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周回遅れの「反ケインズ派」批判(?) -あるいは、"リフレの父・ケインズ△というお話"-

 伊東光晴『現代に生きるケインズ』を読む。



 著者は、ケインズは乗数効果にも懐疑的で、IS-LM分析にも否定的だったという。

 例えば、乗数効果にしても、「直接的雇用が、全体として、どの程度の雇用増をもたらすかと言う統計的推測」にすぎないのであって、「アメリカ・ケイジアン」のいうような「理論的関係」ではないという(122頁)。
 この乗数効果が成り立つためには以下の点に注意が必要だと言う。
 「ある企業が需要増の一部だけを生産増によって対応し、一部を在庫減によって対処」すれば「波及は少なく」なり、「需要以上に生産を行う企業があるならば、波及は大きくなる」。
 要は、特殊な仮定の上でしか成り立たないので、理論失格だ、と言うのが著者の意見。
 理論失格って・・・正直、気にしすぎのような気もするけど。
 かの小野先生も乗数効果には否定的だったけど、あれは、"同じ金なら、公共事業に使おうが、直接お金をばら撒こうが、効果的には等価だよ"と言うニュアンスでしたっけね。
 小野先生の批判の方が、批判としてGJだと思う。



 著者はIS-LM分析と貨幣数量説を批判している。
 ケインズがそれらに否定的だったという。
 一読する限り、これ自体は、実証的に正しいのだろうと思われる。

 もっとも、現在主流のニューケイジアンたちは、素朴なIS-LM分析は使わないだろうし、当然、"期待"をすら考慮しないナイーブな貨幣数量説は、支持すらしないだろう。
 そういう意味では、正直、この手の批判は、周回遅れだという気がなくもない。
 実際は、"期待"込みの貨幣数量説(?)であったり、動学的一般均衡モデルに基づいた新しいIS-LM分析が、メインストリームです。

 著者の批判の要点は、"貨幣量(マネーサプライ)の増加が、そのまま、物価や利子率に反映したりするなんてことはない"というもの。
 でも、そんな主張、上記の通り、ニューケイジアン全盛の昨今では、だれもしてませんよね。
 この本、著者の仮想敵が誰なんだが、正直良くわかりません。

 そもそも、ケインズ『一般理論』を読む限り、むしろリフレ政策への肯定的なニュアンスさえ、あるのです。(詳細は、田中先生のブログの「ケインズ自身の「流動性の罠」からの脱出法」という記事がお勧めです。)



 著者は一応、「投資の限界効率」という、まさに将来への"期待"に関わる重要なタームにも言及している(179頁)(まあ当然だけどね)。
 また、ケインズ『一般理論』の主張として、
 "労働者の関心は、自分と同じくらいの境遇、技能の持ち主と比較しての賃金格差にあるのであって、実際その人より自分の賃金が低い場合だと強く反発をする。けれども、物価が上がる一方で、全ての人の賃金は据え置きになっても(つまり、実質賃金の低下になっても)、反発はそれほど起きない"
 という旨のことを著者は書いています(199頁)。
 あれ、これって、"マイルド・インフレのススメ"そのものじゃないのw

 なんか、惜しい本だなあ。
 "モラル・サイエンス"の話とかは悪くないのに。




 とりあえず、伊東本よりも、宇沢『ケインズ「一般理論」を読む』の方が良書じゃないですかねw

貯金だって、実は「贅沢」なんですよね。 -あとついでにバブルについて-

 飯田泰之『ダメな議論』を再読。



経済評論家が用いる『必ず当たる予言』のコツは、『いつまでに』という期間か、『日経平均で何円程度』という幅のいずれかを曖昧にするところにあります。」(35頁)
 なるほど、こういう人たちを、俗に"ソエジスト"って呼ぶのだねw



 「本当に『欲しいものが全くない』という人は、給料の一部、少なくとも昇給分くらいはアフリカの恵まれない子どもにでも匿名で寄付してほしいものだとおもうのですが」(119頁)
 なるほど確かに。
 節約して貯金するって行為も、清貧なイメージがあるけど、よくよく考えたら実は、「将来の安心」という贅沢を購入しているのとあまり変わらないんだよね。
 何で贅沢かっていったら、そもそもこの世界には、ろくに貯金さえ出来ない所得の人もいるわけですからね。



 「バブル崩壊が90年代長期停滞のきっかけであったことは否めません。しかし、それが大停滞の主因であると言う考え方(略)はかなり疑わしい」(167頁)
 実際、出典(原田泰『日本の「大停滞」が終わる日』)のデータを見ると、実は経験したバブルの大きさでは、スイス(1984~1990)とか、ニュージーランド(1983~1987)の方が日本よりも大きかったのに、その後の停滞は、日本よりずっと軽度に済んでいる
 こりゃあ、当時の日本の政治(行政)の舵取りに明確に問題があったことがすぐ分かる。
 あと、人為的にバブルを潰すこと(俗に言う「バブル退治」)についても、著者は批判している。というのは、①バブルはバブルである以上何もしなくても自然にはじける、②バブルははじけてみないと、それがバブルかどうか判断できない代物である、という理由。
 もしかしたら、それがバブルではなく、正常な好景気だったかもしれないのに、それをぶっ潰してしまうわけだから、罪は非常に重いよね。



とある戦後の畜産業。そして食料自給率は低下 -日中の農家の利害をめぐって-

■「食料自給率」?その前に「エネルギー自給率」だろw■
 日本における、「食料自給率」という奴のおかしさについては、良く知られている所。
 Wikipediaを読んでみるだけでも、

 飼料自給率の低さ(1980年代以降、20%台で推移。2005年時点で25%)が、畜産製品の自給率に影響を与えている 

とか

 また分子の計算は畜産物については、国産であっても飼料を自給している部分しかカロリーベースの自給率には算入しないこととしている。 

とか書いてあるわけです。
 更に見てみると、「日本を除く海外諸国はカロリーベース総合食料自給率の計算をしていない」とか書いてあるわけです。しかも「現代日本農業では原油が絶対的に必要」であるわけですから、食料自給率が国家防衛のため云々とか言う人もいますが、それ以前にエネルギーに海外依存している以上、こういった言説は無意味(ゴミ)以外の何者でもありません
 農林水産省は、体を張って、エネルギーの海外依存を止めるべきでしょう。
 あ、バイオエタノールに走るのはやめてくださいねw


■戦後農家のサイドビジネス、そして食料自給率が低下。■
 で、今回書いておきたいのは、そもそものお話。
 日本の食料自給率が低下した要因の一つは、高度成長期に、飼料穀物を輸入し始めたことがきっかけでした。
 肉を食べるようになるのは(つまり肉食需要が凄く増えたのは)、戦後からなんです。で、国内農家はその需要に合わせる形で、副業として畜産をやり始めます。しかし、その畜産をするための飼料をどうするのか。
 そこで日本の農家は、飼料を輸入に頼ります。こうして手に入れた飼料で畜産をした農家は、副収入(サイドビジネスです)を得るのでした。
 でもこのとき、誰も食料自給率を心配していないんですよね。まして、農家はこの飼料輸入に反対していないんですよ。農民も、この動きには賛成しておられたのです。
 こうして飼料穀物の輸入量が増えて、食料自給率が下がっていったのであった。何のことはない、当時の国内農家の都合で、今の状況になっているに過ぎません。ヲイヲイ。


■隣国中国の事情、そして分かる、国内農家の利害■
 ちなみに中国の場合、肉は昔から食べておりまして、当然昔から飼料作物を作っていました。とうもろこしとか。
 中国でも経済成長して食肉需要が増えます。しかし、とうもろこしの輸入量が大きく増加することはありませんでした。自給したんです。海外の安いとうもろこしが入ってきたら、国内の農民が困るからです。(これ、日本国のコメと同じ事情ですよね)
 一方で、大豆は輸入しました。中国では、意外にも、当時そんなに大豆育ててなかったんです。

 まとめましょう。国内で生産してなかった作物の場合は輸入で賄う、でも既に生産していた場合は輸入に頼らない、という法則があります。その背景には、国内農家の利害があるのです。(ちなみに、中国の国民の半数以上は未だに農家です。日本とは大きく違うのですね。)
 以上、食料自給率の素敵な経緯でしたw


 参考文献:
 川島博之『農民国家・中国の限界』、170~171頁辺り


 (追記) 食料自給率については、菅原晃先生の記事「食料自給率のまやかし」もご参照ください。

(終)

連帯保証人制度 ぷんすか(ω)、あるいは「連帯」なき国の「連帯」的隷属 吉田猫次郎『連帯保証人』

某年某月某日

 なにやら、連帯保証人制度について話題になっているらしい。残念ながら本制度について知っていることは少ない。
 でも昔、読んだ本の、メモしたものがあった。吉田猫次郎『連帯保証人(宝島社新書)』。なので、これを以下に記してみたい。
 それにしても、「連帯」などない国において、「連帯」の名前の付く制度が無惨に人命さえ奪うとは、いったいどうなっているのか。

■連帯保証人制度は日本独特なのかどうか■
 連帯保証人制度。これは日本独特のものか。
 融資の際、金融機関が「個人保証」を取るのは世界中に存在する。しかし、「催告の抗弁権」も「分別の利益」もみとめられない、主債権者と同等の責任を負うような個人保証制度を持つのは、日本だけである。
 
■じゃあ、アメリカはどうなのよ■
 確かにアメリカの場合、融資の際、個人保証は存在はする。ただし、企業が役員でも株主でもない第三者に個人補償してもらうケースは稀だという(62頁)。さすが、「自己責任」の国、というべきか。
 そもそも、米国の場合、日本と比較して、銀行の借り入れに依存する割合が低い。資金調達は大抵、投資など直接金融中心。
 しかも、個人補償するのはほとんどの場合、経営者自身。交渉次第では、全額保証でなくて、半額の保証とか、7割のみ保証とか、柔軟な対応は可能らしい。

■そんじゃ、ヨーロッパはどうですか(ドイツ篇)■
 ドイツの場合、1999年まで免責制度(自己破産した場合債務を全免になる制度)がなかったらしく、連帯保証人は一生支払い義務があったらしい(63頁)。あらま。それでも、"最低限の生活"は保障されていたという。
 実際のところ、1994年、連邦通常裁判所で「保証人の支払い能力を超える保証契約は、公序良俗に反す」という判決があったそうな。自殺はしなくてよさそうかな(涙)。

■そんじゃ、ヨーロッパはどうですか(フランス篇)■
 フランスの場合、個人補償を要求するケースはなくはないが、家族経営の小規模企業が多く、近年は保証機関が充実してきたため、個人補償を求めるケースも少なくなってきているらしい。
 実はここが重要なのだが、仏国の場合、素人保証人についての法的保護は充実していて、「保証人が契約内容を知らずにサインした場合は保障契約自体が無効となる」。また、「私は抗弁の権利を放棄し、**と連帯して責任を負います」という風な書類を、本人の手書き(**の部分のこと)で作成することを求めている。さらにさらに、年に一度、保証内容を保証人に知らせることを義務付けている、という。
 手続き面だけでも、日本が参考とすべき所が、いくつもあったはず。

■「公的保証」と、貸す側の責任■
 なお、米国の場合、中小企業庁が公的保証機関として機能している。日本にも似たような協会があるが、日本は全額保証である。それに対して、米国の場合は、金融機関にも多少のリスクを負わせるようにしている(64頁)。要は、貸す側によるモラルハザードの防止のためであろう。
 仏国の場合も、中小企業開発銀行が同じ役割を担っている。保証の範囲は、最大7割と決められ、銀行が残りのリスクを負う。
 このように、貸す側にも責任を負わせることで、無理な貸し出しを防ぐのだろう。参考になることばかり。

■印鑑社会 ぷんすか(ω)■
 世界的に見て、日本ほど印鑑が強く法的効力を持ってしまう国もあるまい。うっかり印鑑押したばかりに全財産を失うという悲劇は、決して遠くない話。
 印鑑、これは本人でなくても押してしまえる。自分の知らない所で、例えば妻や子供が押してしまったという話だってある。なのに責任は、印鑑の持ち主の責任となる。管理責任というが、そこまで管理しきれるわけはない。
 上にも見たけど、欧米の場合、基本サイン社会。
 もしも、保証人契約の際、自筆で「万一のときは強制執行などを受けても意義はありません。」といった文言を書かせねばならないような法律があれば、悲劇はもっと少なかったはず(165頁)。こういったものは、些細な
ことと思われるかもしれないが、こういった積み重ねが人命を救う。

■制度をどう変えるべきかの道筋は見えた、で、今どうする?■ 
 制度をどう変えるべきかの道筋は見えたが、いきなりは変えられまい。現状においてどうすべきか。
 連帯保証人になる前に、そうとう厳しいチェックをすること(204頁)。例えば、企業の連帯保証人になる場合、決算書も通帳も見せてもらい、謄本類を取り寄せ、分からないなら専門家の分析を仰ぐ。これを求めて主債務者に嫌な顔されるなら、絶対に断ること。連帯保証人とは、それだけ重い責任を負う存在だからだ。命に関ることをお忘れなく。

■もう連帯保証人になってしまった場合は?■
 本書を直接読んでいただくしかない。笑い事ではなく。

(終)

農業は、自由化すればいいってもんじゃない -農業に見る制度設計と規制の難しさ- 神門善久『さよならニッポン農業』

 今回も書評代わりに、はてブのコメント風に、読んだ本の感想を書いてみたいと思います。
 今回は、神門善久『さよならニッポン農業』(2010年)から、特に気に入った箇所を抜き出して、コメントしてみました。

(以下、冒頭に""付けされた箇所は、本文からの引用。「…」の箇所は、本文の省略。矢印「→」からは右は、その本文に対するブログ主のコメントです。)




■農業は、自由化すればいいってもんじゃない■

"農地売買がますます自由化されれば、産廃業者や不動産業者が農地を買いやすくなる" →自由化すれば解決という話ではない件。農地目的で使わない者には利用させない規制が必要だが、規制のかけ方が難しい、と著者
(p39)

補足①:公益のために、土地利用を制限するのは欧米では常識であり、自分の財産でも自由気ままには使えない、と著者はいう。日本の場合、土地所有への考え方自体に本件の原因が隠れていて、問題は根深い。


■インセンティブを考えた設計(規制)を■

"日本の農地の少なくとも六分の一は土地持ち非農家…不在地主""農家の子弟ならば自動的に農地の所有権を継承…優良農地の相続税はきわめて軽課" →農業やる気のない奴が優遇される日本の制度。
(p99)

補足:日本の農業は、新参者には壁が高いようになってます(p171)。


■土地の売り手と書い手のギャップが農業参入を阻む■

"農業に熱心な人ほど、長期にわたる安定的な農地利用を求め""しかし、貸す側は転用…時に迅速に農地を取り戻したい…地力投資に熱心な人を敬遠" →農業の時間と手間がかかる特性とが招くギャップ。規制が必要な根拠
(p106,107)

補足:農業には土地が必要だけど、土地を必要とする産業・利用法は、農業だけじゃない。ここが重要です。飛び地のように農地があるのは、非常に非効率なのですから、ここの所、見直す必要があります。
 ちなみに、農林水産省の1992年の資料によると、効率的に経営して、15ヘクタール程度に土地を集積させればコスト半減可能とあるそうな(p108)。日本農業の"健全化"のためにも、やはり集積化は欠かせません。


■日本の農業技術が、実は停滞しているらしい■

"減反政策…生産性の高い農家も…減反を強いられる"""半年前に開発されたコシヒカリが未だに重宝がられている" →インセンティブを考慮せぬ減反政策/日本の稲作技術、実は停滞しているのね。
(p76,77)



■先進国、実は農産物作りすぎだった■

"欧米の場合、政府の保護を受けて、農業は成長" →日本以外の先進国は穀物の純輸出増やしてるから。制度が適切な場合には、こうなる。本当に日本の農業、不振状態なんですね。orz
(p123)
"補助金付き…先進国産の農産物が流入…途上国の農業生産は大打撃店食糧事情がますます悪化" →先進国の農業への補助金が途上国農業最大の敵。だからWTOも、補助金は農産物の増産をもたらさない形に、と警告している
(p134)



■先進国の"空気"を読まない日本の農業(?)■

"戸別所得補償…途上国に対する配慮に欠いた行為" →"戸別補償"は農産物の最低価格保証にあたるので、ドーハ・ラウンド交渉での合意に反している可能性大/農業での先進国による"ダンピング"は禁止です。
(p154,5)

補足:要は、先進国が補助金で大量に農作物作りすぎて、その余った分を発展途上国に安く売って、結果途上国の農業崩壊、という悪夢だったのです。日本のやろうとしていることはその悪夢の再現になる可能性があります。


■どういう規制ならいいのか■

"利用規定さえ守っていれば、誰が農地を使ってもよいとする" →著者は、厳しい規約が必要という。栽培してよい作物、使っていい肥料や農薬、作業していい時間、共用用水路への掃除への参加義務、など。
(p170)

補足:「利用規定」と簡単に書いてありますが、その内実は結構厳しい。まず農業用地がどれだけ必要かを決め、しかる後に、各々の土地の利用規定を定める必要があります。
 しかし162頁によると、そもそもまず農地がそこにどれだけあり所有者が誰で誰が耕作者かさえ、わからないらしいです。まず大規模な"検地"が必要だ、と著者は主張しています。

"厳密な土地利用規制…ルールに合致した生活習慣を身に付けているのは…特定の所得水準の人に限られる可能性…公民権侵害にもあたらない" →米国アサートンでの事例。厳格な規約で門戸を開くが"差別的"でもあるな
(p173)

補足:この場合のルールとは、具体的には、駐車場スペースの確保から、芝を枯らしてはならないという義務、建物の形状、ペンキの色彩などなど。
 この方法なら、確かに"誰にも"門戸を開いているけど、でも、こんなルール守れるの恵まれた人だけのような気もします。著者はこの難点をきちんと踏まえつつ、この方法の応用を農業に求めています。


■忘れちゃいけない、農業から撤退する人の存在■

"農業から他産業へ撤退する場合の職業訓練を…準備した上で新規就農を促さなくては" →スムーズな"撤退"の道筋準備は必須。転職資金が残るような工夫が必要。パイロットファームの教訓/これ、忘れられがち
(p189,190)

補足:しかし日本では、そもそも職業訓練自体が尊重されていない、という悲劇的状況なのです。


(まとめ)
 農業というのは、単純に自由化すればそれでいい、というわけでもないのですね。重要な点は、

農業用地を、農地目的で使わない者には利用させない規制が必要になります。そして規制を守る限り誰にでも、農業に参入できる形態が望ましいです。
・前提としては、①農地がそこにどれだけあり、所有者が誰で誰が耕作者かをチェックする、大規模な"検地"をする、②その上で、農業用地がどれだけ必要かを決める、③各々の土地の利用規定を定める、といった手順を踏むことが必要になります。
農業から他産業へ撤退する場合の職業訓練は、必須です。著者は新規参入者にターゲットを置いているようなのですが、こちらとしては、現在の兼業農家を含め、国民皆に機会が与えられることが望ましいと考えます。

(終)

新年、米国の"ソーシャル代表"としてのクルーグマンを考える(ための準備) -ブクマ風に書いてみた-

 新年です。書評代わりに、はてブのコメント風に、読んだ本の感想を書いてみたいと思います。
 今回は、ポール・クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』(2003年、山形浩生訳)から、特に気に入った箇所を抜き出して、コメントしてみました。

(以下、冒頭に""付けされた箇所は、本文からの引用。「…」の箇所は、本文の省略。矢印「→」からは右は、その本文に対するブログ主のコメントです。)

■①ある国の生産性と国際競争とは、まず無関係だよ■

"アメリカの生活水準のトレンドは、自分とこの生産性成長で決まってる…国際競争なんか、何の関係も" →クルーグマン曰く、外国の成長はあちらのマーケットを広げてくれるし、その国の労賃も上がるはず、と。
(p45)

①の補足:中国を想起してみましょう。中国の成長によって、中国のマーケットは広がりますので、日本の輸出チャンスが大きくなり、中国の労働者の労賃は一応は上がるのですから、輸入の旨みも減じます。
 まあ、日本の場合、まず自国のデフレを何とかすべきなんですけどね。

■②増税は、結局中流層へ■

"増税も大部分が中流層にふりかかってくる" →財政赤字の件/米国の話だが、日本でもそれは同じ。金持ち層だけじゃ制度設計上無理。北欧では、中流層の「納税者の反乱」に対応するために、大きな政府になったけどね
(p155)

②の補足:なんで北欧諸国が大きな政府のままでいるのか、というのは、要するに中間層に対する対策という面があるわけですね。あまり気付かれませんが。そこらへんは、宮本太郎『生活保障』なんかをお読みくださいまし。
 ちなみに、個人的にはクルーグマンこそが米国の"ソーシャル代表"だと思っております。hamachan先生もそう書いていたし(詳細「ソーシャルなクルーグマン」の稿参照)。
 ただ一言いえるのは、"我々には、自らをソーシャルであると名乗る権利があり、それは嬉々として享受してよいのだ"ということです。クルーグマンの主張の多くを支持できるなら、明日からでも、ソーシャル名乗っていいのです。

■③ほっといても市場は歪む■

"住友商事の事件…政府なんかが関わらなくても市場がおかしくなる…という事実" →政府が、市場のインセンティブを歪めなくても、人は市場をおかしくします。/人は元来からおかしいのだからw
(p279)

③の補足:政府が市場に何もしなければ、市場はちゃんと機能するという考え方です。この考え方ですが、業の深い人間の性を顧慮したものとはどうしても思えません。まあ、個人的意見に過ぎないのですが。

■④"長期"になったらみんな死んでる■

"長期的には…この罠を脱することになる。でも…長期的には、われわれみんななんとやら" →ケインズのコメを踏まえてる。訳者註にあるように、要はさっさとインフレ期待をつくろうね、という意味。インタゲを。
(p404)

④の補足:クルーグマンの主張の簡潔なものとして、「独占インタビュー ノーベル賞経済学者 P・クルーグマン 「間違いだらけの日本経済 考え方がダメ」」(『現代ビジネス』様)もご参照を。(また、念のため書いておきますが、経済学用語における"長期"は、期間は関係ありません。1年間も知れないし、100年かもしれませんので。ご注意を)

(終)


(追記) 上記②ですが、記事「「右」「左」を分解してみる」(『bewaad.com』様)では、「クルーグマンは、完全競争状態に市場を近づけるには再分配を弱めた方がよいとの現状認識があれば、何の躊躇もなく再分配を弱める施策」を擁護するだろうと予測されています。
 個人的には、クルーグマンは、「穏健派ソーシャル」あるいは「ソーシャル穏健派」と名づけたいところです。例えば労組が、何でもかんでも再分配を弱めることに反対かといったらそれは間違いであって、欧州などでの場合、あくまで労使の間の協議の上で実現されるのなら、それは許容するでしょう。そんなものです。

人口減少衰退論者との対話(?)、あるいは不毛なはてブでのやり取りについて -『「デフレ」の正体』の影に-

 以下に書くのは、はてブでのやりとり。主に、かの『「デフレ」の正体』の内容に関する事柄です。やり取りは、人口減少が日本経済に甚大な影響を及ぼしている、という思想をお持ちの方とのものです。こちらの立場は、人口衰退(及び少子高齢化)はそれほどまでに甚大というのでもないし、リフレ政策とその他政策による対応である程度何とかなります、という考えです。
 結局やり取りは、なんだか噛み合いませんでした。このやり取りに公平な判断をいただきたいと思い、以下にはてブでのやり取りをまとめておきたいと思います。
 経済学素人ゆえに、きちんと応答しきれていなかったという反省点も含みつつ、自らのコメにコメントしたいと思います。お気づきの点あれば、ご意見ください。

 予め、簡単にこちらの結論を書いておくと、

・生産人口が減るってことは、供給面では、供給が減ります。一方需要面では、生産人口が減ります。問題になるのは、非生産人口の問題です。しかし、仮に生産人口が消費を萎縮したとしても、非生産人口は貯蓄も相応にあるので、その消費分をカバーできるのではないでしょうか。
・労働時間の増減の方が、労働人口の増減より、日本経済の動向に与える影響は大きいです。データあります。
・「日本の高齢者の増加する変化率は、高いじゃないか」などという面白仮説もありますが、①デフレ状態であることの理由としては弱い、②そもそも原理的に労働人口減少は、デフレ要因じゃない(マネー量=物価 × モノ・サービスの量だから )、という二点によって反証されます。




①高齢者とデフレの関係

perfectspell 「高齢者世帯が増加するだけで、平均的な世帯当たり消費はむしろ増加する。」←高齢者が人口の9割くらいになれば間違いに気付いてくれるだろうか。高齢者の年金は 世代間扶助によって勤労者の給料から分けられてる。 2010/10/08

haruhiwai18 id:perfectspell 「高齢者の年金は世代間扶助によって勤労者の給料から分けられ」 →年金だけで食ってるわけねえ。勤労者の消費減分を、高齢者の消費増が上回るといいたいんでしょ。「高齢者が人口の9割」になる訳ないし 2010/10/30

Amazon.co.jp: デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)の野口旭の本を見よ "小宮隆太郎を読め"さんのレビュー より


 高齢者は単に年金だけで食べているわけはなく、ちゃんと貯蓄もあって、それで生活をしているのです。これは、参考文献に挙げた原田著にも記述があります。ただ、「勤労者の消費減分を、高齢者の消費増が上回るといいたいんでしょ。」というのは、今考えると多少言い過ぎていたかしら。

perfectspell >id:haruhiwai18さん 「9割」は勿論 率が高くなるとどうなるかをわかりやすく例えてみたのですが…。 /他国と比べて家計消費は伸びてないようです。http://sugar.alic.go.jp/world/world01/world0803a.htm 2010/10/30

haruhiwai18 id:perfectspell名目値の「家計の目的別最終消費支出」は一応は伸びているらしい http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-407.html/「他国と比べて家計消費は伸びてない」のは、やはりそれはデフレの問題じゃね? 2010/10/31

はてなブックマーク - Amazon.co.jp: デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)の野口旭の本を見よ "小宮隆太郎を読め"さんのレビュー  より


 「高齢者は単に年金だけで食べているわけはなく、ちゃんと貯蓄もあって、それで生活をしているのです。」というこちらの論点は、スルーされたようです。
 で、「他国と比べて家計消費は伸びてないようです」とおっしゃってます。それがどうしたというんでしょうか。その原因について、考えようとしているのに。重要なのは、人口減少と少子高齢化が、日本の不況・デフレ経済にどこまで影響を及ぼしているのか、という点です。


perfectspell >id:haruhiwai18さん 「勤労者の消費減分を、高齢者の消費増が上回る‐A」に対しての「他国と比べて家計消費は伸びてない」だったのですが。足枷。…まあ「デフレだから」でも良いです。Aが否定されるなら。 2010/10/31

haruhiwai18 id:perfectspell  「勤労者の消費減分を高齢者の消費増が上回る」と「他国と比べて家計消費は伸びてない」は矛盾してなくない?【高齢者の消費増分あるも、他国と比べ及ばず】もあり得る。後は菅原先生に聞いてみて 2010/10/31

はてなブックマーク - はてなブックマーク - Amazon.co.jp: デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)の野口旭の本を見よ "小宮隆太郎を読め"さんのレビュー より


 【高齢者の消費増分あるも、他国と比べ及ばず】は、そのとおりだといえるでしょう。今も考えは変わっていません。なお、「勤労者の消費減分を高齢者の消費増が上回る」ということの証明については、後述いたします。
 ここまでで登場した重要なポイントは、「高齢者は単に年金だけで食べているわけはなく、ちゃんと貯蓄もあって、それで生活をしているのです」という当たり前の事柄です。
 まあ、菅原先生に頼ってしまったのは、先生に申し訳ありませんが。すいません。


②「長期」の問題

perfectspell 基準点を何時にするかで好きな結論が選べるだろう。/数年来(長期)の為替変動は国力の差。金融政策で調整するものではない。/ここ3ヶ月又は1ヶ月(短期)で見れば円高ではなくドル安。/金融危機後の円高は金利差縮小の為。 2010/09/02

haruhiwai18 id:perfectspell 「基準点を何時にするかで好きな結論」を選ぶのはいいけど、「数年来(長期)の為替変動は国力の差」の「国力」って何かね?あと、「3ヶ月又は1ヶ月(短期)で見れば円高ではなくドル安」の根拠も。 2010/10/29

SYNODOS Blog : ドル安ではない。円高こそ問題だ。 片岡剛士 より


 「数年来(長期)の為替変動は国力の差」って、「国力」などという曖昧な語彙は、経済学以外でもあんまり使うべきじゃないと思いますが。
 後で触れる論点になりますが、「金融政策で調整するものではない。」という主張も、捨てて置けないものです。
 なお、「基準点を何時にするかで好きな結論が選べるだろう」という言及についてですが、これに対しては既に、

maeda 基準年で結論が変わるようなら、本文で片岡さんが書かれている通り「円高とドル安は表裏一体の関係であって、一方の側面のみを強調するのはそもそも意味がない」ということなんだよね。まあ、ちゃんと読もうぜ。http://htn.to/BiZUax #defle #デフレ危機

という回答が寄せられています。まあ、こんなものなのでしょう。

perfectspell id:haruhiwai18さん この場合の国力の定義は難しいけど"貿易赤字の国"や"国家財政が悪化した国(変化率)"が通貨安になるのでは。/短期だとドル安 http://kato.keiske.info/blog/2010/10/post-278.html 2010/10/30

haruhiwai18 id:perfectspell 国力の件、"貿易赤字"や"国家財政が悪化"とかデフレに関るなら金融政策重要じゃね?/「3ヶ月又は1ヶ月(短期)」なら10/30現在、円安から円高へ戻 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/rate/chart_eur.htm 2010/10/31

はてなブックマーク - SYNODOS Blog : ドル安ではない。円高こそ問題だ。 片岡剛士 より


 maeda様のいうように「一方の側面のみを強調するのはそもそも意味がない」以上、短期はドル安か円高化云々については、読者の皆様に結論をお任せしたいと思います。
 ここで問題となるのは、「"貿易赤字の国"や"国家財政が悪化した国(変化率)"が通貨安になる」という件です。まあ、「数年来(長期)」はこれだとおっしゃりたいようです。それに対して、こちらは、「国力の件、"貿易赤字"や"国家財政が悪化"とかデフレに関るなら金融政策重要じゃね」と返答しました。
 金融政策は、少なくとも短期(一般の語ではなく、経済学用語の方です)において、大変重要な政策です。金融緩和によって(マネーが増えますので)、円安になれば貿易にも関わります。国家財政についても、要は財政は”借金の利払いを上回る利益が出せれば問題ない”と考えてよいわけですから( いいのか? )、金融緩和によって景気を回復させる(助ける)ことが、国家財政立て直しの端緒となります。少なくとも、金融緩和とセットで無い限り、構造改革だろうと財政政策だろうと、まず失敗します。理由については、要するに、変動相場制だからなのですが。

perfectspellid:haruhiwai18さん 金融政策で貿易や財政に本質的(長期的)な手当は無理かと。せいぜい危機の緩和では? /リンク先の円ユーロは1ヶ月単位でも3ヶ月単位でもプラマイゼロで円高には見えないのですが。(10/30現在) 2010/10/31

haruhiwai18 id:perfectspell金融政策で「貿易や財政に本質的(長期的)な手当」なんていってません。/円ユーロは3かけ月はともかく1か月間なら円高に見えるけど(10/31)。水掛論/はてブ私物化乙 2010/10/31



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perfectspell 右記へのレスは元ブ >id:haruhiwai18さん 元々は私の「長期の問題なら金融政策で調整すべきではない」に対するあなたの疑義かと。あなたが何を言ったかは あまり重要ではないのですが…。/1ヶ月で2円円高。1日だと0.07円ですか。問題とは思えま 2010/11/01

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 より


 「金融政策で貿易や財政に本質的(長期的)な手当は無理かと。せいぜい危機の緩和では?」という発言は、まあ、金融緩和の実力を舐めてますね。「せいぜい危機の緩和」などと平気な顔で書けるのですから。それに、「本質的(長期的)な手当」というわけの分からない曖昧な語彙に、本当は惑わされるべきではなかったのです。「せいせい」どころか、これなしでは、貿易も財政も良くなるきっかけはありえないのに。
 ところが、こちらは、「金融政策で「貿易や財政に本質的(長期的)な手当」なんていってません。」などと書いています。いけません。相手の曖昧な語に乗ってしまいました。皆様、気をつけましょう。単に、「金融政策舐めんな」といえばよかったのです。
 そんなミスにゆえに、「「長期の問題なら金融政策で調整すべきではない」に対するあなたの疑義かと」などと書かれてしまうのです。
 つまり、あちらの論方は、
①「数年来=長期」の為替変動は国力の差であって、"貿易赤字の国"や"国家財政が悪化した国(変化率)"が通貨安になる。②こういう「数年来=長期」なものには、金融政策で調整できるわけない。③「金融政策で「貿易や財政に本質的(長期的)な手当」なんていってません」なんていうけれど、「長期の問題なら金融政策で調整すべきではない」って僕は最初に言ったんだよ。
 ということですね。

 以上のどこに、罠が隠れているのでしょうか。
 「「数年来=長期」の為替変動は国力の差」のうち、「数年来=長期」というのが曲者です。「数年来」なら、経済学用語では「短期」でありるのです。
 というのも、経済学の用語の「短期」・「長期」は、何年間という時間の定義はありません。経済学における「短期」とは、「需要と供給が一致していなくても、価格が変化しない期間」ということです。価格がまだ硬直している状態ですね。で、「長期」とは「需給の不一致があった場合には、価格が変動し、需給のバランスが調整されるのに十分な期間」という意味です。つまり、いつの日にか需要と供給は調整されるのだ、ということですね。これらの概念は、時間の長さとは一切関係ないのです。(以上、『サルでもわかる経済学講座』の項目を参照。)
 よって、「"貿易赤字の国"や"国家財政が悪化した国(変化率)"が通貨安」になるとしても、当然、通貨高の国家に金融政策は十分有効です。「数年来=長期」なものには金融政策で調整しちゃいけない、なんぞ間違いです。だから、相手の③に対する返答は、【金融政策は経済学用語の「短期」(=「数年来」)には十分効果ありだから、やりましょうね。まあ、「長期」の問題になると金融政策のやりすぎは問題ありにもなりますが】ですね。

 まとめますと、①"貿易赤字"や"国家財政が悪化"などに対して金融政策は重要です。絶対に重要です。②ただし、それは経済学における「短期」(数年来もありえます)においては重要ですが、経済学における「長期」には、効果はないかもしれません。
 要するにこのやり取り、「長期」という語の定義が曲者だったのです。反省反省。


③人口減少とデフレ

perfectspell 買える額(消費)は稼いだ額(生産)なのに、生産人口減がインフレ要因になると思ってるとは。//人口減→輸出増は「だったらいいね」の期待でしかない。ポリアンナすぎる。 2010/08/18

haruhiwai18 id:perfectspell「デフレは、総需要が総供給を下回る、もしくは支出のスピードが供給のスピードを下回ることから生じる」。「買える額(消費)は稼いだ額(生産)」はどこの似非学問?労働人口減は実質賃金上昇でインフレ要因 2010/10/31



SYNODOS Blog : 少子高齢化は経済にどのような影響を及ぼすのか 片岡剛士
 より

 「買える額(消費)は稼いだ額(生産)」。これが今回の重要ポイントです。
 「人口減→輸出増は「だったらいいね」の期待でしかない」などと書いていますが、片岡氏は、そこのところ踏まえて書いているのですが。分かっておられないようですね。
 こちらは一応、「デフレは、総需要が総供給を下回る、もしくは支出のスピードが供給のスピードを下回ることから生じる」という片岡氏の定義を引用して、さらに、「労働人口減は実質賃金上昇でインフレ要因」という反論をしています。
 まあ、「似非学問」はいいすぎでした。「素人学問」で許してください。こちらもそうなので。

perfectspell >id:haruhiwai18さん あなたの信じる学問では「稼いだ額より多く消費できる」のですね。まるで魔法ではないですか。是非、無年金老人の引き取りを。/労働人口減はインフレ要因←頭の中は ともかく現実の日本はデフレ 2010/10/31

haruhiwai18 id:perfectspell生産人口減→生産人口+非生産人口の消費±、と供給の減。老人の貯蓄も考えよ。/http://tacmasi.blogspot.com/2010/10/blog-post.html生産人口比率の変化は物価上昇率と無相関/労働人口減はデフレ因果薄を主張してるだけ 2010/10/31

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 反論が面白いです。「稼いだ額より多く消費できる」という素朴理論です。「無年金老人の引き取りを」などという挑発まで飛び出しています。要するに、あちら側の主張は、【労働人口が減少する→需要減るんじゃね?→生産が減少するんじゃね?→じゃあ→稼ぎも減るんじゃね?→じゃあ消費減らすしかないんじゃね?→需要減るんじゃね→生産が減少する……】という素朴理論です。
 こちらはそれに対して、真正面から応えています。「生産人口減→生産人口+非生産人口の消費±、と供給の減。老人の貯蓄も考えよ」と。生産人口が減るってことは、供給面では、供給が減ります。一方需要面では、生産人口が減ります。問題になるのは、非生産人口の問題です。つまり、仮に生産人口が消費を萎縮したとしても、非生産人口は貯蓄も相応にあるので、それをカバーできるのではないかということです。少なくとも、プラスマイナスと理解可能です。
 しかも、他のブログ様では、「生産人口比率の変化は物価上昇率と無相関」という反論も存在しています。統計的に労働人口減はデフレ因果薄なのです。

perfectspell 供給ってモノでなくカネ(付加価値)で考えないと。作れるだけ作るのでなく、売れるだけ作ろうとするだろうし。/高齢化社会に備えて貯蓄というと、勤労世代が益々消費減。/ http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20101011/1286799930 2010/11/01

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 一つ一つ突っ込んでいきます。
 「供給ってモノでなくカネ(付加価値)」って何を言ってくれたのでしょう。「「供給量」=モノ」ととらえたのかしら。どのみち、人口減なら供給(付加価値)減少となります。日本はモノよりサービスに従事している人が多いわけで。サービスなら、モノに比べて頭数が大きいわけ(なはず)だから、なおのこと人数は重要な気もしますが。どうでしょ。
 「作れるだけ作るのでなく、売れるだけ作ろうとするだろう」、とはなんでしょうか。売れるだけ作るには、その生産力のためには、人数増えるか、生産性上げるしかないと思いますが。で、人数が限られるなかで「売れるだけ作る」わけだから、生産性が上がる必要があるが、それには時間がかかります。つまり、需要と供給がちゃんと均衡する「長期」ですな。その間、まず供給は不足していることになりますから、これだけだとインフレ要因になります。需要が供給に追いつかない間、でインフレ傾向になります。
 まあ、それだけの生産性があるなら、十分人口減少社会でもやっていけるので、安心安心です。
 「高齢化社会に備えて貯蓄というと、勤労世代が益々消費減」というのは、無論理解しております。そのためにも、権丈理論のような方法も十分筋が通っていることも、以前コメントしたことがあります。
 ただ、それはこちらのテーゼへの論駁にはなっていません。先のデータで明らかなように、①日本の小売りの消費は減ってないよ、②高齢者もちゃんと消費するよ、という二点から、少なくとも「勤労世代が益々消費減」が、デフレの主因という可能性は低いでしょう。
 
 なお、この御方が掲載したサイトについてですが、、

 API http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20101015/1287159440こっちのデータもそうだが人口とインフレ率に強い相関があるようには見えないけど。むしろ人口増加率が低い国でもインフレになることを証明してないか。

 maeda_a 1)なんで人口減少が需要減にだけ効いて、供給減に効かないのかわからない。2)人口の増減って、インフレ率や需給の増減とはどう考えてもタイムスパンが違う。リーマンショックのような金融ショックの方が遥かに重要


 などのコメントがはてブ先にありましたので、紹介しておきましょう。

 まとめると、「生産人口減なら、生産人口+非生産人口で消費はせいぜい、プラスマイナスにしかなりません。老人の貯蓄も考えよ」と。生産人口が減るってことは、供給面では、供給が減ります。一方需要面では、生産人口が減ります。問題になるのは、非生産人口の問題です。つまり、仮に生産人口が消費を萎縮したとしても、非生産人口は貯蓄も相応にあるので、それをカバーできるのではないかということです。少なくとも、プラスマイナスと理解可能です。


④労働生産性

perfectspell 小結論1 "非労働力(高齢者)人口"増加を何故か"景気循環"要因に。/小結論2 成長会計の寄与度は"生産性"が1番高い→池田信夫大勝利となってしまう。/最後 影響大なのに社会保障への検証なしで結論。/http://bit.ly/bBNQj3 2010/09/14

haruhiwai18 id:perfectspell「成長会計の寄与度は"生産性"が1番高い」 → 本文データは「資本及び生産性の寄与」なんだけど。結局「人口変化が長期停滞の主因とする仮説は誤りだといえるのではないだろうか」ですね 2010/10/30

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 まあこれについてとくに言うことはありません。これについては、

econ_econome 人口変化と長期停滞の関係を見ているのは題名の通り。社会保障の話題が主題ではないですよ。寄与度分解の意味を勉強してください。成長会計の寄与度は既存研究通り。批判の点は全て誤りですよ。 2010/09/14


という冷静なツッコミがなされています。まあ、これのとおりなのでしょうね。こちらの主張は、「人口変化が長期停滞の主因とする仮説は誤りだといえるのではないだろうか」という意見への賛同です。

perfectspell >id:haruhiwai18さん 成長会計は他国と比べ、日本の何がマイナス要因なのか? というアプローチが正しいのでは。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4510.htmlは85-06年ですが95-06年なら如実に人口がマイナス要因とわかる筈。 2010/10/30

haruhiwai18 id:perfectspell出典元読んだ。「少子化・高齢化によって就業者数が伸び悩むとともに労働時間の大幅な短縮(略)がもたらされたため、労働投入の寄与度がマイナス」か。その時間短縮も「労働基準法の改正の影響が大きい」 2010/10/31

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 「成長会計は他国と比べ、日本の何がマイナス要因なのか? というアプローチが正しいのでは」などといっていますが、じゃあ日本はどうなのよ、という話です。
 で、この御仁が掲げたサイトに行ってみたら、「少子化・高齢化によって就業者数が伸び悩むとともに労働時間の大幅な短縮(略)がもたらされたため、労働投入の寄与度がマイナス」か。その時間短縮も「労働基準法の改正の影響が大きい」と書いてありました。実際、労働時間の要素の方が、労働人口減少の要素より大きいことは、原田著にもあります。まあ、「如実に」は明らかに違うわね。


perfectspell ↑レスはメタブへ >id:haruhiwai18さん 「就業者数が伸び悩む」というより、1995年をピークに毎年0.8~1%ほど生産人口が減っているようです。http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20090924/p2 2010/10/31

haruhiwai18 ブックマークを削除する コメントを編集する メタブ遊び禁止 id:perfectspell 1995年の件、事実たるを確認。重箱な気もするが。で、「その時間短縮も「労働基準法の改正の影響が大きい」」という一文はお認めに?http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3100.html 2010/10/31

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  「1995年をピークに毎年0.8~1%ほど生産人口が減っている」のは間違いありませんが、それがどうしたというのでしょう。生産人口の増減が、どの程度日本経済に与える影響があるのか、って言う話ですけど。それは労働時間の増減と比較してどうか、ってことです。それに対して、

perfectspell >id:haruhiwai18さん 毎年、労働基準法を改正しないでしょう。というか1987年の改正について言及してるようですね。/この辺は詳細データあれば尚良し。1995年以降の各国比較の成長会計(就業者数と時間が別)。 2010/11/01

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 「毎年、労働基準法を改正しないでしょう。というか1987年の改正について言及してるようですね」だって。ちゃんとサイトの説明文を読みましょうね。
 「日本の労働時間の短縮に関しては労働基準法の改正の影響が大きい。世界からの働きすぎという批判を受け、1987年の新前川レポートが労働時間1800時間を国際的に公約してから、88年には法定労働週を48時間から40時間へ短縮する改正労働基準法が制定され(当面46時間)、さらに93年に40時間への実際のシフトが決まり、97年には猶予措置を与えられていた中小企業等についても猶予期間が切れた。こうした流れの中で、1990年代に、週休2日制が普及し、おりからの長期不況も時短の点からは幸いし国際的に見て「働きすぎ」でない労働時間が実現したのである。」
 要するに上記の理由で、労働時間は年段階ごとに、徐々に変わっていたのですね。なるほど。毎年法を改正しなくても、こういう変化はあるのです。あと、パートタイマーに労働人口の一定数が移動していったことも、重要です。つーかちゃんと本文読んだですかね。
 「この辺は詳細データあれば尚良し。1995年以降の各国比較の成長会計(就業者数と時間が別)」については、挙証責任は当然そちらのある以上、お前が調べろよ、という反論しておくことにしましょう。

 まとめますと、
・「寄与度分解の意味を勉強」しないといけませんね。あ、当方もですか。
「労働時間の増減よりも、労働人口の増減の方が、日本経済の動向に与える影響が大きかった」なんてデータは今のところ見つかっていません。


⑤高齢者人口の割合増加の速度は、デフレを招くのか?

perfectspell http://b.hatena.ne.jp/entry/www.amazon.co.jp/review/R37M605O33GVF8/ // 「同じように高齢者比率が増加しているにもかかわらず~」 俺の目には同じじゃなくて90年から倍以上のスピードで高齢者比率が増加してるように見えるのだが。 2010/10/22

haruhiwai18 id:perfectspell 「90年から倍以上のスピードで高齢者比率が増加」 →「倍以上」は誇張。あと、①「高齢者は消費をしないこと」はやはり誤謬だし、②逆にデフレゆえに「生産年齢人口の減少」もありえるかも(笑) 2010/10/29

SYNODOS JOURNAL : 人口減少デフレ論の問題点(下)~日本は「モノづくりの国」?高齢者は消費しない? 菅原晃


perfectspell >id:haruhiwai18さん "(他国と較べ)倍以上のスピードで"の意味です。12%から22%になるには他国は倍の時間でも達成できないようです。//世代間扶助を考えれば高齢者消費額の話はミスリードかと。 2010/10/30

haruhiwai18 id:perfectspell そもそも、高齢者割合増加の急激さが何でデフレに繋がるの?理解不可/「所得はあっても消費しない高齢者」というレッテル剥しが本論主旨。「世代間扶助」の問題は、また別の重要課題。落ち着いて。 2010/10/31

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 「高齢者割合増加の急激さが何でデフレに繋がるの?理解不可」という点が問題です。
 なお、「所得はあっても消費しない高齢者」って書きましたけど、実際は書き間違いで、「消費しない高齢者」だけで大丈夫です。すいません。

perfectspellid:haruhiwai18さん そもそもは「同じように高齢者比率が増加しているにもかかわらず、日本だけがデフレなのはなぜでしょうか。」に対する訂正です。高齢者が増えれば勤労者と収入を分け合うのだから1人当たり需要は↓ 2010/10/31

haruhiwai18 メタブ遊び禁止 id:perfectspell じゃあ【他国でも高齢者率自体は増加しているにもかかわらず、日本だけがデフレなのはなぜ】。後は、菅原先生のブログで聞いてよ 2010/10/31

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 「高齢者が増えれば勤労者と収入を分け合うのだから1人当たり需要は↓」ということですが、高齢者の貯蓄と消費を頭に入れていないのと、労働人口減少によって供給までも減ることを想定していません。
 【他国でも高齢者率自体は増加しているにもかかわらず、日本だけがデフレなのはなぜ】。ここが最大の問題です。実際、数々のデータによって、同じく高齢者率が高い国なのに、ずっとデフレなのは日本だけですから。
 また菅原先生に頼ってしまい、すみません。


perfectspell >id:haruhiwai18さん だから、「高齢者が増加してるにしても変化率は重要じゃないんですか」という疑義です。インフレ率も変化率なんですから。 2010/11/01

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 もっともらしく聞こえますが、ムリのある仮説です。まあ、この高齢者増加率については、上のサイトで既に反証がありますが。
 思いつく限り反論しておくと、
 ①高齢者割合の増加の度合いが日本のほうが大きいのは事実ですが、別にこれはデフレ状態にならずに、低インフレ状態であっても問題ないと思うのですが。なぜ、ほとんどの期間、デフレ状態なのでしょうか。
 もっというと、この議論をつきつめたら、ある国の非労働人口割合が100%になっても、その増加速度が一定度であれば、デフレにはならないことになりますが、いいのですかね。
 ②しかし原理的に言うと、インフレ率、つまり物価上昇率と労働人口の増減の関係は、労働人口減だと物価は上昇(つまりインフレ)傾向になります。というのも、「マネー=物価×供給」と単純に考えた場合、マネーが一定なら、供給量が下がる労働人口減少は、これ自体ではインフレの要因になるからです。
 (ただし、クルーグマンの流動性の罠に関する記述を敷衍すると、つぎのようになります。(『クルーグマン教授の経済入門』参照)。人々が将来物価は安くなるものとして振る舞う場合、どんなにベースマネーを増やしても、ゼロ金利になるあたりで物価は上がるのをやめてしまいます。同様に、人々が将来供給は減少するものだとして振る舞う場合、ゼロ金利になるあたりで物価は上がるのを止めてしまいます。ただしこれは、労働人口減少による”需要低下”じゃなくて”供給低下”、それも”それが人々に予想され、そのことが供給に影響を与える場合だけ”です。)
 
 以上、「「高齢者が増加してるにしても変化率は重要じゃないんですか」への疑問点です。インフレ率も変化率なんですから」という面白仮説は、①デフレ状態である証明としては弱い、②そもそも原理的に労働人口減少は、デフレ要因じゃない、という二点によって反証されます。

⑥こちらなりのまとめ
・高齢者は単に年金だけで食べているわけはなく、ちゃんと貯蓄もあって、それで生活をしているのです。
・"貿易赤字"や"国家財政が悪化"などに対して金融政策は重要です。絶対に重要です。
・生産人口が減るってことは、供給面では、供給が減ります。一方需要面では、生産人口が減ります。問題になるのは、非生産人口の問題です。つまり、仮に生産人口が消費を萎縮したとしても、非生産人口は貯蓄も相応にあるので、それをカバーできるのではないか。
・「労働時間の増減よりも、労働人口の増減の方が、日本経済の動向に与える影響が大きかった」なんてデータは今のところ見つかっていません。
・「「高齢者が増加してるにしても変化率は重要じゃないんですか」という面白仮説は、①デフレ状態である証明としては弱い、②そもそも原理的に労働人口減少は、デフレ要因じゃない、という二点によって反証されます。



参考文献(?)
 人口減少による日本経済衰退論への反論については既に、原田泰先生が鈴木準氏と共著で『人口減少社会は怖くない』を著しておられますので、それが一番の必読文献となります。最近出た、『日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学』もどうぞ。
 もちろん
藻谷浩介 その6 『デフレの正体』」(『高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門』様)
生産年齢人口が減るとデフレになる?」(『観の目つよく』様)
の統計にも御目通しください。

(終)


(追記)
 abz2010氏よりコメントいただきました。そこで以下に、紹介された記事に対する反論を書いてみます。


>この時の住宅需要を考える。住宅に限らず耐久財には大雑把に言って買い替え需要と追加購入需要が存在する

 確かに、住宅など耐久財は額も大きく、消費を左右します。住宅はその最たるものです。そして、耐久財は、耐久年数が長いため、買い替え需要は人口に比例する可能性があります。
 ただ、この世界にある消費財は耐久財だけではありません。これは、まあ想定されておられる反論なのでしょうが。
 もう一つ反論できるとすれば、それは量を質がカバーするのではないか、ということです。購入する住宅の質の問題です。仮に、人口が減少したとしても、その分購入される住宅の質が向上すれば、つまり現状より良質で高価な住宅を購入出来るようになれば、十分カバーできるでしょう。「iPhoneのような斬新な新製品」のような斬新であること自体は必ずしも必要ではありません。
 そのためには、一人当たりのGDPが向上せざるを得ません。さらにそのためには、労働の生産性の向上が欠かせません。その方法については、前掲『人口減少社会は怖くない』をご参照いただきたいところです。そして前提として、金融政策などを用いたデフレ脱却と景気の回復が欠かせませんけど。

>ごく単純化されたモデルであり、実際には核家族化による人口当たりの住宅需要の変化等もあると思う
 
 こういうふうに、きちんと反証も考えておられるのは素晴らしい限りです。しかし、「このモデルで示したような需要への影響は、住宅だけでなくある程度一般にいきわたった耐久財においても同様に見られるはずである(例えば携帯電話とか」というのは、どうなのでしょう。携帯は結構買い替えの対象のように思います。せめて冷蔵庫とかのほうがいいように思います。

>総人口の増減と労働人口の増減は必ずしも一致しないので実際には総人口の減少率以上に労働人口が減少すれば労働力の不足感が強調される可能性はある。但しその場合には福祉等別の負担が増すわけであるが

 長寿化になるということは、これに当てはまることになりましょう。もちろん福祉負担というのがありうるわけですが、福祉の費用を考えてもなお、上の③に挙げた理由によって、やはりインフレ傾向になる可能性があります。

 最後に、念のため書いておきますが、人口減少や少子高齢化がインフレ要因になるといっても、別にこれがデフレ経済脱出に繋がるとは一切考えておりません。既に上に書いておりますが、むしろ、物価は一切上昇しなくても、このことが流動性の罠を引き起こすことに寄与する可能性は高いある、といっているのです。クルーグマンと同じ結論です。だからこそのインタゲなのです。

神=雇用者の「差別」について -『ぶどう園の労働者』への非キリスト者からの露悪的意見-

 イエス・キリストの語ったという 聖書の『ぶどう園の労働者のたとえ』です。こちらの拙稿「社会保険と労働時間 -ベーシック・インカムを唱える前に- 濱口桂一郎『新しい労働社会』(5)」のコメ欄をきっかけに、その存在を知りました。読んでいくらか感想が浮かびました。
 それなりに面白いものになったのではと思い、独立した記事にしてみます(一部改訂してます)。他のブログの記事に反応する形でかかれておりますが、別に対象のブログの記事に悪意があるわけではないので、その点はご了承ください。あくまで『ぶどう園の労働者のたとえ』に対する批評です。それどころか、該当の記事は、コメントしてくださった方が厳選した優れたものである(はず)ですから。


 「マタイ「ぶどう園の労働者」の話し」(『Good News Collection』様)

 そうなのだ。この宴会の主人は実に寛大で、最後の者も、最初の者と同じように迎えてくれる。

 これだけ寛大なら、全ての人々は午後五時に来て、可能な限り働かないようになるでしょう。神は偉大です。

 さあみんな、飽きるほどに食べなさい。子牛はまるまる肥えているではないか。
 この宴から、空腹で帰っていくものが一人でもいてはいけない。

 ならば、だれが子牛を育てたのですかね。この子牛に関する労働は誰によるものですかね。神よ、子牛を育てた人間にも、1デナリあげてます?
 そもそも。キリスト教徒が貧しきものに喜んで与えるのは、その信仰心だとか、あるいは「同じ仲間」という意識があるからでしょう。逆に言えば、「同じ仲間」という意識がない人には、喜捨はされないでしょう。また、信仰心のない「不届者」は、そもそも、金持ってても喜捨しないでしょう。

最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい

 最大の問題は順番ですね。なぜ、最初に来た人間から払わなかったのか。
 ほんのわずかにでも、働いた貢献順に差別化を図ることができれば、こんなややこしいことにはならなかったというのに。このような優先的に渡すという行為だけでも、もしかしたら、朝六時の人々は満足してくれたかもしれないというのに。
 それは、ほんの100分の1デナリでもよいのだし、ねぎらいの言葉に差をつける程度でもよかったというのに。重要なのは、差をつけること。たったほんのわずかにでも、差をつけることです。
ひとは、それだけで満足するものなのです。
 神様、あなたは、人間のことが分かっていらっしゃらない。まあ、人間じゃないものね。しょうがないよね。


 「ぶどう園の労働者」(『AX君の独り言』様)


 『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。(略)
>自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。

 そのとおり、雇い主との契約である以上やむをえない。
 ならば次以降の労働では、朝六時から働いた労働者は怠けてしまうでしょう。あるいは午後5時に来るかするでしょう。これもやむをえない。
 「自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえ」です。なら、福祉のための課税に反対する金持ちの意見は「当たりまえ」です。

 ぶどう園は神の国の象徴である。朝早くから雇われた労働者は、有能な労働者、パリサイ人であり、誰も雇ってくれるものもなく、仕事にあぶれていたところ、夕方の5時ごろに雇われた労働者は、多くの場合は特に能力もなく、また病人であり、老人であろう。彼らは罪人を暗示しているのである。

 ならばなぜ、神は、「有能な労働者」に対して、「病人であり、老人」を助けることの素晴らしさを教えなかったのか。それが大切だということを、説かなかったのか。「有能な労働者」自身の意思(を神が認めるかどうか分かりませんが)によって、「病人であり、老人」や無能な者を救うことこそ、素晴らしいことであるはずなのに。
 さらにいうと、貧しきものを救う、恵まれぬものを救うという公平を、なぜ「自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえ」という私欲によって、押し付けようとしたのか。
 神は、私利私欲にまみれているようにしか思えない、というのが、非キリスト者の結論です。さすが神様、自分ルールも許されます。

 雇われたものたちに対する主人の愛が如何に大きいものか、常識を超えた神の愛の深さを考えさせようとしているのであります。

 神は、「有能な労働者」の徳を育てることを放棄し、雇われた人間たちに、自分の大きさを誇示することの方を選択したのです。なんという顕示欲。「常識を超えた」だけあります。

 夕方5時に雇われ、少しの時間しか働かなかったにもかかわらず、一日分の賃金を貰った労働者は、明日もこのぶどう園で働けると知ったならば、「よし、今日の分まで、明日は働こう。この主人のためにもっと一生懸命働こう」と思うであろう。
 一方、朝から一生懸命に働いたにもかかわらず、遅く来たものと同じ賃金(主人と自分の間で契約した額だが)を支払われた者たちは、明日も同じように働くならば、明日は遅く来て、ほどほどに働いておこうか、昨日はバカ正直に働いて損をしたと思うであろう。

 なるほど、神は差別を働いたのですね。「有能な労働者」を見捨て、「病人であり、老人」や無能な者をえこひいきしたのだ、と。今度のホームルームで取り上げます。テーマは「神の差別」についてです。

 このことは神(信仰)の世界だけの話だけではない、実生活の中でも、起こっていることであります。私たちも、心しないといけないことであります。

 心すべきなのは、神(=雇い主)の方です。「有能な労働者」が徳を積む機会を潰しやがったのですから。
 ああ、もしかしてここにこそ、神への反逆の契機があったのかも。

 以上、取りとめもない感想です。
 重要だと思うのは二点。
①働いた貢献順にほんのわずかでもいいから差別化を図ること。来た順に優先的に渡すという行為だけでも、100分の1デナリでも差をつけるだけでも、ねぎらいの言葉に差をつける程度でもよかったというのに。
②神は、自分の顕示欲のために、「有能な労働者」が徳を積む機会を潰しやがったのです。賢い読者のお察しの通り、キリスト教にニーチェが噛み付いたのは、こうした人間が徳を積む機会を潰したからである、と考えられると思います。


 最後に。もしかしたら、神が真に無差別であること、平等であるということとは、こうした残酷さをも含むのかもしれません。
 キリストのたとえに含まれる残酷さと、その残酷さに噛み付いたニーチェ。そんなことを考えました。

(了)

人口問題は怖い、でもデフレはもっと怖い(?!) -藻谷浩介『デフレの正体』評について(2)-

 以下、前回の記事の続き。


■マクロ経済学と期待■

 三点目。藻谷氏は「投資が腐る」なる表現を用いて、ファイナンス理論は期待収益の概念があるのに既存のマクロ経済学は貯蓄があり、投資がなされればとにかく経済成長するという前提を敷いてはいないか?という旨の問い掛けをしている。/藻谷氏は何を言っているのだろう。期待収益率の概念はもちろん割引現在価値、資本係数、長期・短期の均衡実質金利の概念だってあるというのに。

 実際、Wikipediaの現代ポートフォリオ理論の項目によると、 「裁定価格理論は1976年ステファン・ロス(en)によって考案された。期待収益率をマクロ経済学に関係する様々な要因を説明変数とした線形代数の形でモデリングしている。説明変数としてはGDP、物価上昇率、為替レート、失業率などが挙げられる。APTはCAPMと比べて仮定の制限が少ない」とあります。他の用語については、めんどくさいのでお調べください。
 まあ、リフレ派は、期待インフレ率の話をよくやっていますが。
 

■デフレだから円高なんです■ 

終わりの四点目は『リフレ論者』への批判に絡む。藻谷氏は貿易収支黒字・所得収支黒字の話で過去の円高不況に触れながら、現在の国際貿易において端的には中国の低賃金労働力などによりデフレは止まらないと述べる。/藻谷氏は暗に固定相場制を前提に敷き、為替レートの調整を忘れているようだ。為替レートと物価の関係など知らず、ましてや為替介入の際の非不胎化と不胎化の違いなど決して知らないに違いない。

「中国の低賃金労働力などによりデフレは止まらない」というなら、他国は何でデフレじゃなかったんでしょうかね。
 以前引用しましたが、「デフレになったのは、中国から安いモノが大量に輸入されたからだとか、ITなどの技術進歩のためであるといった説明のほうが分かりやすいであろう。しかし、この説明では、日本同様に、あるいはそれ以上に中国から安いモノを輸入し、日本以上にIT革命が進んでいる国がデフレになっていないという事実を説明できない」。(注1)これに尽きます。
 「為替レートと物価の関係」というのは、要するに、国内物価が上昇すると円安、国内物価が下落すると円高、という関係のこと。中国はともかくとしても、【中国の安いモノ・IT技術→値下げ競争→デフレ】というのは、正確ではなくて、因果関係はむしろ次の通り。【総需要不足・デフレの現状→そして円高へ→他国からの輸入品が、実質より安くなる→値下げ競争地獄】。こちらの要素の方が強いでしょう。デフレは、結果ではなくて、むしろ原因として把えるべきですな。
 なお、「不胎化介入」とは、「為替介入に際して外貨売買の結果、自国通貨の量が増減する場合に自国の通貨の増減を相殺するような金融調節を実施することによって、為替介入後も中央銀行通貨量が変化しないようにする外国為替市場介入」のこと。(注2)例えば、「急速な円高に対しての円売り介入では、売りオペで同額の円資金を吸収する」こと。円を売って、そのままにしておくとインフレになるから、それを防止するために、円資金を吸収するわけで。介入しておいて、売りオペ・買いオペをしないことを、「非不胎化介入」といいます。


■つまるところ、人口問題「も」、重要なのです。■
 最後に、「藻谷氏のデフレ・人口オーナス説の疑わしさはロシアを引き合いに出せば充分であろう」とあります。まあ、ロシアのことは分かりませんが、以前こちらは、「「日本が本格的にデフレに陥ったのは1998年から、(略)人口減少ペースはその時点においてはドイツと同程度」「しかしドイツはデフレに陥っていませんし、他の先進国も同様」 ←人口問題で全部を片付けるな、と。」と書き込んでおります (注3)。人口減少している国のうち、デフレにはまってさあ大変、なのは究極的には日本だけです。
 その他、「カナダもオーストラリアも絶賛少子高齢化中だがデフレになってないし経済は成長しています」という反論や、「95年当時、日本より高齢化率の高い国はあったし、その後、日本以外の国でも高齢化が進んだが、デフレなのは日本だけ」という反論もあります(注4)。
 実際、とあるデータによると、韓国とドイツは確かに結構な高齢化です(注5)。はて、両国はデフレでしたっけな。要するに、他国の状況をかんがみると、現在の日本のデフレは、人口問題が主因ではない可能性が高いわけです。もちろん、原因の一つではあるでしょうが。つまり、両方解決すべきなのです。←結論


(注1) 拙稿「「よいデフレ論」は新聞社には好都合 岩田規久男『日本銀行は信用できるか』(1)」より孫引き

(注2) 「不胎化介入 - Wikipedia」より。なお、『Baatarismの溜息通信』様の記事「今回の円高パニックも、原因はデフレと金融緩和の欠如ということです」は、そのタイトルどおり、「経済学者やエコノミストの中には、実質実効為替レートを理由に今回の円高は問題ではないと主張する人もいるようですが、このように実質実効為替レートの意味をきちんと考えれば、円高の原因はデフレであるということを示している」と主張しております。
 然り。円高が問題というより、その根本原因としてのデフレが問題なのですな。こっちを先に解決しましょ。
 (2010/10/16追記: 上の「『『Baatarismの溜息通信』」と表記した箇所ですが、himaginary様のブログ名と間違っておりました。長く気付かずに放置しておりましたこと、お詫び申し上げます。)

(注3) 記事「長期デフレの主因は人口減少と高齢化? - DeLTA Function」へのはてブコメントより。なお、記事本文は消滅しております。
 なお、人口と日本経済との関連については、良記事「人口とGDP」(『himaginaryの日記』様)が読まれるべきです。

(注4) 「404 Blog Not Found:景気の波より人口の波 - 書評 - デフレの正体」への、cybo様と、API様の、はてブコメントより。

(注5) 「図録▽主要国における人口高齢化率の長期推移・将来推計」(『社会実情データ図録』様)をご参照ください。
 
(終)


(追記) 実は、後々調べてみたら、すでに『デフレの正体』に対する実に丁寧な批判は存在していました。『教材研究 高校 政治経済 現代社会 高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 日経』様の一連の記事です。カテゴリとして、「藻谷浩介『デフレの正体』」の項目が設けられておりますので、そちらをご参照ください。
 お詫びといってはなんですが、その『デフレの正体』評の中身について、幾つか、かいつまんでご紹介をさせていただきます。

①「貿易黒字=その国の豊かさ」ではない
 貿易黒字額とは、あくまでも「外国への資金の貸出額」に過ぎず、「国全体の貯蓄超過」をあらわすものです。だから、「貿易黒字はどこへいったのか」の答えは,「海外の資産になった」であって、「「日本人の生活そのものが豊かになることを,必ずしも意味しない(岩田規久男(学習院大学教授) 『国際金融入門』岩波新書 1995 p44)」のです」。
 逆に、「好景気になると貿易黒字は縮小する」状態になります。

②日本が外需主導なんて、ウソです。
 「日本は、とっくに内需型です。外需主導なるものが、そもそも神話です」とのこと。グラフを見ると確かに圧倒的です。

③デフレは、先進国では日本だけ。
 曰く、「生産年齢人口が減り、高齢者が増え、買うものがなくなった」では、論証にならないとのこと。また、「各国の高齢化率(65歳以上の全人口に占める割合)は、日本だけが突出して高い(高かった)わけではありません」。
 拙稿も、同意見です。

④金融資産とは、帳簿の上にしか存在しない。
 1400兆円も計上される金融資産は、実際はその実体はない。帳簿上存在するだけです。「現在の預金準備率は、0.01%なので、計算上、銀行は100万円を日銀に積立て金として当座に預け入れるだけで10,000倍の100億円(正確には99億9900万円)、帳簿上存在しますが、「実態は無い」お金を、個人や企業に貸し付けることが可能になります」。


(コアコアな追記) コアコアCPIという指標があります。Wikipediaを見て分かるように、「インフレ、デフレ基調の度合いを見るときには、生鮮食品の価格は天候等の条件によって大きく変わるため、生鮮食品を除いた指数 コア CPI が使われる。また、エネルギー価格の変動が コア CPI に影響を与えるため、食料及びエネルギーを除いた指数 コアコア CPI が加わった。日本以外では食料及びエネルギーを除いた指数を コア CPI と定義している」のです。
 リフレ派の多くは、このコアコアCPIを指標として用います。つーか、日本の場合、物価を判断するなら、まずこれを使うのですが。
 問題なのは、このWikipediaにあるグラフ。なんだか、図だけ見ると、物価が上がっているように見えます。でも良く見るとこれ、「前年同月比」なんですよね。(以前、某前田氏が、少年犯罪のときに使った手口に似ているような……)
 実際の数字は、例えば「回復の兆しを見せる雇用とさらに深い底に達しつつある消費者物価」(『吉岡家一同おとうさんのブログ』様)のグラフをご参照ください。
 コアコアCPIの数字、下がってます。一応下がっていますね。デフレです ←結論。
 こういう小さい勘違いは、いけません。皆様、お気をつけを。


(デフレは起きているよ、という追記)
 なお、大瀧雅之「デフレは起きていない―現代日本の作られた悪夢―」が雑誌『世界』(2010年11月号)に掲載されています。一読するに、なんじゃこりゃ。論調は、むかし「大瀧雅之(編)「平成長期不況」」という記事で、bewaadさんが論難(?)していた内容と同じ。見事なまでのブレのなさ。銀行悪玉論ですか。
 で、デフレは起きてないという論拠ですが、何じゃこりゃ。macron_様がつぶやいておられるように、「CPI(総合指数)を使ってる時点でアウト」ですな。先生、コアコアしてください。
 コアコアCPIについて「日本の場合、物価を判断するなら、まずこれを使うのですが」って、さっき自分で書いちゃったんですが。どうしてくれるんですか、大瀧先生。
 あと、リフレ派のなかに、貨幣増やせばデフレ脱出、なんて考えてる華麗な御仁は存在しません。それは、反リフレ派の心の中にのみ住まう、藁人形さんです。
 例えばインタゲ政策は、政府・中央銀行が確たるコミットメントを市場に約束することで、期待インフレ率を上げるという、市場心理への間接的なアプローチがメインだとおもうけど。いっそ一度、浜田(宏一)先生と話し合ってくださいな。人間、話し合いが大切だと思います。

2010/10/16 一部改訂及び追記

マクロ経済にケンカを売る!(けど負けてますよ) 藻谷浩介『デフレの正体』評について-

 藻谷浩介『デフレの正体』というの本が、結構売れているようです。しかし、そのリフレ政策に対する批判は、正直、拙劣な部類です。でも探してみたのですが、ウェブ上に、本書に対する批判はあまりないようです。
 例外として、「藻谷浩介 著『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』について」(『明暗 | 情に棹させば流される』様)という記事があります。
 しかしいかんせん、マクロ経済学の初心者には何を言っているのか、分かりづらい。そこで、勝手に、解説めいたものをしてみたいと思います。(マクロ経済については、素人同然なのに。)間違っている箇所は、是非ご指摘を。
 (心内語: そもそも、人口の問題について、リフレ派が「無視」したことは決してないわけで。比較的やりやすいのは、人口の問題より、デフレ解消のほうでしょうよ。人口問題の解決と並列してリフレ政策をやればいい、ただそれだけのことです。結論)


■日本は停滞しているのに貿易収支黒字を出すのはおかしい?■

 まず一点目。「日本は停滞しているのに貿易収支黒字を出し続けている。さらに所得収支黒字が多額である」なる主張。藻谷氏は貯蓄投資バランスと経常収支の関係を呑み込んでいないと思われる。先物カバー付き金利平価理論など知りもしないのではないか。/日本の製造業の競争力は落ちていない…という主張には同意できるのだが。

 何を述べているのでしょうか(注1)。
 式を省略すると、「国内における支出(内需、C+I)が、国民総生産 (Y) を超える場合は、右辺はマイナスとなるので、左辺(経常収支)も赤字となり、その逆の場合(内需が国民総生産を下回る場合)は経常収支は黒字」となり、「貯蓄投資バランスと経常収支の関係」というのは、「国内における投資が貯蓄を超える場合は経常収支は赤字、貯蓄が投資を超える場合は経常収支が黒字、ということ」ですね。無論、「現実の経常収支は、国民総生産の水準、為替レート、金利水準などが貯蓄・投資の水準に影響を与えることで変動する」のですが。
 これに当てはめると、現在の日本において、貿易収支をはじめとする経常収支が黒字なのは、内需が国民総生産を下回っており、貯蓄が投資を上回っているから、というのも一因なわけですな。別に、貿易とか黒字なのに、日本が「停滞」しているのは、何らおかしくないわけですね。なるほど。日本が「停滞」しているのは、貯蓄が投資を上回っている流動性の問題です。
 ちなみに、「先物カバー付き金利平価理論」というのは何か。どうやら、2カ国間の金利によって、為替レートが決まるという理論のことのようです(注2)。「二国間に金利差が生じた場合、より高い収益を求めて低金利国から高金利国へと資金が移動するという理論」ですな。「カバー付きとは、投資期間中に当初と逆金利の動きが生じたときにリスク回避する方法を当初から設定しておくこと」のようです。


■「生産性」の向上は、雇用を減らすのか?■

二点目。「生産性を上げる努力はかえって失業を増やし逆効果である」という旨の主張。藻谷氏は生産性イコール労働生産性という前提で論を展開しており、資本生産性や国民経済生産性を知らないらしい。これでは池田信夫氏にさえ嗤われるだろう─しかも正論を以て。

 生産性というのは、幾つか種類があるようで、例えば、労働生産性というのは、「労働力(単位時間当たりの労働投入)1単位に対してどれだけ価値を生めたかを指す」(注3)。で、一方の資本生産性というのは、「資本(機械・貨物自動車等の設備)1単位に対してどれだけ価値が生めたかを指す」。労働生産性と資本生産性は、片方を優先させると、もう片方が低下してしまうトレードオフな関係にあります。
 「上記の二つの生産性を含めて、全投入要素1単位に対してどれだけ価値が生めたかを指す」のが、「全要素生産性」。で、「国民経済生産性」は、「産出量としてのGDPを投入量としての就業者総数で除したもの」。
 【生産性を上げる→失業者増加】というのは、要するに、【労働生産性向上→業務効率化→仕事で要らない人材が出る→失業】ということでしょう。労働生産性は、生産量を従業員数(あるいは従業員の総労働時間)で割ったものなので、生産量が変わらない場合であっても、労働生産性が向上するならば、従業員数は減らせるわけです。(なお、資本生産性の場合、生産量を資本(設備)の数で割ります)
 雇用維持のためには、まず、生産量が増えるようにすればよい。つまり、景気を回復・維持させ、総需要回復を狙う、これが大前提です。雇用は無論重要ですが、景気の話をせずに、生産性向上云々の話は出来ません。
 【景気の回復→雇用の増加・仕事量増加】とすればいいわけですな。
少なくとも、不況下ならば、雇用を確保できる余地はあるのです。生産性を心配する暇があるなら、景気を心配するのが先なのです。景気の回復によって、ある程度まで雇用が回復して初めて、生産性向上による雇用不足の問題に面と向き合うのです。(両方政策推進するのもよし)
 では、「国民経済生産性」はどうか。これの場合、GDPを増やして、就業者総数(就業者の総労働時間)を減らせば、上がります。少しでも働いている労働者を減らして(従業員の総仕事時間を減らして)、GDPを増やせば、ここでの「生産性」は上がることになります。この場合、労働人口が縮小してもGDPを保てば生産性は上がります。労働人口が減っても、生産性が向上すれば、GDPは十分維持できます。
 以上より、愚見では、①生産性を上げようとすると失業者が増えるという心配をするより、景気回復の実現の方が、先に、問題の解決に寄与する。②「国民経済生産性」なら、労働人口減少は、GDPを維持できるかぎりにおいては、却って好都合。どのみち、景気の回復が、欠かせないという結論になります。

(続く)
(注1)以下、「国際収支統計 - Wikipedia」より引用。

(注2) 「教えて!goo」での質問より引用。

(注3) 以下「生産性 - Wikipedia」より引用。

(2010/9/25 一部改訂)
(2010/10/6 表題訂正)

リフレと再分配、及び信頼醸成の失敗について -左派勢力こそリフレ政策の開拓市場?

■再分配とリフレの関係■
 「左翼的価値観の望むことを実現するためには、不況の脱却は必要条件だということです。十分条件ではないかもしれないが、必要条件」という松尾匡先生のご意見です(注1)。再分配という問題についてなら、まったくその通りです。
 「たしかにリフレ左派の非力さのために、リフレが実現しても我々の望んだものは当面得られないかもしれない。しかし、それを求めるための闘いは今よりもはるかに容易になる。これは間違いないことです。」パイが多い方が、再分配も比較的求めやすいわけですし。
 では何が問題なのか。

■左翼・左派とリフレの微妙な関係■
 「リフレは魅力的なツールだと思うんで支持したいところですが、その政策の旗振りをしている政治家連中がアレな輩ばかりなら支持はできなくなりますな。それはソノトオリです」(注2)。ここで持ち上がる問題は、歴史修正主義的な思考の持ち主である政治家が、リフレ政策を支持している場合、左派はそれを支持してもよいのか、という問題です。
 「リフレ政策によってパイそのものが拡大しても、人権や再分配に反感を持つないし無関心な為政者ならば、労働者のパイの取り分がちょっとだけ増えるだけにおわるって可能性もあるわけで。」という懸念はごもっともです(注3)。
 左派として、彼らに投票して欲しい、というのは無理でしょうね。ならばどうするか。

■リフレ派の真価を!! 左派の支持者を増やせ■
 「左派からすれば歴史修正主義者=レイシストでない議員にリフレ政策を支持するよう促すことはできても、リフレ政策を支持する歴史修正主義者を落選させることができるのは非左派だけじゃないですか? 」(注2)。
 これを見たとき、ひらめきました。なるほど、「左派からすれば歴史修正主義者=レイシストでない議員にリフレ政策を支持するよう促す」という方法があります。この方法を使いましょう。左派は、その種の議員にロビイングして、リフレ政策を説いてみるというのも、方法としてあります。まあそれ以前に、この仕事は、左派ではなくて、本来(左右関らず)リフレ派がやるべき仕事なのです。地道かつ困難な作業ですが。
 「リフレ派政治家がクルーグマンじゃなくてアイヒマンだったら、それでも支持するの?」という問いもあるそうな(注3)。ならば、アイヒマン議員を見捨てて、アレント議員にリフレ政策の有効性を説くのが、一番です。アレントは左派じゃない、というツッコミは禁止です。
 「リフレ政策の必要性が広く認められて多数決でリフレ政策が選択されるのを望んでいます。ていうか、そうじゃないと内閣変わるたびひっくり返されたんじゃ意味ないですから」(注3)というふうに、制度の持続性を考慮するなら、リフレ派は地道に、左派にその功徳を説くべきでしょう。万一左派政党が政権を取っても、インタゲをやってもらわないといけないわけだから。

■まずは、日銀法改正からやってみましょう■
 「「リフレを積極的に支持しない奴は見殺しにしているのと一緒」なんて脅迫は不当ですよ。」というのもその通りでしょう。リフレ派にとっては、【リフレに賛成しないなら敵ではなくて、リフレに反対しないなら味方】という戦略が必須です。ごり押しこそ禁物です。左派やリベラル派に、リフレ政策の支持者を徐々に増やす戦略のほうがいいです。
 まずは何をしたらいいのでしょう。何から合意してもらえるでしょうか。優先順位を考えて見ましょう。
 「欧州社会党、社会主義インターナショナル、欧州左翼党といった団体がはっきりと完全雇用を目指していることが紹介されています。団体によっては中央銀行の金融政策の優先順位を完全雇用に向けさせることまで踏み込んでいるんですね」(注4)。そういえば米国の中央銀行様も、雇用の保証にまで踏み込むことが義務付けられていたはず。早速左派は、日銀に雇用までも責任を持たせるよう、主導すべきです。 難しい?
 それ以前に、中央銀行の責任を明確にする作業こそ必須です(責任を被らないで超高給取れるわけですから、今の日銀総裁の地位こそ、真に批判されるべきでしょう)。これも、左右にあまり反対なく、合意できることのはずです。
 左右ともに合意できるところから、政策を推進していくべきだ、と思います。まず必要なのは、合意できるところから合意していくことです。まあ基本ですけど。

■リフレの父・石橋湛山に学ぶ■
 「緊急性を考えた場合、再分配強化とリフレ政策とどっちが素早く実施できて効果があらわれるかという話はあると思います。配り先を組み変えるには多方面の利害調整が必要になり政治的にはかなり困難だと思うので、僕はリフレの方が早いと考えています」(注3)。賢明な判断です。
 もちろん。究極的には、両方やるべきことではあります。再分配もリフレも、両方を視野に入れていたのが、リフレ派の父である石橋湛山だったのです。彼が言っていたのは、厳密には、インタゲではなく、「物価水準ターゲット」であったようですけどね。
 詳細は、安達誠司『脱デフレの歴史分析』をご参照ください。

■左派も経済成長を気にしよう、気にするだけでもいいので■
 「「切迫」しているなら「まずは再配分を」というのが多くの左派の主張であるわけですが、そうすると「財源」についてのお決まりの反論がくるわけです」(注3)。財源不足という言葉が、再分配を不当に拒否する行動を正当化する場合というのは、たしかにあります。
 しかし、ここで論じるのは、本当に財源不足の場合です。
 その場合、①どのように再分配を社会的に合意させるのか、また、②させたところで負担が比較的重くなるはずの中間層からの「反乱」にどう対処するのか、という課題が発生します。(②を防ぐために、北欧諸国は「大きな政府」にならざるを得なかったわけです。「大きな政府」は、究極的には中間層対策です。)
 「財源不足」の状態で、再分配を求める場合、最悪社会に亀裂が生じます。こういう「衝突」を緩和するために、リフレ政策が必要になることは、左派においてさえ理解されるはずです。
 しかしさらに、財源を問題にするのなら、左派は、経済成長と、それをもたらす手段についても、自身の考えを持つべきでしょう。再分配の要求だけだと、【くれくれ君】などと思われて、かえって立場が悪くなるだけでしょう。
 「財源」を述べるのなら、経済成長をどうするのか、という課題をも背負う必要が、左派にはあるかと思われます。難しい課題ですが。
 (左派が再分配を求める際は、ロールズの正義論に見られるような、確固とした「理論」を持つことが必須でしょう。)

■リフレと、信頼醸成の失敗■
 何よりも、これはあらゆる政策(年金制度とか)の前提ですが、リフレ政策(特にインタゲ政策)は、期待インフレを持たせるような信頼ある制度構築こそ肝要です。その信用構築と醸成こそ肝だったはずなのです。重要なことは、約束を守ること、そういう制度を維持するという約束を果たすこと。(一部の)リフレ派が、他者にごり押しを続けるかぎりは、インタゲ採用とその持続的運用は夢のまた夢です。信頼醸成を前提とする内容の政策なのに、その政策自体への信頼を自分たちの手でぶっ壊した、といったらいいすぎでしょうか。

(了)


(注1)「小野善康さんからお電話をいただいた件ほか」『松尾匡のページ』様。以下の出典は、コメ欄のものも含みます。

(注2)「そういや……」『Apes! Not Monkeys! はてな別館』様

(注3) 「金子洋一氏に投票した件」『児童小銃』様

(注4) 「完全雇用マニュアル入門編:松尾匡著「不況は人災です!―みんなで元気になる経済学・入門」」『Demilog』様


(追記) 参考までに、これまでリフレに関して書いてきた拙記事についても、ご紹介しておきます。


(更に追記) 

minazuki6  最後の段はなんかこじつけぽい あと、現在の日本では左派でない人間が純粋にインタゲ政策実現だけを目指すなら左派の説得は必要ないと思う。

 以上のコメを、はてブにいただきました。
 最後の段というのが、何を指しているのか分かりませんが、こちらの本文全体がこじつけめいているので、反論はしません。
 「現在の日本では左派でない人間が純粋にインタゲ政策実現だけを目指すなら左派の説得は必要ない」とのことですが、これについては半分首肯します。仮に「非左派」が日本の過半数を超える場合、彼らが「インタゲ政策実現だけを目指すなら」、確かに左派の説得は不要です(ここでの「左派」は、政治的な意味での「左派」です)。しかしもちろん、minazuki6氏も承知でしょうが、これは仮定の話です。仮定に過ぎませんよね。
 「左派でない人間」のなかでさえ、インタゲ政策を目指してくれそうな人はそれほど多くなさそうです。池ナントカ先生とか、某「金融日記」の人とか、広く「新自由主義的」と呼びうる人々は、インタゲ政策を受け入れるとは思えません。
 「左派でない人間が純粋にインタゲ政策実現だけを目指す」事が望めないなら、左派を説得する必要があります。幸い、今回の件で、左派に分類される人々の少なからずは、リフレ政策にはむしろ好意的だと判明しました。日本の左派こそ、リフレ政策を広めるべき潜在的ターゲットなのです(強制改宗は当然禁止ですが)。
 欧州のソシアル勢力(分かりやすくいうと「大きい政府」支持派)が、リフレに賛同していることを考えれば、日本の左派にも受け入れられる余地はあるはずです(日本の左派も、政府機構がマトモに機能するならば、大きい政府による高福祉・高負担を受け入れる用意はあると思いますし)。そのためにも、社民党と共産党は、『不況は人災です!』を読んで、さっさとリフレ政策を受け入れなさいよ。「みんなの党」から、潜在左派の票が流れてくるよ、たぶん。そう思います。

2010/8/31 一部追記済

リフレ政策、あるいは、貨幣の代替品が存在するか、という話 小島寛之『容疑者ケインズ』(2)

■貨幣がもたらす、「決断の留保」という甘い毒■

 その多機能性こそが「貨幣」の魅力なのであるが、その機能の使い方を一歩間違えると、社会に災いをもたらす「疫病」のような存在にもなりかねない (67頁)

 優柔不断という甘美な果実を与えてくれるからこそ、貨幣を保有するのである。しかし、そんな雲をつかむような形のない誘惑こそが、資本主義を不況という地獄に導く悪魔のささやきにほかならない (135頁)

 決断を留保させてくれる、先の方まで延ばしてくれる、素敵なもの、それが貨幣。
  人は消費します。しかし、確率さえ計算できないような消費をせざるを得ないのです。ああ、アレを買って置けばよかった、こんなもの、買わなきゃよかった。ジュース一本から、一軒家購入まで、こんなものはたくさんあります。人は、完全な情報を持つことは出来ません。情報不足ゆえに人はためらうのです。

「人々は確率のわからない環境を、わかっている環境より嫌う」と解釈することができる (77頁)

 著者は、「ナイトの不確実性」とその数理的応用について述べた後、このように言及しています。 
 貨幣を持つことで、人は決断を先延ばしにしたがります。ああ、留保することの甘美さ。
 しかし、その決断の留保によって、貨幣の流れは停滞し、各々主体が、取引する機会(チャンス)は消えていってしまうのです。個人の決断の留保という甘美さは、経済全体にとっての毒なのです。

■リフレ政策、あるいは、貨幣の代わりに流動性を担うもの■
 解決方法としては、例えば、クルーグマンのベビーシッター・チケットの例えが、使えるでしょう。人々が、消費を抑制して、貯蓄を図っているならば、チケット(貨幣)を多く市場に流通させればよいのです。リフレ派なら、まずこう考えるでしょう。
 では、著者・小島氏の意見はどうか。彼は、小野善康先生の意見に賛成しています(「恐怖のリフレー・ザ・グレートの巻」『hiroyukikojimaの日記』様)。
 小野氏は、インタゲ成功には、次の条件が必要だといいます。

(1) 中央銀行が完全雇用になったあとも高い貨幣拡張率を継続すると信じる。
(2) 一致して物価予想を完全雇用に向かう経路に変え、それに合わせて消費を実際に増やす。
(3) 貨幣以外に流動性の効用を満たすものがない。

 この条件において問題にしているのは、「貨幣の魅力(流動性の供給)を落としても、流動性への欲望(流動性への需要)が消えるわけではない。それどころか、流動性への欲望が満たされなくなって貨幣の代用品を探そうとするから、消費はかえって減ってしまう」という点です。 (3)の点を、とても、心配されています。「貨幣以外に流動性の効用を満たす」ものがあるんじゃないか、というのが、小島featuring小野 の意見ですね。
 この意見に対して、稲葉先生の反論(「今日も平和な経済学村」『インタラクティヴ読書ノート別館の別館』様)。「貨幣の役割を果たすのは貨幣だけではな」く、「ある種の資産が疑似貨幣として流動性の担い手となる可能性」がある、というけれど、これについてはリフレ派は楽観的です。そう反論しています。
 特に実証はしていませんが、確かに、「ある種の資産が疑似貨幣として流動性の担い手となる」ことは、歴史的に前例がないのも事実でしょう(ハイパーインフレのときくらいか?)。かろうじて前例としてありそうなのは、金属の「金」だけど、もし万一これが「貨幣の代用品」になろうとしても、流通量に限界があると思います。愚見に過ぎませんが。(前にもこの類の議論があった様な気もしますが)
 もっとも、小島氏の考えの根源には、「市場メカニズムって、そんなに単純なものだろうか、という疑念が今だに払拭できないでいる。」という市場不信があるわけですから、全ては金融政策への信頼の問題に還元されるのかもしれません。(注1)


(注1) この件に関する適切なツッコミが、あります。記事「小野善康「不況のメカニズム ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ」」(『ラスカルの備忘録』様)です。

適切な中央銀行が量的緩和や低金利政策へのコミットメントを行っても、(流動性プレミアムは低下せず、)民間投資は拡大しないとする点。その背景には、流動性はいくら増えても飽和することはないとの見方と、期待の効果への軽視がある。期待を重視する立場からすると、公共事業は非自発的失業がある中にあっても将来の増税に対する懸念からその効果は小さく、マクロ経済政策は金融政策が中心となる。

 批判点は、①小野先生、市民諸君はどんだけ流動性への期待をもってるんですか、持ちすぎでしょ、さすがに投資に回るって、②公共事業やっても、みんなあとで「増税」になって帰ってくるって思っちゃうでしょ、金融政策にしときなよ、という二点です。
 ②については、既に、前回(1)で似たことをこちらも書いています。で、①ですが、確かに小野先生の想定だと、市民諸君はいったいどんな世の中を生きているんでしょうか。ちと非現実的です。
 貯蓄の理由・原因はもちろん、「決断の留保」という甘い毒のためだけではありません。失業への恐れ、健康への不安、将来の養育費、老後の心配、そういったものも関係します。こういったところを最低限度は社会全体で保障する、そうすれば流動性プレミアムは低下するでしょ。雇用増大もいいけど、こういうところも、よろしくおねがいします。
 以上、リフレ政策成功には、実は社会保障も重要かもしれない、という話でした。
 

 (追記) つーか、社会保障と雇用とによる支えあいというのが非常に重要なのです。雇用は、諸々の社会保障制度によって補完される一方、社会保障は、雇用を背景とする税金によって支えられるのですから。というわけで、この手の議論では、宮本太郎『生活保障 排除しない社会へ』が、絶対に必読でしょうね。
以上、2010/8/14 追記

「よい」公共事業の話、そして金融政策との連係プレイ 小島寛之『容疑者ケインズ』(1)

 もうすぐ八月です。まあ、月日とは関係なく、小島寛之『容疑者ケインズ』など読んでみるとしましょう。おさらいということで。

■乗数効果と、「よい」公共事業■ 

(引用者注:小野善康の論文をまとめて曰く、) 政府が税金から二兆円を使って公共事業を行っても、国全体の生産物は二兆円分増えるわけではなく、作られた公共物の実質的価値が半分の一兆円なら、一兆円分しか増えない (39、40頁)

 このごろ流行の小野先生の話です。いってるのは、乗数効果の否定ですね。そして、公共事業の効果が限定的であることを述べています。
 著者である小島氏の意見では、「政府が公共事業を行う場合は、総生産に加わる価値はその公共事業が追加した価値ただそれだけであり、ほかはびた一文ない。」「国民の所得は一切増えず、増加しているのは公共部門の作った公共物のモノとしての価値(これは私人のものではない)だけなのである。」だそうです(小島寛之「乗数効果なんて、幻なんだってば」)。
 公共事業は基本的に、国民の所得は一切増えず、ただ、公共物の価値だけ増える、と。これによって、「「景気対策」としての財政政策の価値は、いまや完全に否定されてしまったといっても過言ではないだろう」とおっしゃってます。
 批判する内容は、要するに、【公共事業によって、総生産と国民所得の額面だけは増えるだろうけど、結局国民の税金を国民に戻しただけであって、あくまで額面上のこと。その公共事業で出来たものの価値を除けば、ただ金を動かしただけでしょ】というもの。
 まああくまでも、「内容を問わない公共事業」を否定しているのであって、「所得増加が生じるなら財政政策の意義もある」ので、そこは肯定しているわけですね。小野が、一定条件付で、公共事業を肯定しているのは、このためです。
 そして、彼の【限定的公共事業論】が批判される点は、誰が内容ある公共事業を選べるのか、という点です。そんなもん官僚に選べるわけねぇだろ、というのが批判者たちの言い分です。まあ、この批判は間違えではないでしょうね。(注1)

■公共事業(財政政策)には、金融政策がセットです■
 ちなみに、乗数効果及びそれを背景とする公共事業において、指摘される問題としては、次のものもあります(「乗数効果 - Wikipedia」)。
 「国際的な取引を考えない閉鎖経済では需要の拡大はそのまま国内生産の増加に繋がるが、国際貿易を考慮すると国内需要の増加分の一部は輸入の増加となって海外に流出してしまう。」「金融緩和を伴わない財政政策の発動により、金利の上昇をまねくことがある(クラウディングアウト)。金利上昇が設備投資の抑制要因となるほか、金利上昇は自国為替レートの上昇(日本で言えば円高)を招き、輸入の増加による国内需要の流出、輸出の減少による外国向け需要の低下から乗数効果を打ち消す働きをする。」などです。
 要するに、①公共事業で国内需要を増加させても、一部は輸入増加になって消えちゃうし、②金融緩和をして、金利上昇を抑制しないと、金利上昇が国内設備抑制につながって相殺されてしまう、③さらに、金利増加は、円高につながるから、輸入が減少して、やはり相殺されちゃう、ということですね。特に、②と③は深刻です。
 財政政策と金融政策はセットで考えるべきだ、ということです。金融政策を、馬鹿にしちゃあいけません。この点を指摘した簡易な本として、暗黒卿こと高橋洋一『霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」』を挙げておきましょう。(注2)

 次回は、小野先生とリフレ政策の関係について、何か書きます。たぶん。


(注1) 本件に関しては、「菅直人首相とその経済ブレーン小野善康・大阪大学教授との考えかたの違い」(『極東ブログ』様)が重要。曰く、「菅直人首相とその経済ブレーン小野善康・大阪大学教授との見解の違いは明確になった。小野氏の主張の根幹は、3点である。(1)重要な問題はデフレ解消・雇用創出である、(2)そのための消費税導入は急がなければならない、(3)消費税より所得税が好ましい。」
 確かに、景気対策を重視するなら、金をなかなか使ってくれない(はずの)高所得者層の方に、負担を求めるべきだというのは、正しいでしょうね。

(注2) 暗黒卿は、同書で、公共事業をやるなら慎重に、ベネフィットがコストの3倍以上の場合のみやる必要がある、と述べています。まあ、最初の計画なんて当てにできないからですね。
 なお、「やはりワカらん。なぜ経済学では互いに相容れない主張が乱立するのか」(『kojitakenの日記』様)という記事で、興味深い指摘。
 曰く、「金融政策抜きで再分配しようとすると財源無くて絵に描いた餅」とも書かれているが、「みんなの党」流の「小さな政府」路線において、金融政策だけで再分配の原資となる税収を確保して再分配を実施することができるのだろうか。」
 インタゲ政策も、国民・企業にインフレの期待を抱かせる、という不確定なハードルがあるため、飯田先生は慎重なんでしょうかね。まあ、リフレ派の中には、金融政策だけでなく、財政政策とのセットプレイを唱える方たちもいらっしゃいますね。で、その際、財政政策だけでなく、金融政策も必要になります。少なくともそういう意味でなら、金融政策抜きでは、財源稼げません。まあ、無理やりですが、こういう解釈も可能です。


 (追記) 「セットプレイ」というのは、サッカーにおけるフリーキックとか、そういう名前であったことを忘れておりました。ですので、「連係プレイ」に題名を変更します。<(_ _)>

リフレ政策が「【世界の】常識」であるということ  【短評】

熱帯夜に、「アンチ・リフレ派」をからかってみる -「上手い話」じゃなくて「常識」です-」の続きです。

 リフレ派の主張って言うのは、「上手い話」じゃなくて、いわば「常識」なのです。プロトタイプな「アンチ・リフレ」発言する人というのは、「常識」のない人たちだから、「上手い話」と「今すべきこと」の違いがつかないんでしょうな。(━_━)ゝ

 前回、そう述べました。しかし、この「常識」という言葉に反発した方もおられると思います。「世界の常識」の方が、より適切だったかも。やはり言い過ぎたような気もしますが、ちょっと言い訳してみましょう。

 「常識」とは、『日本大百科全書(小学館)』曰く、

ある社会のある時期において、一般の人々がとくに反省することなく当然のこととして共通に認めている意見や判断のことであり、その社会の歴史のなかから自然に形成される。したがって常識というとき、なんらかの立場や方法論を前提し、しかもそれを自覚して成立する判断であるところの学問的な知識と、しばしば対立させて使われる。

だそうな(出典は、こちら)。重要なのは、無反省に、共有されている意見や判断であることです。
 「無反省」という点が重要です。常識というのは、何かを考える際にまず最初に出てくる判断、です。例えば、「自分の名を先に名乗るのが礼儀だ」というのは、そのほとんどのケースでの正しさにおいて常識ですが、状況によっては、自分の名を後に名乗る必要のある場合もあります。「内線電話の一斉呼出」のケースなどです(出典は、ここ)。
 つまり、常識とは、「その大体のケースの正しさゆえに、まず最初に洗濯される判断」なのです。
 で、リフレ派の提唱する政策というのは、諸国で既に、リフレ政策の中でも、インタゲ政策が実用化されている、という共時性があります。インタゲを採用しない国はありますが、中央銀行が、自分自身の無力を喧伝して、事実上「リフレ政策」を否定するのは、わが国だけでしょうよ。その点では、「大体のケースで正しい」といえるでしょう。この点で、これは十分「世界の常識」です。リフレ政策とは、まず最初に方法として考えるべき事柄なのです。
 もちろん、世界はともかくとしても、日本においてリフレ政策が正しくない(有効でない)という可能性もあります。「世界の常識」でも、現代日本のケースではリフレ政策は有効でない、というのが日銀理論ですね。しかし今回のケースでも、リフレ派の唱える政策は有効である、とこちらは判断しています。詳細な根拠は、既に前回書きました。

 以上から考えると、正確には、リフレ政策は「世界の常識」であるといいなおすべきかもしれません。
 結論。リフレ政策は、「世界の常識」であり、まず検討すべき政策です。そう意味で「常識」です。そんな「常識」を「上手い話」なんていっていると、無駄な骨折り人生になってしまいますよ。

熱帯夜、「アンチ・リフレ派」をからかってみる -「上手い話」じゃなくて「常識」です- (追記あり)

 以前、リフレ派に対する反論などに対して、反批判(の紹介)を行いました。しかし、世の中には、まだまだ「アンチ・リフレ派」がいらっしゃるようです。典型的(プロトタイプ)な反論が寄せられている様なので、本の紹介なども含めて、書いてみようと思います。これです。

この本を読んで単純に信じてしまう人は、「なぜ学会で誰も発表しないのだろう?」と考えてみれば良い。

 岩田規久男編,『昭和恐慌の研究』って知ってますかね。この本を知らずに、学会云々をおっしゃっているのでしょうか。まさか。リフレ派をDisる前に、学会の探し方を勉強した方がいいかもしれません。

そんなに簡単で効果テキメンで素晴らしい金融政策があるのなら、とっくの昔に行われている筈だし、そもそもデフレにも不景気にもならない。

 「簡単で効果テキメンで素晴らしい金融政策」を出来る環境にあってもやらない奇怪な国こそ、我が日本国なのですね。世界の七不思議に、そろそろ入るはずです。
 そんな不可解な国の中央銀行を批判した書物として、上念氏の続刊『「日銀貴族」が国を滅ぼす』や、岩田先生の『日本銀行は信用できるか』があります。前者はさておいて、後者は絶対必読です。そもそも、リフレ政策自体、「とっくの昔に」高橋是清がやってるんですよね(というのが、上念本にも書いてあるはずなのですが)。

この本の読者には若い人が多いのだろうが、このリフレ論争は今から10年ほど前に散々議論されてリフレ派が負けて終わった話である。

 いくら年だからといって、自分に都合のいいように記憶を改変して、若者をたぶらかしてはいけません。
 おっしゃっているのは、たぶん、2003年の景気回復のときのお話でしょうな。この事態を見て、「リフレ派の予想はずれたー」とか考えておられるんですかね。
 とりあえず聞くけど、竹森俊平先生のことはご存知ですかね。かれのWikipediaの頁を見て分るように、「この景気回復は、政府・日銀の協力で円高阻止のための大幅な非不胎化介入が行われたことにより市場にマネーが供給され事実上のリフレ政策が行われたため」と考えるべきでしょう。
 岩田先生もこれと同じことを、いっていたはずです。(まあ岩田先生の場合、小泉改革のよかった所は「なにもしなかったこと」、銀行を潰すシバキアゲをせずに、米国との貿易の恩恵を享受したことである、というふうに『日本経済にいま何が起きているのか』で、いっていたような。) (注1)
 リフレ派から、一応反論はしているのです(これが正しいというのがこちらの判断)。それを終わった話にするのは、いくら年だからといって、老け込みすぎです。いくつになっても、聞く耳を持つことは大切です。ご自愛を。

金融のプロからはマトモに相手にもされていないし、真っ当な経済学者は「また始まったか」とウンザリしている。

 そもそも、貴方の指す「金融のプロ」というのは、マトモじゃないのでしょうね。そして、貴方の指す「真っ当な経済学者」には、いつもウンザリさせられます。前者で典型的なのは、藤沢数希「勝間さんのインフレ政策を実行するとどうなるのか」とかでしょうが。既にマトモな反論は出ています(注2)。後者は、池田ナントカさんでしょうね。まあ、これを見ればいいんじゃないでしょうか。

デフレは社会構造や国際環境の変化の結果であって、原因ではない。胃腸が弱って痩せている人に「痩せるのは良くない」と無理やり大量の食事を与えても、却って健康状態を悪化させてしまう。痩せているのは胃腸が弱った結果であって原因ではないからだ。

 なんとまあ、プロトタイプな反論。レトリックというのは、きちんと使いましょうね。リフレ派の主張って、貴方のレトリックを正確に用いるなら、「胃腸の【病気】で弱って痩せている人に、【胃腸の手術に耐えられるだけの体力を付けさせるために】食べやすい食事を与える」というのが正解ですな。
 つーか、リフレ派の見解だと、リフレ政策なしで「社会構造や国際環境の変化」の対応をしようとする人たちは、【胃腸の病気で弱っている人間に、真冬に暖も取らせず、栄養も不十分な状態で、手術しようとしている】、というふうに例えられましょう。

痩せているのは胃腸が弱った結果であって原因ではないからだ。

 「胃腸を直す」ことに反対するリフレ派は、いないんじゃないかな。むしろ推進派が多数派のはず。単に、手術に耐えるためには、体力必要でしょうよ、という話ですね。とりあえず、岩田先生の『「小さな政府」を問いなおす』を読んでみましょうね。

 最後に一言。リフレ派の主張って言うのは、「上手い話」じゃなくて、いわば「常識」なのです。プロトタイプな「アンチ・リフレ」発言をしちゃう人というのは、「常識」のない人たちだから、「上手い話」と「今すべきこと」の違いがつかないんでしょうな。(━_━)ゝ

 比較的マトモな反論として

インフレ期待がマイナスになり、実質金利が高止まりしている場合には、名目金利のコントロールにはもちろんゼロ%という限界があるが、(速水日銀総裁時代の市場状況を思い出して欲しい)その状況下で、日銀による資金供給政策でインフレを起こせるかは疑わしい。正直国の借金は最終的にチャラに出来ると説く筆者ならば、財政政策としての景気浮揚政策をきちんと行なった方がよっぽどインフレ期待を持たせる政策として、十分だと思う。

 というのがあるそうな(引用元は、ググって探してください)。
 最低限指摘すべき点として、①重要なことは、中央銀行(及び、財務省)がデフレ是正に向けて、2%前後のインフレ目標に沿って政策を行うことを、マーケットに明確に約束すること(目標は行政府が、手段は中央銀行が決めること)、②その上で、高橋是清のような「日銀の直接引き受け」という方法等をも検討すること、③リフレ派の中にも、初動的には、財政政策も用いることを提言する人(例えば、クルーグマン氏ら)がいること、の三つかな。(注2) これぐらいの反論なら、まあいいと思います。


(注1) 2001年以降の量的緩和政策に対する、リフレ派の総意は、「消費者物価指数の前年比上昇率が0%以上」じゃ足りない、2パーセント以上にしなさいよ、というものになるでしょう。
(注2) 詳細は、拙稿岩田規久男『日本銀行は信用できるか』(1)~(3)をご参照ください。


(追記)

本件について田中氏の言動に問題があると感じているブログやツイッターをやっている方々は、田中氏やbewaad氏の政策的立場への賛否に係らず、はっきりとその旨を表明することが、第二のbewaad氏を生まない最善の道だろう。

との提起がありました(「続・最近の田中秀臣氏の言動について」『研究メモ』様)。
 じゃあ、応答しましょう。まず、こちらがリフレ派の主張に傾倒するきっかけは、田中氏のある著作でした。ただ別に、彼の本を読んでリフレ政策自体に興味を持ったのではなく、経済学で「遊べる」人がいるのだと知って、そこから興味を持ちはじめたのが実情です。以降、その他の優れたリフレ派の人々の著作を読み、リフレ派の主張に傾倒していった次第です(宮崎哲弥のリフレ派「転向」を知ったことが、大きかったと思います。素人なので、属人的であることは否めません)。
 本題ですが、こちらも、「田中氏の言動に問題があると感じて」います。例えば、非実在青少年問題のときの、彼の主張の語調には違和感を持ちましたし、以降の言動に悪しき高踏性が見られたのも事実です。また、そのような振舞いが、例えば同じ「リフレ派」に括られるだろう飯田泰之氏のブログには無いことを、改めてここで強調したいと思います。
 本件の問題点は既に指摘されているように、

メリットがなくても、デメリットがあっても堂々と実名でやるんだという人々が匿名ブロガーの匿名性を批判するのならばわかるが(度胸がなくて日和見ですみませんというしかない)、実名ブロガーであることによって日々社会的・金銭的利益を享受している人々が、実名にしたところで何の利益もない匿名ブロガーの匿名性を批判したり揶揄するのは滑稽というほかない。

という点に尽きるでしょう(「最近の田中秀臣氏の言動について」『研究メモ』様)。
 今後のリフレ派の行うべきは、彼以外にもリフレ政策(インタゲ政策などを含む)を支持している人物がいることを思い起こし、他者が知らなければ教えてあげることに尽きるでしょう。きちんと自分の頭で考える、ということが第一に必要なのは、まあ当然のことですが。
 今回の件をきっかけに、リフレ政策に失望者が出るようなことがないよう、最大限努めるべきでしょう。bewaad氏も、自身の事件をきっかけにリフレ政策が不当に貶められるようなことは、望まないでしょう。

 ちなみに田中氏以外で、リフレ政策(インタゲ政策)を支持している人物とはだれか。優れた紹介記事として、田中秀臣「リフレ派経済学MAP」(『ビジスタニュース』様)を紹介させていただきます。(-_-;)


(補遺1) 「常識」云々書きましたが、結局こちらが言いたいのは、リフレ政策論というのは、ボクシングで言うなら"赤コーナー"だということです。赤コーナーなのですが、観客には不評なのです。リフレ政策というのは実は手堅いボクシングをやる選手なのですが、なぜか人気がない、みたいな構図です。ボクシングじゃないけど、4連覇した頃のアーネスト・ホーストみたいな。

以上、2010/7/29 一部修正・追記
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