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「士大夫」という非ナショナリズム性、そして他者から「見られる」ことから生まれたナショナリズム -ついでに『敗戦後論』について少し- 齋藤希史『漢文スタイル』(中編)

 齋藤希史『漢文スタイル』を再び読む。



 なぜ、著者は、「漢文脈」にこだわるのか(「漢文脈」って何?ってひとはググってね)。

 幕末・明治期の人、竹添井井『桟雲峡雨日記』(中国・蜀地方に滞在していた時の日記)に言及して著者は言う。
 彼の記述の中には、「日本ではこうなのに中国ではこうだ式の文化論はない」、と。

 士大夫に国境はないのである。 (136頁)

 もしかしたら、著者は、国家という近代的な枠組みを相対化するものとして、漢文脈を考えているのではないか。
 おそらく、それは正解だろう。
 もちろん、漢文脈には、身分格差といった限界があるかもしれないけれど、一方で、"越境"という可能性も残す。
 そういった可能性が、この「漢文脈」には賭けられている。



 対する、後の世代に当たる森田思軒の訪中記事「訪事日録」の場合、日中という違いはアタリマエのものとなっている。
 彼の場合、「漢文」の伝統を離れた代わりに、現地での「実感」に頼り過ぎている嫌いがある(141頁)。
 彼の書きぶりに、「あらかじめ「支那人」を評価づけようとする視線」が読み取れる。
 隠された"上から目線"なのだ。

 
 森田は、「訪事日録」を新聞の連載記事として書いた。
 ここにあるのは、新聞記事の「事実を伝えるように見せることで、それが依拠する枠組みを強化する言説」であり、「枠組みを隠蔽した現場の印象としての事実」だろう(143頁)。
 要するに、あらかじめ自分が持っている先入観を隠し、自分が最初から主張したい結論をも隠して、現場での「実感」を意識的・無意識的に取捨選択し、これを恰も中立・公平であるかのように書き記す、あの方法だ。
 本当の「実感」なら、何らかの枠組みなしでは不安定になってしまうし、むしろその不安定さがリアリティを保証したりするのだけど、報道と言う仕組みがそれを許さないのだ(森達也の本を読んだことのある人なら、納得してくれよう)。



 鴎外ら歴代の渡欧者を見て、著者は言う。

 近代日本の自意識は、国内において集団的に醸成された自意識であるというよりは、こうして、海外に滞在した留学生たちによって形成された自意識が国内に還流し、反復強化されたものであると言えるのではないか (152頁)

 「近代の」と言う限定つきならば、その意見は正しいように思う。

 幕末以前の場合、清朝(中国)と本朝(日本)という枠組みで強化され、自分達の独自性を誇ることで成立したものが、前近代の「自意識」と言えるだろうと思う。
 つまり、自他を比較するという"見る立場"としてのみ自己を保持するような、自意識と言える。

 しかしこの自意識は、徐々に、近代日本の自意識へと成り代わっていくことになる。
 例えば、留学生だった鴎外や漱石の場合、彼らは(西欧という優位者によって)「見られる存在」となった。
 すなわち、外から「日本人」として見られる存在になることによって、「日本人」としての自分を身に付けていく。

 見られる存在としての自分を発見し、その視線を内面化していく経験、これは著者も言うように、幕末の渡欧者には見られず、近代の留学生たちに見られるものだと言える。
 (もちろん、この「日本人として他者に見られる経験」というのは、幕末期から潜在的にあったものであろうし、それが近代になって顕在化したという見方が正しいとは思う。) 



 そういえば。
 昔、『敗戦後論』論争と言うのがあって、そのとき丹生谷貴志は、個々の日本人は、国内的には日本人なんていう自意識はないかもしれないけど、海外から見たら有無を言わさず日本人だろう、という非対称性について、重要な指摘を行っていた(と記憶している)
 我々はまず、他者(日本人以外)に対して日本人であって、少なくとも、それを忘れた議論などナンセンスだろう、と思う。
 だから、『敗戦後論』の「他の国では左派でも右派でもそれぞれが全体の代表としてふるまうことが可能なのに、日本では左派と右派は議論が不可能で、人格が分裂したジキルとハイド状態にある」、「この統合失調状態を解消する処方箋として筆者が提案するのは、まず国内の戦死者を汚れたものとして追悼することだ」という風に要約出来るこの議論(こちらの記事を参照した)は、その重大な瑕疵を持っていると言える。
 もし「統合失調」を解消したいんだった、やるべきことは、国内のねじれの解消云々というより、自分たちを統合する「他者の視線」を意識することにあるんだからねえ。

 また機会があったら、これについて、何かを書いてみたい(丹生谷が述べたことを、正確に覚えていない自分が恨めしい orz)。

「正解はひとつじゃない」、という漢詩の訓読に対する教訓 -あと、謝霊運について少し- 齋藤希史『漢文スタイル』(前編)

 齋藤希史『漢文スタイル』を読む。
 記事の中に、重複する箇所がいくつもあるけど、それを差し引いても実に面白い。



 中国における隠者たち、隠遁して政治の舞台から隠れて生きる人々。
 陶淵明とか、想像するとわかりやすいと思う。

 この隠者たちは、前代の隠者の伝記を読んで、それに注を施したりしている。
 つまり、書物によって、隠者は再生産されているのだ
(19頁)。

 隠者の伝記を読み、それをなぞった文章を書き、実際に隠者の生活を選ぶ。
 陶淵明の「五柳先生伝」がいささか諧謔みを交えて書かれているのは、そのためだったりする。

 実に面白い指摘。
 人は、隠者を真似て、隠者になるのね。



 謝霊運の場合、詩によって美を見出すだけでなく、山水に手を加え、更なる美を実現することに躊躇しなかった(43頁)。
 別荘や庭園の造築に熱心で、数百人の従者を連れて木を切り倒しまくったらしい。
 土木干拓事業も行った。
 「山水詩」の祖は、こんな人でもあった。
 自分でめでる風景を大規模につくちゃったわけかw



 六朝時代は、詩文が詩文としての価値を確立した時代だった。
 逆にいうと、詩文が政治の外に放り出された時代でもある。
 謝霊運は、政治から放り出され詩作に注力するしかなかった。

 ただ謝霊運は名門の出で、その才能もあって、プライドが高かった。
 その才能を驕る面もあった。
 謝霊運には北征と中原の回復を悲願とする政治的理念があり、それは、江南にいる現状のままでよいと考える当時の政界では、異端的だった。
 名門での天才ゆえに傲慢、ゆえに疎まれる、その典型的な人が、謝霊運だった。
 
 あ、ちなみにイケメンだったそうです。



 直読と訓読という問題。
 荻生徂徠は、この二つを対立的に取り上げてしまった(106頁)。
 別に、二つ両方やればええやん、と著者はおっしゃっておられる。


 なのに徂徠先生は、漢文を「他者(中国)の言語」として規定してしまい、自他の境界を言葉の中に作ってしまう結果を招いた。
 徂徠先生の罪は重くね?というのが著者の仰せになる所だ。



 っていうか、訓読をするってのは、一回ごとに更新される読みの行為であって、与えられた読み下しを読むことじゃない(109頁)。
 つまり、訓読っていうのはあくまで訳読なわけだから、読み下しは何通りもあるはず。
 たまたま書き留められた読み下しは、いくつもある読みの可能性の一つに過ぎない。
 なのに、近世後期以降、教育の手段として広まった素読によって、書き留められた読み下しの記号に、訓読が縛られ、だんだん狭められて規定されてしまった
ってワケだ。

 確かに、訓読の音声が日本語を豊かにしただろうし、語彙だって増えただろう。
 でも、それは、訓読の持つ可能性とはまた別のことだ(111頁)。



 ちなみに。
 著者が韓国で購入した漢詩選は、横書きのものだったらしいけど、注も最小限で、訳文も鑑賞もなかったらしい。
 それでも、「詩を楽しむのに不自由はない」。
 もちろん、自由に楽しく読むためには、訓練が必要だ。
 逆に言うと、自由に、楽しく受容するためにこそ、訓練っていうものの存在価値がある。
 人を自由にするため、楽しませるためじゃない訓練なんて、意味がないんじゃないかな。

 (あと関係ないけど、「働けば自由になる」っていうけど、マトモな雇用があるから自由になれるんだよ。)

詩作ならまず辞書引けとはいうけれど辞書ない時代はどう作ったのよ -なぜ短歌なのか、短歌の何がいいのか- 穂村弘『短歌という爆弾』・雑感

 穂村弘『短歌という爆弾』を読む。
 


 俵万智の歌。

 砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね

 この歌のポイントは、桜貝とかじゃなくて、「飛行機の折れた翼」を選択したことにある(117頁)。
 読者は、自分の体験とかけ離れた一撃を通過することによって、「より普遍的な共感の次元へ運ばれる」。
 (要は、異化されるのね。)

 もちろん、飛行機の折れた翼」っていうのは、本来高く飛行するものが砂に埋められる悲しさだったりする。
 また、二葉で一対だったものが欠けてしまうのだから、二人の関係性を暗示もしている。
 決して突拍子もない歌じゃないのね。

 なるほど、実にいい解説。



 石川啄木の歌。

 ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

 聴きに行っちゃうのかよ、と言うのがポイントですよね。
 これは、通常こう書かれてしまうはず(121頁)。

 停車場の人ごみの中にふと聴きしわがふるさとの訛なつかし

 うーん。普通。
 原作にある「切迫感」が確かに、弱くなってる。

 ほむほむ先生、さすがいいポイントを指摘されている。



 なぜ、ほむほむ先生は、短歌をやるようになったのか。
 曰く、自分の抱える「私」は、「強固な連続体としての他者との間に自然な自明性を共有できない」、と言う理由だったらしい(131頁)。
 そんな自分には、短歌のような自己肯定作用の助けを借りないと、言語による自己表現は不可能だっただろう。
 短歌のこの補強作用は、未来に圧倒され、世界の未知に引き裂かれて分裂する、そんな「私」の自己像を一つにまとめることを許してくれた。

 ばらばらだった「私」をかろうじて一つにまとめてくれたのが、短歌だったってワケだ。
 31音という量的な規定は、跳ね回る過剰な自意識にとって一種の安心感を与える、とも述べる。

 うーむ。短歌に限らず、詩などを書く人って、こういう理由が潜在的にあるのかも。
 

 
 岡村晃作の作。

 「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒に諭す「ロッカーは蹴るな」

 すごい歌だなw
 すごいポイントは、ロッカーは蹴るな、を二回も繰り返すこと。
 最後の「ロッカーは蹴るな」を、「ホームルームにて」とかでも、「教員われは」とかでもなく、「ロッカーは蹴るな」で押す(206頁)。
 確かに、この本気度、マジすげえw
 そんな素晴らしい秀歌。



 その他、本書の中から、いくつか秀歌を。

 プラトンはいかなる奴隷使いしやいかなる声で彼を呼びしや 大滝和子

 すげえ、幾多の平凡な歴史書や歴史小説に勝る歌だ。
 同じく、

 きょう我が口に出したる言葉よりはるかに多く鳩いる駅頭 同

 アタリマエではあるけれど、歌にされてハッとする。
 鳩、とひとくくりに出来てしまう言葉に対して、駅にいる鳩は、無数にいる。
 言葉の持つ(持ってしまう)省略作用、圧縮作用、そういったものに改めて気付かされる。
 おみそれしました。
 (個人的には、比喩を使わない時の大滝さんの歌が好み。なんでだろ。)



 ここで一つ、短歌めいた一文を作ってみましょうw

 詩作ならまず辞書引けとはいうけれど辞書ない時代はどう作ったのよ 

 辞書が詩人を誕生させたのか、いや、辞書誕生以前から、詩人はいたわけだし。
 じゃあ、いつから詩人は辞書を引き始めたのよ。
 まあ、短歌なのに「詩作」って書いちゃった件は、気にしないでください。
 (多分、辞書の誕生と使用は、それまであった詩作サークルの上下関係から、幾分か、詩人を解放したんじゃないかな、とミサカはミサカは想像してみたり)

「歴史小説を書きたいなら優秀な専門家に御指導いただきましょう」的な話 -佐藤亜紀『小説のストラテジー』を読む(後編)-

 三たび、佐藤亜紀『小説のストラテジー』を読む。



 西欧において、回想録はどのような意味を持つか。
 それは自分の事跡を後世の歴史に残すためであり、彼らは日記でさえも、それを目的に綴っている(179頁)。
 回想録と言うのは、見て欲しい自分を描くためのものであり、そのために書く側は丹念に作りこもうとしているわけだ。
 大半のあっちの回想録って、某新聞の「私の履歴書」まんまなのねw




 日本の中間管理職が、「信長秀吉家康小説」(著者は「歴史小説」って言いたくないらしいよw)を読んで朝礼の説教に生かすかわりに、西欧では中間管理職は伝記を読むらしい。
 だが、これは出版される伝記の多くがその程度の「おやじ本」にすぎないという。
 (ツヴァイクなんかは、上澄みの上澄みなんだってさw)。

 んで、日本における「ビジネスエリート」が小説なんかより戦記ものとか一般向け歴史書を読むのと同じようにして、欧州のエリートが読むのが回想録だそうな。

 どこの国も、変わんねえなw
 


 あるヨーロッパ史を扱う小説家は、十年以内に出版された研究書で十分だ、という(184頁)。
 これに作者も感心している。
 著者曰く、「小説の質は調査の量や質とは必ずしも比例しません」。

 まあ、小説家だし、研究者に張り合っても意味ないよね。
 ちなみに大岡昇平の場合、歴史小説を書くときはその道の専門家の意見を仰いだ、って『成城だより』に書いてあった気がする。
 これが一番手っ取り早いw
 


 エドマンド・ウィルソンは、両大戦に対する米国の参戦は不要だったと考えていたらしい(238頁)。
 自力で自由を獲得することもできない者を助けてやる必要はない、というすごく酷い理由だったようだ。
 
 あと、本書にも書かれいるけど、この人のカフカ評価は、やはりおかしい。
 (昔の「内向の世代」批判を思い出した)

 ウィルソンは、マルキストである以前に、「アメリカ人があまりにもアメリカ人であった時代のアメリカ人」だったのではないか、と著者はいう。
 なるほど。
 分かりやすくいうと、「楽天マッチョ」ってことかw

 (なお、Wikipediaのこの人の項目を見ると、もちろん優れたこともやっている人なので、チェックしてみてね。)



 『記憶よ、語れ』というナボコフの「自伝」における、ベルリン時代の"空白"について著者も言及している(242頁)。
 1923年から37年まで、実に14年だが、ナボコフ自身の言及は乏しい。

 ベルリン時代にも、大勢の親族はロシアに残っていた。
 当地ベルリンにしても、GPUがうろうろし、共産党と突撃隊が抗争を繰り返していた。
 当時のナボコフ作品を読む際には、こういった出来事を考慮しないわけにはいかない。


 (実際ナボコフの初期短篇にはGPUがでてくるし、彼の作品の背後にある直視しがたい暗い翳も、こうした社会的背景とともに理解される必要はある。)



 ただし、著者曰く

 作家にとっての最大の恐怖は、作品が何らかの歴史的・政治的文脈の中に押し込まれ、それ以外の詠み方を封じられて、要するに、で語ればそれでお終いにされることであり、そうならないためには個人史などそもそも存在しないことにした方がずっといい、ということになります。 (245頁)

 ナボコフに触れて、そう述べている。
 そりゃそうだろう。
 自分の作品を、個人の生い立ちや、社会や政治の歴史的文脈に還元されちゃ、たまったもんじゃない。
 こっちは、自分の生い立ちとかを分かってもらうためでも、当時の時代背景を理解してもらうためでもなく、作品そのものを読んでもらうために書いてんだからな、って話ですよ。

 「それ以外の詠み方を封じられ」ないために、プルーストはサント・ブーヴに反論した
のだし。
 本書は、そういった軽挙を諌めるために、書かれているはずなのだから。

フィクションという、実にアンチ・プラトン(哲学?)的なもの。あるいは、ミメーシスVSディエゲーシスの問題 -佐藤亜紀『小説のストラテジー』を読む(中編)-

 再び、佐藤亜紀『小説のストラテジー』を読む。



 著者曰く、必然性のない店の名前や商標は、小説の古典的な技法では確かに避けるべきものだとされているけど、もし、小説の中でお茶をするのにスタバでもケンタでもなくドトールに行く必然性が、読み手にもはっきり感じられるなら、ちゃんとドトールと書くべきだ、と(105頁)。
 必然性とは例えば、地理的な位置とか、客筋とか、その雰囲気とか、になるらしい。

 この必然性というものを、著者は強く問うている。
 実に正統派な意見ですな。
 そういや、ポーの詩論も、こういった「必然性」を重視していましたよね(自作・『大鴉』を用いて。)

 ドトールの場合チェーン店だから、地理的な位置というのは難しいかもしれない。
 客筋と言うのも、難しいし、雰囲気ともなると・・・どうなんだろ。
 ケンタッキーとかだと、鶏肉を食べさせる店なのだから、その食べ方によって人物の性格や特徴を引き出すことが出来るかもしれないけれど。
 (コールスローを頼むか頼まないか、というのでも人物の特徴は出るだろうしw)

 ドトールの場合は、ドトールにすべきかスタバにすべきかっていう選択で登場人物を迷わせることで、物語を動かすのが一番かも。
 (まあ、タリーズをどうするかはご自由にw)



 プラトンは、フィクションと言うものの本質と、「危険」を良く知っていた(132,133頁)。
 
 フィクションの読み手は、「真」が「偽」と対決し、「偽」を倒すまでの遅延において興る運動を堪能する。
 そこでは、「真」の勝利に至るまでの運動そのもの、そして、運動に伴う振幅や対立や葛藤が重要である。
 そのためになら、究極的に、「真」がどうでもいいとさえいえる
(127頁)。
 (なお、フィクションにおける「運動」ということについては、ヒッチコックの映画とマクガフィンを想起せよつまり、運動が目的であって、マクガフィンの中身なんてどーでもいいのよ)

 以上の点を、プラトンは良く知っていた。
 だからこそ危機も感じていた。
 「真」をないがしろにされちゃ、プラトンとしては困るからだ。

 プラトンの考える「真」(イデア)を中心とした社会の理想的あり方は、フィクションのあり方と対立している。
 
 逆に言うなら、プラトンが理想としない社会こそ、フィクションにとって最適の土壌だとも言える。
 近代小説がポリフォニックだと述べたバフチンは、近代小説が本質的に民主的だと主張したが(134頁)、まさにその通り
だろう。
 


 バフチンの小説観からすれば、日本の小説の殆どは、詩、とくに抒情詩になる、と思う。

 見たまま感じたままを、余計な知恵に汚染されない自分の言葉で書くこと、というのが、まさに、バフチンの言う詩(叙情詩)の定義になる(147頁)。
 バフチン的には、まったく新しい事柄を、まったく新しい書き方で書くということは、詩(抒情詩)の本分であり、小説の本分ではない。

 とすれば、日本近代文学の歴史の主流は、抒情詩の歴史になってしまうかもしれない。
 志賀直哉も、三島由紀夫も、川端康成も、たぶん、抒情詩のジャンルに入ってしまうだろう。


 そこからずれるとすれば、夏目漱石(『猫』や『明暗』)や、大江健三郎(作者自身と相反する人物を描く時のあの不思議な輝き、そして言葉の語りと内容のの猥雑さ)であり、ことによったら大西巨人(インテリ風味だが、『神聖喜劇』はポリフォニーではないかな)が挙げられるだろうと思う。



 著者は、ヴォルテール『カンディード』こそ、描写より説明を重視する、ということが悪弊にならない事例だと言う(168頁)。
 説明重視で、描写を省き、紋切り型を用い、飛躍が頻出し、人は沢山死んで沢山殺されてと、すごい速い速度で展開されるこのフィクション。
 立体性を失い影絵の人形のように平板で軽い人物たち
は、近代小説におけるお約束(描写を重視し、立体性・具体性を満たせというお約束)に反している。

 しかし、ヴォルテールがそのように書いたのは、「ヴォルテールがリスボンの大地震とそれに続く津波の被害で痛感した人間の生存の根本的な条件」が背景にあった。
 著者は、描写を説明より重視できたのは、まだ全ての人間が立体的で具体的なものであることを妨げられなかった幸福な時代の話ではないか、という。


 「六千人とか六百万人とか二千万人とかの規模の事故を経験した後で、自分を十全で立体的な人間だと考えるのは、ひどく困難なことです。」(221頁)

 著者は、本書全体を通して何だか、ミメーシス(描写)よりも、ディエゲーシス(説明)に軍配を上げている気配がある。
 ただし、それは「全ての人間が立体的で具体的なものであることを妨げられなかった幸福」を背景とするミメーシスであって、例えばクロード・シモンのような、具体性が却って立体性を壊してしまうようなミメーシス(描写)ならば、おそらく認めるだろうとも思う。

確かに、ドストエフスキー作品は、インテリ文学じゃなくて、メロドラマそのものですよね。 -佐藤亜紀『小説のストラテジー』(前編)-

 佐藤亜紀『小説のストラテジー』を詠む。
 深層の「意味」の誘惑を拒み、あくまでも表層にとどまり溺死せよ、とのテーゼは、とっても正統派(24頁)。
 何だか、蓮實重彦に近い気がする。



 オスカー・ワイルドは、批評家の意見が一致しない時、作家は自分自身と一致している、と言いました (25頁)

 著者曰く、もし書き手が「表現としての可能性を汲み尽くそう」という本能に忠実なら、受け手の解釈も価値判断も多様化して当然、と。
 実は、審美的判断の不一致は、むしろ「美」の条件そのものだと言うわけだ。

 判断の食い違いから、作品を評価することの面白さがある。
 この著者の考えは実に全うと言わざるを得ない。

 そう意味で言うなら、審美的判断っていうのは、"民主主義的"と言えるのかもしれない(詳細は次回を参照)。
 


 著者曰く、ドストエフスキー作品は間違いなくメロドラマであり、彼は、金と権力とセックスの三つ(メロドラマの必須アイテム)をほぼ丸ごと採用した上、人間が同じくらい必死になり残酷になり時に殺人さえ引き起こす要素、すなわち「思想」を持ち込んだ、という(67頁)。
 なるほど、登場人物の理性と平常心を奪い、感情を駆り立てるにはもってこいのものばっかりですな。

 ドストエフスキーはインテリの書物と言うより、たしかにメロドラマ(オペラを想起せよ)ですよね。
 まあ、ドストエフスキーの作品って、新聞掲載ものばっかりだったから、考えてみれば当然ですなあ。



 聖母の処女性に疑念が呈されるのを聞いたバルベー・ドールヴィイ曰く「私の前で御婦人を侮辱することは絶対に許さん」 (70頁)

 ナイスボケw



 ナボコフ曰く、ドストエフスキーが一流作家じゃない理由として、①描写を殆どしない、②下卑た騒々しさ、③どぎつい効果を挙げるために正気ではない人物を登場させたがる、と。
 だが、著者に言わせると、ドストエフスキーは全て承知の上でこうした書き方を選んだと言う(77頁)。
 「騒々しさ」は、ポリフォニー(「思想」や「信仰」の劇的な対立)を響かせるためのものだし、描写の少なさは、記述の速度を読者が眩暈を覚えるくらいに上げるためのもので、正気ではない人物を登場させるのも、メロドラマの構成上の要請によるものだ、と。
 著者は、ドストエフスキーを、「遅れてきたロマン派」と呼んでいる。
 (こういうのを見ると、"バロック的"だなあという感想を抱いたけど、あってるかな?)

 それにしても、ナボコフとドストエフスキー両方を擁護する人って、結構珍しい気がする。



 『悪霊』は、当初極悪非道の大悪人が改心して英雄的な善行を行う、というストーリーを予定していたのに、最終的に、ああいう小説になった。
 何故か?

 実態のない革命の代行者(自称)が、薄っぺらい革命思想の蔓延する共同体を躍らせ、大混乱を引き起こす、という、この『悪霊』のあらすじ。
 実は、ゴーゴリ『検察官』そのままだ。(『検察官』の場合、ある男が大権を持つ「検察官」に間違えられ、共同体に大混乱を引き起こすお話。)

 実際、ドストエフスキーは、『悪霊』の準備ノートに、フルスターコフという名前を書きとめているから、彼がゴーゴリ『検察官』を意識していたことは間違いない。
 その結果、"極悪非道の大悪人の善行"というメロドラマ的展開は、『検察官』に引っ張られて、話の流れが大きく変わってしまい、

 イデオロギーで仕切られた退屈な修身小説の代りに我々の手元に残ったのは、物語に引き摺られて収拾が付かなくなった作者の悲鳴なぞ聞こえないくらい混沌として複雑な、残酷さと滑稽さを綯い交ぜにして絶望へと転がり落ちて行く、グランギニョール趣味のジェットコースター小説

になったのだった(90頁)。

 ゴーゴリの『外套』から出て来たと自負するドストエフスキーだけど、ここにもゴーゴリの影響が
 ゴーゴリ、やっぱりすごいわw

短歌などまるで詠む気は無いけれど「尾崎かまち」は自殺ですよね -枡野浩一『かんたん短歌の作り方』を読む-

 枡野浩一『かんたん短歌の作り方』を読む。
 一見不真面目な著者だが、実は歌への姿勢は真摯であり、真面目。



 句読点をつけると、どんな退屈な言葉だって一見意味ありげに見えちゃうんです。それは危険なワナ。記号なんか全部捨てても通用するような強い言葉を構築しましょう。 (79頁)

 小細工なしの真っ向勝負を本道とする、実に正統派な姿勢。
 いっそ作家の皆さんはこの姿勢を見習って句読点なし改行なしの文章を一度でいいから綴ってみてはいかがでしょうか実際近いものとしては大谷崎『春琴抄』があるのですし出来ないことはないのだと思いますよブログ主はもちろんそんな無謀なことはしないですけどね



 先立ったわが子の遺書を売る親よ尾崎かまちは自殺じゃないか (109頁)

 著者の歌。
 言うまでもなくここでいう「尾崎かまち」は架空の人物だが、なぜか問題が発生したらしい。
 さて、なんでなんでしょうね?



 文章は、お互いに意見の合う人にだけ読んでもらえばいいというものではありません。むしろ、自分とは相いれない、大嫌いな人にこそ読んでもらうべきなんです。 (174頁)

 なるほど。ごもっとも。
 パブロ・ネルーダの「ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌」はそれにあてはまるだろう。(是非ご一読を)
 相いれない二人、大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』とそれに対する蓮實重彦による書評(レスポンス)もまた、あてはまる。
 無論著者は、相いれない短歌観をもつ(はずの)岡井隆に読んでもらうべく、詠んでおられるはず。(ちなみに、2004年に、二人は対談してたらしい。すごいなあw)



 野茂投手のことは嫌いではありませんが、野茂投手の活躍を遠くから見ているだけのくせして、まるで自分が野茂であるかのように得意になってしまう人々のことが大嫌いです。 174頁

 ニッポソ国あるあるですなw
 野茂投手のことは良くしゃべるくせに、口にするのは彼の成績やチームの順位くらいで、チームメイトとかのことはろくに口にしない奴とか、いったい何なんでしょうねw
 特に、オリンピックやワールドカップの時期になると、こういう輩が増殖しますなあ。

 (なお、その心情を詠んだ歌については、本書をお読みください。)

やっぱり、物語よりも、細部に対する記憶(執着)を選びたい。 -大塚英志『物語の体操』を読んで-

 『物語の体操』を読む。

 物語を作る気などさらさらないのに、何故か読む。
 物語など、いくらでも跡付け捏造すればいいじゃない、などと愚かなことを考えてしまう性分だがw
 気になった所だけ。



 小説を書くとき、登場人物を一度、絵にしておくと何かと便利だよ、と著者はいう(98頁)。
 
 確かに、記憶力が良い人でない限り、こうしたほうがずっといい。
 登場人物どころか、場所や舞台設定も含めて、全て、絵にした方がいい、とも思う。

 ところで、自作への挿絵を拒否し続けた作家フローベール(初代・アンチラノベw)だが、彼はこういったスケッチを残していないはずなので、彼なんかは、よほど記憶力がよかったんだろうなあ。
 彼の場合、推敲がハンパなかったのだがw

 (なお、ナボコフ『ヨーロッパ文学講義』は、よき読者の要件として、記憶力がよいことを挙げている。



 村上龍は、一つの素材を常に、小説と映画という異なる領域で商品化することを自分に課してきた、と著者は言う(136頁)。
 だから、そういう意味では、コミックやジュニアノベルズの世界では脅威なのだ、と。 
 
 まあ、もっとも日本における大衆文学じしんが、すでにそういった傾向を持っていたような気もする。
 蓮實重彦『随想』は、川口松太郎の「鶴八鶴次郎」を、ポストモダンの先駆じゃないのかい、と指摘しているが、まさに、ここで指摘される村上龍の振舞いは、その系統に連なるものではないか。
 川口は、映画化狙いで書いていたわけだし。
 
 純文学だけが、文学じゃあない。
 念の為。



 小説修行の手段として、映像作品を文章化(つまりノベライズ)することの有効性を著者は述べている(181頁)。
 おっしゃる通りと思われる。

 著者曰く、小説修行としてよく「有名作家の小説を筆写していくといい」という教え方をする人もいるけど、印刷会社の植工さんや写植オペレーターたちは、古今の名作を活字や写植に模写しているのに、写植出身の小説家ってあまり聞かないよね、と。
 (まあ、これについては、筆写するときはちゃんと意識を集中する必要があるし、そのあとに自分で筆写したものを読んで研究をしないとやはり上達しないんじゃね、と思う。
 それに、写植オペレーターたちは、名作じゃないものも仕事として扱っているのでw)

 ただ、間違いなく言えることは、志賀直哉や谷崎潤一郎をどんなに筆写しても、上手くなるのはせいぜい文章くらいで、志賀以上に面白い小説は絶対書けない、ということだろう。
 筆写して上達するには、それを行う者に高い集中力が求められるが、大抵の人は、上達する前に疲れてしまうのでw
 そんなわけで、有名作家の小説を筆写するだけじゃなくて、ノベライズもやってみてね。
 (映像作品といっても、演劇でも映画でもなんでもいいはず。個人的には、これを一回見た記憶だけで、書いてみることを推薦したいw



 (追記)
 本書とまったく関係ないが、
 このナボコフの言葉

『マンスフィールド荘園』の女主人公ファニー・プライスの目の色や、彼女の寒い小さな部屋の家具調度のことは、なおざりにできぬ大事なのである。

という一言に共感する。
 いかなる小説であっても、純文学だろうとラノベだろうと、この点の当否が自分の基準になる。
 記憶力とは、細部に対する愛そのものであり、それなしには、何も始まらない、と。



 (更に追記)
 記憶力、と書いたけれども、これは、蓮實流にいえば、「動体視力」というべきかも知れない。
 (詳細、こちらの蓮實へのインタビューを参照)

戦争の扇動者、女衒志願者、熱血教師 -二葉亭四迷の顔- 亀井秀雄『二葉亭四迷 戦争と革命の放浪者』(後編)

 亀井秀雄『二葉亭四迷 戦争と革命の放浪者』を再び読む。



 大津事件について。
 アレクサンドル3世は、内政では大弾圧をしたが、一方で、対外的には、露土戦争での従軍経験から戦争を忌避し、平和を貫いたという(155頁)。
 確かに、この人、在位13年近くあったが、対外的な戦争には関わってはいない。



 二葉亭は作家とか翻訳家として以外で、社会的に成功したかった。

 そんな彼が起こそうとしたのが、ウラジオストクに売春婦を送り込もうという計画だった(191頁)。
 その計画は、「その売春婦の生活習慣がロシア人に影響して日本製の雑貨の需要が増えるに違いな」い、と言う考えに基づいていた。
 彼はどうやら本気だったらしく、売春婦一人当たりいくら儲かるかを計算した跡が、手帳に残っている。

 
 実際、日露戦争後に、長崎に亡命した革命派のロシア人が、日本製の雑貨をウラジオストクの買春宿に輸出して資金を稼いでおり、その意味では、二葉亭の計画は不自然じゃなかった。

 ただ二葉亭がこのとき、外国語学校の教授をしていたw
 時代が時代とはいえw



 そんな外国語学校の先生もしていた彼の授業は、しかし、実に熱が入っていた。
 教科書の余白が、例文や注意書きで真っ黒になるほどに下調べをしていたし、生徒の訳読は原文の調子や心持を生かすことまで要求した。
 夏休み中も在京学生を自分の下宿に集めて、特別講習を行っている。


 学生には、結構熱心な人だったようだ。
 本書を読んでいるとわかるが、基本的にこの人は"人格的にダメな人"なんですけどねw(詳細、本書等御参照あれ)



 二葉亭は煙草好きで、5,6歳から喫煙していた(192頁)。



 彼は日露戦争においても、好戦的だった。

 「天風」という名義で書いた、朝日新聞の記事「敵の誤解」(1905年 )で、現在平和を説くのは利敵行為であると扇動し、そのようなことを主張する政治家は言論を慎め、と警告している。
 これは、当時、アメリカ大統領に講和の仲介を依頼する運動を開始した、外相の小村寿太郎を意識してのことだと思われる
(218頁)。

 しかし一方で、彼はロシアと日本との戦力差に敏感だったし、戦後の賠償問題については、むしろ日本側が賠償金を払う羽目になるかもしれない、と語っている(220頁)。
 二葉亭としては、もしロシアが長期戦を覚悟するなら日本は講和条約で負けの立場になると考え、各戦闘に勝利を収めて、早期の講和を望んでいたようだ。



 二葉亭翻訳のガルシン『四日間』は、次の点で画期的だった。
 『四日間』は、負傷して横たわる兵士の目に映る、一匹の蟻を描く(233頁)。
 このトリヴィアルな細部の表現は、当時の読者を驚かせた。

 これまでの漢文調の"劇化"する文体が、戦争を肯定的にする嫌いがあったのに対し、どんな劇化とも無縁な一匹の蟻という細部は戦争の意味づけを引き剥がし、殺しあうことの無意味さを露呈させる。
 蟻だけでなく、戦闘の後の静寂の青空、一積みの枯れ草、蟻なども登場して、それがますます効いている。

 この翻訳は、田山花袋『一兵卒』にも影響を与えるが、質が高いのは、やはりガルシンのほうのようだ。

遂にドストエフスキーを翻訳しなかった二葉亭四迷をめぐって 亀井秀雄『二葉亭四迷 戦争と革命の放浪者』(前編)

 亀井秀雄『二葉亭四迷 戦争と革命の放浪者』を読む。
 彼がいかにして、戦争に関わり、革命に関わり、生活をし、そのなかで文学や翻訳を行ったのか。

 興味あるところだけ取り上げる。



 坪内逍遥『当世書生気質』は、次の点で画期的だった。
 近世の洒落本の場合、視点は趣味人である達人であり、登場人物の野暮っぷりを嘲笑していた。
 それに対して、『当世書生気質』は、むしろ視点を野暮な素人に設定し、生活者的な関心から登場人物を見ていく。

 要するに、洒落本への批判を意図していたわけだ(116頁)。

 また、冒頭を見れば分かるが、登場人物の容貌を描写している。
 衣服とか身なりは前々から描写していたが、容貌の描写はそれまでの文学では殆どなかった。
 ここも画期的だった。

 
 更に主人公は神経症で、母親を欠いた小官吏の家庭で、ここも、従来の主人公とは違っていた。
 「当時の学生がいわば身につまされて読んだのもその設定に惹かれたから」だという(118頁)。

 坪内逍遥は、結構すごいことをした人だったのだ。



 では、『浮雲』の画期性は何か。
 主人公の文三は、他人に自分の気持ちを伝えることが出来ない
 。お勢にははぐらかされるし、昇には言い負かされる。
 彼は、他人にしゃべれない言葉を対自的に反芻する内的独白をするしかなかった。
 まさに、「吃音状態」(122頁)だったのだ。

 しかし著者は、内的描写それ自体は、決して文学的にそれほど価値がないという。
 言文一致体であることも、さして価値があるわけではないという。
 では、何が画期的だったのか。
 それは、「文三における他者のことばへのこだわりが上手くリアライズ出来た」こと
だという(122頁)。 

 例えば、文三に復職を勧める昇がいった「痩我慢なら大抵にして置く方が宜かろうぜ」という言葉。
 この言葉を、後々文三は、「痩我慢なら大抵にしろ」と変形して、この昇の言葉を思い出す。
 本書によると3つの場面で繰り返される。
 しかも、当初昇は、単に"痩せ我慢をせずに復職したらどうか"程度の意味で述べていたが、この言葉は、文三のなかで、"お勢たちの面前で、お前はお勢に対する欲望を痩せ我慢している、と言われた"という風に変形されて反芻される。
 他者の言葉が、主人公の文三のなかで意味がすり替わって、反芻されていく。
 このような表現を「これほど巧妙に実現したのは二葉亭が初めてであった」
(126頁)。
 この技法は、自作の『其面影』でも使われる(257頁)。



 著者曰く、この小説は、文三ひとりだけが、自意識の強い青年に描かれたために、プロット破壊が生まれてしまったと指摘する。
 他の登場人物に内面的な自省がない(要するに、悩みがなさそうで人間的には深みがない)、と言うのは正直その通りだろう。

 で、ノートに書かれた『浮雲』の草稿を読むと、実は、お勢に、自己批評する自意識を持たせる計画もあったらしい。
 ところが、それは完成版で削られた。
 著者はそれを非常に残念がっている(134頁)。

 (ちなみに、このヒロインの自意識と言う部分、嵯峨の屋お室の『薄命のすず子』という二葉亭の構想を"パクった"小説が先取りしてしまったため、二葉亭としては、これを書きにくくなってしまった、と言う事情もある (135頁)。)
 


 なぜ、二葉亭は、ドストエフスキーに手をつけなかったのか。

 ドストエフスキー作品の特徴は、作中人物の一人ひとりが、「作者」の「批評的言説を解体し呑み込みながら自立してゆく」ことだった(183頁)。
 要するに、主人公や「作者」から、登場人物が独立していこうとしてるわけだ。
 その自立化は、端役の庶民にまで及び、相互の人物が葛藤を描き出す。

 しかし、二葉亭は、そういった作品は翻訳しようとはしなかった。
 『浮雲』で見た二葉亭の陥穽が、ここにもあった、と著者。

「ことだま でしょうか いいえ、誰でも」後編 -言霊について私が知っている二、三の事柄-

川村湊『言霊と他界』(講談社学術文庫版)を読んでみる。



Wikipediaの項目に、「声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた」とあるように、元々言霊ってのは、声に対して宿ると考えられてたわけです。
 文字=漢字=中国に対抗する意味で、言霊=音声が強調されるという歴史経緯が合ったわけですな(14頁)。
 もともと、言霊というのは、文化的な「劣位」な側が、優位な方の文化に対して、何とかアイデンティティを確認するためのものだったわけです。
 この出自を忘れてはいけません。
 (ちなみに、「文字霊」っていうのがあるらしいですが、これは、どう考えても、「言霊」の後追いみたいなもんでしょう。言霊が、中国文明に対する反動というなら、「文字霊」は、中国文明からの剽窃(?)なのかもしれません。)

 (言霊信仰の起源を、大陸からの文字文化の到来へのリアクションに求める考えかたは、西郷信綱「言霊論」とかも、既に唱えている説のようです。31頁の註を参照)



 江戸期の国学者たちにとっての「言霊信仰」ってのは、「五十音」が基本でした。
 この五十音(母音5個 × 子音(母音含め)10個)の"音声の秩序"こそが、本居宣長らの根本的な原理
だったわけです。
 これには、漢字(中国)の秩序に対抗する意識がこめられていました。(カラゴコロ批判ってやつですな)

 しかし一方、この五十音から漏れるものも、ありました。
 それが、「ん」です。「ん」なんですね。
 それと、半濁音や促音です(17頁)。
 で、宣長は、「ん」は不正の音だ、日本古代にはなかったんだ、とか言っちゃいます。
 ヲイヲイ。
 上田秋成との論争で持ち上がった論点の一つは、この点だったわけです。



 そんな上田秋成も、実は、言霊を信奉していました。
 確かに、『霊語通』で、"五十音"は、「霊妙」だとは述べています(19頁)。
 ただし、宣長みたいに、「不正」云々とかは、一切いってません。 
 その点が、後世の人間から見ると、マトモに思えます。

(注: ちなみに、本書の構図は、端的にいうと、
 「言語は音声第一で、音声には秩序(「五十音」)があって、それを乱す奴は許さない派」(本居宣長ら国学主流派)
 VS
 「その秩序なんてお前らが考えただけだろ、言語って秩序に納まるようなもんじゃないんだよ派」(言語のダイナミズムに肯定的だった上田秋成や、鳥の鳴き声のような声に肯定的だった幸田露伴(宣長たちは、鳥や獣の声を侮蔑してた)たち)
 の対立
です。 )



 時代を下り、折口信夫。
 彼曰く、"言霊というのは、単語とか音声とかじゃなくて、一続きの言語(もしくはそれが断片化したもの)に潜むものですよ"というもの(288頁)。
 つまり、「単語」じゃなく「ひとかたまりの言葉」に宿りますよ、っていってるんですね。ここが、折口の他の人らと違う所。
 
 ちなみに、この本の著者は、折口にかこつけて、「日本語としての言霊が力を失えば失うほど、「言霊」を言挙げするような人物がその声を大きくしてゆく」と述べています。
 そう考えると、昨今「言霊」を声高に言う人もいれば、逆に"「言霊」信仰"批判みたいなことをしている人もいますけど、結局この人たちがいる時代って、既に「言霊」が衰退してる時代だってことですよね。
 言霊が称揚されたり批判されたりする時代、その時既に、「言霊」は衰亡しているのですな。



 注意が必要なのは、言霊そのものに、雨や風を直接動かすような力があるわけじゃなくて、雨や風の精霊を揺り動かすことで、間接的に雨や風を動かしているということ(295頁)。
 逆に言うと、「言霊信仰」云々というのは、"精霊"という形而上的な存在を抜きにしては語れないわけです。
 この辺抜きにして、「言霊信仰」とかいっちゃうと、ワケがわからなくなります。
 様々なる精霊の存在を信じることなく、「言霊」を進行するなどありえないわけですから。



 以上のまとめ。

・言霊は、「古代日本で言葉に宿っていると信じられていた不思議な力のこと」ではありますが、正確には「言葉に宿っている」というより「音声に宿っている」ですので、一応の注意が必要です。
・「言葉の力に呼応して現実も動く」といういわれ方をされますが、正確には、形而上的な精霊を媒介して、間接的に現実が動く、というのが正しいです。
・もし仮に、「言霊信仰」とやらが現代日本にも続いているというなら、既に精霊の存在が信じられていない以上、それは精霊抜きの干乾びた「敬虔さなき迷信」にすぎません。



(追記)
 本書で面白いのは、第三章かな。
 民俗学の祖父祖・平田篤胤と民俗学の父・柳田国男が、ともに、「家族」からはみ出た存在であることを指摘し(少なくとも、篤胤は家庭環境に恵まれていない)、自分のいる世界に平安を見出せなかった者がその平安(死後の世界)を求めた結果、彼ら二人は民俗学の先駆者となったのではないか、という風に述べられてます。
 そして、柳田と、折口信夫と南方熊楠との死後観とを対比させる第十三章も、面白い。詳細は本書に譲るが、各人各々、個性ある死後観・他界観が出ていますね。

さすが大西巨人、教養に溢れてる -大西巨人『春秋の花』をよむ-

 大西巨人『春秋の花』を読む。(作者のHPに、全文あり)
 アンソロジー集。
 教養がにじみ出てて、お見事。



 

おれは上り坂を上って行くぞ。「死」のことはわからぬ。わからぬけれど上り坂だ。


 これは、中野重治の短篇からの引用。
 すごいのは、これを心内語としてつぶやいているのが、50歳ほどの男性(当時の中野も同じくらいの年齢)だということ。
 若いな。



 

連霖ニ熟麦残リ 激水ニ新秧漂フ 農事方ニ此クノ如シ 吾ガ行、何ゾ傷ムニ足ランヤ


 吉田松陰の一首。
 「吾ガ行」とは、安政の大獄の間、萩から江戸へ護送されたことを指している。
 「連霖」は長雨、「秧」は稲の苗。

 『留魂録』の「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」の一首よりも、実に好ましい。
 魂なんぞは、どっかに勝手に置いてくれればいいのだから。
 それより、「熟麦」や「新秧」のような生命を、肯定したい。




 われはこの国の女を好まず

 読みさしの舶来の本の 
 手ざはりあらき紙の上に
 あやまちて零したる葡萄酒の
 なかなかに浸みてゆかぬかなしみ

 われはこの国の女を好まず


 石川啄木。
 舶来の本の紙/この国の女 この国にいる読み手(多分男)/この国の女  舶来の本の紙/誤ってこぼした葡萄酒  染み込んでいかない悲しみ/女を好まないこと。
 読むと、舶来的なものになじむことのない自分の悲しみと、それでもこの国の女を好むことの出来ない自分との"間"を、詠んでいるようにも見える。

 ・・・というか、誤って葡萄酒こぼしたなら、さっさと本を拭けよ。なかなか染み込んでいかない、とか、お前ド貧乏だろ、当時の洋書高価だろ、何してんのよ。
 せっかくの高価な洋書をだめにしちゃう行為、この国の女を買う(啄木の買春行為による浪費は有名)という行為。
 もったいないことなのに「かなしみ」だという捻った感情表現と、「女を好まず」という浪費に対する逆恨み(?)とが、なんか結びついてしまう。
 



 顔はまっしろけで
 こころは魔もの
 抱かれ心地はこの上ないが
 聞けば逢ふには命がけ


 佐藤春夫の詠み。
 リズムがとてもいい。

 雪女とかも、こういう"女=魔もの"的な典型ですよね。
 ファム・ファタール的な。
 (ちなみに、佐藤自身の体験が、この詩の原型になっているようです。)

「プルーストってどんな人?」後編 -友情を信じることだけはしなかった人について-

 アラン・ド・ボトン『プルーストによる人生改善法』をまた読む。



 プルーストってどんな人?
 喘息の人。
 日中に多発するため、夜型生活に。
 外出も控えるようになり、夏場の外出には、密閉したタクシーに閉じこもる他なかった。
 部屋でも、カーテンで窓を四六時中閉ざした。


 あるとき、ヴェルサイユの伯父のもとを訪ね、パリに戻った彼は、不定愁訴に苦しんだ。
 伯父宛の手紙によると、それは高度が変わったせいだという。
 ベルサイユとパリの高度の差は、83メートルあった。



 プルーストってどんな人?
 敏感だった人。
 皮膚が弱かった。
 そして内臓も弱かった。グラス1杯の水を飲んでしまったら、腹痛でずっとおきている羽目に陥った。(85頁)



 プルーストってどんな人?
 「友情」について、冷淡だった人。
 彼は、とても友人や知人に、懇切丁寧に振る舞う、実に気配りのできる人だった。
 実際、その友情の篤さを疑うものはなく、彼の死後も友人たちは、彼の気配りを賞賛している。

 しかし一方で、友情というものにすごく、冷めた見方をしていた人でもあった。
 友情が、真の自分や自分の胸のうちをさらけ出すこと、なわけがない。そういった類のものじゃないと、考えていた。

 友人たちにあいたいと駆り立てられる思いそのものは、否定しなかった。
 だけどそれを、「隔離病院に閉じ込められ、家族や友人たちから引き離されている患者の心のなかに、窓から身を投げたいという切望を吹き込むもの」という、実に衝動的かつ刹那的なものとしか捉えていなかった。(141頁)
 彼曰く、「友情をあざわらう人々は、・・・世界で一番立派な友人になりうる」。

 気配りある振舞いができるのに、一方で、「真の自分や自分の胸のうちをさらけ出す」類の友情にものすごく否定的な人は、現代日本にもいる。
 それが、哲学者の中島義道先生であるのは、いうまでもない。



 プルーストってどんな人?
 コンブレーの町を有名にした人。
 モデルされたイリエの町は、このプルーストの小説で有名になったため、観光地化して名前もイリエ・コンブレーに改めてしまった。
 本書でも批判されているように(これと同じことを辻邦生も批判してたっけな)、概してこういう類の真似は、つまらないものになる。
 プルーストが教えてくれたこと、それは、どんなにつまらなかったり、ありふれているものの中にも、まだ発見されていない美しさが潜んでいたりするということだ。(245頁)
 そして、その楽しさを発見できる条件は、ただ一つ。
 それこそが、プルーストのように考える努力であり、それが小説から学ぶべき第一のことだ。

「プルーストってどんな人?」前編 -彼の文章の秘密と、愛について-

 アラン・ド・ボトン『プルーストによる人生改善法』を読む。
 期待してた以上にに面白かった。



 プルーストってどんな人?
 ある当時の駐仏英国大使曰く、「これまで私が出会った中で一番驚くべき男だ」
 なぜか。
 「なにしろディナーのあいだも外套を着たままだったからね」(11頁)



 プルーストってどんな人?
 『失われた時を求めて』という小説のタイトルを、ずっと気に入ってなかった人(15頁)。
 曰く、「不適当」(1914年)、「誤解を招く」(1915年)、「醜悪」(1917年)



 プルーストってどんな人?
 新聞を読むのが好きな人。
 二十四時間以内に宇宙で起こる不運や、社会的変動、戦争、殺人、スト、破産、火事、離婚、政治家や俳優の冷酷な感情、そういったものが、無関心な我々のために形を変えて、朝の思いがけない楽しみとなるから、と(40頁)。
 でも彼の場合、読み方が少し違った。ドーデによると、彼は「丹念に新聞を読んだ。ベタ記事さえ見逃さなかった。それは一編の悲劇や喜劇になった。彼の想像力と幻想力の賜物である。」
 彼の読み方は、そのまま、彼の書き方に通じる。
 彼は、丹念に書いた。
 一つ一つ丁寧に。
 だから、彼の文体も小説そのものも、あのように長くなった。



 プルーストってどんな人?
 過剰に母へ甘え、過剰な母への愛にさらされた人。
 彼、マルセルが24の時、母の元を離れた。彼は母に手紙をしたためた。
 内容は、自分が良く眠れていること、他に、便通や食欲について。
 あるとき彼は、こう手紙に書いている。
 「パパに訊ねてほしいのですが、おしっこをする瞬間、焼けるような感じがするのはどういうことでしょう?そのせいでの中断と、その後の再開を、十五分に五、六回行なう羽目になります。」
 この手紙を母に書いたとき、プルーストは31歳。母は、53歳だった。
 (ちなみに、良く知られているように、マルセルの父は医者だった。) 
 ただ彼は、母の過剰な藍についても次のように書いている。
 「僕の体調がよくなったとたん、僕の体調をよくする生活がお母さんをいらだたせるため、僕が病気になるまで、お母さんは何もかも滅茶苦茶にしてしまう」(71頁)
 共依存的な母子関係だった。



 プルーストってどんな人?
 同性愛者だったひと。
 でも彼のその同性愛的特長は、次の言葉に表れている。1911年のとある若者への告白。
 「君を心から抱擁するために、僕の性と年齢を変えて、若い、美しい娘の姿になることさえできたら」(74頁)
 彼自身は、女装癖も、女性的な格好もすることはなかった。
 ただ、彼は、愛する者の望む存在へと変容することを望む人だった。
 「~になること」。変容すること。

これが"当事者研究"というものか!! -『べてるの家の恋愛大研究』について、少し-

 "当事者研究"というものがある。
 Wikipediaでの定義だと、「北海道浦河町にあるべてるの家と浦河赤十字病院精神科ではじまった、主に精神障害当事者やその家族を対象とした、アセスメントとリハビリテーションのプログラム」と言うことになる。
 要は、「幻覚や妄想を含めた当事者が抱える現実(主観的な視点)から、困難や苦労の成り立ちを理解し、そのテーマや当事者のニーズにせまっていく手法」。
 幻覚等を抱える当事者自身が、自らが抱える問題を理解し、その解決策を探り、それらを研究の形で発表する。それによって、周囲の支援も得られやすくなる、というわけだ。 
 (より簡潔な説明は、Wikipediaの「べてるの家」の項目にある。曰く、「メンバー同士で集まり」、「自分の病気にオリジナルの病名をつけて毎日の経過をまとめ、報告する」こと。)
 


 そんな当事者研究だが、『べてるの家の恋愛大研究』だと、こんな切り出され方をすることもある(「研究7」を参照)。
 これはあるカップルの当事者研究で、女性側のコメント。
 「九年ほどつきあってきましたが、いままではケンカに包丁を持ち出したりするほど関係の危機をむかえており、そろそろお互い生きづらくなってきたので、ここらでひとまず研究してみようと思いました。
 なんという "ここらでひとまず" の使い方!!
 しかもこの女性、「イケメンの男性と出会うと、すぐに「ときめきスイッチ」がONになり、彼氏そっちのけで夢中になってしまいます。できれば、いまの彼氏で満足したいと思います。
 なんという "できれば" の使い方!!
 本書で、一番最強のキャラは、間違いなくこの女性である。是非手にとられたい。



 実は、この『べてるの家の恋愛大研究』という本、世の恋愛を小説で書きたいときの種本になるかもしれない。



 正直、途中まで、「障害者でも恋愛だって結婚だって出産だってできる」というふうに書いてこうかなと思ったのだが、「障害者でも」なんていう枠をこの本はとっくに乗り越えているんじゃないか



 2011/5/5 改題及び表現訂正。
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