるよい本です。


> それはさておき、『あの夏で待ってる』いいですよね。
> よく脳内でりのんのマネとか、れもんせんぱい笑いしてます。

 「戦闘or逃走シーン」とかが『超電磁砲』を彷彿とさせますが、それは同じ長井監督なので当たり前ですよねw
 (EDも、『超電磁砲』に当然似ています)

 それにしてもこのアニメ、主人公二人のメガネがぶつかる音を立てさせるためだけに、わざわざ双方をメガネの設定にしたとしか思えませんw(多分そうだと思います)
 
 終盤まで りのん の存在を誰も怪しまなかったのは不自然じゃないか(どう見ても動物じゃないw)、と思っていたのですが、それ以上に正体不明な先輩がいるので、多分気にしなかったんだろうな、と思うことにしています。

 ではでは。

No title

>よくぞご無事でw

ありがとうございます。
そういえば以前コメント差し上げたのは震災&原発事故以来でした(http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-165.html)。
あらためて、ごぶさたしておりました。

ご紹介の記事読みました。労働紛争が増えているという実態があるのに、(ちょっと前ですが)国が労働基準監督官の採用数を減らすとかいう報道がなされたりもしていて、あんたんとした気持ちになりますね。

水町先生の本は読んだことなかったのですが、『労働法入門』よさそうですね。読んでみます。

>『超電磁砲』を彷彿

まどマギ以来のにわかアニメファンなので先行作品ほとんど見てないんですよね。ここ数年のだとまどマギ以前はハルヒと電脳コイルくらいしか見てません。
去年は「あの花」もなかなかようございましたが、やはりピンドラにやられました。特に中盤のスリルはすごかった。

>それにしてもこのアニメ、主人公二人のメガネがぶつかる音を立てさせるためだけに、わざわざ双方をメガネの設定にしたとしか思えませんw(多分そうだと思います)

いやー、私もまったく同じこと思ってました。たしか三回やってましたよね。
そこから「見る」ことと「衝突する」こと…なんていかにも元ハスミファンチックなテマティック批評を脳内で展開してみたりして。
 
>終盤まで りのん の存在を誰も怪しまなかったのは不自然じゃないか(どう見ても動物じゃないw)、と思っていたのですが、それ以上に正体不明な先輩がいるので、多分気にしなかったんだろうな、と思うことにしています。

そうそう。そこらへんのツッコマビリティの高さ(みおとかれもんの神出鬼没ぶりとか)もこの作品の魅力のひとつかと。

ツッコマビリティという伝統

管理人でございます。
いらっしゃいませ。

> ご紹介の記事読みました。労働紛争が増えているという実態があるのに、(ちょっと前ですが)国が労働基準監督官の採用数を減らすとかいう報道がなされたりもしていて、あんたんとした気持ちになりますね。

 hamachan先生の記事によると、「わが国の労働基準監督官は2,941人」であり「雇用者1万人あたり0.53人」だそうです。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-c9b8.html
 外国の軍隊でよりも、会社での労働で死ぬ可能性の方が高いと思うので、優先度はこっちの方が高いはずなのですが、一体どうなってるんでしょう。

> 水町先生の本は読んだことなかったのですが、『労働法入門』よさそうですね。読んでみます。
 労働法の基礎を押さえる上では良本だと思いますし、各章の前説が、個人的に、結構気に入っています。


> まどマギ以来のにわかアニメファンなので先行作品ほとんど見てないんですよね。ここ数年のだとまどマギ以前はハルヒと電脳コイルくらいしか見てません。
> 去年は「あの花」もなかなかようございましたが、やはりピンドラにやられました。特に中盤のスリルはすごかった。

 挙げられたアニメのうち、ハルヒを除き、全てオリジナルアニメですね。
 2011年はオリジナルアニメの収穫の年といわれています(多分)。

 同年の『花咲くいろは』(「働く」がテーマw)もオリジナルアニメーションですし、同じ制作会社の過去の作品・『true tears』も、事実上オリジナルです。
 『花咲くいろは』に関しては、・・・ネタバレになるので、やめておきましょうw
 
> いやー、私もまったく同じこと思ってました。たしか三回やってましたよね。
> そこから「見る」ことと「衝突する」こと…なんていかにも元ハスミファンチックなテマティック批評を脳内で展開してみたりして。

 現役のハスミファン(笑)としても、感想は色々あります ・・・が長くなりそうなので、止めておきますw
 (「カメラ=覗く」のテーマについては、前掲『超電磁砲』OVA版の視聴をお勧めしておきますね)

> そうそう。そこらへんのツッコマビリティの高さ(みおとかれもんの神出鬼没ぶりとか)もこの作品の魅力のひとつかと。

 ツッコマビリティw
 小津やジョン・フォードら映画監督に許された「御都合主義」(BYハスミ先生)の一種ですねw

 まあナボコフに言わせれば、『ボヴァリー夫人』だって既に御都合主義が入っているわけですから(狭い共同体の中で妻が不倫を散々しといて、夫がその噂さえ聞かないw)、こういうのは芸術的伝統みたいなものです、多分w

 ではでは。

にわかアニメファンのくりごと

またまたおじゃまします。
もはや本題ではなく、アニメ談義したいだけですが(笑)

>『花咲くいろは』(「働く」がテーマw)

それは見逃してました。女子高生が温泉旅館で労働するはなし。
制作はP.A.Worksだったんですね。現在放送中のAnotherはなかなか楽しませてもらってます。綾辻行人の原作は好きになれませんでした(ネタバレになるので詳しくは言えませんが、ネタそのものとオチの部分が許容しがたい)が、アニメのほうは好感の持てる作りだと思います。

>『花咲くいろは』に関しては、・・・ネタバレになるので、やめておきましょうw
>現役のハスミファン(笑)としても、感想は色々あります ・・・が長くなりそうなので、止めておきますw

いやー、にわかアニメファンかつ元ハスミファンとしては、ぜひお話をお聴きしたいところですw

>「御都合主義」(BYハスミ先生)

まさに!私も「なつまち」見ながらハスミ先生の御都合主義を思い出してました。脚本家の功績なのか演出家の功績なのか、見ながら御都合主義の小気味よさにほれぼれニヤニヤしてるうちに、なぜか涙が流れているという…

>『ボヴァリー夫人』だって既に御都合主義が入っているわけですから(狭い共同体の中で妻が不倫を散々しといて、夫がその噂さえ聞かないw)

そういやそうですね。考えたこともなかった。
さすがナボコフ!
ところで出典は「ヨーロッパ文学講義」ですか?読んだはずなのですがとんと記憶にありません。
「ロシア文学講義」でしたか、ゴーゴリの解説があまりに魅力的なので岩波文庫の「死せる魂」揃えたのですが未だに冒頭50ページから先に進んだためしがありません…

ながながと下らぬ話失礼しました。

他の人にやってもらおう。

 管理人でございます。

 アニメ談義は大歓迎です。
 これまでブログで話題に取り上げることは殆ど無かったものですから。(不勉強なことを書いて批判されるのが怖いのだと思います。映画では平然と書いている癖にw)
 いつなんどき、書き込んでいただいても大丈夫ですw

> いやー、にわかアニメファンかつ元ハスミファンとしては、ぜひお話をお聴きしたいところですw

 テマティックな所を書くのは正直自信がありませんので(笑)、大雑把な所をいうと、作品が結局「主人公のイニシエーション」の枠に収まってしまっている印象は否めません。
 このやり方が一番終わらせやすいのはその通りですが、冒険が欲しかった所ではあります。
 ・・・ネタバレは避けました(いや、出来ていないw)

 金井美恵子がずっと前に、クロード・シモン『アカシア』について、結局物語が円環っぽくなってるけどそれってどうなの、みたいなことをいってましたが(←アバウトw)、『花咲くいろは』についても、似たような感想を抱きました。
 (面白い作品であるせいか、かえってネガティブなことしか、ぱっと思い浮かばないw)

 テマティックにやるなら、まずは、「湯乃鷺温泉街」の「喜翆荘」である以上、「鳥」というテーマであり、翆=「青色と黄色との間に移ろう緑色」というテーマになるのですが、・・・これは他の人にやってもらいましょうw

こちらのブログ記事を読むと、
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20111003/1317677501

>旅館を再生せず、かといって死も描かず、擬似共同体が失われる悲しみを描きつつも全体としては前向きな、力強い結末は素晴らしかった。
>そういう結末を、王道で感動的に落とした最終回前話を受けて難なくこなしたところで、祝祭から日常に戻ってなお物語は続くという雰囲気も出ていた。

 という感想になります(こういう感想の方がマトモですw)。

> まさに!私も「なつまち」見ながらハスミ先生の御都合主義を思い出してました。脚本家の功績なのか演出家の功績なのか、見ながら御都合主義の小気味よさにほれぼれニヤニヤしてるうちに、なぜか涙が流れているという…

 最神話までどう人物が担当しているのは、脚本(黒田洋介)なので、多分そっちだと思います。
 同脚本家が担当した『おねがい☆ティーチャー』の設定が、既に御都合主義の塊みたいなものですしw
 (上記二つの同じ作品に出演していたのは、檸檬先輩の「中の人」なので、今作でも同じ設定が来るかと思っていましたが、違ってましたw)

> ところで出典は「ヨーロッパ文学講義」ですか?読んだはずなのですがとんと記憶にありません。

 おっしゃるとおり、『ヨーロッパ文学講義』が出典です。
 自分も、自分が読んだ小説の分しか、ちゃんと読んでませんw(フローベールとかプルーストとか・・・)
 
> 「ロシア文学講義」でしたか、ゴーゴリの解説があまりに魅力的なので岩波文庫の「死せる魂」揃えたのですが未だに冒頭50ページから先に進んだためしがありません…

 ゴーゴリと聞くと、即座に後藤明生を思い浮かべてしまう性分で、実際にゴーゴリを読むと、後藤に比べて冗長な箇所が多いな、などとアホなことを考えてしまいます(古典文学と現代文学の違いに過ぎないのですがw)
 ゴーゴリに関してはWikipedia日本語版が、なかなか面白かったですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA 
 これを読むと、彼自身の人生の「喜劇性」について、考えたくなります。

 ではでは。

春分アニメ放談その他

「花いろ」ですが、リンク先の

>主人公に体罰をくわえた女将を全肯定せず、中盤ですぐ叩く性格ということを別のキャラクターに指摘させた
>全ての人間がそれぞれ短所を持っていて、それぞれ批判されなければならないだろうが、批判だけで人を潰してはならない
>職人のようでいてメンタルが脆弱だった板前

といったあたり、興味をそそられますね。このようにキャラクターを扱う作品ならば、嫌悪感を持つことすくなく(ここ重要。「偽物語」は様々な面でクオリティの高さに瞠目させられましたが、主に原作者西尾維新に帰責すべきと思しき複数のレベルでの不快さにより視聴を中止せざるを得ませんでした。坂本真綾の声にはゾクゾクさせられたのですが、残念)見られそうです。

>『おねがい☆ティーチャー』
>檸檬先輩の「中の人」

先行作品で田村ゆかりが演じた役や、彼女自身の言動をネタにしたマニア向けのくすぐりがあったことを、ネット検索で知りました(森野苺と山野檸檬という名前にこめられた類似、級友と違う制服を着ていることを指摘され「超ひみつ」と答える、「永遠の17歳」…きっと他にもあるのでしょうが)。

「なつまち」は、大いに楽しませてくれたラブコメ的展開についてはひと区切りつきましたが、檸檬について作中でどう処理するのか(それともしないのか)、じつは最終回でもっとも楽しみにしているのがその点です。期待しすぎると肩透かしを食わされそうな予感はあるのですが。

ゴーゴリの人生の「喜劇性」については、wikipediaの

>長詩(略)を(略)自費出版するが、酷評され、失望のあまり国外へ逃亡する

といった記述は確かに喜劇的ですね。
ところで私はチェーホフという人が(その人生も含め)昔から気になって仕方がありません。サハリン旅行を「喜劇的」と言ったら語弊がありすぎるでしょうが、「なぜ突然こんな(妙な?)ことをやってしまったのか」という感じが…

…放談が過ぎました。「自分のブログでやれ」ですね。

いつも何度でも(無演奏ver)

 管理人でございます。

> といったあたり、興味をそそられますね。このようにキャラクターを扱う作品ならば、嫌悪感を持つことすくなく(ここ重要。「偽物語」は様々な面でクオリティの高さに瞠目させられましたが、主に原作者西尾維新に帰責すべきと思しき複数のレベルでの不快さにより視聴を中止せざるを得ませんでした。坂本真綾の声にはゾクゾクさせられたのですが、残念)見られそうです。

 『花咲くいろは』の場合、脚本家(『あの花』と同じ方)の才能がやはり光っていました。
 アニメの場合、恐らく映画にもまして、脚本が重要なように思います。
 (というより、最低1話当たり20分と仮定して、1クールで約4時間なのですから、きちんとした脚本の統御は当然求められるわけですが。)

 『偽物語』の場合、ストーリー配分も、そもそも原作自体が、・・・アレなワケですw(西尾ファンもそこらへんは承知しているのでしょう。)
 「主に原作者西尾維新に帰責すべきと思しき複数のレベルでの不快さ」については、かの人は振り向けるべき才能を間違えているとしか考えられません。

 才能のレベルは違いますが、戯曲等に向いていた才能を、間違えて小説の方に注いでしまった三島由紀夫を想起します。(これは、このまえ「退官」された松浦寿輝氏が、いってました。パクリですw)
 
> 「なつまち」は、大いに楽しませてくれたラブコメ的展開についてはひと区切りつきましたが、檸檬について作中でどう処理するのか(それともしないのか)、じつは最終回でもっとも楽しみにしているのがその点です。期待しすぎると肩透かしを食わされそうな予感はあるのですが。

 漱石の『こころ』における、「先生」からの手紙を換算すると物理的に四つ折りに出来ない枚数だった、という有名な話を想起して、「先輩は別にいいや」って、覚悟してますw
 (本当に書いてみた、の記事http://portal.nifty.com/2009/12/21/b/ )

> ゴーゴリの人生の「喜劇性」については、wikipediaの

 ゴーゴリについては、やはり、
①ゴーゴリ自身は社会問題に対して「視野が狭くきわめて保守的」であり、「古き良きロシアを再生させようと」、『死せる魂』第2部を書こうとしたのに、「否定的な、醜悪な面を誇張し、グロテスクに描くことに長けたゴーゴリにとって、第二部の創作は手に余るもの」だった。
②「晩年のゴーゴリはウクライナ語文学に対しては批判的」であり、「われわれはロシア語で書くべきなのだ。われわれ全スラブ人にとって主権を有するロシア語を擁護し、強固なものにしてゆかねばならない。プーシキンの言葉こそが唯一主要な聖物なのだ。」と発言した。
 に注目したいと考えます。
 ①は、物書きの最大の「喜劇」といえるところがありますし、②は、ロシアとウクライナという、現代にまで及ぶ問題に関わってきます(キエフ出身なんですよね)。

 ゴーゴリはまだ、十分に解き明かされていないように思います(少なくとも自分にはw)。

> ところで私はチェーホフという人が(その人生も含め)昔から気になって仕方がありません。サハリン旅行を「喜劇的」と言ったら語弊がありすぎるでしょうが、「なぜ突然こんな(妙な?)ことをやってしまったのか」という感じが…

 貧しい頃から、医者になるために学びつつ、ひたすら、家計を支えるために雑誌にユーモア溢れる短篇を書いていたチェーホフ。
 サハリン行きの前に、かれはトルストイ文学の影響を受けていた、らしいのですが、それがなぜなのか、つまるところは不明です。
 いくら義侠心に駆られても、いきなり知らない「流刑地」に行こうとは、普通は思いません(凡人にはw)

サハリンに関して、示唆に富む論文です。
http://d.hatena.ne.jp/n-shikata/20110320/p1

> …放談が過ぎました。「自分のブログでやれ」ですね。

 ブログ再開、楽しみにしております。
 もし何らかの事情により、ブログ等の再開が難しい場合は、いつでもコメント欄にいらしてください。
 お待ち申し上げております。
 (正直、一つの記事として独立させてもいいんじゃないか、というくらいコメの内容は充実しており、管理人としてたいへん満足しておりますw)

 ではでは。

No title

ブログは時間を食いすぎることがわかったので、再開は当分考えておりませんが、うれしいお言葉、ありがとうございます。
最近はツイッターにいることが多いです(@qua_gma)。

しかし管理人様とはいちどお会いして存分におしゃべりしたいですね。
関西在住でいらっしゃるとのこと、一方私は関東住まいですので、なかなか機会を持つのも難しそうですが。

お言葉に甘えて、「なつまち」最終回みたらまた書き込ませていただきますー。

Re: No title

 管理人でございます。
 コメントありがとうございます。

> ブログは時間を食いすぎることがわかったので、再開は当分考えておりませんが、うれしいお言葉、ありがとうございます。
> 最近はツイッターにいることが多いです(@qua_gma)。

 なるほど左様でしたか。
 ブログって確かに、疲れますw
 コンスタントに一定の質の、まとまった文章を書くのは大変です。
 自分も段々ペースが落ちています。(結果、はてなブックマークに居住しています。)

 現在はツイッター住人でいらしたんですね。
 昔ツイッターをやろうとアカウントを取ったのですが、使い方がいまいちわからずに、結局「はてブ」が主戦場になりました。
 
 コメント欄は、いつでもいらしてください。

> しかし管理人様とはいちどお会いして存分におしゃべりしたいですね。
> 関西在住でいらっしゃるとのこと、一方私は関東住まいですので、なかなか機会を持つのも難しそうですが。

 関西在住? 知りませんでしたw
 多分それは、「維新の会」の皆様が仕掛けた罠ですw

 東京はよく行きますよ。(得体の知れない格好ですけどw)


 ではでは。

No title

私は何か勘違いしていたようです(笑)
得体の知れない格好…気になりますね。もしかしてたらこっぽい感じですか?

「なつまち」最終回見ましたが、管理人様はごらんになられましたでしょうか。
個人的にはなかなか満足できる最終回でした。
列車の車内など、さりげなく作画に力入ってましたね。
れもんについては、まあわりと律儀に回収したかな、という印象です。

Re: No title

 管理人でございます。
 
> 得体の知れない格好…気になりますね。もしかしてたらこっぽい感じですか?
 何と言いましょうか、不気味な感じですw

> 個人的にはなかなか満足できる最終回でした。
> 列車の車内など、さりげなく作画に力入ってましたね。

 最終回、拝見いたしました。
 主人公の二人で、電車の中にいるシーンは、確か今回が初めてだったように思います。
 やっと乗ったか、という感想です。
 (何だか、記憶力が弱体化してきてますw)

 そういえばこの作品、何度も何度も、山を背景にした道路のシークエンスが出てきます。
 道、道路、あとは海人宅ばっかりです。
 市街地は、第一話くらいしか出て来ていません(沖縄を除く)。
 こういうのは、意図的にやっているんでしょうね。

 物語では、横への疾走が横溢するぶん、下降する or 上昇する、という動きは、実に特権的です。
 物語の冒頭、何が落下し、最終回で何が昇降したのか、・・・的な分析は控えておきましょうw
(それにしても、クリフハンガー的シーンを、崖のシーンは数回あったのに、一回もやらなかったなんてw)

> れもんについては、まあわりと律儀に回収したかな、という印象です。

 デウスエクスMBIw
 れもんの場合、自らMBIと名乗っていた時点で、気づくべきですよねw

 ラストの工夫に関しては、見事だというべきでしょう。
 あれは小説などの文藝では、おいそれとは模倣できない終わり方ですから。
 (メトニミー的、という所でしょうか。) 
 
 ・・・結局 りのん は性別はどっちなんでしょう?w

 ではでは。

アニメ放談その2

>主人公の二人で、電車の中にいるシーンは、確か今回が初めて
>やっと乗ったか、という感想

なるほど、言われてみれば、確かにそうですね。
カイトがイチカを見初める(ただし遭遇/衝突が先行してますが)のは彼女が列車内にいるのを遠く離れた路上から見ることによってでした(しかしすごく「変」でしたよねあれ…)し、軽井沢からの帰りのときは、カイトの最初の告白に動揺したイチカが先に帰ってしまったので二人で乗りそびれているわけです。

最終回で二人で列車に乗るのは、それまでのカーチェイスのシークエンスからはやや唐突に感じられたのですが、ここまでの列車の主題系の展開からすれば、むしろこうでなければならなかった、となりますね。
これは作画や演出にも力が入るわけです。

>この作品、何度も何度も、山を背景にした道路のシークエンスが出てきます。
>道、道路、あとは海人宅ばっかりです。
>市街地は、第一話くらいしか出て来ていません(沖縄を除く)。
>こういうのは、意図的にやっているんでしょうね。

一つには「御都合主義」の一環として、これらの場所が選ばれたのかな、と。
主要登場人物以外の介入を排除でき、かつそれらを具体的に描かずにすむという、脚本上・制作上の都合はありそうです。学校や軽井沢などの例外はありますが。

それにしてもなんだったんでしょう、沖縄。山ばっかりなので海(&スクールじゃない水着(檸檬以外))も入れたかった、くらいの意味でしょうか。

>横への疾走が横溢するぶん、下降する or 上昇する、という動きは、実に特権的

そうですね。冒頭と最終回のあれ以外では、斜面を駆け下りる動きが何度か見られたくらいではないでしょうか。
上下の動きはほとんどないですが、視線を上下に投げかけるのは印象的に使われていましたよね。
カイトとイチカとが最初に視線を交わした(ただしカメラのレンズ越しに)シーンがそうでした。

ここまで書いて初めて気がついたんですが、この作品、主人公二人の出会いを何重にも引き伸ばしているのが面白いです。
1、冒頭の衝突(ただしカイトはかなり後になるまでこれを忘れている)
2、カイトがイチカを見初める(ただし列車内にいるイチカは当然これに気づかない)
3、二階(?)の教室内からカイトがイチカを撮影(イチカも気づく)
ときて、昼休みにやっと
4、哲郎がイチカと檸檬に話しかけることによりカイトと引き合わせる
となるわけです。さっきも書きましたが、特に2が変というか、独創的だと思います。

>クリフハンガー的シーン

あえていうなら、物語の一番最初にやっている、と言えるかもしれません。「クリフ」ではないですけど。

>デウスエクスMBIw

うまいw
まさにそうですよね。檸檬は便利なキャラでした。
 
>ラストの工夫に関しては、見事だというべき
>あれは小説などの文藝では、おいそれとは模倣できない終わり方
>メトニミー的、という所でしょうか

なるほど。小説でやると、やや説明的になりすぎて面白くない、ということでしょうかね。

>りのん は性別はどっちなんでしょう?w

これは…考えたこともなかった(笑)ですが、面白いかも。
最後に檸檬とりのんの間で(意外すぎる)同志愛的なカップリングが成立…と見立ててもいいかもしれません。
そうすると、かんなの孤独がよりきわだつわけですが(笑)

重大な落下

> 最終回で二人で列車に乗るのは、それまでのカーチェイスのシークエンスからはやや唐突に感じられたのですが、ここまでの列車の主題系の展開からすれば、むしろこうでなければならなかった、となりますね。
> これは作画や演出にも力が入るわけです。

 まさにご指摘の通りだと思います。
 海人が最初に電車に一緒に乗った女性はカンナであり、二人を追いかけるために、イチカは軽井沢まで走らざるを得なかったわけです(りのん はグースカ寝てましたw)。
 ここら辺も、不自然な演出であり、それは主題系の展開上、こうならざるを得なかったのでしょう。

> それにしてもなんだったんでしょう、沖縄。山ばっかりなので海(&スクールじゃない水着(檸檬以外))も入れたかった、くらいの意味でしょうか。

 確かに、沖縄でイチカとミオの二人の心情が変わるわけですが、これって、長野県内でもできなくはありません。
 恐らく、二人の女性の心情と姿勢を変えるためには、沖縄という別空間と、恋のライバル(かませ犬とか言わないw)が必要だったのでしょう(多分)。

> 上下の動きはほとんどないですが、視線を上下に投げかけるのは印象的に使われていましたよね。
> カイトとイチカとが最初に視線を交わした(ただしカメラのレンズ越しに)シーンがそうでした。
> ここまで書いて初めて気がついたんですが、この作品、主人公二人の出会いを何重にも引き伸ばしているのが面白いです。
(略)
> となるわけです。さっきも書きましたが、特に2が変というか、独創的だと思います。

 なるほど。
 「3」のシーン、すごくいいシーンなのに、指摘されるまで若干忘れかけてましたw
 「2」に関しては、先に書いた「海人とカンナの二人が電車に乗っているのをイチカが発見し(恐るべき動体視力w)、無論見られていることに二人は気付かない」のシークエンスを、逆にしたという側面もあるかと思います。 
 それでもなお、「2」は浮き立っていますが。

 ・・・・そういえば一つ、重大な「落下」を忘れていました。
 包丁が落下して、りのん先生がちゃんと仕事するようになったんですよねw

>りのん は性別はどっちなんでしょう?w
 海人とキスしていたはずなので、♀かもしれません。
 いや、もし♂だったら、、、、、(以下略)

 ではでは。

もうひとつ重大な落下

>二人の女性の心情と姿勢を変えるためには、沖縄という別空間と、恋のライバル(かませ犬とか言わないw)が必要だったのでしょう(多分)。

つまり、かんなは一人ではかませ犬役すら満足につとめられなかった、ということですね。かんなあわれ…(泣)

>そういえば一つ、重大な「落下」を忘れていました。
>包丁が落下して、りのん先生がちゃんと仕事するようになったんですよねw

ああ、ありましたね。
ならばもうひとつ「重大な落下」が。
沖縄で、女の子(名前失念)がコテージ(?)の哲郎のベッドから墜落してりのんを下敷きにする、というシーンがありました。
もたらした結果も重大ですし、思えば二重に反復であった(落ちてきた女の子の下敷きになる、という点で物語の冒頭の反復であり、りのんの上に何かが落ちる、という点でご指摘の包丁のシーンの反復でもある)ということになりますね。

見返り美人

 管理人でございます。

> つまり、かんなは一人ではかませ犬役すら満足につとめられなかった、ということですね。かんなあわれ…(泣)

 物語の最初から最後まで、海人とイチカの関係からハブられてましたからねw
 ここまで不憫な女の子は、珍しいです
 (いや、『まどか』のさや(ry w)。
 
> 沖縄で、女の子(名前失念)がコテージ(?)の哲郎のベッドから墜落してりのんを下敷きにする、というシーンがありました。
> もたらした結果も重大ですし、思えば二重に反復であった(落ちてきた女の子の下敷きになる、という点で物語の冒頭の反復であり、りのんの上に何かが落ちる、という点でご指摘の包丁のシーンの反復でもある)ということになりますね。

 しかも、あの落下(笑)のおかげで、救助信号が出されてしまい、イチカと海人は救助ボットっぽいものから、逃げる羽目に陥るわけですよね。
 (そしてセンパイを助けに走り出す海人クンに置き去りにされるカンナさんw)

 あのベッドからの落下は、ミオと哲郎との関係を買える出来事でもありましたし、やはり、重要な場面ですね。
 (冒頭の落下の場合、宇宙船が墜落した衝撃で、海人が血まみれになって橋から落下する、という感じでしたっけ。)
 
 ・・・ご指摘いただいたイチカと海人の出会いの件ですが、
 第一話を良く見たら、「2」の電車内のイチカを海人が見つけるシーンって、なんだかホラーっぽいんですよねw
 あんな距離から赤い髪の女性を見分ける視力は置いておくとしても(笑)、海人の驚きっぷりは、ホラー映画に近いものがあります。

 「二階(?)の教室内からカイトがイチカを撮影」というシーンですが、じつは、イチカは撮られていることに気付いていないっぽいんですね、伏目がちですし。
 イチカは、振り返っただけなんだと思います。(見返り美人w)

 ではでは。

No title

>ここまで不憫な女の子は、珍しいです
>(いや、『まどか』のさや(ry w)。

青い髪の女の子は報われない法則でもあるんでしょうか?
かんなは制作者に愛されていたと感じますが、さやかは…どうなんでしょう。

>第一話を良く見たら、「2」の電車内のイチカを海人が見つけるシーンって、なんだかホラーっぽい

たしかに!
それからこのときもカメラのレンズ越しだったんですね。それほど優秀なズーム機能のついたカメラには見えませんがw(檸檬の所持するアレならともかく)
それにしても「髪が赤いから目立つ」って、ジャパンのアニメの世界では成り立たない気が…

>「二階(?)の教室内からカイトがイチカを撮影」というシーンですが、じつは、イチカは撮られていることに気付いていないっぽい
>イチカは、振り返っただけなんだと思います。(見返り美人w)

たしかに、そうでした。見直してみたら。
カイトの視線を感じて振り向いているのではなく、見知らぬ土地に来てキョロキョロしているわけですね。

しかし、見直してみてあらためて思いますが、「列車に乗ってるイチカをカメラのレンズ越しに見る」「校舎の二階(?)からイチカをカメラのレンズ越しに見る」と、プロット上ほとんど同じ意味のシーンを二つ続ける冗長な演出は謎です。

『赫い髪の女』(←違う)

 管理人でございます。

> 青い髪の女の子は報われない法則でもあるんでしょうか?
> かんなは制作者に愛されていたと感じますが、さやかは…どうなんでしょう。

 そうなると、「かんなぎ」(中の人がイチカと同じ)は不憫ということに・・・まあ気にしないでおきましょうw
 『起動戦艦ナデシコ』の主人公が不憫か否かは、判断の分かれるところですがw
 さやかの場合、そもそも中の人が担当する配役自体が、不憫な確率が高かったりします(本人談w)。

 ちなみに、こんなサイトを発見。 http://www2.tokai.or.jp/mugendou/aogin/aolist.htm

> それからこのときもカメラのレンズ越しだったんですね。それほど優秀なズーム機能のついたカメラには見えませんがw(檸檬の所持するアレならともかく)

 見たとき、このシーンがあったので、当初そっち系の話に持っていくのかと思っていました。
 第1話のラストを見るまでは、ですがw

> それにしても「髪が赤いから目立つ」って、ジャパンのアニメの世界では成り立たない気が…

 厳密に映像をチェックしますと、
 ①海人、赤い髪の女の子を発見w、②その女の子、自分が電車内で目立ってると感じる、という中身です。
 赤い髪だから目立つ、とは、明確には言明していないのですね。

> しかし、見直してみてあらためて思いますが、「列車に乗ってるイチカをカメラのレンズ越しに見る」「校舎の二階(?)からイチカをカメラのレンズ越しに見る」と、プロット上ほとんど同じ意味のシーンを二つ続ける冗長な演出は謎です。

 確かに、二階から見下ろすだけでも、演出の意図を満たすには十分だったはずです。
 となると、なぜ、あのような電車内のイチカを見つめる海人、のシークエンスが必要だったか、という問題になります。
 上記に少し書きましたが、おそらく、目立っている、浮き立っている女の子という、設定を生かすためだった可能性があります。(理由として弱いですが。)

 つまり、イチカは地球人たちから浮き立った女の子である、という意図がまずあり、その上で、電車内で自分が目立ってしまっていると悩むイチカがいる、でも、それを無理に演出するのが難しい。
 そこで、髪が赤いことが浮き立っている原因としてとりあえず呈示される。
 ただし、それをはっきりと描くと、青髪のカンナはどうなんだよ、というツッコミが来ちゃうため、はっきりとした演出としては描かず、上記のような構成にしたんじゃないかと思います。
 テクストから導かれるアリバイ的結論は、こんな感じですw

 ホラー的演出とか、まだナゾは残りますけどね。
 まあこれも、電車内のイチカは、「地球人ならざる目立つ異邦人的存在」として、二回から見下ろされるイチカは、「つい惹かれてしまう異邦人的存在」として、描き分けられていると弁護できなくもないのですがw


 あと、海人が第一話冒頭で、ヴォイス・オーヴァーで、人は死んだら誰かの思い出の中で生き続ける、それでも人はシャシンなどでそれを残したがる、云々と述べていますが、イチカがラストで、(地球に帰ってきた後の)映像として出て来るのは、それと関連があるかもしれません。
 イチカは視聴者にとって、思い出としてのみ、あるいは映像としてのみ、その姿を残すわけです・・・的な考察もしてしまう今日この頃w
 (こういう考察はハスミ的というより加藤幹郎的なんですがw)

 久々に他の方からコメント(?)が来たのですが、ネガティブなコメントを返してしまいましたw
 http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-288.html#comment150
 映画を語るジジェクは、許せない人間ですのでw

 ではでは。

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