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グローバル化におけるヒト・モノ・カネの流れのズレ 土佐弘之『アナーキカル・ガヴァナンス』

・土佐弘之『アナーキカル・ガヴァナンス 批判的国際関係論の新展開』御茶の水書房 (2006)

 【異なるはずの二つのものの、補完と結託】とでもいうべき現今の世界のありようを論じている、と本書を要約することができるでしょうか。「2008-03-31」の記事にて、『Foucaultlianの「恥的思考」(j・ボム)』様が論じておられたように、ネオリベラリズムと権威主義体制の相互結託、そしてネオリベラリズムとアメリカ帝国の軍事力による「人道的介入」との相互補完、これによって構成されるシステムが、世界において今もなお機能しているわけです。
 世界恐慌以降この機能体制がどう変化していくのかは分りませんが、少なくとも、ブッシュ政権時代にあったような【相互補完】体制を自ら破壊するような真似は、今の米国の政権下では起こりにくくなるでしょう。後遺症には悩まされていますが。
 以下断片的に、本書できになった所です。

■西洋における征服・植民観 ーアリストテレス・グロティウス・ロックー■

 ギリシア古典の見直しというフマニスム(人文主義)の台頭が、皮肉にも極めてヨーロッパ中心主義的な「もう一つの正戦」論を用意した (45頁)

 ラス・カサスとセブルーペダとのバリャドリード論争において、後者はアリストテレスの奴隷論を用いて、新大陸の先住民たちの奴隷化を正当化しました。ギリシア古典の見直しというアリストテレス再評価が、皮肉にも、奴隷制の固守を正当化させたわけです。ちなみに、奴隷化に反対したラス・カサスは、スコラ的思想を受け継いでいた人物でした。

 グロティウスは、野蛮人ないしは自然奴隷は、文明人によって正当に領有することができるとし、また同時に、主権者は、主権者に対して害的行為をもたらす者だけではなく、自然法ないし諸国家の法を犯す者に対して罰を与えることができるとした。 (46頁)

 国際法の父は、このような「文明観」の持ち主でした。なお本書に書いてあるとおり、ジョン・ロックも、北アメリカの土地に対する、白人による土地奪取を正当化する議論を展開していました。『統治二論』の著者は、アメリカ独立の際の思想源となったわけですが、「マニフェスト・デスティニー」をも正当化した人物でもあったわけです(注1)

■少年兵という問題■

 アメリカ政府はアパルトヘイト体制下の南アフリカを実質的に支持する形でモザンビークの反政府ゲリラ勢力(Renamo)の支援を行っていたが、そのゲリラ勢力のテロリズム手法の一つ、少年を誘拐して兵隊に仕立て上げるといった「少年兵」問題の一つは、ここに起源があることも記憶にとどめておいた方がよいだろう。 (69頁)

 「少年兵」問題の起源は、もちろんそれ以前から存在するわけです。本書で重要なことは、大国がこのような内戦の悲惨さを助長することを、間接的になしていたということです。(注2)

■戦争報道は、「悲劇」ではない■

 アリストテレスが想定しているギリシア悲劇では、伝説上の高貴なる主人公が困難な運命に直面して道半ばで倒れていくといった筋が演じられ、観客は、それを観ることでカタルシスを得る。生まれつきの奴隷の困難は、悲劇に値しないのである。 (195頁)

 惨劇においては、ギリシア悲劇において想定されているまなざしとは全く逆の優劣関係が働く。だからこそ、惨劇を観て、「あのような悲惨な状況におかれなくて良かった。なんて私たちは幸運なのであろう。」といったステレオタイプ的な反応が生まれるのである。 (196頁)

 著者がここで述べようとしているのは、戦争報道で見られるメディア、例えば報道写真というのは、ギリシア悲劇的な「悲劇」とは別物だということです。ここで言う【ギリシア悲劇的な「悲劇」】とは、自分より高貴な人の運命への敗北であり、これを見ることによる畏怖と哀悼の感情を催させる演劇のことです。
 対して著者は、報道写真に映ずるものとは、「惨劇」だといいます。すなわち、ギリシア悲劇とは逆に、自分より「劣等」な人間が悲惨な目にあっているのを見て、ああならなくってよかった、と反応してしまうことです。(注3)もちろん、その後で同情の気持ちも浮かんでくるかもしれませんが、まずはじめに、自己愛が発露することは避けられません。
 重要なことは、報道写真を見るたびに、見る人の中で、【自己=優、見られる人=劣】の図式が固定化されていくことが避けられない点です。すぐ後で同情の気持ちが持ち上がるにせよ、まずその人は、「劣等」な人として捉らえられてしまいます。なお、本書においては、この問題への解決法は、明示されないままとなっています。

■グローバル化におけるヒト・モノ・カネの流れのズレ■

 いわゆる不法移民の数は、毎年約二七万五千人の割合で増え続けていると推定されている。流入が逆に加速化している背景要因には、NAFTAと連動する形で、メキシコ政府が農業補助金打ち切りなどの経済自由化政策を進めたことによりメキシコ農村部の社会経済状況がさらに悪化していったことがある。 (215頁)

 これは、アメリカとメキシコの間で起こっている出来事を指しています。なぜメキシコからの不法移民が、取締りの厳しさにもかかわらず減らないのか、という問いに対する答えは、メキシコの農業自由化を原因とする、という皮肉なものです。
 「経済的な国境が撤廃されると同時に、人の移動を制限するバリケードが構築されるといったパラドキシカルな現象」と本書は書いています。モノ・カネは、経済の自由化・規制撤廃がすすんで、国境を軽々越えるのに、貧しき「ヒト」は国境を越えることが難しくなっていきます。このパラドックスこそ、グローバル化というもののもつ矛盾点の一つです。


(注1) ロックの思想がアメリカ独立に与えた影響については、大森雄太郎『アメリカ革命とジョン・ロック』を、ロックの奴隷化・植民化観については、三浦永光『ジョン・ロックとアメリカ先住民』をご参照ください。

(注2)モザンビークの社会主義化を快く思わない南アフリカの白人政権が、モザンビークの内戦を仕掛ける中で少年兵が作られていた」と島田周平「自由な農民?」には書かれています。
 
(注3)この議論においては、本書は、 Elizabeth V. Spelman," Fruits of Sorrow "を参照しているようです。

TAG : ジョン・ロック 植民地 戦争報道 アリストテレス メキシコ

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