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赤狩りとアメリカ映画の死、及びアンソニー・マンの「西部劇」 蓮實重彦・山内昌之 『われわれはどんな時代を生きているか』(4)

赤狩りと、ハリウッドの黄昏■
 第4章では、第2章のその後を扱っています。第3章での中世スペインの言及に対して、蓮實は「20世紀の首都」崩壊以後の、スペイン・マドリッドへ焦点を当てます。
 ロサンジェルスが「20世紀の首都」たりえたのは、30年代中期から40年代中期の約十年間にすぎない、と蓮實は言います。やがて時代は、猥雑・異質なものに対する原理主義的な「浄化」に向けて動いていき、冷戦というのはこの動きの枠内にあるというのです(66頁)。しかし、「20世紀の首都」ロサンジェルスの崩壊は、目に見えない、当時誰にもそうと気づかれないままに起こった出来事でした。
 テレビという媒体の隆盛と独禁法違反の訴訟に巻き込まれた映画界は、当時マーシャル・プランにより旧大陸に凍結されていたドルで、製作をする他ありませんでした。つまり、凍結されたドルによって費用を賄って映画を作り、その映画を上映してお金を回収しようとしたわけです。『ローマの休日』もこのハリウッドの空白時代のアメリカ映画でした。
 さらにハリウッド衰退を進行させたのが、赤狩りでした。ワシントンの議員たちによって「非米活動委員会」が組織され、ロサンジェルスの浄化政策がすすみ、かつて存在したいかがわしい煌びやかさは消えていきます。50年代にハリウッドを離れた映画人たちは、人件費を安く済ませられるローマとマドリッドに「亡命」します。
 蓮實は二つの都市で相応の水準の映画作品が撮られていることを一応認めながらも、先にあげた各界の優れた人物が共存したロサンジェルスと違って、映画産業しかない二つの都市を、ロサンジェルスの「醜悪なパロディ」と述べます。
 確かに、非米活動委員会によって召還されたハンス・アイスラーと委員との対話はそう思わせるに十分な内容です。アイスラーのドイツ時代の作品の歌詞の卑猥さについて、こうした詩を書いた男は「合衆国議会に対する尊敬の念を欠いている」という委員に対し、アイスラーは「あなたはアメリカの詩に慣れ親しんでおられますか」と応じているのです(74頁)。

アンソニー・マンと、アメリカ映画の死■
 マドリッドでは、『ドクトル・ジバゴ』や『北京の55日』等が撮影されていました。前章で言及された映画『エル・シド』も、アンソニー・マン監督により、ここで撮影されています。
 なぜアンソニー・マンがこの映画を監督することになったのかについては、インタビューで、ラストに死んだ騎士が甲冑を纏って馬に乗って戦闘へ赴くイメージに惹かれたからであり、自分の西部劇にふさわしい風景に出会えそうだったからだといっています(80頁)。彼は、スペインの国民文学にも異教徒同士の争いという主題にも、執着がなかったようです。ただ、自分の撮りたい画があった、という、いかにもアンソニー・マンらしい言葉といえるでしょう。
 蓮實は、この映画の悲劇的雰囲気とハリウッドの崩壊が通じ合っている、といいます。片や、すでに命尽きているのに敵は誰も気づかない、馬上の騎士の雄姿、片やすでに死んでしまっているのに、まだ周囲の人間がそれに気づいていないというアメリカ映画の状況、この二つが似通っているというのです。誰にも気づかれないアメリカ映画の死。(注1)
 それにしても、72頁にあるように、ニコラス・レイとジャン・ルノワールは、なぜ委員会に召還されなかったのでしょうか。いまだ分っていません。『レッドパージ・ハリウッド』でも、これは解明されていないはずです。これを書いている者の生きているうちに、真相は分るのでしょうか。

(続く)



(注1) 以前、この部分に「上島春彦『レッドパージ・ハリウッド』は、ニコラス・レイ『大砂塵』の脚本家は、フィリップ・ヨーダンではなく、ベン・マドウだとしており」と書きましたが、誤りです。上島春彦『レッドパージ・ハリウッド』の137頁には、 『大砂塵』に「マドウが関与していなかったことは明らかになった」との表記があります。
 本稿の詳細については、蓮實の『ハリウッド映画史講義』や上島春彦『レッドパージ・ハリウッド』をご覧ください。

TAG : 赤狩り ハリウッド 蓮實重彦 マドリッド アンソニー・マン ハンス・アイスラー

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