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「自伝」の書き方、あるいは「物語」による精神分析的回復と執筆の作法 -石川美子『自伝の時間』を読む-

 石川美子『自伝の時間―ひとはなぜ自伝を書くのか』を読む。

 本書の紹介にあるように、

わたしはなぜ今ここにいるのか。ロラン・バルト、プルースト、スタンダールなどのフランス自伝文学が物語る、愛する者を失った「喪」の苦悩のなかから求める「新たな生」。ひとはなぜ、いかに自伝を書くのかを考える。

というのが本書のキモとなる。

 上に挙げられた作家たちの自伝というのは、自分自身のこと(自分だけが知っている自分の真実、など)を、ひたすら書くというようなものではない(自分だけが知っている真実を描こうとした典型が、例えばルソー)。

 そうではなく、自分が今ここにいることの意味や、今に至るまでの時間を描くことが、大きなテーマとなっている。

 「わたしはなぜ今ここにいるのか」という問いが開く、「愛する者を失った「喪」の苦悩のなかから求める「新たな生」」こそが、彼らのテーマだった。

 以下、気に入った所だけ。



 本書の最大の主人公は、ロラン・バルトである。
 そのバルトについて。

 ロラン・バルトは、ジッドの『日記』に憧れて、日記の文学的作品を書こうとする。
 しかし、うまくいかない。
 書いて最初は良く思えても、見返すとガッカリする、という。
 日記は自分が書き留めておきたいことをも裏切ってしまうような、形式である、と(97頁)。
 誰にも覚えがあると思う、日記を書いていて、しばらく経って読み返してみたら、とてもじゃないが読めたものではなかったことが。

 そこで、バルトは『パリの夜』という、日記を書く。
 ある日の出来事を、当日にではなくて、翌日になって書く。
 しかも、過去形で。

 こうして過去形で書くことによって、「喪の時間」が動き出す。
 母の死に苦悩していたバルトは、「新たな生」を、「時間」を導入する(98頁)。

 そしてバルトは、事実上遺稿となる、そのスタンダール論において、「イタリア旅日記」について書いている。
 曰く、スタンダールは、生き生きとした断片的な感動を直接的に書き記そうとしているけれども、陳腐な、空疎な、表現にしかなっていない。
 断片的な感覚を捨て去って、物語の脈絡に委ねた時に、愛や情熱はその表現方法を見出すだろう、と(99頁)。

 物語(の脈絡)という形式によって、息苦しい自分と自分との間に、距離を作る。
 そして、断片的な感情や感覚を、整除し、一つの流れの中に位置づけることによって、「新たな生」を生きる。
 密着し続ける自分との間に距離を作り、ばらばらで刹那的な感情や感覚を整除することで、生を回復する。
 (どこか、精神分析を思わせる。)



 上記のごとき「自伝」では、私という自己よりも、むしろ「時間」を生きること、他の人の死を受け入れて生きること、自分が変容していくこと、そういったことを描こうとする。
 では、その時、どのような執筆的工夫が必要か。

 スタンダールやシャトーブリアンやプルーストは、「自伝」において、どのように描いたか(164頁)。
 まず、主人公たちは、冒頭、周りに誰もいない空間にいる所から、描かれる。
 そして「レミニサンス」を経験する場面では、今は亡き愛する誰かの残していったものが登場する。
 それを通じて主人公は、啓示を受け取ることになる

 (ちなみに、「レミニサンス」とは、例えば、プルースト『失われた時』の「マドレーヌ」の場面を想起せよ。)

 冒頭の孤独が、レミニサンスでの啓示を準備することになるわけだ。
 主人公は最初、まず孤独である必要があり、そして、最終的に、誰かの遺品を通じて「啓示」を受け取り、孤独な時間から解放される。
 まさに、「「喪」の苦悩のなかから求める「新たな生」」である。

 彼らの自伝において、冒頭で「私は~で生まれた」などと書かれないのは、それが冒頭に必要な孤独感を排してしまうからに他ならない。

 自伝における「時間」という重要な存在と、それを描くための工夫、というのがお分かりいただけただろうか。

 (未完)

コメント

No title

おひさしぶりでございます。
ゆるゆり見てません。
今期はTARITARIに期待してます。
春は夏色キセキ好きでした。
エントリへのコメントでなくてごめんなさい。

Re: No title

 quagma様

管理人でございます。
お元気そうで何よりです(お姿は拝見しておりませんがw)。


>ゆるゆり見てません。

こちらも、実は1期は、リアルタイムでは見ていませんでした。
実に不覚です。
「みなみけ」好きとしては、絶対に見ておくべき系譜のアニメだったというのに。

以前の画像は、「這いよれ!ニャル子さん」の画像を貼っていました。
このアニメの第一話は、間違いなく、神がかっていました。
さすがに12話まで通して、あのテンションは、流石に無理だったわけですが。まあ、当然です。

>今期はTARITARIに期待してます。

P.A.WORKS製作ということで、期待されるのは至極ご尤もです。
同じく、視聴しております。
この制作会社では、ベテラン女性声優さんがいい仕事をされます。
『true tears』の時の主人公の母や、『花咲くいろは』での、母や祖母といった人物たち、その系譜に、今回、教頭がいる、と見て間違いないでしょう。(多分)


>春は夏色キセキ好きでした。

同じく、視聴しておりました。(いやあ、趣味が合いますねw)

単なるスフィア押しアニメではなかったことは、間違いありません。
監督の意図通り、4人全員がきちんと主役として扱われており、そこも凄いと思います。
丁寧に作られていて、スフィアファン以外にも、お勧めできるアニメです。

・・・正直、第一話の最後で、4人が下田上空を飛んだとき、どんなアニメになるのか凄く不安になったんですがw
(それにしても、劇中でも言及されていましたが、紗季に中2とは思えないレベル色気がありすぎていた気がしますw)
個人的には、アニメ『はなまる幼稚園』でのキャスト3人が揃った第3話が、心に残っています。


>エントリへのコメントでなくてごめんなさい。

それにしても、なんで、こんなエントリを書いているのか、自分でも正直良く分かっていませんw
いざ書いてみたら、単なる「精神分析」みたいな話で纏まってしまって、意図に反して正直つまんない話に落ち着いてしまいました。(正直、反省すべきです。)
要するに、これってただの「癒し」で終わってんじゃん、そうのじゃないでしょ、ということですね。
やはり、蓮實のバルト論を避けたのがいけなかったのかもしれません。

ではまた。

No title

レスありがとうございます。
またぞろアニメ談義に参りました。

>ゆるゆり
>1期は、リアルタイムでは見ていませんでした。

アニメ好きの友人がゆるゆりを超推ししてくるので、1期9話あたりまで見ました。その魅力は理解できる気がしつつも、あまり乗れませんでした…会長が出てきたときはイヤッホォォォウ!となりましたが。原作のなもり先生は、pixivにアップされる絵などを見るにつけ、神がかった絵師だと思いますが。

>以前の画像は、「這いよれ!ニャル子さん」の画像を貼っていました。

見てました。このコーモリカバはなに?と思ってました。すぐにぐぬぬに変わってしまいましたね。

>このアニメの第一話は、間違いなく、神がかっていました。

そうですか…ギャルゲー回だけ見たんですが。

>TARITARI
>この制作会社では、ベテラン女性声優さんがいい仕事をされます。
>『true tears』の時の主人公の母や、『花咲くいろは』での、母や祖母といった人物たち、その系譜に、今回、教頭がいる、と見て間違いないでしょう。(多分)

教頭見ると、いぜん紹介していただいたhttp://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20111003/1317677501に描写されている女将(私は花咲くいろはみてないので)を想起させられますね。この作品がこれから先、教頭をどう扱うかは、かなり気になります。

>夏色キセキ
>監督の意図通り、4人全員がきちんと主役として扱われており、そこも凄いと思います。
>丁寧に作られていて、スフィアファン以外にも、お勧めできるアニメです。

まったく同感です。派手さはないですが嫌味がなく好ましい作品でした。

>第一話の最後で、4人が下田上空を飛んだとき、どんなアニメになるのか凄く不安になったんですがw

私はあれで完全にやられました。これは期待できそうだ…!!と。
昨晩、MXで再放送があったので第一話再視聴できたんですが、やはりすばらしいと思いました。さっき「派手さはない」と書きましたが、あの場面は突出していたと思います。

>紗季に中2とは思えないレベル色気がありすぎていた気が

第一話で紗季が「中二にもなって」と連発するのですが、正直彼女は中二には見えないし、リアル中二はどちらかといえばまだコドモだと思うので(そういえば昨日14歳の藤波心さんがツイッターのわがタイムラインを騒がせてましたが)二重に可笑しかったです。

私は何と言っても緑髪の優香が大好きでした。話が進んでいくにつれ、どんどんただの「のび太」になっていくので、おかしくてかわいくて…
優香が何かもっともらしいことを言うと「のび太のくせに生意気だ」というセリフが脳内自動再生されて困りました。

>アニメ『はなまる幼稚園』でのキャスト3人が揃った第3話が、心に残っています。

アニフィル(造語)的楽しみ方w
『はなまる幼稚園』知りませんでしたが、監督は同じ水島精二なんですね(UN-GOも良かった)。紗季に加え、夏海の弟と、その友達のメガネ君がそうなんですね。もしかしてはなまるファン向けのくすぐり的な演出が他にもあったのでしょうか。魔法使いコスあたり、怪しい気がw

ちなみに私は、紗季の転居先の島に行く二回のうち前編のほうが楽しくて好きでした(作画が崩れたのが残念でしたが)。

あとは前期からの『氷菓』は原作者のファンということもあり、視聴してます。あの原作では演出なかなか難しいと思うんですが、がんばってるなあ、と。

>エントリへのコメント

いやあ、何かしたほうがいいかな、と思ったんですが、面白いコメントが思いつかず…失礼しました。
「ツイッターで「パスタなう」とか言ってても決して自伝にはならないのですよね…」とか書き込んでもくだらな過ぎるな、と。

また長々と失礼しました。
ではまた。

「私服」の時w

管理人でございます。

> またぞろアニメ談義に参りました。

これまでアニメの記事って一回も書いたことないんですけどね、最近のコメントはアニメばかりです。
いやあ、とても喜ばしい限りですw 


> アニメ好きの友人がゆるゆりを超推ししてくるので、1期9話あたりまで見ました。その魅力は理解できる気がしつつも、あまり乗れませんでした…会長が出てきたときはイヤッホォォォウ!となりましたが。

『ゆるゆり』は、意図的にそういう空間(女の子たちの世界)を作り上げているわけです。
他の作品に比べてなお、男性を排除していますね (原作以上に、です)。
これは、『マリア様がみてる』でさえ見られないことだったりします
他作品では意外にあることですが(『ストロベリー・パニック』とか)。
そういった所に違和を感じるのは、無理なからぬことです(←間違っていたらすみません)。

>原作のなもり先生は、pixivにアップされる絵などを見るにつけ、神がかった絵師だと思いますが。

聞く所によると、イベント用に、8000枚もの色紙を書いたそうで、腕が余程丈夫なお方なのかもしれませんw
技術もさることながら、そこもまたすごい。


> 見てました。このコーモリカバはなに?と思ってました。すぐにぐぬぬに変わってしまいましたね。

見られていたんですかw お恥しいw
シャンタッ君は可愛いと思うのですが、そう思われる方は少数派です。
ええ、少数派なんです。

> >このアニメの第一話は、間違いなく、神がかっていました。
> そうですか…ギャルゲー回だけ見たんですが。

第一話ですが。ここ数年のアニメで、あそこまで加速(及びハイテンション)していたアニメの回は、ありませんでした。
第二期に期待したい所ですが、もう第一話以上のものは作れないのでしょう。


> 教頭見ると、いぜん紹介していただいた(引用者略)に描写されている女将(私は花咲くいろはみてないので)を想起させられますね。この作品がこれから先、教頭をどう扱うかは、かなり気になります。

田中敦子さんが、お声を担当されています。期待大です。
それにしても、沖田紗羽というこの、私服と乗馬という趣味が、違和感を醸しまくっていて、すごいなあ、と思っていますw
このメンバーの中のカスガイのような役割を果たしている子ですが、本当に私服がすごいですw
いや、可愛いとは思いますがw 


> >第一話の最後で、4人が下田上空を飛んだとき、どんなアニメになるのか凄く不安になったんですがw
> 私はあれで完全にやられました。これは期待できそうだ…!!と。

第一話で混乱して、第二話を見てやっと、12話まで見れる自信がつきましたw
でも、原作のないアニメは、そこが実にいい。

> 第一話で紗季が「中二にもなって」と連発するのですが、正直彼女は中二には見えないし、リアル中二はどちらかといえばまだコドモだと思うので

『true tears』での主人公の一人である石動乃絵は、同じ「中の人」が担当してましたけど、この高校一年生のほうが紗季より余程子供ですw

> 私は何と言っても緑髪の優香が大好きでした。話が進んでいくにつれ、どんどんただの「のび太」になっていくので、おかしくてかわいくて…

この子が大人になったらどんな人生を送るのか不安になってしまう、そう考える自分はきっと、真面目すぎなんでしょうねw
物語に波乱を起こして、展開を起こしてくれる「ダメキャラ」として、きちんと活躍してくれました(褒めてますよw)。
また、あの4人の中学二年生のなかで、「恋する乙女役」に一番向いていたのは、優香でした。

> 『はなまる幼稚園』知りませんでしたが、監督は同じ水島精二なんですね(UN-GOも良かった)。紗季に加え、夏海の弟と、その友達のメガネ君がそうなんですね。もしかしてはなまるファン向けのくすぐり的な演出が他にもあったのでしょうか。魔法使いコスあたり、怪しい気がw

魔法使いコスの件は、もしかしたら、『はなまる』でのコスプレ好きという設定と、引っ掛けているのかもしれません。
このアニメ、2chでの評判は悪かったようですが、正直「脚本の破綻」程度で絶望しているようじゃ、最盛期の日本映画なんて、御都合主義のオンパレードで見れたもんじゃないんだぜ、と言いたいところですw

> ちなみに私は、紗季の転居先の島に行く二回のうち前編のほうが楽しくて好きでした(作画が崩れたのが残念でしたが)。

記憶に残っております。
いっそ、4人での旅を、この調子でずっと続ければもっと楽しいものになっただろうに、などと下田市に怒られそうなことも考えたくらいですw (半分本当ですw)
作画の崩れについては、同じ気持ちです。


> あとは前期からの『氷菓』は原作者のファンということもあり、視聴してます。あの原作では演出なかなか難しいと思うんですが、がんばってるなあ、と。

今朝、自分のコメントを振り返って、『氷菓』に言及し忘れたことを悔やんでいましたw
twitterで、言及されているのを見ましたよw
流石「京アニ」と申すべき所でしょう。
原作は未読ですが、第一巻分、第二巻分、ともに原作のクオリティの高さを感じさせられました。
あの、展開を一捻りする手法っていうのは、作者の得意技か何かなんでしょうかね。実にいいと思います。
千反田さんの可愛さはもちろんですが、折木さんへ寄せる監督の愛(温泉回w)も必見ですw


> 「ツイッターで「パスタなう」とか言ってても決して自伝にはならないのですよね…」とか書き込んでもくだらな過ぎるな、と。

書くときに、自分の「いま・ここ」を投入しようとすればするほど失敗してしまう、ではそのとき、どのように距離を置くか、どのような「形式」が必要とされるか、それは「文学」という存在と どのような関係にあるのか。
そういったことを書くつもりだったのですが、失速した結果、つまらない記事になってしまった、と思います。

では、また。

毎度長文コメすみません

>『ゆるゆり』は、意図的にそういう空間(女の子たちの世界)を作り上げている…他の作品に比べてなお、男性を排除…(原作以上に、です)。
>そういった所に違和を感じるのは、無理なからぬこと

「ゆり」的部分は別に気になりませんが、スタティックで変化(ハスミ的に言えば運動)を欠くと感じられてしまったんですよね。
もちろんタイトルに一目瞭然なように、「ゆる」いのは仕様なわけですが、それにしても、最初に設定された枠からうごかなさすぎだし、もっと展開させられるだろう、と退屈してしまいました。
所詮ドラマトゥルギージャンキーが無理解をさらけだしているだけかもしれませんが…

>ニャル子さん
>シャンタッ君は可愛い

シャンタッ君というのですか、あれw
私も少数派に属してしまうことが多いですし、カワイイと思うことにします。

>TariTari
>沖田紗羽というこの、私服と乗馬という趣味が、違和感を醸しまくっていて、すごいなあ
>本当に私服がすごいですw

いや同感ですw
作中でも男子に「変な服」呼ばわりされてて、笑いました。
制作者様には、ぜひ彼女の私服ネタを転がして頂き、「私服」のひとときをたまわりたいところです。

この作品、コメディリリーフ的な細かいネタのセンスもよさそうで、そのへんでもかなり楽しませてくれそうと期待してるんですよね。校長とか。

>夏色キセキ
>この子が大人になったらどんな人生を送るのか不安になってしまう

たしかにw
まあ私は見てるときは全くそんなこと考えたりしませんでしたが…
むしろすがすがしいダメ人間っぷりに親しみと共感を覚えっぱなしでした。

ていうか、続編で彼女たちの20年後とかいう企画、やってくれないでしょうか。

>「ダメキャラ」として、きちんと活躍してくれました

そうそう、きちんと仕事してましたよね。逆にあの子に頼りすぎて本来主人公格とおぼしき夏海の影がやや薄かったかなー、というくらい。

>「恋する乙女役」に一番向いていたのは、優香でした。

第四話でしたっけ、紗季と入れ替わる話も彼女のキャラのおかげで湿っぽくならず、よかったです。

それにしても声を当てていた戸松遥さんですが、ナギ様(前クールに再放送で視聴しました)やイチカと同じ人だとは思えず、声優スゲーと素朴に感心しました。


>「脚本の破綻」程度で絶望しているようじゃ、最盛期の日本映画なんて、御都合主義のオンパレード

清順とかはそれを作風化してましたね。
そういえば、まどマギや化物語の監督は清順が好きらしいと聞きますが、なるほどという感じです。

>『氷菓』
>twitterで、言及されているのを見ましたよw

あらやだ恥ずかすぃw
ツイッターでは微妙な感じの言及が多かったかと思いますが、いやなに、かなり楽しませてもらってます。
まさしく流石「京アニ」といったところ。

最新回は御覧になられましたでしょうか、写真を巡って頬を赤らめる二人、あのあたり、原作よりかなり青春風味を増した演出になってます。
正直あざとい!と叫びつつ、寝転びながら見てたのを、ガバッと起き直りましたとも、ええ。
あと十文字さんいいですね。千反田さんとのダイアログ、二人の描きわけ、今回のみどころでした。
(って、御覧になってなかったらすみません)

>原作
>展開を一捻りする手法っていうのは、作者の得意技か何かなんでしょうか

ミステリー作家なので、捻るのは独自の作風というよりも職業意識の発露なのだと思いますが、その捻り方に独特の癖があるのは確かです。
最後にたどり着くミステリー的「真実」が、誰かの感情である(あるいは「真実」が誰かにとって感情喚起的なものである)ことが多いのですが、その感情の鮮烈な苦さに賭けている、みたいなところがあります。
下手するとただの悪趣味になってしまうんですが…

>折木さんへ寄せる監督の愛(温泉回w)も必見

いやー、完全にエロでした、あの視線はw


あ、そういえば前クールは「坂道のアポロン」もよかったですね。千太郎かわええ~

ビアデッド・コリー、

管理人でございます。


> 「ゆり」的部分は別に気になりませんが、スタティックで変化(ハスミ的に言えば運動)を欠くと感じられてしまったんですよね。

なるほど。
逆に『苺ましまろ』なら、「スタティック」といえるかもしれません。
原作からしてそうですが、あれは、北野映画の影響か何かでしょうか(←あまり詳しくない)。


> シャンタッ君というのですか、あれw
> 私も少数派に属してしまうことが多いですし、カワイイと思うことにします。

「シャンタク鳥」というクトゥルー神話のキャラに由来しているそうです。
世間では、あれを「ブサカワイイ」というそうですが、どっちなんでしょうか?w


> 作中でも男子に「変な服」呼ばわりされてて、笑いました。
> 制作者様には、ぜひ彼女の私服ネタを転がして頂き、「私服」のひとときをたまわりたいところです。

この作品は、あの「私服」を見るだけでも十分価値があると断言してよいでしょうw
期待できるいい作品です。
あまり関係ないですが→ http://blog.livedoor.jp/guusoku/archives/5652189.html


> ていうか、続編で彼女たちの20年後とかいう企画、やってくれないでしょうか。

多分、スフィア結成20周年記念でやってくれると思いますw
ただ、スフィアが歌っているEDのFULL.verですと、「きっと十年後は~」と歌っているので、まずは10周年でやるんでしょうなw
20年後の場合、母親たちと同じ年齢になる、ということな訳ですが、そのまえに10年後ですなw
・・・下田市の就職率が、私 気になります(←複数のツッコミどころw)

> そうそう、きちんと仕事してましたよね。逆にあの子に頼りすぎて本来主人公格とおぼしき夏海の影がやや薄かったかなー、というくらい。

「中の人」つながりで言うと、『けいおん』や『Aチャンネル』などのキャラに比べて、ずっと薄かったですね。
他のキャラとバランスを取る必要性から、そうなってしまったのだと思います。

> 第四話でしたっけ、紗季と入れ替わる話も彼女のキャラのおかげで湿っぽくならず、よかったです。
> それにしても声を当てていた戸松遥さんですが、ナギ様(前クールに再放送で視聴しました)やイチカと同じ人だとは思えず、声優スゲーと素朴に感心しました。

彼女の最初の作品である『ポリフォニカ』の段階で、既にその資質は顕在しておりますね。
流石、相当な倍率のオーディションを潜り抜けた猛者ですw


> そういえば、まどマギや化物語の監督は清順が好きらしいと聞きますが、なるほどという感じです。

おお、なるほど納得w
空間の妙なまでの遠近感のなさ、とか、似ているような気がします。
そんな清順監督ですが、ご存知の通り、まだ新作の準備をしているようですねw
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/06/27/kiji/K20110627001097490.html


> 正直あざとい!と叫びつつ、寝転びながら見てたのを、ガバッと起き直りましたとも、ええ。

折木さん、「灰色」云々とか言っておきながら、スゲー、リア充です。
いやあ、爆発すべきですねw
『僕は友達が少ない』とかもそうですが、アニメには、リア充が多すぎです。
半分冗談ですが、悪質なイデオロギーとして、指弾されるべきでしょうw

> 最後にたどり着くミステリー的「真実」が、誰かの感情である(あるいは「真実」が誰かにとって感情喚起的なものである)ことが多いのですが、その感情の鮮烈な苦さに賭けている、みたいなところがあります。
> 下手するとただの悪趣味になってしまうんですが…

すんごく後味がビターテイストですよね。
上げといて落とす、このハメ技のような手法。
「愚者のエンドロール」の回は、千反田さんがいなかったら、視聴を中断し兼ねなかったくらいですw
まあ、あのお姉さんが無敵っぽいので、大抵何とかなりそうですけど、折木さんはw


> >折木さんへ寄せる監督の愛(温泉回w)
> いやー、完全にエロでした、あの視線はw

折木さんを見ていると、毛がモッサモサした大型犬を想起します。
結構そういう方、多いんじゃないかな?w

> あ、そういえば前クールは「坂道のアポロン」もよかったですね。千太郎かわええ~

ノイタミナ枠は、安定していい仕事をします。
日本のアニメ回にとってはとてもよいことですが、何故か自分の ド直球ストライクゾーンにまでは来ませんw
理由は良く分かりませんが、我が資質に由来するものなのだと思いますw


ではでは。

教頭は暗雲

>TARITARI
>この作品は、あの「私服」を見るだけでも十分価値がある

昨日第三回見たんですが、サワはフツーの私服・水着だったので、残念でした。もうこのネタ転がさないのかなあ。
ただ、やはり細部で細かく楽しませてくれてますね。
謎のラテン系男と豚の突如の出現はワクワクさせますし、ウィーンのボケも健在ですし。

問題は、やはり教頭です。
以前「この作品がこれから先、教頭をどう扱うかは、かなり気になります」と書きましたが、今回も教頭はそのモラハラ性をいかんなく発揮しており、正直つらかったです。
これが単に憎たらしい悪役・打倒されるべき対象とされているのであれば、まあさほど不快になることもなく見れるのですが、明らかにそうではない。ワカナの亡き母との関係も暗示されており、おそらくはこれから先、生徒たちが教頭を「許す」方向にドラマが展開してゆくのは間違いないでしょう。
ツイッターでhttps://twitter.com/deviltruck2010/status/224852071940239360 https://twitter.com/deviltruck2010/status/224881505409826816のようなことをいっている方がおり、私は(挙げられた二作は見ておりませんが)この方の見解にほぼ同意なのです。この方のように「あんまり期待してない」わけではないのですが。

> 下田市の就職率が、私 気になります

えるさんww
いや、10年後、20年後が描かれる際にはまさにその点が大問題、テーマのひとつになるのではないでしょうか。
優香、末はニートかフリーターか。
…ていうかアイドルという可能性を最初から考慮の外においていたことに今気づきました(汗)

> 戸松遥
>相当な倍率のオーディションを潜り抜けた猛者

猛者w
見た目とかなりイメージが違いますね。
いやでも実力的にはまさしく「猛者」なのでしょう。

同じようにカメレオン的実力に驚愕した声優として、ピンドラの真砂子を当てていた堀江由衣さんがいました。これがペルソナ4の千枝ちゃんや化物語のメガネいいんちょと同じ人なの!?と。

> 清順監督ですが、ご存知の通り、まだ新作の準備

ピストルオペラ以来になりますか。すごい。
しかしもっとすごい人が。
https://twitter.com/blue_yt/status/224291294875353088
「最近、ポルト郊外で20分の短編作品を監督した」…
先日なくなったアーネスト・ボーグナイン、山田美鈴(奇しくも同年生まれだったそうですが)よりも年長ですよ。

> 折木さん、「灰色」云々とか言っておきながら、スゲー、リア充

原作でも基本的にそうですが、アニメはさらにリア充度三割増しです。
まあ「灰色」なんつうのは青春的「ばら色」展開の前振りに過ぎないことは最初からバレバレなわけですが。

>いやあ、爆発すべきですねw
>『僕は友達が少ない』とかもそうですが、アニメには、リア充が多すぎです。
>半分冗談ですが、悪質なイデオロギーとして、指弾されるべきでしょうw

なんというか、ジャンルの規則というやつなんでしょうか。
見慣れてくると忘れてしまうんですが、オタクカルチャー的イデオロギーは指弾されなければならない、とはけっこう本気で思いますです。
中原昌也のオタク嫌悪など、理由のないものではないでしょう。

> すんごく後味がビターテイストですよね。
>「愚者のエンドロール」の回は、千反田さんがいなかったら、視聴を中断し兼ねなかったくらいですw

まさに。
千反田さんの存在は大きいです。
彼女の「私も人が死ぬ話嫌いなんです」は泣けます。あれはいい。
他にも、温泉回のラストですが、姉妹が仲良くしてるシーンは原作にはありませんでした。
千反田さんの「姉妹は仲良くあってほしい」というスイーツ(笑)な願いがあえなく打ち砕かれるところで終わるわけです。読み返してみて、この説教くささはよくないと思いました。アニメのほうがいい。
えるさんは神です。

> 折木さんを見ていると、毛がモッサモサした大型犬を想起します。

あーなるほど。犬ですね。たしかに。
寝ぐせ頭に半纏すがたがまことにキュートなほうたろうさん。
姉とかイリスさんに骨を投げられると走り出さずにいられないほうたろうさん、かわいいです。

> ノイタミナ枠
>何故か自分の ド直球ストライクゾーンにまでは来ませんw

いやたしかに…なかなか挑戦的な企画が多くてエライとは思うんですが。
それでも「アポロン」のほか、「あの花」「UN-GO」など、佳作が多いと思いますが。

女たちは、殴りあいもなしに、突然仲良くなる。

管理人でございます。


> 昨日第三回見たんですが、サワはフツーの私服・水着だったので、残念でした。もうこのネタ転がさないのかなあ。
> ただ、やはり細部で細かく楽しませてくれてますね。
> 謎のラテン系男と豚の突如の出現はワクワクさせますし、ウィーンのボケも健在ですし。

『true tears』ですと鶏であり、『花咲くいろは』だとペリカン(?)とするなら、今回は、豚なんでしょうね。
にしても、毎度のことですが、ぜんぜんデフォルメされていない豚さんですw


> これが単に憎たらしい悪役・打倒されるべき対象とされているのであれば、まあさほど不快になることもなく見れるのですが、明らかにそうではない。ワカナの亡き母との関係も暗示されており、おそらくはこれから先、生徒たちが教頭を「許す」方向にドラマが展開してゆくのは間違いないでしょう。

ツイッターでの言及ですが、自分も、ほぼ同じことを考えました。
・・・あれはイニシエーションか何か、なのかもしれません。
事実、2作品とも、時が過ぎると、二人はウソのように仲が良くなっているのです。
このウソのような変異もまた、考慮されるべきなのでしょう。

和奏への、教頭の「距離感」も含めて(他のメンバーへの態度との偉い違い)。


> いや、10年後、20年後が描かれる際にはまさにその点が大問題、テーマのひとつになるのではないでしょうか。
> 優香、末はニートかフリーターか。
> …ていうかアイドルという可能性を最初から考慮の外においていたことに今気づきました(汗)

自分も、アイドルという進路を度外視しておりましたw
多分、高校生に進学したら、誰かが石川県の老舗旅館で住み込みの労働をさせられるに違いありませんw(←混ざった)


> 同じようにカメレオン的実力に驚愕した声優として、ピンドラの真砂子を当てていた堀江由衣さんがいました。これがペルソナ4の千枝ちゃんや化物語のメガネいいんちょと同じ人なの!?と。

その線で行くと、沢城みゆきさん を挙げざるを得なくなってくるわけです。
確か、15歳で主役を堂々とやってますね。上手いの何の。


> 「最近、ポルト郊外で20分の短編作品を監督した」…
> 先日なくなったアーネスト・ボーグナイン、山田美鈴(奇しくも同年生まれだったそうですが)よりも年長ですよ。

ジョン・フォードとかと同世代になるんでしたっけか。
人間は、103才でも、映画が撮れるんですね。
103歳に映画を撮らせるポルトガル映画界のことが、私、気にな(自粛w)


> まあ「灰色」なんつうのは青春的「ばら色」展開の前振りに過ぎないことは最初からバレバレなわけですが。

ああいうのを、「高二病」と、言うとか言わないとかw


> 見慣れてくると忘れてしまうんですが、オタクカルチャー的イデオロギーは指弾されなければならない、とはけっこう本気で思いますです。
> 中原昌也のオタク嫌悪など、理由のないものではないでしょう。

間違えれば、ヌルイ自閉のものですからね。
ジャンルへの自覚というのは、プロとしての必須条件です。
中原とオタクの違いは、資本主義(商品)とカネ への向き合い方、というのがあると思います。
(例:『中原昌也 作業日誌 2004→2007』


> 彼女の「私も人が死ぬ話嫌いなんです」は泣けます。あれはいい。
> 他にも、温泉回のラストですが、姉妹が仲良くしてるシーンは原作にはありませんでした。
> 千反田さんの「姉妹は仲良くあってほしい」というスイーツ(笑)な願いがあえなく打ち砕かれるところで終わるわけです。読み返してみて、この説教くささはよくないと思いました。アニメのほうがいい。

える様は確かに神様です。
まったくです。
「私も人が死ぬ話嫌いなんです」は胸を打ち抜かれました。
『黒死館殺人事件』とか読んでる場合じゃありませんねw(反省)

・・・まあ単純に、説教臭いとDVDが売れないから改変した、ということもあるかもしれませんがw
ファン層を広くしなきゃいけないわけですからね。


> 姉とかイリスさんに骨を投げられると走り出さずにいられないほうたろうさん、かわいいです。

第二話で、える閣下が犬みたいな格好になってましたが、そう考えれば、お二人は実にお似合いです(←上手いこと言ったつもりw)。


> それでも「アポロン」のほか、「あの花」「UN-GO」など、佳作が多いと思いますが。

「あの花」もノイタミナ枠ですね。
無論、佳作が多いのは間違いありません。
ただ、「偏愛」になるかならないか、ということでしょうねw
多分、ノイタミナは、比較的一般視聴者の方が多いから、というのがあるかもしれません(こういうのを「ひがみ」というw)。
いけません。いけません。


ではでは。

No title

こんばんは。またお邪魔します。

>あれはイニシエーションか何か

もしこの作品がそのような処理をして済ませるのだとしたら、かなり残念ですね。
パワハラ・モラハラ・ただのイジメが「イニシエーション」として正当化される傾向の強いこの社会において、教頭のモラハラを単なるイニシエーションとして処理するとしたら、それはこの社会の現状を追認しそれに加担することだと思います。

>このウソのような変異もまた、考慮されるべきなのでしょう。

その二作を見ていないのでなんとも言えませんが、「ウソのような変異」はいかにして正当化されうるのか、というのは真面目に考えられなければならないと思います。

…前にこちらでコメントさせていただいた際、私は自分のことを指して「元ハスミファン」と書いたことがあったかと思います。
ファンどころか、私淑(笑)と言ってもいいほどの傾倒ぶりだったわけです。
単に今はあまり積極的に彼の文章を読まなくなってしまった、ということも「元」と称する理由としてあるのですが、今の私は彼のスタンスに距離を感じるようになってしまった、というのは、やはりあります。
つまり、彼自身はとりあえず措くとしても、彼のようなスタンスが支配的になることによって、オタクに強力な自己正当化の論理を与えてしまったのではないか(あるいは、彼は巧妙に時代の流れに乗って見せたのではないか)、という疑問があります。
もちろん彼の書いたものに当たってつぶさに検証する必要がありますが、今のところ私はあまりきちんとやってません。
ただ、ツイッターでこんなことを書いたことがありました。
http://twilog.org/qua_gma/date-110508
http://twilog.org/qua_gma/date-110509
http://twilog.org/qua_gma/date-110510
まあ、読み返してみると、「リュミエールという雑誌・同誌責任編集者たる蓮實重彦・そして彼らが牽引した「シネフィル」運動の、きわめてネオリベラリズム的な本質がここに明らかになっているように見える」は飛躍してるし、少し言い過ぎたかな、と思いますが。

なんといいますか、私という人間の正体は、左傾化し転向した「元」シネフィル(笑)だ、ということなわけです(笑)

脱線しました。
人様のブログコメント欄でのオレ理論開陳からの自分語り、やらかしちまいました。
まことに申し訳ありません。m(_ _)m

さて。

>沢城みゆきさん

調べてみたら、私が見たことあるのは「化物語」シリーズの神原駿河くらいでした…
今放映中のだと、「ココロコネクト」の稲葉さんですね。先週みました。これから見てみようと思います。


>ジョン・フォードとかと同世代になるんでしたっけか。

ちょwwwまじですか!
オリヴェイラさん長老過ぎる!

>103歳に映画を撮らせるポルトガル映画界のことが、私、気にな(自粛w)

これも労働問題なのでしょうかw


>「私も人が死ぬ話嫌いなんです」は胸を打ち抜かれました。

おお、やはり、そうですよね。
あれ、原作ではネットの掲示板でのやり取りなんですよ。
これもいい改変だと思います。

>『黒死館殺人事件』とか読んでる場合じゃありませんねw(反省)

いやいやw
私も最近なぜか綾辻の館ものなど読んでしまってるわけですが。

>「偏愛」になるかならないか、ということ

私は(ニワカですが)、やはり「あの夏」ということになるでしょうか。偏愛の対象。
ノイタミナではないですけど。


あ、そういえば、こんなのありました。
https://twitter.com/qua_gma/status/221174304828694528
爆笑してしまったしだいです。

ではまた。

分業意識、そして、大天使

管理人でございます。


> パワハラ・モラハラ・ただのイジメが「イニシエーション」として正当化される傾向の強いこの社会において、教頭のモラハラを単なるイニシエーションとして処理するとしたら、それはこの社会の現状を追認しそれに加担することだと思います。

イニシエーション云々という仮説は、こちらの一方的な思いつきですので、実際の所は製作側の意図を聞きたいところではあります。
イニシエーションというのは、以前書いたとおり、ずいぶん安易なものでもあるわけですし。
また、もし作劇上の理由だとすれば(つまり話を作りやすいから、という理由だとすれば)、それはそれで安易であるわけです。
・・・正直、その手のシーンというのは好きじゃないのです。(いやあ、える閣下ではありませんがw)

ビデオとかDVDとかだと、通常ならば、早送りします。
(・・・ゴダールというのは、そういえば、この手のシーンがないですね。当然といえばそうなんですが。)

少なくとも、実社会でのパワハラとかは、当然あってはならないし、そもそも不愉快です。


> つまり、彼自身はとりあえず措くとしても、彼のようなスタンスが支配的になることによって、オタクに強力な自己正当化の論理を与えてしまったのではないか(あるいは、彼は巧妙に時代の流れに乗って見せたのではないか)、という疑問があります。

グリフィスについては、
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-69.html
と書いてから、何も見解は変わっていないですね(思考停止ともいうw)。

「彼のホモセクシュアルな側面の強調も同時代的な感性への妥協とみえかねない」というのは、要するに、映画における「運動の擁護」を本懐とする人間にとって、それ以外の「俗情への妥協」は本質的ではない、ということなんでしょうね。(映画は「再現」ではない、「運動」だ、という風な。)

「古典的ミュージカルが作り手・ファンダムの両面から性的マイノリティに支えられていた」当時の事実関係とは別に、それが公開された2004年(?)において「ホモセクシュアリティを強調」するという本作が、2004年という当時とは異なる時代状況においてどういう意味を帯びるか、ということかもしれません。
(・・・何を書きたいんだか分からなくなってまいりましたw 当該の批評文をもう一度読むべきかもしれません。)

・・・少なくとも、蓮實への「映画原理主義者め!!」という罵詈雑言は正しいと思いますw
四方田先生とか町山先生とかには、ご賛同いただけるはずですw (←私は、二人の氏も好きな方ですが)

蓮實先生は、出現当時の映画の見方に対するアンチテーゼであったわけですから、それがアンチテーゼとしての意味を失調し、だらけた流行になってしまうのなら、それは当然批判されるべきです。
この件について本人も、いろいろ書いていた気がしますが、忘れましたw

・・・蓮實先生は実際の所、自分の仕事しかしない、という自覚があるのだと思われ、じっさい彼の文体というのは、迂回しながら様々な問題に触れつつ弄りはせずに実質的に回避(後回し)していく、ということをよくやっており、自分はこの仕事をやるからこっち仕事はしない、あるいは、他の人がそれをやるんだったら自分がやる必要はない、自分はこれをやるよ、という分業意識がかなりある人だと思います。
参考:http://flowerwild.net/2006/11/2006-11-08_133443.php

> まあ、読み返してみると、「リュミエールという雑誌・同誌責任編集者たる蓮實重彦・そして彼らが牽引した「シネフィル」運動の、きわめてネオリベラリズム的な本質がここに明らかになっているように見える」は飛躍してるし、少し言い過ぎたかな、と思いますが。
> なんといいますか、私という人間の正体は、左傾化し転向した「元」シネフィル(笑)だ、ということなわけです(笑)

そういう場合は、「ネオリベ」などといわず、ひとこと、「このブルジョアが!!」といえばよいのですw
それで何の問題もないわけです、だって事実ですからw
リュミエールの件を合わせると、「在京ブルジョアどもが!!」という批判も有効ですw


> 調べてみたら、私が見たことあるのは「化物語」シリーズの神原駿河くらいでした…
> 今放映中のだと、「ココロコネクト」の稲葉さんですね。先週みました。これから見てみようと思います。

初期で有名なのは、『ローゼンメイデン』や、『デ・ジ・キャラット』、『ギャラクシー・エンジェル』ですね。
それ以降のご活躍は、言うまでもありません(←代表作が多くて省略w)。


> >ジョン・フォードとかと同世代になるんでしたっけか。
> ちょwwwまじですか!
> オリヴェイラさん長老過ぎる!

申し訳ありませんw
ジョン・フォードではなく、ジョン・ウェインと同世代です。(←シネフィルに飛膝蹴りを食らわされるべきレベルw)
ただし、サミュエル・フラーやニコラス・レイよりも、年上なのですw


> >103歳に映画を撮らせるポルトガル映画界のことが、私、気にな(自粛w)
> これも労働問題なのでしょうかw

いやあ、アンチエイジング的案件ですねw
厚生労働省と文科省は、清順監督の「サイボーグ化」に向け、協議を行うべきですw(←という映画が作られるべきw)


> >「私も人が死ぬ話嫌いなんです」は胸を打ち抜かれました。
> おお、やはり、そうですよね。
> あれ、原作ではネットの掲示板でのやり取りなんですよ。
> これもいい改変だと思います。

小説とアニメでは、表現効果が違う、という基本原則を知悉している辺り、さすが京アニ!(←二回目w)
天使チタンダエルは、岐阜県に実在(!?)するのですw


> 爆笑してしまったしだいです。

さくらんぼの件、最初見たときはびっくりしましたが、山形での例の映画祭での縁かしら、と考えると、決して不自然でもない気がしてきます(事実関係を調べる限り、あまり関係ないようですが)。
ちなみに、さくらんぼの産地であり、件の農園の近隣にある東根市は、阿部和重(神町出身)の実家があり、『シンセミア』ほかの舞台でもあります。
『シンセミア』とかだとスゲーヤバそうな土地ですけど、中身は普通ですw
参考:http://www.sakuranbo.co.jp/livres/sugao/2012/02/post-15.html


ではでは。

蓮實重彦とはいったい何なのか

こんばんは、quagmaです。

>作劇上の理由だとすれば(つまり話を作りやすいから、という理由だとすれば)、それはそれで安易

たぶん制作者側としてはこれが一番大きいのではないかと想像します。
「その手のシーン」そのものをテーマにするというのはアリだと思いますが、本作は明らかにそうではないですし、安易にこうした要素を使い回す(しかも悪しき現状追認となりかねぬ粗雑なやり方で)のはやめていただきたいですよね。
私も、大天使チタンダエルじゃないですが、「こういうのは好きじゃないのです。」

そういえば、同じ制作会社の「Another」、教頭的キャラクターはいなかったな…と思ったのですが、あれはある意味作品全体のネタそのものが教頭的(学校でのイジメを免罪してると読まれかねない等。私は原作読んで綾辻許すまじと思いました)というパターンでした。
P.A.WORKS、作りの丁寧さには好感が持てると感じていたんですが、意外にも悪趣味な作風を持っていたのでは、と疑念が。

>ゴダールというのは、そういえば、この手のシーンがない

ふと思ったのですが、ゴダールは撮影現場ではどう振る舞ってるんでしょう。俳優をどう納得させてるのか、不思議になることがよくあります。完全に暴君なのでしょうか。
あと、ああしたモラハラ的要素を無批判にフィクションに取り入れるの(言い換えれば、権力構造による悪への鈍感さ)って、日本(あるいは東アジア?)特有なのかな?となんとなく思います。

>ジョン・フォードではなく、ジョン・ウェインと同世代

いや信じてしまった私も「元」にせよシネフィルを自称したのが恥ずかしいです。なんちゃっての意味をこめて(笑)を付けたので、飛膝蹴りは勘弁していただきたいですがw
スタンバーグやルノワールと同年生まれのフォードは生きてたらもうすぐ120歳、マンキーウィッツやカザンあたりと同年代のオリヴェイラよりも15歳ほど年長ですね。

>サミュエル・フラーやニコラス・レイよりも、年上なのですw

彼らが今だに撮っていると考えれば、そのすごさは分かります。
ヴェンダース作品に出ていた30年ほど前の時点で、彼らはもう立派なおじいちゃんでしたから。

> 清順監督の「サイボーグ化」

そういや「サイボーグじいちゃん」というマンガがありましたw

さて、
>蓮實先生は実際の所、自分の仕事しかしない、という自覚があるのだと思われ、じっさい彼の文体というのは、迂回しながら様々な問題に触れつつ弄りはせずに実質的に回避(後回し)していく、ということをよくやっており、自分はこの仕事をやるからこっち仕事はしない、あるいは、他の人がそれをやるんだったら自分がやる必要はない、自分はこれをやるよ、という分業意識がかなりある人だと思います。

これは、私もそうなんだろうと思います。

雑誌リュミエールにおけるグリフィスの扱いにしても、リュミエールがオミットした部分を他の誰かがやればよかった(実際に日本でそれをやった人がいたかどうかは知りません)。

ただ、例えば彼の「…といった点はさしあたり問わずにおく」式の物言いが、むしろ「…」の諸々の問題はさして問題ではないのだ、スルーしていいのだ、という目配せとして機能してしまったんじゃないかなあ、そしてそのことにつき彼が責めを負わないとは到底言えないのではないかなあ、とは思わないでもないです。

いずれにせよ、蓮實がある意味で時代のイデオローグになってしまった(させられてしまった?そういえば東大総長までやってました)のは、不幸(誰にとってそうなのかはまた問題ですが)なことだったのでは、と。
ただ、もしかしたら私は彼の影響力を高く見積もりすぎているのかも知れない、という気はします。

…蓮實先生については、考えだすと止まらないので、この辺にしておきます。

>さくらんぼの件

私も、山形映画祭での縁か、阿部和重からのつながりか、あたりを考えました。
このあたりのトボケた感じ、蓮實先生憎めません。

>阿部和重

ですが、好きな小説家ですし、好き嫌いを別にしてもメジャー感のある実力派だと思います。ハルヒにインスパイアされたみたいな短篇も書いてましたよね。

それにしても、彼はまあ別にしても、中原昌也や笙野頼子(彼女が蓮實の文章を「好感度高い」と書いていたのには、なぜか衝撃を覚えてしまいました)のような人までが蓮實先生を悪く言ってない、というのはすごいことのように思います。

ではまた。

蓮實重彦という「抑圧者」

管理人でございます。

> 「その手のシーン」そのものをテーマにするというのはアリだと思いますが、本作は明らかにそうではないですし、安易にこうした要素を使い回す(しかも悪しき現状追認となりかねぬ粗雑なやり方で)のはやめていただきたいですよね。

ああいうのは、気持ちのいいものではありませんね。
肉に突き刺さるような「理不尽」というだけなら、フリッツ・ラングとかがありますが、それとは技量も作風も異なるわけですから。

> P.A.WORKS、作りの丁寧さには好感が持てると感じていたんですが、意外にも悪趣味な作風を持っていたのでは、と疑念が。

ふーむ。
我々の意見はほとんど一致しているのですから、他の方の意見も聞いてみたいところですね。
どうなんでしょう。

> ふと思ったのですが、ゴダールは撮影現場ではどう振る舞ってるんでしょう。俳優をどう納得させてるのか、不思議になることがよくあります。完全に暴君なのでしょうか。

蓮實重彦(←またかよw)の『ゴダール革命』の中に、記述がありましたね。
以前、つまらないエントリを書いた(なぜ書いてしまったのか?)のですが、そこから抜粋。http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-246.html

 ナタリー・バイ曰く、「ほかの映画の撮影は時間に追われ、スタッフ全員が殺気立っているのに、光線の加減で一日そっくり休んでしまうゴダールと一緒に仕事をしていると、途方もなく贅沢な気分になってくる」(196頁)という。
 なのに、ふと気まぐれに撮ったシーンを見ると、叙情溢れる画面になっていると、ナタリー・バイは続ける。

 この女優の言い分を信じる限り、相当ゆったり撮影をしているそうです。
 本文をご確認いただきたいところですが、自由に演技させてくれるのは、間違いない と思います。
(小津や、溝口たちと比べれば、です。・・・モラハラの件は、日本の監督たちの件も、触れておくべき所でした、、、)


> スタンバーグやルノワールと同年生まれのフォードは生きてたらもうすぐ120歳、マンキーウィッツやカザンあたりと同年代のオリヴェイラよりも15歳ほど年長ですね。

ジョン・フォードとジョン・ウェインを間違えて書くなんて、一番ダメな勘違いです。
・・・しばらく廊下に立ってますねw

> ヴェンダース作品に出ていた30年ほど前の時点で、彼らはもう立派なおじいちゃんでしたから。

その一言を聞いて、『アメリカの友人』を、もう一度見たくなりました。
胸が熱くなりました。
・・・映画って言うのは、やはり、人生なのだと思います(感傷)。


> そういや「サイボーグじいちゃん」というマンガがありましたw

鈴木清順監督に早速映画化してもらわねばw
・・・他にこれを映画化できそうな監督というと・・・誰がいるんでしょう・・・黒沢清監督に!w

> ただ、例えば彼の「…といった点はさしあたり問わずにおく」式の物言いが、むしろ「…」の諸々の問題はさして問題ではないのだ、スルーしていいのだ、という目配せとして機能してしまったんじゃないかなあ、そしてそのことにつき彼が責めを負わないとは到底言えないのではないかなあ、とは思わないでもないです。

映画原理主義者・蓮實先生の回答は多分、「そう思うような愚か者は映画を論ずる資格はない」ということなんでしょうね。
蓮實重彦とは、まず教師であり、他の書き手にとっての(大いなる)抑圧者でした。
・・・その抑圧を、権利か何かと勘違いしてしまう人間に、映画を論ずるだけの資格はあるのかどうか。
そういう位相の問題にも、関わってくると思われます。

映画のことになると、やはり、下手なことは書きにくくなります、、、そうか、これが抑圧という奴か、恐るべし蓮實重彦!!(以上、寸劇。)

> いずれにせよ、蓮實がある意味で時代のイデオローグになってしまった(させられてしまった?そういえば東大総長までやってました)のは、不幸(誰にとってそうなのかはまた問題ですが)なことだったのでは、と。

・・・どうせなら、総理大臣ぐらいやってくれてもいいと思いますよw
現職の首相より、いい仕事はしてくれそうですw(←大抵の人はそれに当てはまる気もしますが)


> それにしても、彼はまあ別にしても、中原昌也や笙野頼子(彼女が蓮實の文章を「好感度高い」と書いていたのには、なぜか衝撃を覚えてしまいました)のような人までが蓮實先生を悪く言ってない、というのはすごいことのように思います。

笙野頼子が蓮實先生の文章を褒めてたんですか!
予想できないことではありませんが、そう考えた理由が、私、気にな(またも自粛)

笙野頼子は、『居場所もなかった』を読んだ時に、こんなふうな文章を書きたい、というえもいわれぬ衝動に駆られました。
作風はずいぶん変わりましたけど、やはり優れた作家です。


ではでは。

教育・抑圧・ハラスメント

こんにちは、quagmaです。

> フリッツ・ラング

「その手のシーンそのものをテーマにする」巨匠でしたね。彼が日本的なパワハラ・モラハラ・いじめをテーマに撮っていたら…と想像したくなります(ていうか誰か、それこそ黒沢清あたりがそういう企画で撮ってほしいです)。彼は迫害をそれそのものとしてすさまじい迫力で描きましたが、悪を別の何かに偽装したりといった志の低いことはしませんでしたね。

> http://webrog.blog68.fc2.com/blog-entry-246.html
>ゴダール…相当ゆったり撮影をしているそうです。

ほほう。聞けば、いかにもそうであろうと思えるエピソードですね。
しかし『ゴダール革命』を読んでいないというのは、自称「蓮實に私淑」「元シネフィル(笑)」としてどうなのよ、私w

それにしても「ストローブ&ユイレは、見ようによっては全部がギャグ」って、相変わらず冴えてますね黒沢清w本人たちが聞いたら怒るだろうなあ(片方はもう亡くなってますが)…

>(小津や、溝口たちと比べれば、です。・・・モラハラの件は、日本の監督たちの件も、触れておくべき所でした、、、)

ああ…これはすっかり失念してました。たしかに、です。
小津が笠智衆に異常なほど何度も同じ演技をさせた、とかいうエピソードを聞いたことがありますが、これに類する話が「美談」として流通する風土は本当に耐え難いものだと思います。

>ジョン・フォードとジョン・ウェインを間違えて書くなんて、一番ダメな勘違い

むしろありがちな書き違いですし、罪は少ないと思いますw

>しばらく廊下に立ってますねw

教育現場でのパワハラよくないとおもいますw

>『アメリカの友人』を、もう一度見たくなりました。

私もです。

> 「サイボーグじいちゃん」
>鈴木清順監督に早速映画化してもらわねばw
>他にこれを映画化できそうな監督というと・・・誰がいるんでしょう・・・黒沢清監督に!w

黒沢清、「ドッペルゲンガー」なんて怪作(この形容は彼の作品のほぼすべてに当てはまってしまいそうですが)もありましたね。あれに出てくる変な機械、その末路ともども、忘れられません。

>蓮實重彦とは、まず教師であり、他の書き手にとっての(大いなる)抑圧者でした。

おそらく、意識してそう振舞っていらしたのかな、と思います。
そこらへんは、実は「私淑」していたときにも何だか釈然としないところでした。もう一度読み直してみなければきちんとした判断はできませんが、あまりいい感じはしません。
昔も今もダメなものがはびこりすぎてますから、抑圧(≒教育?)が無意味とは言いませんが、一般論として、意識して抑圧を利かすなんてたいていロクなもんじゃない、ダメなものに対してきちんとダメと言えば大概はそれで済むのでは?と考えています。

彼の門下と見られている人たちにいい仕事をしている人がおおぜいいいるのは事実ですし、現場の教師としては、すばらしい仕事をしたのだと思いますが。

>どうせなら、総理大臣ぐらいやってくれてもいいと思いますよw
>現職の首相より、いい仕事はしてくれそうですw(←大抵の人はそれに当てはまる気もします)

うーーん、どうでしょうw
まずおやりにならないでしょう、というのは措くとしても、正直、首相なんか誰がやってもあまり変わらないんじゃないかなあ、と思わないでもないです(補足すれば、近年首相をやる人の中にロクなのがいない、というのはそうだと思うんですけど、首相リクルートシステムを含めた権力周辺のありようの腐敗がひどすぎて、首相一人がまともなひとになったってどうしようもない、と思うわけです。)。
とはいえ、今の人はあまりにひどすぎますが。

>笙野頼子が蓮實先生の文章を褒めてたんですか!

まあ例によってちょっと意味がとりにくい文章ではありましたが、悪くは言ってなかったです。
そもそもが他人が自分(笙野頼子)について書いた文章を次々と槍玉にあげる、といった文章だったので、必然的に罵倒込みの反論が多くなるのですが、その中でハスミに触れている部分は「意外にも好感度高い」といったふうに書いているので、私も驚きました。

私も、笙野頼子はいいと思う小説家の一人です。もっとも、近作はほとんど読んでいません。『レストレス・ドリーム』には衝撃を受けましたし、『説教師カニバット』には爆笑しました(爆笑だけで済ませてはいけないのですが)。

ではまた。

アニメから、映画へ

管理人でございます。


> 「その手のシーンそのものをテーマにする」巨匠でしたね。彼が日本的なパワハラ・モラハラ・いじめをテーマに撮っていたら…と想像したくなります(ていうか誰か、それこそ黒沢清あたりがそういう企画で撮ってほしいです)。彼は迫害をそれそのものとしてすさまじい迫力で描きましたが、悪を別の何かに偽装したりといった志の低いことはしませんでしたね。

ご存知の通り、黒沢監督は、モラハラのような身分的・境遇的な非対称関係が生む湿りきった暴力というよりも、登場人物にとって不可解極まりない条理無き暴力 を撮ってきた監督ですが、『トウキョウソナタ』みたいな作品をやったんだから、次はさらに、「いじめ」を真正面から描いて新境地を開拓して欲しいとも思います。
・・・青山真治監督のほうが、いいのかも・・・贅沢な悩みではあります。・・・それはそうと『食卓のない家』は再び映画化されるべきだと思いますね。・・・

フリッツ・ラング。
確かに彼は、悪を悪と明確に見定めて描いた人であり、その悪を何かのダシに使うことはしなかった人でした。
だから彼の映画は、その技法も相俟って、強い強度を湛えているのでしょう。


> しかし『ゴダール革命』を読んでいないというのは、自称「蓮實に私淑」「元シネフィル(笑)」としてどうなのよ、私w

一度『ゴダール革命』の書評(!?)を書くことを断念して、再挑戦して書いたのがアレでございます。
相変わらず、何のまとまりもありませんが、ある程度いいとこ取りは出来ていると思います。

(いや、こういうだらけた「書評」こそ「盗み」なのかもしれませんが・・・http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E6%96%87%E5%AD%A61-%E5%B7%9D%E4%B8%8A-%E6%9C%AA%E6%98%A0%E5%AD%90/dp/4778311213


> それにしても「ストローブ&ユイレは、見ようによっては全部がギャグ」って、相変わらず冴えてますね黒沢清w本人たちが聞いたら怒るだろうなあ(片方はもう亡くなってますが)…

ストローブ・ユイレについては、『ゴダール・フーコー・マネ』も参照されるべきですね。
黒沢に近いことを、蓮實先生も述べていました。
連載中にユイレが亡くなり、本の内容を少し修正せざるを得なくなったエピソードが載ってますね。


> 小津が笠智衆に異常なほど何度も同じ演技をさせた、とかいうエピソードを聞いたことがありますが、これに類する話が「美談」として流通する風土は本当に耐え難いものだと思います。

村川英編『成瀬巳喜男演出術』で、山村聡が、次のように語っていますね。
数ヶ月前に、書評用として書き抜きをしておいたところです(つまり、この本の書評をサボっていたのですw)

「小津さんの有名な話で、何回やっても、「もう一度」って言う。だから、俳優のほうもOKなんて言われると思ってない。カットって言って、「もう一度」ってくるから覚悟してますよ。 (略) 笠智衆なんていうのは、もう三十回でも五十回でもやれる人。あれは自分にとっては楽だって言って、何度でもやって……。」

動きを、演技を、非人間的に無意識的に、自動化させようということなのでしょう。
小津映画の 滑らかな「不自然さ」というのが、こういう演技法にも由来することは、いうまでもありません。
(能とか、伝統的な芸能の「型にはめる」やり方に、ことによったら近いのかもしれませんが、どうなのでしょう・・・)


> >しばらく廊下に立ってますねw
> 教育現場でのパワハラよくないとおもいますw

・・・生徒が自分から廊下に立ちたいと申し出た場合、教師はどうすればいいんでしょうね?w


> 黒沢清、「ドッペルゲンガー」なんて怪作(この形容は彼の作品のほぼすべてに当てはまってしまいそうですが)もありましたね。あれに出てくる変な機械、その末路ともども、忘れられません。

黒沢作品の魅力が、仰せの通り「すべて怪作」な点にあるのは、いうまでもないことですが、次々に新境地を開いていく姿が実に素晴らしい。
そんな監督は、5年ぶりに新作を撮られるそうで(ステマじゃないですよw)

『リアル~完全なる首長竜の日~』というタイトルで、ラブストーリーらしいです。
・・・もう次は西部劇か時代劇を撮るべきだと思いますよw


>(補足すれば、近年首相をやる人の中にロクなのがいない、というのはそうだと思うんですけど、首相リクルートシステムを含めた権力周辺のありようの腐敗がひどすぎて、首相一人がまともなひとになったってどうしようもない、と思うわけです。)。

その通りだと思います。
議院内閣制の国ですから、結局、政党のありかたが問題になるわけですが、日本の政党政治は混迷の渦中にあります。
・・・問題を列挙すればきりがないのですが、とりあえず、単純な首相公選制には反対ですね(そもそも、効果がないわけです)。


> そもそもが他人が自分(笙野頼子)について書いた文章を次々と槍玉にあげる、といった文章だったので、必然的に罵倒込みの反論が多くなるのですが、その中でハスミに触れている部分は「意外にも好感度高い」といったふうに書いているので、私も驚きました。

ますますナゾですねw
本文に当たるべきなんでしょう。

・・・蓮實先生は笙野論として、「書けない理由」という論を、確か書いていたと思いますが、そこに藤枝静男の名前が出てきてて、二人の接点はやはりここか、と少しだけ納得しました。
・・・笙野作品は、映画化・・・は無理だと思うので、是非アニメ映画化して欲しい所ですw
『まどか』のシャフトあたりに、製作お願いしたいですw


ではでは。

横滑りは果てしなく

>黒沢監督は、モラハラのような身分的・境遇的な非対称関係が生む湿りきった暴力というよりも、登場人物にとって不可解極まりない条理無き暴力を撮ってきた監督

これは的確な表現ですね。「不可解極まりな」く、「条理無き」暴力を好んで取り上げる一方、そうした不条理な力において働く何らかの機械的な法則性に執着する(『カリスマ』『回路』など)ところもあり、興味深いです。
他にも敵対する集団の正面衝突(しばしば無関係な第三者が巻き込まれて傷付く)を演出することにもこだわっており(『勝手にしやがれ』シリーズ最終作、『大いなる幻影』、短編『ココロ、オドル』等)、このあたりもパワハラモラハラ等の人称的暴力よりも、非人称的暴力への指向が見て取れるかも知れません。

非人称といえば(と、どんどん横滑りしていく)、先日大飯原発がクラゲのせいで再起動が遅れる、という事件がありましたが、ツイッター上で『アカルイミライ』を想起する人が多数見られました。

>『トウキョウソナタ』みたいな作品をやったんだから、次はさらに、「いじめ」を真正面から描いて新境地を開拓して欲しい

『トウキョウソナタ』、見ていないんです。悲しいことに。

>『リアル~完全なる首長竜の日~』というタイトルで、ラブストーリーらしい

この新作は、是非見逃さないようにしないと…!

>もう次は西部劇か時代劇を撮るべき

どうも本人的には、『ニンゲン合格』『カリスマ』『ココロ、オドル』あたりは「西部劇」らしいのですが、はてさて…
時代劇は…『カリスマ』で一瞬チャンバラっぽいことやってたような…

>青山真治監督のほうが、いいのかも

青山真治のほうがエモーショナルな題材を扱うことが多いですね。
…塩田明彦など、どうでしょう。『害虫』でイジメ扱ってましたし、個と個の関係性への指向を示していたので、パワハラ・モラハラテーマとか好むかもしれませんね。

>『食卓のない家』は再び映画化されるべきだと思いますね。

知らなかったんですが、wikipediaで見る限り、ラング的なテーマの小説のようですね。

>書評
>こういうだらけた「書評」こそ「盗み」なのかもしれませんが・・・

むむー。
いいじゃん書評くらい好きに書かせろよって思いますが…
ふむふむ、書評も批評には違いないのに、あたかも別物であるかのように曖昧に許されているのが、万引きと窃盗の関係に似ている…と。
ようは書評とか書いてる奴らヌルくてキモい!ということですかね(乱暴)。
ヌルキモい自分を引き受けつつ書けばよいのじゃないでしょうか。

>笠智衆なんていうのは、もう三十回でも五十回でもやれる人。あれは自分にとっては楽だって言って、何度でもやって……。」

こう書かれてるのをみると、イビリ的なものとは一線を画したもののようですね。

>動きを、演技を、非人間的に無意識的に、自動化させようということなのでしょう。
>小津映画の 滑らかな「不自然さ」というのが、こういう演技法にも由来することは、いうまでもありません。
>(能とか、伝統的な芸能の「型にはめる」やり方に、ことによったら近いのかもしれませんが、どうなのでしょう・・・)

おっしゃるとおり、小津のは演出の方法論なのでしょう。そして小津においては、おそらくその方法論は俳優にも共有されていたのでしょうね。
その共有されていた前提が壊れた(あるいは最初から存在しない)にもかかわらず、(再)共有への努力を怠り、旧来の方法論に安易に固執するとき、パワハラ・モラハラが出現する、ということなのかもしれません。

>生徒が自分から廊下に立ちたいと申し出た場合、教師はどうすればいいんでしょうね?w

それは…新しい問いですねW
すぐに思いつくのは、廊下に立つふりをして生徒がエスケープする可能性ですがw
せんせいどうすればいいんでしょう?(逃げ)

>笙野頼子
>ますますナゾですねw
>本文に当たるべきなんでしょう。

図書館でちょっとさがしてみたんですが、見つかりません。固有名詞が頻出する論争的な笙野作品には、索引付けてほしいです。

>蓮實先生は笙野論として、「書けない理由」という論を、確か書いていた

たしか、その文章に対しての応答だったと思うんですよね、私が読んだ笙野頼子の文章は。

>藤枝静男の名前が出てきてて、二人の接点はやはりここか、と少しだけ納得しました。

蓮實重彦が笙野頼子にちゃんと触れようとするのなら、当然、藤枝静男に言及することになるでしょうね。もっとも、「書けない理由」というタイトルからして曲者、変化球っぽいです(読んでない)。

そういえば、藤枝作品で、人糞から精力剤か何かを作る、みたいなのがあって、その奇想に驚いてとても印象に残っていたのですが、実際に漢方薬でそういうのがあるらしい、と後で知りました。

>笙野作品…是非アニメ映画化して欲しい所ですw
>『まどか』のシャフトあたりに、製作お願いしたいですw

劇団イヌカレーさんが大活躍しそうです。ていうか劇団イヌカレーさんが過労死すると思います。

ではまた。

こんなの絶対おかしいよ

管理人でございます。


> これは的確な表現ですね。「不可解極まりな」く、「条理無き」暴力を好んで取り上げる一方、そうした不条理な力において働く何らかの機械的な法則性に執着する(『カリスマ』『回路』など)ところもあり、興味深いです。
> 非人称といえば(と、どんどん横滑りしていく)、先日大飯原発がクラゲのせいで再起動が遅れる、という事件がありましたが、ツイッター上で『アカルイミライ』を想起する人が多数見られました。

ただし、クラゲの登場が、例えば『カリスマ』でのラストのような 不穏さ漂う結末を、招きよせるようなことはないのでしょう・・・いや、あるいは、・・・・まちがいないのは、黒沢清は日本という国にはもったいない逸材だということであり、・・・『太陽を盗んだ男』はさっさとリメイクされるべきです(最近そんなことばっかり呟いているw)。

そういえば、『まどか』がまだテレビで放送中のときに、ラストがどんな風になるか予想しているブログがあって(のちにほぼ的中。)、そのとき考えたのは、なぜか、蓮實の『カリスマ』評でした。
・・・不可思議(理不尽)な法則の世界に対して主人公がどんな行動を取れるのか、という点は共通しているのですが・・・「こんなの絶対おかしいよ」w


> どうも本人的には、『ニンゲン合格』『カリスマ』『ココロ、オドル』あたりは「西部劇」らしいのですが、はてさて…
> 時代劇は…『カリスマ』で一瞬チャンバラっぽいことやってたような…

後者は、・・・洞口さんが日本刀で刺されていたのでしたっけ。
ずいぶん前に見た映画ですが、確か特殊効果を使っていたはずです。
ありゃすごかったです。(←素朴すぎる感想w)

前者は、・・・西部劇的な舞台、ということなのでしょうね。
青山監督の映画を形容して、西部劇の名前を蓮實先生も出していました。・・・『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』でしたっけか。
・・・是非是非、テンガロンハットを頭に載せた馬上の男がショットガンをぶっ放すシーンとかが見たいわけですね・・・仮タイトルは『神田川ブラボー』!!w 3人の男が活躍しますw


> …塩田明彦など、どうでしょう。『害虫』でイジメ扱ってましたし、個と個の関係性への指向を示していたので、パワハラ・モラハラテーマとか好むかもしれませんね。

実は、塩田監督のことも考えていました。(本当ですw)
『カナリア』については蓮實先生の書評がネットにありましたが、そのときには是非是非「贅沢を自粛する」ことなく、撮り上げていただきたい所ですw


> 知らなかったんですが、wikipediaで見る限り、ラング的なテーマの小説のようですね。

昔『必読書150』で柄谷行人が褒めていたのを見て、訝しがりながら読んでみたら衝撃を受けました。
絶対、監督をきちんと選べば、いい作品になります。・・・監督を選べば、の話ですw


> ようは書評とか書いてる奴らヌルくてキモい!ということですかね(乱暴)。
> ヌルキモい自分を引き受けつつ書けばよいのじゃないでしょうか。

たしかその時は、斎藤美奈子さんを褒めていたので、その水準ならOKなのでしょう・・・あたしにゃ無理!!w


> >生徒が自分から廊下に立ちたいと申し出た場合、教師はどうすればいいんでしょうね?w
> それは…新しい問いですねW
> すぐに思いつくのは、廊下に立つふりをして生徒がエスケープする可能性ですがw
> せんせいどうすればいいんでしょう?(逃げ)

教育とは、そういう事態に対応できる生徒を涵養するためにこそあるのです(キリッ!
だから、自分で考えなければなりません。(逃避)


> 蓮實重彦が笙野頼子にちゃんと触れようとするのなら、当然、藤枝静男に言及することになるでしょうね。もっとも、「書けない理由」というタイトルからして曲者、変化球っぽいです(読んでない)。

あるブログさん曰く、「笙野論を書けない理由を書いていくうちに、笙野が小説を書けないと書き付けながら小説を書いていることを分析し、それを小説そのものの特質として抽出」するという論です。
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20071011/p1
無論、変化球は投げますが、土台のしっかりした真っ当な論となっておりますです(流石だぜ)。


> そういえば、藤枝作品で、人糞から精力剤か何かを作る、みたいなのがあって、その奇想に驚いてとても印象に残っていたのですが、実際に漢方薬でそういうのがあるらしい、と後で知りました。

『空気頭』ですね、あれはすごい!!
藤枝のたどり着いた境地というのは、どこかソローキンの短篇に近いです(ソローキンのほうが藤枝に近いというべきところか)。
そういうのを本人が大真面目にやっているのが、ソローキンよりすごいわけですがw

・・・wikipedia情報によると、「明代の李時珍『本草綱目』には52巻人部の人糞、虫糞茶、黄龍湯(zh:黃龍湯)、糞清、人中黄等の糞を原料とする漢方薬が記されている」とあるので、あれは実在するんですね。
これはびっくりです。


ではでは。

残酷な世界はいらない

>『太陽を盗んだ男』はさっさとリメイクされるべき

どこかの映画館が「核」をテーマにしたレトロを企画すべきと思います(たぶんどこかが既にやっているのでは、と思いますが)。

>そういえば、『まどか』がまだテレビで放送中のときに、ラストがどんな風になるか予想しているブログがあって(のちにほぼ的中。)

ああ、それ、これじゃないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110425/p1
これは私も驚きました。
ご本人は放映直後に「少しはドヤ顔してもバチあたらないでしょう」と呟いておられましたが。
http://twilog.org/hokusyu82/date-110422

>蓮實の『カリスマ』評でした。

どんなこと書いていたか思い出せないです。たぶん映画狂人シリーズの一冊に収録されているのでしょうし、本棚探せばあるのですが…

>不可思議(理不尽)な法則の世界に対して主人公がどんな行動を取れるのか、という点は共通しているのですが・・・「こんなの絶対おかしいよ」w

「理不尽な法則の世界」ものとでも名付けられそうな設定を採用する一群の物語があると思うのですが、設定者(≒作者)の「残酷な世界を受け容れよ」と言わんばかりのドヤ顔が透けて見えてムカつくという場合がしばしばありますよね。
原作のマンガのほうの『ぼくらの』とか「まどか」の脚本家のウロブチとかいう人の小説が原作のアニメ『フェイト・ゼロ』とか、ムカムカしました(いずれもムカムカして罵りつつ、最後まで見てより怒りを募らせたというw)。
「まどか」にあまりムカムカせずに済んだのは、作画や演出の力が大きかったのかな、と思います(思春期の少女の感情のエネルギーがうんぬん、というあたり、いかにもわざとらしく「残酷」な設定で、かつ、発想がオッサン臭いです)。
黒沢清は『カリスマ』にせよ『回路』にせよ、さすがにそこらへんの下劣さは免れていたように思います。なぜ免れていたのかは、うまく言えないのですが…「残酷さ」よりも「恐怖」の感触が強いあたりがカギなのかな、という気もします。

>>『カリスマ』で一瞬チャンバラっぽいことやってたような…
>洞口さんが日本刀で刺されていたのでしたっけ。

坊主頭に黒タートルネックの池内博之が日本刀を携えていましたね。
ヒョロヒョロしたカリスマの木の前で、木を守る大杉漣の一味と池内がチャンバラをする、というシーン、なかったでしたっけ。
大ロングで、斬ったときの音が「ペシッ」て感じだったので、迫力ゼロだったように記憶します。
おそらく「これでいい」という判断なのでしょう。そこそこ予算があっても必ず学生映画っぽい感じを残すのが黒沢清の面白いところです(シャマランという人にも似たものを感じます。エアベンダーは見てませんが)。

>確か特殊効果を使っていたはずです。
>ありゃすごかったです。(←素朴すぎる感想w)

いや、たしかに素朴に「すごかったです」としか言いようがないw
特殊効果というか、CGを用いた画で私が覚えてるのは、ヒョロヒョロして貧弱だったカリスマの木が、瞬時にモリモリと巨木に成長するのを、役所広司と同画面に煽りで捉える無音のショットです。ごく短いんですが、「すごかった」としか言いようのない、異様なインパクトの画面でした。あれ、いま思うとキノコ雲みたいでしたよね…

>是非是非、テンガロンハットを頭に載せた馬上の男がショットガンをぶっ放すシーンとかが見たいわけですね・・・仮タイトルは『神田川ブラボー』!!w

役所、哀川、浅野の三人が牛の群れをして神田川を渡らしむる映画見たいです!

>円地文子『食卓のない家』
>読んでみたら衝撃を受けました。
>絶対、監督をきちんと選べば、いい作品になります。・・・監督を選べば、の話ですw

かなり分厚い小説のようで、なかなか「こんど読んでみます」ともいいづらいですが…
小林正樹による映画は、ご覧になられたのでしょうか。
小林正樹は『切腹』しか見ていないのですが、かなり重苦しい作風でしたね。
ハスミ先生は彼のことを加藤剛ともどもさんざんに腐してましたが、見てたしかにハスミ先生は嫌いそうだなあ、と思ったくらいで、それ以外の印象を覚えておりませんw

>たしかその時は、斎藤美奈子さんを褒めていたので、その水準ならOKなのでしょう・・・あたしにゃ無理!!w

あー、斎藤美奈子…けっこう好きでした。最近読んでませんが。

>無論、変化球は投げますが、土台のしっかりした真っ当な論となっておりますです(流石だぜ)。

見つけたら、読んでみます。

>『空気頭』ですね、あれはすごい!!
>藤枝のたどり着いた境地というのは、どこかソローキンの短篇に近いです(ソローキンのほうが藤枝に近いというべきところか)。

ああ、ソローキン!意外な類比ですが、壊し(れ)方が似ている、ということですかね。

>そういうのを本人が大真面目にやっているのが、ソローキンよりすごいわけですがw

ソローキンは明らかに「わざと」壊してますからね。それに対し藤枝静男はなんか知らんけど壊れている、という。
再読したくなってきました。

>糞を原料とする漢方薬が記されている」とあるので、あれは実在するんですね。

作り方まで、『空気頭』に書いてあるのとかなり近かったと思います、私がどこかで読んだところによれば。さすが藤枝静男変なこと考えるなあ、と思っていたら、変なのは昔の中国人だったのか!という。
あれを自作に使う藤枝静男はさすが、というのは変わりませんが。

ではまた。

学会に発表します、多分、

管理人でございます。


> どこかの映画館が「核」をテーマにしたレトロを企画すべきと思います(たぶんどこかが既にやっているのでは、と思いますが)。


それはとてもよいアイデアです。

そんな長谷川監督のその後ですが・・・
http://npn.co.jp/article/detail/57478049/
あとはジュリーの3・11後。
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/enta/geinou/news/20120308ddm013040212000c.html


> ご本人は放映直後に「少しはドヤ顔してもバチあたらないでしょう」と呟いておられましたが。
> http://twilog.org/hokusyu82/date-110422

そうですね、北守さんでしたね。
自分もそうなるような気がしていました(←怒られろw)


> どんなこと書いていたか思い出せないです。たぶん映画狂人シリーズの一冊に収録されているのでしょうし、本棚探せばあるのですが…

『映画狂人、神出鬼没』ですね。
本書のカバーにもなっております。


> 「理不尽な法則の世界」ものとでも名付けられそうな設定を採用する一群の物語があると思うのですが、設定者(≒作者)の「残酷な世界を受け容れよ」と言わんばかりのドヤ顔が透けて見えてムカつくという場合がしばしばありますよね。

顔が「ぐぬぬ」ってなりますねw

・・・メッセージ性が、やはり露骨なんだと思います。
作り手の意図が逆算できる設定なんですよね、ああいうのって (別にけなしてませんよw)。


> 黒沢清は『カリスマ』にせよ『回路』にせよ、さすがにそこらへんの下劣さは免れていたように思います。なぜ免れていたのかは、うまく言えないのですが…「残酷さ」よりも「恐怖」の感触が強いあたりがカギなのかな、という気もします。

そういうことだろうと思います。

前者の場合、「救い」とか「希望」というのを、ちらつかせますね。
そうやって、エサのようにちらつかせておいて、一気に残酷に落とす、そういうやり方です。・・・あれ、これって、きゅうべ(自粛)・・・

後者の場合は、最初からそうしない。
「救い」というのが、何と言うのか、欠けているわけです。・・・救われようのない、そういった恐るべき「世界」が画面に漂っていて、・・・しかも、作り手にすらその「世界」というのが謎であるわけです。
そこに大きな違いがあると思います。

・・・「受難」(パッション)という点において、『まどか』と『ブレードランナー』のあのレプリカントは似ているような気もします(後者の詳細については、『ブレードランナー論序説』を参照)。
己の身をささげて、世界を救うという点において。
・・・まあ、キリストですよね。そうですよね、キリストです。。。


> ヒョロヒョロしたカリスマの木の前で、木を守る大杉漣の一味と池内がチャンバラをする、というシーン、なかったでしたっけ。
> 特殊効果というか、CGを用いた画で私が覚えてるのは、ヒョロヒョロして貧弱だったカリスマの木が、瞬時にモリモリと巨木に成長するのを、役所広司と同画面に煽りで捉える無音のショットです。ごく短いんですが、「すごかった」としか言いようのない、異様なインパクトの画面でした。あれ、いま思うとキノコ雲みたいでしたよね…

・・・おかしい、ぜんぜん覚えていないw
なぜだ!!記憶力の減退がwww・・・もう一回見直してみますね・・・


> おそらく「これでいい」という判断なのでしょう。そこそこ予算があっても必ず学生映画っぽい感じを残すのが黒沢清の面白いところです(シャマランという人にも似たものを感じます。エアベンダーは見てませんが)。

あれは、日光東照宮の陽明門に逆柱のようなものであり、わざと柱を未完成の状態にすることで災いをさける、という意味合いに違いないのですw 
いつか、学会に発表しますw


> >是非是非、テンガロンハットを頭に載せた馬上の男がショットガンをぶっ放すシーンとかが見たいわけですね・・・仮タイトルは『神田川ブラボー』!!w
> 役所、哀川、浅野の三人が牛の群れをして神田川を渡らしむる映画見たいです!

もう次回作は決定ですw
・・・神田川周辺で、西部劇に必須の雄大な景色がとれるかどうかはわかりませんが・・・平地でないといけませんね・・・やはり秋の北海道とかの方がいいのかも・・・・タイトルは『石狩川ブラボー』の方がいいかもw・・・
・・・石狩鍋おいしいですよねw


> 小林正樹は『切腹』しか見ていないのですが、かなり重苦しい作風でしたね。
> ハスミ先生は彼のことを加藤剛ともどもさんざんに腐してましたが、見てたしかにハスミ先生は嫌いそうだなあ、と思ったくらいで、それ以外の印象を覚えておりませんw

・・・見たことがないのですw
偉そうなことをいっておいて、お恥しい///
・・・記録映画の『東京裁判』は、一部見た記憶がありますが・・・調べたら、木下恵介監督の門弟にあたるんですか・・・おっしゃるとおり、小林監督、確かに蓮實先生が嫌うのも無理はない・・・


> ああ、ソローキン!意外な類比ですが、壊し(れ)方が似ている、ということですかね。

ご指摘の通りですね。
最初の上手い流れがいきなりぷっつり、と切れて、展開がおかしな方向に進むという点ですね。
ソローキンにあるのは、意図的なディストラクションですが、藤枝にあるのは、最初から変化すらしていなかったかのように事を進める、不気味さのある緩慢さです。


> あれを自作に使う藤枝静男はさすが、というのは変わりませんが。

・・・そういえば、藤枝は、お医者さん(眼科医)でしたね。
そういうのに詳しかったのは納得ですが、医者としての腕では、どうだったのか、私、気にな(自粛)


ではでは。

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