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「天皇にしても、ほかの権威にしても、国民にとっては与えられたもの」と大平正芳は書いた。 -福永文夫『大平正芳』再読-

 福永文夫『大平正芳』を読んだ。
 大平について、以前、阿片の件でブコメをしたので、久々に本書を読んだ。
 
 amazonで評者さんの一人が引用しているように、「大平は極端を嫌い、矛盾する事象に楕円のバランスをとり、粘り強い対話を重視した。また政府の役割を限定していく、小さな政府の先鞭をつけた政治家」だった。
 バランサー型政治家であり、小さな政府を志向した人だった。
 某小泉氏や、現総理とはえらい違いである。

 小さな政府。
 では、どんな「民」(民間、市民)を彼は考えたのか。

 以下、面白いと思ったところだけ取り上げる。

 (なお、同じ著者だと、『占領下中道政権の形成と崩壊 GHQ民政局と日本社会党』も重要である。)



 大平は卒論・「社会職分と同業組合」で、トマス・アクィナスの政治思想の根幹である「社会全体の共通の目標」を取り上げた(31頁)。
 その論文において、この目標を実現するためには、社会の一構成員が受け持つ役割を意味する「社会職分の原則」と「協同体思想」が重要と説く。

 この「社会職分の原則」と「協同体思想」からの影響が、大平にはある。
 (トマスの思想は、「共通善」というコミュニタリアンの思想の源泉であることは、知られている。)
 各々の存在が与えられた職分を全うすることで、「協同体」全体の繁栄を目指す、というあり方である。

 同時に、アメリカの同業組合にも着目し、「国家と個人を媒体する組織」としてとらえた。
 「社会職分」と「協同体思想」の具体的なアイデアの一つがこれである。

 キリスト教民主主義的なもの、そして、共同体主義(コミュニタリアニズム)的なものが、大平の政治思想の根っこにある。
 そして、個と全体を媒介する存在を重く見ており、その一つが、「組合」だった。
 (大平は自身の卒論に対してコメントしている。こちら(pdf注意)を参照あれ)



 敗戦後、大平は、政策提言的メモを残している。

 そのメモによると、当時の大蔵省の考えと同じで、敗戦しても国の信用は失うべきでなく、国債は償還すべきという方針だった。
 その財源のために、官業の払い下げを提案した。
 アメリカからの物的援助を仰ぐ必要から、政治的民主化により、日本の国際的信用を回復し、世界世論を緩和することを求めた(51、52頁)。

 敗戦後に大平は、価格統制をやめ、直接税から間接税への重点を移行し、地方財政の自治性の促進し、組合の経営参加の推進(組合員の持ち株奨励)することを唱えていた。

 リベラルか、ソシアルか、と言えば、おそらくリベラルに該当するはずである。
 ただ、間接税重視は既にこのころからのものであったし、組合員が経営参加することも奨励している。
 大蔵省的な均衡財政主義者と要約したくもなるが、そこからはみ出るものもある。
 (大平の場合、財政均衡主義者たち(「信任の妖精」)とは、発想のスケールが違う。)

 「国家と個人を媒体する組織」を重視する大平にとって、政府より民間という姿勢は当然であるし、一方、地域や「組合」の重視もまた当然ではある。
 それが大平の政治スタンスである。



 池田勇人はもともと安保騒動の時に強硬派であり、弾圧政策を主張していた(84頁)。

 池田がハト派っぽくイメージされるのは、首相の時の政策のせいであるが、実際の池田は違うのである。
 試験に出ます(違



 大平はこう書き残している。
 占領軍が日本古来の権威をすべて砕くことを指向していたのに、日本人の抵抗が意外なほど弱かった。
 理由は何か。
 「天皇にしても、ほかの権威にしても、国民にとっては与えられたもの」にすぎない。
 自分で思考し、血みどろになって戦い取ったものではなかったからではないか(133頁)。
 そう自問自答している。

 そして、人はまず、家庭と地域に帰り、自分がどうすべきか考えよ、と勧める(実際、大平は、マイホーム主義を否定も軽蔑もしていない)。

 保守本流の政治家・大平は、戦前の軍国主義や皇国主義を肯定することはないし、現日本国憲法にも肯定的だった。

 まず、家庭と地域がある、という、「国家と個人を媒体する組織」が彼の発想の根幹にある。



 1975年の公職選挙法改正では、定数不均衡の是正のために、議員定数を20名増加が唱えられた(197頁)

 現在は、定数不均衡の是正のために議員定数を減らせ、という時代であるが、この時代の方がよほどマトモである。



 大平は、家庭が経済や社会制度上の不備を十分吸収できる対応力を持つことを唱えた。
 自立自助の精神や相互扶助の仕組みなどを守りながら、生活の質を向上させていくことが出来ると考えていた(238頁)。

 ただし、政府が家庭に介入することはすべきではないし、政府が望ましい家庭のあり方を示すことも適当ではないと考えていた。
 あくまでも、政府の役割を、 家庭基盤を充実する総合的計画を策定し、雇用や健康、住宅や余暇、教育等に適正な施策を行い、環境を整える ことに限定した。

 まさに、キリスト教的民主主義である。
 ここらへんは確かに、2014年の政権党とはえらい違いである。
 マジでえらい違いである。

 そして、「家庭基盤を充実する総合的計画を策定し、雇用や健康、住宅や余暇、教育等に適正な施策を行い、環境を整える」政策の一端が、「田園都市構想」である。
 (ただ、田園都市構想って、正直よく分からんのだが(こなみかん )

 (上記の「雇用や健康、住宅や余暇、教育等に適正な施策」を行うため、大平は、一般消費税を導入することで、将来の財政力の発動、国の積極的な活動に備えようとした、と著者は説明している(274頁)。) 



 こちらのブログの記事によると、日本のスウェーデン政治の研究は、「1967年から、東海大学の松前重義氏を中心に、大平正芳元首相、土光敏夫第二臨調会長、藤牧新平(社会党本部書記)などによって研究が始められていた」そうな。

 スウェーデンは「組合」の強い国であり、コーポラティズムの国であるから、大平にとって矛盾はしないのだろう。



 2014年8月2日、一部訂正

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